14/01/16 19:49:31.55 T+gitsvH
例えば原始仏教と禅の接点はここらにあるんだけど
URLリンク(homepage1.nifty.com)
鏡の表として
>実に、バーヒヤよ。おまえはこのように学ばなければならない。
>見られたものにおいて、見られただけのものがあるだろう。
>聞かれたものにおいて、聞かれただけのものがあるだろう。
>考えられたものにおいて、考えられただけのものがあるだろう。
>識別されたものにおいて、識別されただけのものがあるだろう。
たぶんセブンさんはここらを巣という表現したんじゃなかろうか
鏡の裏として
>バーヒヤよ、それ故に、おまえはそこにいない、
>なぜなら、バーヒヤよ、おまえは、まさにここにいないのだから。
>それだから、バーヒヤよ、おまえは、この世にも、他の世にも、
>両者の中間にもいないのだから、これこそ、苦の終わりである
や
>水も、地も、火も、風も、堅固に存在することのないところ、
>そこでは、星もまたたくことがなく、太陽も輝かない。
>そこでは、月も現れることがなく、そこでは、闇も存在しない。
決して見たり聞いたりではない「鏡の裏」を「境地」という表現を使うと
誤解が生まれるかもしれんね
623:神も仏も名無しさん
14/01/16 20:17:21.45 FWCR3rbv
>>622
それは、言葉(何かを指し示すラベル)の限界として仕方ないのでは? >境地
パーリ、Sktでも「 ~thAnA 」として場所的表現になっていたりする。
勿論、具体的実在的空間・場所に限定されるものではないだろうが・・。
また、伝達という場面に於いては、言葉というラベルを用いない限り、伝えようのないこともある。
*(スポーツ界で、オノマトペの有効性―先人の感覚・感性の伝達、移譲の為の―)が言われたりもしているが、
それでも、決して「冷暖自知」を超えることはできない。)
それこそ、テレパシーでも使わない限りwww
が、ここで重要なのは、
≪たとえテレパシーによって伝達するのだとしても、そこで、思考としは勿論、イメージであっても、
【言語的(或いは分類的、分別されたラベルとして)に】伝えられるしかないのではないか?≫
ということ。
映像が転写されるが如く、音声が録音再生されるが如く、(それらでさえ、厳密には同一かどうか疑わしいわけだが)、
『マンマ』の伝達があり得ない以上、また、直接の言語表現が困難な場合、
代替表現・近似相似表現としての言語依存となるのは、人間にとって避け得ないハードルかと・・。
つか、 >巣 って何?w
624:神も仏も名無しさん
14/01/16 20:22:25.95 T+gitsvH
洲の間違いだってwわかるでしょw
この問題、完結にいえば
臨在三句
一句とは「印章を捺して印を持ち上げ、そこに主客を見ればよい」。
二句とは「そんなことは名剣で水の流れを断ち切るときのようにすればよい」。
三句とは「舞台の上の人形のうしろを見ればよいに決まっている」
一句と三句が鏡の表裏、二句がセブンさんのいうような仏法のよりどころってとこかな。
めんどいことは嫌いです。
これにて。
625:神も仏も名無しさん
14/01/16 20:24:53.74 T+gitsvH
言葉は誤解を生むものでありますが
誤解を解くものでもありますね
頑張ってください
626:神も仏も名無しさん
14/01/16 21:15:12.52 FWCR3rbv
>>624
>洲
マジでわからんかったw
つか、「洲」と言った場合、(特にそれが自灯明法灯明に於ける)拠り所としてであれば、
それと件の「境地」は、少しズレがあるでしょ。
(トータルアバウトに見れば似たようなもんwと言えないこともなかろうが・・。)
また、(>>622)、表だから洲というわけでもなく、寧ろ表を拠り所とするのは、
中洲でなく浮木を拠り所にするようなもんでしょw
強いて言うなら、「境地」が「裏」で、「表」は日常の要請される個々の「存在」となるでしょ。
ま、だから、日常、生きる上で依拠せねばならない在り様(今まさに顕現している諸縁の結び目)としてならば、
拠り所として洲とも言い得るだろうけど、普通に「洲」と言った場合、もう一段上の
自身の在り様を如実に見て――つか、経の主旨としては、
「五蘊無我故に自己なく、“そこ”に安住することによって、苦の滅、安楽がある」
というものに読めるけど、そのとき、《「五蘊仮和合の存在(自己)」を賢者は拠り所とすべき》
というなら、そこで「洲」を使うのもありかも。
627:神も仏も名無しさん
14/01/16 21:29:36.48 FWCR3rbv
>>624
一句は、
分別計らいの世界にあって、尚、そこに万法全て顕われている・納まっている
という「分別」「相」のことで、
二句は、
自身のあらゆる行為が、(束縛・枷無く、三毒に随っておらず、過度な意気込み・使命を帯びない)
自在に且つ自然なものとして「法」に適っている
という「はたらき」「用」のことで、
三句は、
諸相、計らい、来し方によらない、種々の縛りから解放された法身の顕われ
という「本来の面目、無位の真人」「体」のことで、
今の流れとは関係薄いと思うけど・・。
強いて言えば、「洲」としての拠り所は、(一句として顕われている)三句じゃない?
(daio-が一言二言入れてくんだろうな・・・(^^;) )
>>625
もしかして、なんか励まされた?w
とりあえず蟻 m(_ _)m
628:諸ラベル無常
14/01/16 21:30:41.53 sXdgfD1r
本スレは仏教板らしくラベルも無常ですね。
アホ、馬鹿、基地外→姑息→ウ○コ回虫→教祖様→??
629:諸ラベル無常
14/01/16 21:32:24.63 sXdgfD1r
昔々マハーヴィジタ王の頃にバラモンの宮廷僧がおりました。
彼は牛も山羊も豚も鶏も殺さず、樹木も草も切らずに、油、バター、乳、蜜だけで完全な祭式を行いました。
死後は天界に生まれ変わりました。(「究羅檀頭経」より)
昔々レーヌ王の頃にマハーゴーヴィンダという名のバラモン宮廷司祭官がおりました。
彼は出家し数千人が後を追って出家しました。
弟子達の中で教えを完全に理解した者たちは死後は梵天の世界に生まれました。(「典尊経」より)
昔々マハースダッサナ王がおりまして、死後は梵天の世界に生まれました。
この生まれ変わりの話を釈尊から聞いたアーナンダ尊者は「マハースダッサナ王は釈尊とは別の人だろう」と思いました。
釈尊曰く「私がその時のマハースダッサナ王であった。」と。(「大善見王経」より)
以上、釈尊はこれまで六回肉体を去ったとのことで(七回目は釈迦)、その内の三回の前世は長部経典に詳しく説かれております。
誘引でここまで詳しく実名で説かれる必要があるのかははなはだ疑問ですね。。
630:自燈明の意味?
14/01/16 21:42:30.01 sXdgfD1r
なお自燈明と法燈明ですが、祖父が前世で釈尊から聞いたという検証不可の寝言では、少し意味が違うようです。
「心の鏡はわしの法じゃ、お前らの心にちゃんと燈台が出来ている。わしは去ろうとも心のみ法はわしの言葉と思って。」
仏法を全く知らない者が「自燈明」だと勝手に思ったままに行動するのは違うようです。
631:神も仏も名無しさん
14/01/16 21:57:13.36 4/+WbHpP
らくがん不味い!
パンプキンパイ食べたい
マヤ神話の女神
イシュタムを仏教に
取り入れてください!
632:神も仏も名無しさん
14/01/16 21:58:01.73 5+CVW8va
タイの現在の混乱は、小乗仏教の影響があるのではないか。誰か分析してくれ。
ここは仏教スレだろw。
633:神も仏も名無しさん
14/01/16 22:02:02.37 3ssQes46
.「タイで修行、おもろい坊主」1 - 8:51
URLリンク(www.youtube.com)
.「タイで修行、おもろい坊主」2 - 9:56
URLリンク(www.youtube.com)
ヴィパッサナー瞑想の勧め。オモロイ坊主の「楽になる生き方3」 - 1:59
URLリンク(www.youtube.com)
.ヴィパッサナー瞑想&歩く瞑想。オモロイ坊主の「楽になる生き方4」 - 3:24
URLリンク(www.youtube.com)
.スマナサーラ長老「悟りを開く瞑想について」 - 29:30
URLリンク(www.youtube.com)
「手放すことが生きること」スマナサーラ長老との対話(2012年12 - 1;20:52
URLリンク(www.youtube.com)
タイの仏教 b- 48:59
URLリンク(www.youtube.com)
インド不可触民を救う日本人仏教指導者_佐々井秀嶺 - 47:53
URLリンク(www.youtube.com)
親日国インド、日本を味方にして中国に対抗 - 107件の動画
URLリンク(www.youtube.com)
親日国 台湾 タイ インド ベトナム 他 - 58件の動画
URLリンク(www.youtube.com)
日本と親日国のいい話 - 15件の動画
URLリンク(www.youtube.com)
親日国との歴史 - 35件の動画
URLリンク(www.youtube.com)
634:神も仏も名無しさん
14/01/16 22:18:51.14 FWCR3rbv
>>629
だからw
それがどうしたの?ってこと。 ふ~ん・・でしかないの。
少し強引に言えば、回数なんか何回でも良くて、
重要なのは、善業が積まれ、最後ゴータマ尊として成道を迎える
(法眼を得て(智慧開き、悟り得て)相応の生存へ遷る)という果報の件なの。
骨格は、過去の行為の果を受ける、果は必ず結ばれる、というところが大事なの。
なになに神だったとかどこどこ天に生まれたとか、そういう具体性は例、皮相、装飾でしかないの。
(で、君は、いつもいつも饅頭の皮ばかりを見、食べ、肝心の餡子は、まるで入っていないかの如く扱ってるの。)
今ここで629のレスを入れる意味が判らんw
在家こそ、パーリ仏典入門読むべきなんだろうが、敢えて読まんのだろうなw
(片山さんが各経の頭に逐次置いているそれそれの概要も、目の前に開いてやっても読まないかもな・・w)
635:前世は一在家 ◆2o6x38TRbE
14/01/16 22:55:53.32 sXdgfD1r
>>634 多分、セブン氏
>少し強引に言えば、回数なんか何回でも良くて、
>重要なのは、善業が積まれ、最後ゴータマ尊として成道を迎える
1.2.3.:不明。
4.バラモンの宮廷僧:完全な祭式を行いました。死後は天界に生まれ変わりました。
5.マハーゴーヴィンダという名のバラモン宮廷司祭官:弟子達の多くは死後は梵天の世界に生まれました。
6.マハースダッサナ王:死後は梵天の世界に生まれました。
7.ゴータマ・シッダルタ:涅槃入りしました。
貴僧がご指摘の重要なポイントを既に提示しておりましたがご覧いただけなかったようですね。
>今ここで629のレスを入れる意味が判らんw
釈尊ですら輪廻をする度にスパイラルアップしていかれたのですから、輪廻を否定して現世で涅槃入りを語るのは如何でしょうか、というお題でした。
636:前世は一在家 ◆2o6x38TRbE
14/01/16 23:00:36.52 sXdgfD1r
>釈尊ですら輪廻をする度にスパイラルアップしていかれたのですから、輪廻を否定して現世で涅槃入りを語るのは如何でしょうか、というお題でした。
通常は前世も人で、地獄に再生して、また下生してきております。
まず現世では欲張らずに死後に天界に生まれ変われるように善カルマを積みたいと存じます。
637:神も仏も名無しさん
14/01/16 23:10:26.30 sXdgfD1r
>7.ゴータマ・シッダルタ:涅槃入りしました。
シックスでもエイトでもテンでもなく、ラッキー・セブンですね。
638:神も仏も名無しさん
14/01/16 23:32:37.89 FWCR3rbv
>>635
>現世で涅槃入りを語るのは如何でしょうか、というお題
.涅槃
↑
│解脱
.┌─┴─┐
・・・・・・・・・・・・・・┠───┨・・・・・・・・・・・・・・
(前世) .今生 (来世) 苦なる生存
.涅槃
↑
│解脱
┌─────┴──────┐
・・・・・・──╂───╂──・・・・・・
前世 今生 来世 苦なる輪廻・生存
幾世繰り返そうが、今ここにしかないのは変わりないんだよw
639:ポータ
14/01/16 23:59:32.14 BFY3PaZY
>>553 (つづき)
>こういう過程を経て、子供は現実と馴れ合って生きることを学習するのですが、
>この訓練を経ていませんと、いつまでも精神は子供のまんまです。
遊んでいない、遊び足りない ということですね。
>つまり現実と空想がいつも表裏な状態ですね。
>これは人格障害に見られる所見と類似してます。
遊び足りないと、現実と空想の暗黙了解が未発達となる。
人格障害と類似しているのですね。
そうですか。
ホイジンガの『ホモ・ルーデンス』
ロジェ・カイヨワの『遊びと人間』 では、子供時代の遊びの重要性に
留まらず、人間=遊び までいっています。
>>552
>遊びと言えば、ゲームとかネットとかバーチャル世界です。
完成度の高い玩具には想像力が限定されますから、君がここで言っている
ゲームやネット、バーチャルは遊びの持つ広がり可動をうんと狭めているという訳ですね。
>実は仏教教義が問題ではなく、これは「見捨てられ不安」の示現と私は見ています。
>仏教はそのアイテム・ツールですね。
>これが私の精神分析です。
なるほど、仏教教義が問題ではなくとは、仏教という対象に問題があるのではなく、
閉じた遊びは遊びではないのだが、それしか知らないと、対象を閉じたアイテムとしての使い方をしてしまう。
640:神も仏も名無しさん
14/01/17 00:02:31.63 hYxxxzrw
>>637
一週が七日
四十九日が7×7
菩提樹下で七日間(・・・悟りまで7日・ゴータマ尊まで7回)
七覚支
過去七仏
七不衰法
七宝
一般でも
七賢人、七宝、ラキーセブン、七人の侍など
7という数字は、「完全なるもの」
(・・・過不足無きもの、十分なもの、満たされたもの、優れたもの・図抜けたもの、或いは“沢山”のもの)
としてのイメージ数としてありふれてるからね。
特に意味を見る必要はねーよw
641:神も仏も名無しさん
14/01/17 01:05:29.28 +rH0TZQK
>>636
>まず現世では欲張らずに死後に天界に生まれ変われるように善カルマを積みたいと存じます。
それを言って”カルマ落とし”なる殺人をしたのがオウム真理教なんだが?
良くも悪くも後生に積むカルマを今殺す事によって省略させ、しかも苦しんだ程死に際を苦しくされると
悪業が消化されて軽くなるオウムの理論で殺されたんだぞ?
だから信じる奴が居ても輪廻転生論を必死で俺らがねじ伏せるんだよ
業報輪廻転生論は危険な思想なんだよ
642:神も仏も名無しさん
14/01/17 01:16:55.79 +N/WdNmU
地獄への道は人々の善意で舗装されている
643:神も仏も名無しさん
14/01/17 02:46:13.22 1DWKvrv1
>>624
あ、めんどいことになりつつあるw
>表だから洲というわけでもなく、
いえ、裏にはまわりこめない、だから見たことはみたこと、
思ったことはおもったことを引用したんです、
心求めるに不可得
>寧ろ表を拠り所とするのは、中洲でなく浮木を拠り所にするようなもんでしょw
そうですよ、論を立てるのは全て砂上楼閣
まあ、裏にたいする定義の違いから、いろいろ見解の違いがでたのですが
それらはみな「思ったことは思った事」ただそれだけの事です
別の事に変えようとすれば例えば不変の真理などに変換して、
カルト教祖になるつもりもないんで、このへんでこの議論は抜けますよ
644:NHK新手の契約勧誘
14/01/17 03:39:10.26 9E7obBoK
最近のことだが、インターフォン越しに、「紹介されたんだけど、
部屋の中を見させてほしい」という中年男女がやって来た。
基地外だと思って即座に断った。しかしその正体がだれなのかは不明だった。
それから一月ほどして、「テレビがあるかどうか確認したい」という
NHKを名乗る男性が現れた。やはりインターフォン越しの会話だったが、
テレビはないと言うのに、しつこく「確認したい」と繰り返す。
「何言ってんの、お断りします」と強く言うと、ようやく帰って行った。
ぎょぎょぎょ! NHKに対する後味の悪さだけが残ったw
645:神も仏も名無しさん
14/01/17 03:44:25.99 1DWKvrv1
うちも来たよこれからはなくなるかもね
URLリンク(www.nikkei.com)
646:神も仏も名無しさん
14/01/17 04:12:55.45 Knp22Stf
>>644
NHKは怖かったな
VIPで話題になってたから断り方ばっか考えてた
647:NHK新手の契約勧誘
14/01/17 04:18:43.60 9E7obBoK
>>646
ほとんど犯罪だよね
648: 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(2+0:3)
14/01/17 04:26:14.12 TlFUqDbP
寧ろ逆に天国だろ
他に別に極楽だろ
当然正反対に理想郷だろ
649:神も仏も名無しさん
14/01/17 04:31:34.41 pdik3p5o
NHK関連、ワンセグはお目こぼしにされてる
逆に考えるとだ、地デジテレビ買ったらNHKが訪れる仕組み
B-casカードにNHKも咬んでるとか何とか
650:NHK新手の契約勧誘
14/01/17 05:01:11.74 s6lV1u0V
>>649
違うよ! 地デジを買わなくてもNHKは来る。
自分がそうだからね。
NHKは、NHKと契約してない世帯を軒並み訪れている。
ほとんど犯罪だよねw
651:NHK新手の契約勧誘
14/01/17 05:09:34.52 s6lV1u0V
刑法には、住居侵入罪という条文があるw
652:神も仏も名無しさん
14/01/17 05:32:07.72 wjCxqU5K
>>641
>それを言って”カルマ落とし”なる殺人をしたのがオウム真理教なんだが?
>良くも悪くも後生に積むカルマを今殺す事によって省略させ、しかも苦しんだ程死に際を苦しくされると
>悪業が消化されて軽くなるオウムの理論で殺されたんだぞ?
Aさんの悪カルマを消すと言ってBさんがAさんを殺してたらBさんが悪カルマを積みますのでアウトでしょう。
Aさんが善カルマ(功徳)を積んで悪カルマを消すのが良いですし、Bさんも手伝えば二人とも善カルマ(功徳)を積むのでベターです。
>だから信じる奴が居ても輪廻転生論を必死で俺らがねじ伏せるんだよ
>業報輪廻転生論は危険な思想なんだよ
ピストルは危険なので警察官をねじ伏せ、自動車は危険なのでドライバーをねじ伏せ、○○は危険なので□□をねじ伏せ、キリが無いでしょう。
だから無我(空)を信じて自殺した人がいたから、無我(空)は危険な思想なんだよ、とは私は申しません。
653:神も仏も名無しさん
14/01/17 05:47:28.22 wjCxqU5K
>>652
>だから無我(空)を信じて自殺した人がいたから、無我(空)は危険な思想なんだよ、とは私は申しません。
それは誤った理解だと思うからです。
(参考)グーグルにて「無我 自殺」で検索
無我っていうのは希望も絶望もない状態なんだって。『ブッタとシッタカブッタ』にも出てくるんだけど、
希望と絶望も、幸福と不幸も、片方があるからもう片方が存在するものなんだよね。絶望がなければ希望もないし、不幸がなければ幸福もない。
だから自殺っていうのは、実は無我とは正反対の行為で、執着むき出しなんだってこと。
654:神も仏も名無しさん
14/01/17 06:02:27.14 wjCxqU5K
>>652 訂正
誤 だから無我(空)を信じて自殺した人がいたから、
正 だから無我(空)を信じて自殺したという人がいたとしても、
655:神も仏も名無しさん
14/01/17 06:09:20.65 v+byRtfr
620 :神も仏も名無しさん:2014/01/16(木) 19:21:32.49 ID:T+gitsvHアートマン的なもの=仏性とみなされたんじゃないかな
なんとなく
しぇーーかいw
臨済の三句がセブンに理解出来るとは思えんなw
>(daio-が一言二言入れてくんだろうな・・・(^^;) )
そうだ、一句から三句間違いw
臨済みたいな、基地外、素人相手しちゃいかんw
せいぜい、空虚煽りカス・バービーみたいにヒス起こしの認知しかできないのが関の山w
628 :諸ラベル無常:2014/01/16(木) 21:30:41.53 ID:sXdgfD1r
アホ、馬鹿、基地外→姑息→ウ○コ回虫→教祖様→??
仏教以外を自信満々に垂れ流すのを教祖というのだwラベルか?W
仏教議論で教祖様の意見を尊重する馬鹿を勧める気かw
656:神も仏も名無しさん
14/01/17 06:10:50.19 19F/b0Ib
>業報輪廻転生論は危険な思想なんだよ
まず言いたいのは、危険な思想だとしても否定することは
否定派がどう足掻こうが仏教的には邪見。
そして、修行が進んだ人ほど業報輪廻転生には肯定的であることからしても、
仏教的な修行を積めば、業や輪廻転生の仕組みがわかると思われる。
つまり、否定派は単に修行が進んでないだけであり、修行の進んだ行者の
見解も疑っていることになるので、果たして仏教徒なのか?と疑いたくなる。
657:神も仏も名無しさん
14/01/17 06:13:25.32 v+byRtfr
>仏教的な修行を積めば、業や輪廻転生の仕組みがわかると思われる。
仏教的なwホント教祖様w
こんなものの仕組みを理解するのに重点おくなw
658:寝言
14/01/17 06:17:55.64 wjCxqU5K
「無我」と「輪廻」とは矛盾するから、釈尊は「輪廻」を方便で説いたという主張は本スレでも散見されます。
「無我」と「一切皆苦」とは矛盾するから、釈尊は「一切皆苦」を方便で説いたという主張は見られません。
それは「無我」を悟れば「一切皆苦」も解消されるからという見識があるからでしょう。
でも「無我」を悟れば「輪廻」も解消されるからという見識もあるかと思料します。
659:神も仏も名無しさん
14/01/17 06:25:25.54 19F/b0Ib
>>657
実際にテーラワーダのヴィパッサナーの最終段階で業や輪廻を観ることが行われることは
たしかで、修行を終えられた方の話を聞いても、業や輪廻転生を前提に
仏教を語られるし、自らの体験も話されるから。
それに、否定派の人たちの見解はどうも科学寄りで、修行者よりも脳科学者とかの見解を
重視しているように見受けられる。
だからどうも仏教に対して疑いを持ってるんじゃないかと。
660:前世は一在家
14/01/17 06:45:45.50 wjCxqU5K
>>656
>仏教的な修行を積めば、業や輪廻転生の仕組みがわかると思われる。
仏教的な修行とは別のルート(霊動体験)でも業や輪廻転生の仕組みがわかることがあります。
(よくある事例)
受光者に憑依したご霊が、「こいつ(受光者)は前世で俺を殺したので、仕返しをするから邪魔するな。」訴えました。
「ご霊が殺されたのはそれ相応の業、カルマがあったのではないですか。」と施光者(導士級幹部のみ)は諭します。
何回かこれを繰り返すうちに、ご霊も前世を想起して自分も誰かを殺したことを覚ります。
それでもすぐには許せないようですが、次第に悟って離脱していきます。
スレ違いですのでここで止めておきます。 今日も一日明るく元気に仲良く暮らせますように。 合掌
661:神も仏も名無しさん
14/01/17 06:55:57.40 v+byRtfr
>でも「無我」を悟れば「輪廻」も解消されるからという見識もあるかと思料します。
そりゃ、かまわんが、
教祖様クサイ656みたいな内容が主題ていうのもなあw
>仏教的な修行を積めば、業や輪廻転生の仕組みがわかると思われる。
この過剰異常なシフトw新興宗教でしょうw
662:神も仏も名無しさん
14/01/17 06:59:09.22 v+byRtfr
ッ結局、教祖は教祖を呼ぶだw
自己陶酔在家の教祖講義を書き込まれるわほらしいw
656 :神も仏も名無しさん:2014/01/17(金) 06:10:50.19 ID:19F/b0Ib
こいつが餌まいた、こいつも新興宗教教祖だろw
教祖は幸福の科学で、闘って来い、ここから消えろw
663:神も仏も名無しさん
14/01/17 07:21:59.04 hYxxxzrw
“野次”馬とは良く言ったもんだな・・誰とは言わんが・・・
664:神も仏も名無しさん
14/01/17 07:25:47.12 wjCxqU5K
>>663
>“野次”馬とは良く言ったもんだな・・誰とは言わんが・・・
どうしてよく吠える犬でなく無口な馬なのでしょうか・・・小疑団
665:神も仏も名無しさん
14/01/17 07:35:23.52 wjCxqU5K
野次←やじ←親父←年老いた役立たず (語源参考辞典より)
犬と違って馬は若い頃に役に立っているから「野次馬」の方が「野次犬」より適切のようです。
猟犬の皆さんには異論があるでしょうが。。
666:セラピスト
14/01/17 07:56:35.17 vrOm7b3Y
>>639ボータ氏
> 完成度の高い玩具には想像力が限定されますから、君がここで言っている
> ゲームやネット、バーチャルは遊びの持つ広がり可動をうんと狭めているという訳ですね。
貴方は読解力が凄いですね。
シンプル(未完成)な玩具は、それだけ子供の想像力を掻き立てます。
ここにおいて、子供は限りない万能感を同時に持つことになる。
「自分は世界の中心にいる」とか「自分は死ぬことはない」とか、天上天下唯我独尊の世界ですね。
この経験は必要です。
ここから徐々に現実と直面する機会を得ていく訳ですから。
つまり空想と現実を分断していく学習をする。
自己愛性人格障害というのは、この「子供の万能感」の状態を、大人になっても保持している状態です。
つまり子供のまんまなんです。
> 閉じた遊びは遊びではないのだが、それしか知らないと、対象を閉じたアイテムとしての使い方をしてしまう。
そうです。
いずれ、高機能アスペルガー症候群等の器質的障害にも関連しますので、その件についても考察します。
667:セラピスト
14/01/17 08:04:32.62 vrOm7b3Y
>>625
>言葉は誤解を生むものでありますが
>誤解を解くものでもありますね
おお!!これは凄い。貴方は良く解っていらっしゃる。
勝義諦は、世俗諦でしか説示し得ない。つうことですね。
668:神も仏も名無しさん
14/01/17 11:52:34.97 Pa65tsvl
>>667
>勝義諦は、世俗諦でしか説示し得ない
喫茶去
669:神も仏も名無しさん
14/01/17 12:23:15.36 Tux1yeov
瞑想により○○が見えるので○○はある~というのは夢で××を見たから××はあると言うに等しい。
意識変容状態で見えた世界が実在する~というのは言葉を変えれば只のキチガイ。
そのような伝統・伝承のオカルト宗教に何を求めて入るのか?
業報輪廻転生を看板掲げて宣伝する輩こそ非仏教徒。業報輪廻転生は仏教にあらず。
670:神も仏も名無しさん
14/01/17 12:29:11.98 hYxxxzrw
>>669
実際やってみて、自分で確かめてからにしたら?w
671:神も仏も名無しさん
14/01/17 12:30:40.54 Tux1yeov
夢物語に興味は無い。
オカルトに興味は無い。
偽仏教に興味は無い。
672:神も仏も名無しさん
14/01/17 12:33:13.44 Pa65tsvl
>>669
>瞑想により○○が見えるので○○はある~というのは夢で××を見たから××はあると言うに等しい。
瞑想により○○が見えないので○○はない~というのは夢で××を見えなかったから××はないと言うに等しい。
意識変容状態で見えなかった世界が実在しない~というのは言葉を変えれば只のキチガイ。
そのような非伝統・非伝承のオカルト宗教に何を求めて入るのか?
無業報輪廻転生を看板掲げて宣伝する輩こそ非仏教徒。業報輪廻転生肯定&否定は仏教にあらず。
673:神も仏も名無しさん
14/01/17 12:34:03.87 Pa65tsvl
>>669
喫茶去
674:神も仏も名無しさん
14/01/17 12:44:54.69 hYxxxzrw
今日は阪神淡路の19年だそうだ。
各地で慰霊の黙祷が捧げられたという・・。
通常一般人でさえ、一心に故人を胸に思い描き、その様々を「感得」するわけだが、
さて、
そのとき、遺族の胸に故人はいるかいないか? >>671
675:神も仏も名無しさん
14/01/17 12:48:49.02 Tux1yeov
>>674
それが業報輪廻転生と何の関係がある?
676:神も仏も名無しさん
14/01/17 13:03:49.73 hYxxxzrw
>>675
別の話だが何か?w
677:神も仏も名無しさん
14/01/17 13:21:56.41 Tux1yeov
淡路大震災や東北大震災で亡くなった人は気の毒と思います。
キチガイはこれは地域的なカルマが有ったため仕方のない事などとほざきます。
オカルト業報輪廻転生論者によれば災害で亡くなるのも過去世の業が原因で
この業には地域性もあると。
678:神も仏も名無しさん
14/01/17 13:45:02.84 BhznD5hp
>>658
>「無我」と「輪廻」とは矛盾するから、釈尊は「輪廻」を方便で説いたという
>主張は本スレでも散見されます。
無我になっているとは 悟った状態ですよね という事は輪廻の輪から外れた
解脱状態と云う事です
679:神も仏も名無しさん
14/01/17 13:54:17.73 pdik3p5o
>>652
>Aさんが善カルマ(功徳)を積んで悪カルマを消すのが良いですし、Bさんも手伝えば二人とも善カルマ(功徳)を積むのでベターです。
そもそも業も空なのでお前の屁理屈は外道オウムの与太話で道理に適わない
680:神も仏も名無しさん
14/01/17 14:15:19.27 wq2trRKC
>>678
>無我になっているとは 悟った状態ですよね
”無我になっている”、つまり無我の境地とは悟っている訳では無い
悟りは気付いた状態の事で、何かを無限とも無辺とも言える智慧を持って気付いた状態を悟りと言う
無我の境地はそれの一瞬前に維持持続出来てた感覚の様な状態で、自他とも分別を持たずに居る状態
手っ取り早く無我を得るには坐禅に勤しむのが得策だが、もっと手っ取り早く、しかも意図せず我々は
無我を普段の生活の中で、一瞬では有るが事有る毎に得ている
例えば、
くしゃみの瞬間やあくび・背伸びの瞬間や排便の瞬間や痛みや痒みなどの痛覚を得た瞬間等
事が起こった瞬間では我々は一瞬無我になっている、それとは知らずに
セックスの時の絶頂の瞬間もそれである、だから一部の密教は追求しすぎておかしな方へ迷ってしまったとも言える
仏教の瞑想修行は上記で得られる無我より強く長く強靭に維持できる集中力を以って無我に至り
自分の中にある一切の分別を外して対象を隈なく観察する方法である
その深さには浅い深いの技量が物を言い、もっとも深い境地を得て悟れれば釈尊に並ぶ智慧を獲得し
残すは涅槃のみとなる
涅槃は瞑想修行の最後半で最初に”寂静”である事実を悟り、智慧の完成の暁に入る・または得るものである
智慧の完成とは、寿命のことになる
681:神も仏も名無しさん
14/01/17 14:34:34.86 wq2trRKC
生きている内、つまりまだまだ元気な頃に瞑想修行をし
運良く得るものを順調に得て涅槃が寂静である事実を体感出来たとして
それは所謂有余涅槃とか言われる状態で、涅槃の実態を知る事が出来ただけの事になる
これは釈尊が説法をされていた在世とほぼ同じ状態とも言える訳だが
言葉では簡単だが、そこに至るには相当大変で、在家の生活サイクルでは絶対に不可能とも言われ
出家しても得られる保証はどこにも無く、得た人が居たとしても、聞くところによれば実感が無い為に
誰も宣言できないので、本当に得た人が居るかどうかは現代では不明となる
ぶっちゃけな話、釈尊は慈悲の心で衆生を救済・済度する作業に入られたが
有余涅槃を得られた時に釈尊が自己中な人ならそのまま入涅槃すれば
仏道は永遠に秘密教と成り得たと言う危険性が仏教には有ったりする
その自己中な行動を止められる唯一の所作が、菩提に於ける薩?の行
つまり有情たる薩?(衆生)の身で慈悲によって菩提を完成させる行を行う
釈尊の菩提は自分も含めた全ての衆生の苦悩の解決する事だったので
現世に残られ、残りの人生を菩提完成の為に費やされて智慧の完成に至った
682:神も仏も名無しさん
14/01/17 14:43:31.93 hYxxxzrw
>>677
ああ、ごめんごめんw
>>669の4行目を読んでなかったわwww
輪廻限定の話だったのね。
気付かなくてごめんねぇ~ ( ̄ー ̄)
683:神も仏も名無しさん
14/01/17 15:02:29.40 BhznD5hp
>>680
>くしゃみの瞬間やあくび・背伸びの瞬間や排便の瞬間や痛みや痒みなどの痛覚を得た瞬間等
> 事が起こった瞬間では我々は一瞬無我になっている セックスの時の絶頂の瞬間も
十二縁起 で いえば 触(感覚器官と対象の接触) によりて 受(感受)が生じる があるのに 無我な訳ないでしょww
684:神も仏も名無しさん
14/01/17 15:03:48.18 wq2trRKC
煩悩即菩提とは何か?
この単語自体は大乗仏教が勃興してから言われるものなので
釈尊の教説には直接登場してこない
釈尊の教えでは「煩悩の火を吹き消せ」と煩悩から離れる・捉われない事を教える
しかし、教えでも言う通り、煩悩とは対象が有って生じる念なので
一度生じてしまったら対象が消えうせない限り消せる可能性は無きに等しく
例え対象が消えうせたとしても、記憶の念には対象が残っているかもなので
やはりここでも煩悩は消えない事になる、では吹き消すとはどう言う事なのか?
煩悩を火と例え、それを吹き消す訳だから火には種・芯・燃料なるものが必須である筈である
時代的になぞれば、煩悩の火とは「松明や灯明の火」の事で、吹き消しても芯や燃料は残る
その、火は消して冷めて運べる状態を他へ使え、と解せる訳である
例えが下手糞で恐縮だが
煩悩が有る時は心が穏やかではない、その火種は火が有ろうが無かろうが火種として存在は続ける
だから一先ず火(穏やかざる心)を落ち着かせて、同じ火種のパワーを善業に起こせと言う事なのである
これが煩悩即菩提の概要になる
してみれば、あらゆる煩悩は菩提となり得るので、煩悩のまま行えば悪行だが
菩提に転じて行えば善業と成しえる、と言うのが釈尊の真意の教えであろうと解せるのである
685:神も仏も名無しさん
14/01/17 15:04:34.27 Knp22Stf
秘密教となり得るってことは普遍性が無いってことかもしれない。
これは、あるときに有効な科学の法則を発明した人がそれを公表しなかったら、その後に誰かが同じようなものを発明することがあるかどうかということ。
こういう話では、例えば製品ならグラハムベルの発明した電話は同時期に他の人も発明していたというものがあって、秘密となり得たかということを考えてみるとそうは言えないかもしれないと。
686:神も仏も名無しさん
14/01/17 15:07:00.02 wq2trRKC
>>683
一例として言うなら「黄檗三打」
>触(感覚器官と対象の接触) によりて 受(感受)が生じる
瞑想で得る何かも同じ様に言える
くしゃみと瞑想に分別を持ってると理解不能となる
687:神も仏も名無しさん
14/01/17 15:13:43.08 Knp22Stf
>>684
じゃあ煩悩全開で書く。
アメリカで記憶を消す装置が開発されたらしいですよ?
色即是ERACE、空即是ERACE。COOOOOOOOOOL!!!!!!!!!!!
その後にアメリカ人の女性が「私の記憶を返して!」と訴訟を起こすと。
688:神も仏も名無しさん
14/01/17 15:15:37.35 Knp22Stf
>>686
枝葉で理解せずに木の根で理解せよ、ということが枝葉で対応する日常で難しいことがあるから瞑想して悟りを得るのかなと。
689:神も仏も名無しさん
14/01/17 15:19:26.85 wq2trRKC
>>687
記憶位は消せるでしょう
記憶喪失と言う症状は実在してる訳ですし
ただ、電気的なのか医学的なのか、物理的に記憶を呼び戻せない様に
処置したら、
>その後にアメリカ人の女性が「私の記憶を返して!」と訴訟を起こすと。
も起こらないでしょう
返してと騒ぐ時点で「覚えてるじゃん」となる
690:神も仏も名無しさん
14/01/17 15:19:58.99 BhznD5hp
無我の話にくしゃみと瞑想の話をもってくることが 間違っている
691:神も仏も名無しさん
14/01/17 15:28:43.19 /5WSRI0j
くしゃみと絶頂感は等価の事象
左道密教では性感絶頂は悟りに至れる境地であると突き止められている
692:神も仏も名無しさん
14/01/17 15:31:11.53 Pa65tsvl
>>684
>だから一先ず火(穏やかざる心)を落ち着かせて、同じ火種のパワーを善業に起こせと言う事なのである
>これが煩悩即菩提の概要になる
煩悩⇔菩提の分別三昧のまま。
『善業に起こせ』も善⇔悪の分別三昧のまま。
菩提とか善への執着のまま。
>してみれば、あらゆる煩悩は菩提となり得るので、煩悩のまま行えば悪行だが
>菩提に転じて行えば善業と成しえる、と言うのが釈尊の真意の教えであろうと解せるのである
単なる色即是色でしかない妄想だ。
693:神も仏も名無しさん
14/01/17 15:33:27.47 BhznD5hp
>>691
無我を悟りと認めるのかい?
無我の話をしているんだが?
694:神も仏も名無しさん
14/01/17 15:34:22.25 wq2trRKC
>>692
それらの事柄を体感で得たから、語るには世俗諦でしか語れない事を知ってればその言葉は出ない
ユー、坐ってないね?w
695:神も仏も名無しさん
14/01/17 15:35:11.09 UfOIkZ5U
無我って、体験したものしかわからないんじゃないの?
理屈で分かるのなら、釈迦の時代から(理論はごちゃごちゃしてくるけど)修行が重視され続けてないよ
696:神も仏も名無しさん
14/01/17 15:35:55.30 wq2trRKC
>>693
無我を体感で得てから出なければ悟りを得られない
無我は悟りの土台だから地味に重要で無我を得ることがゴール(悟り)ではない
697:神も仏も名無しさん
14/01/17 15:37:57.69 hYxxxzrw
まあなw >>690
くしゃみが発生したとき、「くしゃみをしている者なぞ居ない」
セックスでイクときに、「イク主体、イキそうな私なぞ無い」
ってことだからなw >無我
忘我の境地、無我夢中とは違うからね・・。
だから>>683は寧ろ逆で、
くしゃみの最中だろうが瞑想にあろうが、エクスタシーの極にあろうが、
触によって受が生じているところだろうが、
いずれも、どこをとっても、無我だよな?w
698:神も仏も名無しさん
14/01/17 15:39:19.85 Knp22Stf
>>694
それ。
分別三昧ってありふれててそこで悩む人がいるならそこを考慮しないとね。
特効薬出すのか根治に導くのか、そういう話と捉えたらそこの分別のお話でもあるんじゃないかなぁ?
699:神も仏も名無しさん
14/01/17 15:39:39.97 Tux1yeov
無我は我に執着するなという教え。
この基本をすっ飛ばして我は無い~等と言うのは只の言葉遊び。
昔、アメリカでヒッピーがLSDや大麻で変容意識状態に陥ってこれは悟りだ、と言ったのに等しい。
瞑想も大麻も同じ。
そのような得がたいモノを得ようと志向する事自体が間違い。
700:神も仏も名無しさん
14/01/17 15:40:14.67 wq2trRKC
>>697
>いずれも、どこをとっても、無我だよな?w
そう言うこと
理屈は直ぐ理解できる
釈尊は体感でそれを確認しろと教えてる
だから行が重要となる
701:神も仏も名無しさん
14/01/17 15:43:16.63 Knp22Stf
>>699
なんでヤク中の言葉って残ってないんだろうって思ったら、状態は同じでも或る意味有益な悟りに到達するまでには様々なことを通るから、それをすっ飛ばしてるとサイケデリックな夢を見るくらいが限界何じゃないの?と思ったんだけど。
702:神も仏も名無しさん
14/01/17 15:44:57.86 BhznD5hp
>>699
>無我は我に執着するなという教え。
何処の解説書ww
703:神も仏も名無しさん
14/01/17 15:47:45.33 Knp22Stf
根本的な解釈が枝葉になってるからおかしいんだよ
704:神も仏も名無しさん
14/01/17 15:59:41.89 Pa65tsvl
>>694
>それらの事柄を体感で得たから
『それらの事柄を』と対象化した体感など世俗のままでしかない。
705:神も仏も名無しさん
14/01/17 16:14:40.08 wq2trRKC
>>704
勝義は対象化出来ない
分かってる事を書いて自尊心を貪るなかれ
706:神も仏も名無しさん
14/01/17 16:15:08.89 Pa65tsvl
>>694
>それらの事柄を体感で得たから
莫妄想(無業和尚)
>語るには世俗諦でしか語れない
自分が語った妄想を『世俗諦』と言うにおよんでや、
語るに落ちる。
707:神も仏も名無しさん
14/01/17 16:18:51.59 Pa65tsvl
>>705
喫茶去!!
708:神も仏も名無しさん
14/01/17 16:20:21.52 Knp22Stf
>>705
わかってること言ったり書くのって自身の解釈を強める作用があるんだと。俗っぽく言えば。
709:神も仏も名無しさん
14/01/17 16:20:30.17 wq2trRKC
>>706
真理は本には書いてない
行によって得たものにしか本質がわからない
君が否定しようがしまいが、得たとしか言い様は無く
君から良き助言を得ることも無い
君の行は本に書いてある事を並べるだけであろう?
誰もそれは求めていない
710:神も仏も名無しさん
14/01/17 16:21:55.98 wq2trRKC
>>707
他人にお茶を勧める前に、君はニミッタの扱いを熟知したほうが良い
711:神も仏も名無しさん
14/01/17 16:22:25.04 Knp22Stf
そもそも悟りは対極の愚や無知蒙昧が無ければ良しとすることすら意味の無いことになる。
712:神も仏も名無しさん
14/01/17 16:31:26.75 Pa65tsvl
>>710
>行によって得たものにしか本質がわからない
>得たとしか言い様は無く
心不可得
>君が否定しようがしまいが
愚かだといっている。
>>710
>他人にお茶を勧める前に
愚か。
お茶など勧めてはいない。→「去」
713:神も仏も名無しさん
14/01/17 16:41:01.45 wq2trRKC
>>712
ニミッタを魔境と断じて半眼で禅を行ってるうちは君は否定を続けるのだろう
その断じているものこそが行の行たる主体であり、一切智への入り口なのだよ
714:神も仏も名無しさん
14/01/17 16:54:34.91 Pa65tsvl
>>713
>ニミッタを魔境と断じて
マヒカリに教えてやれw
変性意識などの自己催眠暗示妄想に興味はない。
内乱れず、外相を離れるだけだ。
知不契
休憩終了。
715:神も仏も名無しさん
14/01/17 17:45:11.21 1DWKvrv1
誰でもいいから礼拝して去れよw
(セブンさんはここらができていて永平寺の流れのようなものを感じました)
716:神も仏も名無しさん
14/01/17 18:36:16.69 1DWKvrv1
>>667
失礼ながらあなたの事をただの勝義馬鹿とおもってました。
改めさせてもらいますね
勝義なんて語るだけなら半文銭にもなりゃしないから
717:神も仏も名無しさん
14/01/17 18:45:21.96 QLlDmIbj
無明が止まると諸行は生じなくなるだろう
無明の停止は瞑想と智慧=智を通して生じる
by龍樹
718:神も仏も名無しさん
14/01/17 18:51:20.89 QLlDmIbj
>>714
ヴィパッサナー瞑想を変性意識と思ってる時点で禅門は終わってる
719:神も仏も名無しさん
14/01/17 18:54:49.44 1DWKvrv1
観察主体の問題だと思うんだけど
上座ではどのようにこれを養うのかな?
妄想まるけだと、だいおうさんのいうとおりただのキチガイに成り果てる
720:神も仏も名無しさん
14/01/17 19:09:13.39 1DWKvrv1
>>655
>そうだ、一句から三句間違いw
>臨済みたいな、基地外、素人相手しちゃいかんw
同じ現象に対して3つの切り口、すなわち照用の機なんだけど
照らすほうが自我の内から出ていないと照らすことなんて無理ですわな
721:神も仏も名無しさん
14/01/17 19:10:02.46 QLlDmIbj
>>719
先ず、良く言われるのが止行と観行の関係性
前者が奢摩他瞑想で後者が毘鉢舎那瞑想
釈尊の悟りに至れた瞑想は後者の事で、釈尊は
所謂奢摩他瞑想はされていなかった等の誤解が多い
しかし、経典のそこかしこには大体「禅定」と出てくる訳で
この禅定が定まる方法は唯一奢摩他瞑想しか無いので
奢摩他と毘鉢舎那は連結していて境目を持たない瞑想の個別名称に過ぎない
と教わる(遅れてる派では奢摩他を毘鉢舎那として教えてる=例:呼吸を観察しなさい等)
この奢摩他瞑想を日本で習うと目を開けて瞑想を行う、故に禅定は定まるのだが
禅門ではニミッタと言う光を見る現象を魔境と称して徹底排除している為、結論としては
空を体感するまでで瞑想はそれ以上深まらない
身体や意識の観察を始めて初めて毘鉢舎那瞑想へ突入出来、無類の智慧はここから生じる
とは言っても、毘鉢舎那瞑想には強烈に集中した禅定が必須で
道元師が悟れたのは、先の禅定が深かった故に、坐禅を終わっても禅定の意識状態が保てる程の深さを持っていたと推測できる
毘鉢舎那瞑想は瞑想と名を打って居ても、それは座禅に限らない智慧の瞑想状態の為
道元師は頭が冴えた状態を座禅のお陰とは感じていても、それが毘鉢舎那状態であったとは認識していなかったのだろう
例えば坐禅後に一服お茶を啜りながら真理の閃きを得た、みたいな
上座部の教えではニミッタが見え出したらそれに意識を乗せて体の各部の観察から毘鉢舎那へ移行する
722:神も仏も名無しさん
14/01/17 19:15:56.43 1DWKvrv1
>>719
なるほど、禅定力、技術とパワーで走りきれれみたいな感じですかな?
ありがとうございました。
723:神も仏も名無しさん
14/01/17 19:18:36.81 QLlDmIbj
因みに、奢摩他と毘鉢舎那は、場合によってでは有るが一度の瞑想タイムで
止観を行き来する、出たり入ったりて言うべきか
例えば体の各部をニミッタに意識を乗せて見渡し終わったら、一端奢摩他で初禅へ戻り
自分は在家なので初禅しか時間が取れないが、234禅とまた上がって次は心の観察とかに移る
これを必要回繰り返すのが仏教の瞑想修行の本来と経文に書いてある
瞑想自体は簡単なんだが、如何せん時間がかかるのと行き来が非常に面倒なのと
在俗の垢に塗れた凡夫の禅定はそんなに深くなれないので、行き来してる内に禅定が解けてしまい
気分が乗らなくなる(非常に疲れる為)
724:神も仏も名無しさん
14/01/17 19:36:18.01 QLlDmIbj
道元師の教えでは「心身脱落」とか教えてるその状態を得た時に
それが本物の状態なら目を瞑ると多分光が見える、それがニミッタ
上記の心身脱落の時が空を体感してる時なので、禅定は深い方だと言える
ここまで来ればニミッタが見えて体中を見渡す事が可能となる
禅門では北伝経由でちゃんと観行が伝わっていない為
このニミッタ光の扱い方が不可解だったので魔境として禁止した
故に北伝系の禅は阿字観も唱題行も念仏も坐禅も踊念仏もみんな基本目を開けて行う
725:神も仏も名無しさん
14/01/17 19:46:00.69 fdhBCSxR
観の瞑想をやれば、自然に集中力が深まっていくと考える流派もあるけど
基本的に上座部系も、初歩はまずサマタから入るんじゃ?
726:神も仏も名無しさん
14/01/17 19:46:12.32 1DWKvrv1
まあ釈尊も道元様もその境涯は私などでははかり知ることはできませんが
道元様の法を文献に忠実に再現しようとされるかたもいらっしゃるようです
ご参考までに
URLリンク(seesaawiki.jp)
727:神も仏も名無しさん
14/01/17 19:56:22.63 QLlDmIbj
ニミッタを用いて様々な事物を観察して知恵を得る訳だが
目を開ければニミッタは見えない(焦点が定まってる限りは)
しかし、普通の状態でもみんな、物思いに耽ってる時には
焦点が定まらない状態でどこか一点を注視してる事は無いだろうか?
あれはどこを何のために見てるんだろう? とは普通考えないよね
ニミッタもそう言う曖昧な存在で、とにかく禅定が定まると見える不思議な光
実際自分もオカルト風味が匂ったので抵抗あったが、禅門はとっくにその存在には気づけてて
魔境と断じて禁止してしまったけど、実際に有る事は逆説的に証明されている
>>725
サマタとヴィパッサナーは境界線が本来は無いんだそうだ
禅定を定めるにはサマタは必須なのはどこの流派でもやってる
スーハースーハーの呼吸を鼻の下に意識を定めて感じろ観察しろも実はサマタ
おなかの膨らみを意識して観察しろもサマタ
みんな最初はサマタなんだと
因みに阿字観も唱題も称名念仏も坐禅も踊念仏も全部サマタ
728:神儒仏
14/01/17 22:29:17.70 v1LnOTnZ
止観についてはいろいろ議論があるようだが、
観から止が正しい。観→止ね。
なぜなら坐禅をスタートして最初の禅定、非想非非想に入った時に
あれこれ考えたら禅定がゆるみ、坐禅が終了してしまう。
それに、観のレベルが止のレベルを決めるから、観の方が重要だ。
観のために坐禅はやらない。苦労すれば自然に、生きている意味だとか、
人間とは何かを考える。それが観だよ。
729:神儒仏
14/01/17 22:48:09.62 v1LnOTnZ
自分がやった坐禅は呼吸を数える数息観だった。
その時の意識は、基本は丹田に置き、眠くなったら額の中央に置く。
そうすると眠気が消える。
最初から最後まで、鼻に意識を置く方法よりベターだと思うよ。
730:神も仏も名無しさん
14/01/17 23:31:56.09 QLlDmIbj
>>728
それは何の経を根拠に言ってる?
大念住経によれば
5.比丘たちよ、このように比丘は、
長く出息すれば「私は長く出息する」と知り、長く入息すれば「私は長く入息する」と知る。
短く出息すれば「私は短く出息する」と知り、短く入息すれば「私は短く入息する」と知る。
「呼吸をしている全身に気づいて私は出息しよう」と努め、「呼吸をしている全身に気づいて私は入息しよう」と努める。
「呼吸全体を静めて私は出息しよう」と努め、「呼吸全体を静めて私は入息しよう」と努める。
と、所謂サマタから瞑想に入る事を言っている
協会の方針によってはこれをヴィパッサナーだと言ってるだけで
これ自体は集中力を整えるサマタの行法だ
ヴィパッサナーはサマタに因って得られる禅定の集中力が無ければ入れない
731:神も仏も名無しさん
14/01/17 23:42:15.52 QLlDmIbj
経に曰く、釈尊の教えではサマタ→ヴィパッサナーの流れで説かれてて
用語としてはサマタ・ヴィパッサナーの区分けはされていない
釈尊の瞑想自体がひっくるめてサマタ→ヴィパッサナーなのだ
そして見る対象毎にヴィパッサナーを抜け初禅に戻りまたサマタ→ヴィパッサナーと出入りを繰り返すのだ
ヴィパッサナーは智慧の行なので、一度答えを得たら二度同じ事は問わない
つまり、一度悟ったらヴィパッサナーは不要となり、あとの後生はサマタの四禅だけを行う
因みに本当の如理作意もヴィパッサナーで得る
故に一度知ったら二度は要らない、となる
732:神儒仏
14/01/18 00:17:44.76 2P2nhOjw
>>730
数息観のやり方は天台小止観の流布本を参考にした。
自分の話は、実際の体験であり、観→止の理屈はその体験に基づいている。
体証 > 理証 > 文証(経証) の順序だと思うが?
733:神も仏も名無しさん
14/01/18 00:38:25.01 L/bOGSe1
>>732
アーナパーナサティ(安那般那念)は全仏教会派基本の修行法だよ
その所作自体が止行、つまりサマタ行の事だよ
そして智顗すらちゃんと用語からして「止観」だと教えてるでしょ
観行からでいいとか観行だけでいいとかならわざわざ「摩訶止観」にはならず
「摩訶観止」なんて聞いた事も無いw
いいかい?瞑想の目的は正しいサティを得る為なんだよ?
サティは気付きの事だが、気付くには「調えられた呼吸と、正しい姿勢と、正しい念」が必要で
これを得る方法が禅定となる、そこからサティを引き出す行に入る
サティを引き出すにはサマディ(三昧)に入らなきゃダメなのよ
三昧に入る方法も禅定な訳
我流は否定しないけど、
麺を食っちゃってからカップにお湯を注いでもカップラーメンは食えないと思うよ
734:神も仏も名無しさん
14/01/18 00:56:13.44 L/bOGSe1
>>732
序に余計なアドバイスしとくけど
禅定は絶対大事だからね、だから俺は禅門の連中と意見が打つかっても叩き潰さない訳
それなりに敬意は持ってるからね、禅定に入る事に関しちゃ彼らの方が専門で十八番だから
でね、その禅定には深さが有って、初禅だろうが四禅だろうが間だろうがそれぞれに深さが無尽蔵な位あるのよ
俺ら在家の身では初禅以上に進むには日常の生活から離れないと無理なので、初禅で我慢な訳
それ以上やりたきゃ禅寺か道場に通うか、出家しかない
で、その初禅でもちゃんと無尽蔵とも言える深さを持ってる訳
この深さを追求できればヴィパッサナー智も可能とされてるのね
その理由は、調えられた呼吸と整理された雑念の少なさから
いつもはモヤってる考え事が調うから
でもこれは座禅中には得られなくて、深い深い初禅を得たら得られる
禅定は鐘の音の様な物で、パッと止めたからと言っても禅定自体が
余韻で残ってるものなんだよ、自覚は無いけどね
だから禅門の連中は頭がキレッキレで冴えてる訳w
悟ったかどうかは別の話ねこの場合
735:神も仏も名無しさん
14/01/18 01:20:29.02 L/bOGSe1
一つだけ、残念なお知らせがある
こんだけ苦労して資料集めて自分なりに調えた行法なのにだ
実はここまでで雑念を極限までリダクションさせて頭脳明晰に出来る方法が
創価学会員の”お題目”でも可能という事実w
曹洞宗や臨済宗のお寺やらに禅のレクチャーを受けに行っても得られるのは同じ
在家には非想非非想処定とか絶対無理っすからw
先ず日常では愛別離苦と怨憎会苦は絶対離れられないし(向こうから来る)
自宅警備員だからそれは無いとか言っても、職や飯の心配ややれケータイの支払いや
スマホが調子悪いとか、親がとか近所がとか将来がとか色々有るっしょ
これらを一切捨てるのが出家であり、ウンコ色の衣集団の製造元への出家が
微妙に流行ってるのも、本当の具足戒を得る為
曹洞宗や臨済宗へ出家する人も居るらしいけど、修行が一段落付くとウンコ色の衣を考え出すそうな
実際大変なんだなと思うよ
736:神も仏も名無しさん
14/01/18 04:46:12.97 LAUckWf5
>因みに阿字観も唱題も称名念仏も坐禅も踊念仏も全部サマタ
727 :神も仏も名無しさん:2014/01/17(金) 19:56:22.63 ID:QLlDmIbj
知ったかクンw爆笑w
>曹洞宗や臨済宗へ出家する人も居るらしいけど、修行が一段落付くとウンコ色の衣を考え出すそうな
またあwデタラメをw臨済宗はありえないwそういう知ったかは信用なくすよw
曹洞宗宗門主流派はユルいから、そういう場合ありうるw
737:神も仏も名無しさん
14/01/18 04:48:43.24 LAUckWf5
知りもせん、空想知識を平然と垂れ流せる輩は、基本、人格、修行、知識に欠陥ありと
みなした方がよさそうだなw
738: 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(3+0:3)
14/01/18 04:59:37.12 iNDlUqIU
寧ろ逆に満足だろ
他に別に満点だろ
当然正反対に満腹だろ
739:神も仏も名無しさん
14/01/18 05:06:12.80 xvPKsETd
臨済宗マンセーも結構だがある日気付く人も確かに居るんだよ
臨済禅が空やら大意やらを悟れても滅尽定までは至れて居ないってね
その教えが臨済宗に無い以上限界だ罠
740:神も仏も名無しさん
14/01/18 05:06:47.06 LAUckWf5
>それなりに敬意は持ってるからね
知らない事は知らないという態度をとれよwソクラテスもいうてるやろw
俺は南方仏教の禅定の味をわずかに知るが、知らん知識を垂れ流す勇気はないなw
627 :神も仏も名無しさん:2014/01/16(木) 21:29:36.48 ID:FWCR3rbv
は能天気に三句を自信もって垂れ流すのだがw
三句、三玄、四料ケンは曹洞宗道元禅では拒絶されるシロモノw
臨済宗の教外別伝、不立文字過ぎるというスタンスだからね、道元は、ま、説明を許すという立場、
これを知らずに、全くカスリもせんデタラメ説明を箇条書きw
やはり、説明不要w言語道断W?の意味ポイwバイオレンス趣味な臨済宗系なんか首を突っ込まん方がよかろうw
ハッタリ禅のえんま、せらぴすとは首を突っ込みたいらしいが・・・w
741:神も仏も名無しさん
14/01/18 05:09:12.44 LAUckWf5
>臨済宗マンセーも結構
>滅尽定までは至れて居ないってね
この言葉自体で、既にまともな認識が欠落しているw
知らぬ事を豪語wまったくw
マンせーなんか言ったら絞殺される世界なんだがなあw
742:神も仏も名無しさん
14/01/18 05:13:09.63 LAUckWf5
知らぬ事を豪語のできる仏教を信じる奴がいるのだからなあw
如実如実の無視する仏教及び仏教知識があるらしいw
743:神も仏も名無しさん
14/01/18 05:17:58.37 xvPKsETd
他門も認められんようじゃ何も悟ってないってこったなw
744:前世は一在家 ◆2o6x38TRbE
14/01/18 06:09:25.64 hmV45uPb
>>699
>無我は我に執着するなという教え。
そうですね、自己を離れて仏法はないとある僧から伺いました。
(ご参考)
法は世尊によってよく説かれたもの、自ら見るべきもの、時間を隔ててないもの、
「来たれ、見よ」というに相応しいもの、導くべきもの、賢者たちによって各自に
知られるべきものである。
「法句経」
己こそ己の主である。他にいかなる主があろうか。自己のよく調えせられたる時、
人は真に得難い主を得るのである。
上の仏説は閻魔氏がよく引用されてましたが「自ら」とか「各自」とか「己」とか
「無我」と異なる語が多いですね。
それから「智慧」と「慈悲」も主体が無ければ、誰の「智慧」と「慈悲」でしょうか。
よって現象界で観察されるすべての物は「我に非ず(アナッタン)」だから「執着するな」という教えでしょう。
745:神も仏も名無しさん
14/01/18 06:21:21.21 cBqGtMsp
>>744
考えてみろ
一在家の細胞に我執は有ると思うか?
仏の教えはそうしろと言っている
欲界で効率良く生きる為には大きい程に多量な程に力が有った方が良い
しかし物理的な力など減れば気が病み亡くなれば破滅を生む
故に智慧は破滅を選ばない為に、慈悲は破滅を生まないために必要なのだよ
746:神も仏も名無しさん
14/01/18 06:33:22.93 7Kf542gb
>>730
>ヴィパッサナーはサマタに因って得られる禅定の集中力が無ければ入れない
コレのことかな?
(パオ・セヤドーのサマタ・ヴィパッサナー瞑想より)
『「定経」(*2)においてブッダは、ありのままに事物を見られるよう、サマーディ(集中) を育てるよう比丘たちに薦めています。
「比丘たちよ、心のサマーディ(集中)を育てなさい。
サマーディを育てた比丘は、物事 (四聖諦)のありのままを、明瞭に正しく見ることができます。」』
747:神も仏も名無しさん
14/01/18 06:34:46.84 7Kf542gb
(つづき)
『経験からすれば、瞑想対象に 1 時間あるいはそれ以上継続的に心を集中できたとしても、
少なくとも近行定(upacârâ samâdhi)まで達していなければ、究極の真実は言うまでもなく、
体の内側の器官の一部でさえ見通す事はできないでしょう。
瞑想者が実際に近行定あるい はより高度の禅定にまで達したとき、
身体内部の、肉、腱(けん)、骨、肝臓、心臓などの 器官を見通し、さらに究極の真実を見抜くことができます。
そうして洞察瞑想(ヴィパッ サナー)に適切に取り組むことができます。』
748:神も仏も名無しさん
14/01/18 06:35:31.99 7Kf542gb
URLリンク(translation-buddhisttext.jimdo.com)
749:前世は一在家 ◆2o6x38TRbE
14/01/18 07:16:05.95 hmV45uPb
>>744
長部経典第十六経「大般涅槃経」『法の鏡』門 対告衆:アーナンダ尊者
尊師がみごとに説かれた法は、
現にありありと見られるものであり、
直ちにききめのあるものであり、
実際に確かめられるものであり、
理想の境地へ導くものであり、
諸々の智者が各自みずから証するものである。
尊師の弟子達のつどいは、
よく実践してる、
真っ直ぐに実践している、
正しい道理に従って実践している、
和敬して実践している、
四双八輩を敬い尊びもてなし合掌すべきであり、世間の最上の福田である。
ものであり、
以上、『法の鏡』門を具現したら、地獄・畜生・餓鬼は消滅し、必ず悟りを究める者とのことです。
750:前世は一在家 ◆2o6x38TRbE
14/01/18 07:20:58.68 hmV45uPb
>>749 一部修正
長部経典第十六経「大般涅槃経」『法の鏡』門
対告衆:アーナンダ尊者
尊師がみごとに説かれた法は、
現にありありと見られるものであり、
直ちにききめのあるものであり、
実際に確かめられるものであり、
理想の境地へ導くものであり、
諸々の智者が各自みずから証するものである。
尊師の弟子達のつどいは、
よく実践してる、
真っ直ぐに実践している、
正しい道理に従って実践している、
和敬して実践している、
四双八輩を敬い尊びもてなし合掌すべきであり、世間の最上の福田である。
以上、『法の鏡』門を具現したら、地獄・畜生・餓鬼は消滅し、必ず悟りを究める者とのことです。
751:前世は一在家 ◆2o6x38TRbE
14/01/18 07:26:41.12 hmV45uPb
>>750
長部経典第十六経「大般涅槃経」でも『法の鏡』門の直前の段落で「輪廻」が詳しく説かれております。
主に地獄行きでなく、涅槃入りの複数の事例です。
752:前世は一在家 ◆2o6x38TRbE
14/01/18 07:42:21.20 hmV45uPb
>>745
>一在家の細胞に我執は有ると思うか?
顕微鏡で単細胞を見ましたら、生きようという生存欲だけですね。
753:神も仏も名無しさん
14/01/18 08:41:55.35 cBqGtMsp
>>752
ID:hmV45uPb
単純に考えてだ
多寡が人力如きで地獄畜生餓鬼が消滅出来て輪廻が止められると思うか?
どこに地獄が有るのかも定かじゃ無いのにだよ?
輪廻だってどこで動いてんだか回ってんだか解らないのにだよ?
754:神も仏も名無しさん
14/01/18 08:46:04.31 cBqGtMsp
鏡は悟りの具ならず、迷いの具なり
755:神も仏も名無しさん
14/01/18 09:20:13.12 hmV45uPb
>>750
>以上、『法の鏡』門を具現したら、地獄・畜生・餓鬼は消滅し、必ず悟りを究める者とのことです。
>>754 多分、閻魔氏以外
>鏡は悟りの具ならず、迷いの具なり
閻魔氏がよく引用されたこの法門も嘘かよくて誘引方便ということですか?
756:神も仏も名無しさん
14/01/18 09:47:56.65 MBA/GUf1
しるべし、心を識得するとき、蓋天撲落し、そう地裂破す。
あるいは心を識得すれば、大地さらにあつさ三寸をます。
古徳云く、作麼生ならんか是れ妙淨明心。山河大地、日月星辰。
あきらかにしりぬ、心とは山河大地なり、日月星辰なり。
しかあれども、この道取するところ、すすめば不足あり、しりぞくればあまれり。
山河大地心は山河大地のみなり。さらに波浪なし、風煙なし。
日月星辰心は日月星辰のみなり。さらにきりなし、かすみなし。
生死去來心は生死去來のみなり。さらに迷なし、悟なし。
牆壁瓦礫心は牆壁瓦礫のみなり。さらに泥なし、水なし。
四大五蘊心は四大五蘊のみなり。さらに馬なし、猿なし。
椅子拂子心は椅子拂子のみなり。さらに竹なし、木なし。
かくのごとくなるがゆゑに、心是佛、不染汚心是佛なり。
佛、不染汚佛なり。
しかあればすなはち、心是佛とは、發心、修行、菩提、涅槃の佛なり。
いまだ發心修行菩提涅槃せざるは、即心是佛にあらず。
たとひ一刹那に發心修證するも即心是佛なり、たとひ一極微中に發心修證するも心是佛なり、
たとひ無量劫に發心修證するも即心是佛なり、たとひ一念中に發心修證するも心是佛なり、
たとひ半拳裏に發心修證するも即心是佛なり。
しかあるを、長劫に修行作佛するは即心是佛にあらずといふは、即心是佛をいまだみざるなり、
いまだしらざるなり、いまだ學せざるなり。
即心是佛を開演する正師を見ざるなり。
いはゆる佛とは釋牟尼佛なり。釋牟尼佛これ即心是佛なり。
過去現在未來の佛、ともにほとけとなるときは、かならず釋牟尼佛となるなり。
これ即心是佛なり。
正法眼藏即心是佛第五
757:セラピスト
14/01/18 10:08:17.84 i/jG9iqd
>>724
>道元師の教えでは「心身脱落」とか教えてるその状態を得た時に
> それが本物の状態なら目を瞑ると多分光が見える、それがニミッタ
道元の心身脱落は、「その状態を得た」ではなくて、「その状態が崩壊した瞬間」のことだね。
集団で禅定している時に、何かのドサクサがあって、そのドサクサ紛れに心身脱落した。
いわゆる頓悟だから、予期せぬ時に頓悟がある。
心身脱落以前は、ある程度の世界観が出来上がっていて、その世界観が瞬間に崩壊する。
だから「光りが見える」とか変性意識は全くない。
つまり禅門というのは変性意識は通過している訳で、その意識が悟りでないのは充分に解ってる。
758:セラピスト
14/01/18 10:23:57.20 i/jG9iqd
>>684
>煩悩即菩提とは何か?
煩悩というのは個人差があって、煩悩を殆ど気にならない人もいれば、
煩悩で苦しくて我慢できない人もいる。
①神経症の人は、煩悩出まくり。
②精神が健康な人は煩悩があったとしても、あまり気にならない。
煩悩即菩提は、神経症か、もしくはそれ相当な人には意味がある。
つまりね、
人生で地獄を見てきた人間は、「煩悩即菩提」を悟ることがあっても、
普通の人間はそこまで悟っても殆ど意味はない。
(つづく)
759:セラピスト
14/01/18 10:24:50.57 i/jG9iqd
(つづき)
煩悩があるからこそ、菩提がある訳だから。
煩悩がなければ、菩提もない。
煩悩即菩提の意。
煩悩が、あまりにも激しくて、もう耐えきれん。
となった時に、菩提を悟るだろう。
>>716
>勝義なんて語るだけなら半文銭にもなりゃしないか
まあ、そうですね。
760:神も仏も名無しさん
14/01/18 10:33:07.17 7Kf542gb
>>757
>心身脱落以前は、ある程度の世界観が出来上がっていて、その世界観が瞬間に崩壊する。
この人の悟り体験に似てる。
(Wikipedia エックハルト・トール)
『私は、もうそれ以上自分自身と生きることが出来なかった。
そして、答えのない疑問が生じた。
自分と生きることが出来ないこの「私」は、一体誰なんだ?自分とは何だ?
私は虚空へと吸い込まれるように感じた。
その時は、一体何が起こったのか知らなかったが、満たされない過去と恐ろしい未来との間に生きている、
思考が作り出した自我が、その重苦しさ、その抱える問題と共に、崩壊したのだ。
翌朝、目が覚めてみると、すべてが実に穏やかだった。
この平安は、自我がそこに無かったために現れたのだ。ただ存在の感覚のみ、
あるいは「在ること」、ただ観察し見守っているだけだ。』
761:神も仏も名無しさん
14/01/18 10:40:46.04 7Kf542gb
>>757
>いわゆる頓悟だから、予期せぬ時に頓悟がある。
禅は光を使わずに一気に空を見て悟ると言われてますね。
対して、テーラワーダは光を使って段階的に徐々に智慧を得て行き
最後に空の体験をする漸悟と言われてます。
その違いかな?
762:神も仏も名無しさん
14/01/18 10:59:19.13 7Kf542gb
頓悟でも漸悟でも、どちらも深い禅定状態が必要なことには
変わりはないと思うけど。
763:サマタ妄想?
14/01/18 11:04:52.85 +XvgKdZ/
>>747
>身体内部の、肉、腱(けん)、骨、肝臓、心臓などの 器官を見通し
2,000年前と違って、サマタ瞑想なんかやらなくとも、まったくの世俗凡人でも
レントゲン→CTスキャン→PET-CTのほうが、はるかに正確に見通せます。
ホントに神通力とかサマタ瞑想で見通せるなら、現代医学以上の医術力があってしかるべきです。
ブッダの死因となった直腸がんか食中毒ぐらい治せて当然だったはずです。
寡聞にして、2,000年前のインドの聖者に臓器移植や脳神経外科の手術力があることを聞いたことがない。
>さらに究極の真実を見抜くことができます。
これはウソで過剰。
相対真実は時空事実(因果)関係の正確な如理作意(中部15)による。
相対である以上、『究極』など不可知であって、妄想に他ならない。
実践仏道は「捨てる!」ことなのに、バカ妄想を「得る!」ことばかりををいうw
764:セラピスト
14/01/18 11:13:07.00 i/jG9iqd
>>760
>思考が作り出した自我が、その重苦しさ、その抱える問題と共に、崩壊したのだ。
禅門と似てますね。
変性意識があっても、それをどう消化したら分からない。という悶々とした気分。
頭が常に重い感じ。
それらの観念が一気に崩壊した。
これが道元の心身脱落かと思います。
>翌朝、目が覚めてみると、すべてが実に穏やかだった。
そうそう、実に爽やか、実に穏やか。
この感覚を道元は「心身が脱落した」。という表現を用いたんでしょうね?
(つづく)
765:セラピスト
14/01/18 11:13:50.46 i/jG9iqd
(つづき)
>禅は光を使わずに一気に空を見て悟ると言われてますね。
この脱落した状態は、いわゆる無の状態ですから、
これを禅門では「空」となづく。
つまり禅門は、いったん世界観を構築して、
そして一気にそれを崩壊させる。
世界観は、崩壊させる為の手段
766:神も仏も名無しさん
14/01/18 11:27:06.69 FKiaeHSg
>>763
テレビで崖下を見るのと、その場で見下ろすことが同じ「体験」だと思ってるなら、
愚昧としか言いようがない。
馬鹿じゃねーか?
767:セラピスト
14/01/18 11:28:21.88 i/jG9iqd
>>762
永平寺には、転座(食を司る役僧)がいて、
この役僧の方が、一般修行僧よりランクは上と見なされている。
これも立派な動中禅になる。
頓修禅の特徴。
768:サマタ妄想?
14/01/18 11:32:08.17 +XvgKdZ/
>>766
で、→『2,000年前のインドの聖者に臓器移植や脳神経外科の手術力があることを聞いたことがない。』
769:神も仏も名無しさん
14/01/18 11:38:29.59 FKiaeHSg
へぇ・・
仏教ってのは外科手術の教えだったのかw >>768
知らなかった(´・ω・`)
2chハベンキョウニナルナー
770:サマタ妄想?
14/01/18 11:46:22.44 +XvgKdZ/
>>769
⇒『(サマタ)瞑想者が実際に近行定あるい はより高度の禅定にまで達したとき、
身体内部の、肉、腱(けん)、骨、肝臓、心臓などの 器官を見通し、さらに究極の真実を見抜くことができます。』
(パオ・セヤドーのサマタ・ヴィパッサナー瞑想より) (>>747)
仏教ってのは外科手術の教えだったのかw
知らなかった(´・ω・`)
ほんと、2chハベンキョウニナルナー
パオ・セヤドーさんとかに聞いてねw
(パオ・セヤドーのサマタ・ヴィパッサナー瞑想より)
771:大智度論、作者はやっぱり龍樹だった
14/01/18 12:07:42.41 hmV45uPb
>中論、龍樹、原始仏典の愛読各位
昨日、1月17日に石飛先生が論文「『大智度論』研究--大智度論、作者はやっぱり龍樹だった」を開示されました。
21頁の論文はPDFで読めます。
//homepage1.nifty.com/manikana/prajna/prajna1.pdf
尚、本スレでも度々紹介しました四悉壇が詳説されております。
772:神も仏も名無しさん
14/01/18 12:35:10.81 FKiaeHSg
へぇ・・
外科手術ってのは見るだけでいいんだ >>770
知らなかった(´・ω・`)
2chハベンキョウニナルナー
773:神も仏も名無しさん
14/01/18 12:38:23.74 +XvgKdZ/
>>771
著者が誰かは二次的問題で、学者に勝手にやらせておけばいい。
問題は広義の仮説戯論の内容。
権威信仰指向のお方以外は、どっちでもいいはず。
どうせ学僧坊主の気質から見て加筆訂正増改は必然なんだからw
774:神も仏も名無しさん
14/01/18 12:42:31.62 +XvgKdZ/
>>772
パオ・セヤドーさんとかに聞いてねw
775:神も仏も名無しさん
14/01/18 13:00:10.38 FG9R5WVu
テレビとかって何かを解説する人はどこどこ大学の教授とかが多い。
逆に、出川哲朗が小難しいこと言ってもキャラ的にツッコミしか入らない。
てことは坊主の身分でしかガチ仏教の修行はやりにくい。
もっと言うと、人によってはカラオケで盛り上がらないといけないし、コミケに突撃しないといけない。
別にそうしないといけないわけじゃないけど、枠内にいれば記号的に通じる側面があるからでは?
776:神も仏も名無しさん
14/01/18 13:04:32.49 7Kf542gb
「パオ・セヤドーのサマタ・ヴィパッサナー瞑想」
> URLリンク(translation-buddhisttext.jimdo.com)
ご参考までに。
777:神も仏も名無しさん
14/01/18 13:22:11.31 FKiaeHSg
┐(´ー`)┌
最近、こういう読解力ゼロ人間が増えたな・・・
>>774
そういう問題じゃないだろw
そのパオさんとやらは、
「医学的に(術式可能な形で)臓器を見ること」を言ってるのかい?
ならば、確かに君の言う通り、本人に聞かねばなるまい。
君は、
>>身体内部の、肉、腱(けん)、骨、肝臓、心臓などの 器官を見通し
*(それは、沙門果経、大念処経等各所に説かれる禅定の描写としてありふれているわけだが・・。)
に対して
>サマタ瞑想なんかやらなくとも、
>レントゲン→CTスキャン→PET-CTのほうが、はるかに正確に見通せ
とレスを返しているわけだが、
>>身体内部の、肉、腱(けん)、骨、肝臓、心臓などの 器官を見通し
とは、 「医学的観察、視線、術式用の視線として」のものなのか?
沙門果経等に説かれているのは、そういうことなのか?
そして、そもそもの指摘は、
モニターで「見る」だけなら、患者も医師も同じものを同じように(リアルタイムで)
見ているわけだが、同じ体験か?ということだよ。
禅定に於いて自身の身心を観察することは、
モニターや銀幕のスクリーンに映る「画像」を視覚的に感受することと同じと見做せるのか?
ということだ。
778:神も仏も名無しさん
14/01/18 13:25:34.18 FKiaeHSg
一言説明が抜けた
>>777
>モニターで「見る」だけなら、患者も医師も同じものを同じように(リアルタイムで)
>見ているわけだが、
自身の体感として「みる」という意味で(それはまさに経に説かれる形でということだが)
>同じ体験か?ということだよ。
779:神も仏も名無しさん
14/01/18 14:39:48.54 3ruo/Q8k
瞑想、瞑想ってw
八正道のひとつ(正定)に過ぎないでしょうにw
まるで、瞑想さえすりゃOKみたいなのは仏陀の教えを理解しているとは思えない。
780:パーピマン ◆hVgvvzQ7pw
14/01/18 15:25:50.23 c3wCvg7b
>自身の体感として「みる」という意味で(それはまさに経に説かれる形でということだが)
素朴な疑問だがw
「経に書かれて言える『観る』」とは、一般的な観察とどのように違うわけ?
肉、腱(けん)、骨、肝臓、心臓・・・・というように各部位を識別してるわけだから
そこには差異があるのだろう? それは何かな?
構成成分? 構成形式(分子構造)? もしくは(全体的な)形態? どのようにして、
「これは肉、これは骨」・・・と見分けているのだろうか?
781:神も仏も名無しさん
14/01/18 15:29:51.00 FG9R5WVu
同じ体験か?ということならアマゾンのレビューとかを見てみると色々な意見がある。
んで、あるトップレビューアーは自分の言いたいことを書いたら参考になったボタンを沢山押してもらえないというある意味そうだよなと思うことを書いていた。
例えば、八正道の本があってそれに対するレビューに、
「正思惟って言うけどあんたらセックスから産まれてきたんでしょ?」
って書いたら参考にならなかったボタンが結構押されるとおもうんだよね。
だから、作り込んで
「タイトル:少子化時代にこそ読みたい本
本文:世俗欲にとらわれたら危険であるという示唆は、八正道に詳しい。
しからば、産めよ増やせよという時代に性欲なるものが推奨された反面、
その時代には環境破壊や人権問題などが急浮上した時代であったことも納得できる。
世俗的な欲求というものは限りが無く、その箍を外してしまえばその他を軽んじ不都合となるという教えがこの本では平易かつ示唆にとんだ実例を踏まえて記述されているのである。
ならばこそ、これを2000年以上前に説き後世に残した釈尊の教えは現在にこそ尊いと言うべきだろう。
そして、少子化時代を懸念し、多大な人口を有する国々の今後の発展と勢いを憂慮したうえで、前時代的な産めよ増やせ論が垣間みられる昨今にこそ、これらの教えをもう一度読み直していただきたいと思う。」
参考になった108 参考にならなかった7
782:神も仏も名無しさん
14/01/18 15:33:19.06 FG9R5WVu
>>763
仏陀の死因が食中毒ってのは証拠が無いので捨てる馬鹿妄想じゃないですか?
それとも話のタネとして保持するんですか?
783:神も仏も名無しさん
14/01/18 15:39:22.36 3ruo/Q8k
>>782
大パリニッバーナにチュンダの食事で中毒したとか、血の下痢便が出たとか仏典に書いてあるから
そのように言っているだけでしょう。
784:パーピマン ◆hVgvvzQ7pw
14/01/18 15:40:26.23 c3wCvg7b
>仏陀の死因が食中毒ってのは証拠が無いので捨てる馬鹿妄想じゃないですか?
大涅槃経の記述でしょ?
内容自体は、突拍子もない話でもないし、ありうることだと思うので特にそれを
妄想とする理由が見当たらないがw
ただし、腹部疾患が「食中毒」によるものかどうかは? 当然、不明w
でも、それも有りうる可能性としては高いのでは?
785:神も仏も名無しさん
14/01/18 15:43:56.68 FG9R5WVu
確証がなく迷信である可能性があるので、
捨てることと断じ、馬鹿妄想という概念を打ち出した彼にそれの考えをそのまま当てただけ
786:神も仏も名無しさん
14/01/18 15:44:16.92 hmV45uPb
>>779
>瞑想、瞑想ってw八正道のひとつ(正定)に過ぎないでしょうにw
>まるで、瞑想さえすりゃOKみたいなのは仏陀の教えを理解しているとは思えない。
舎利弗「七つの禅定に付随するものがある。正しい見解、正しい思考、正しい言葉、
正しい行為、正しい生活、正しい努力、正しい注意力である。」
長部経典第三十三経「等誦経」
舎利弗が釈尊の教えを比丘達に説いた後に釈尊が是認され、比丘達は歓喜して信受した。
787:神も仏も名無しさん
14/01/18 15:50:10.65 PXaV2JbF
日本の座禅って、丹田とかいったり明らかに道教
白隠の著書みても、道教の影響でかいし
それが悪いとはいわないが、なぜ仏教の瞑想に異物を入れようとするんだ・・・
788:神も仏も名無しさん
14/01/18 16:01:03.48 FG9R5WVu
中国で道教が仏教に影響を与えて禅宗ができたとか。
異なる宗派や宗教でも根本的に同じこと言ってることあると思うので、丹田=第○チャクラと介せばちょっと源流に当たる地域に近づくという方便を構築してみたけど。
789:神も仏も名無しさん
14/01/18 16:14:08.25 hmV45uPb
>仏陀の死因が食中毒ってのは証拠が無いので捨てる馬鹿妄想じゃないですか?
長部経典第十六経「大般涅槃経」に明記されているのが証拠でしょう。
鍛冶工の子のチュンダの食物を食べられた後、激しい病いが起り、赤い血が出て死に至る激しい苦痛が生じたとのこと。
この事件の直前に釈尊はチュンダに以下の奇妙なことを指示されました。
・あなたの用意したきのこの料理を私に下さい。
・用意した他の料理は修行僧らにあげて下さい。
・残ったきのこの料理は穴に埋めて下さい。
さて、それよりは何日か前、有名な「自燈明、法燈明」の説法をされた翌日に釈尊はアーナンダに
「如来は望めば寿命よりも長い間この世に留まることができるであろう。」と説かれましたが、
アーナンダには悪魔が憑依していて「どうか留まって下さい。」と懇願しなかったそうです。
以上、「大般涅槃経」の文脈では、悪魔がアーナンダに憑依→アーナンダは釈尊の長生きを懇請せず
→釈尊は別れを決意→チュンダのきのこ料理を独占して食した、となります。
釈尊が食中毒という<不都合な真実>は後世の弟子達が追加、改竄したのではないだろうと担保されます。
790:セラピスト
14/01/18 16:20:42.90 i/jG9iqd
道教というのは、精神疾患の治療にも役立ってる。
初期の神経症なら、薬物より道教の方が良い。
その方法については、詳しくは書けないけど。
要望があれば書いても良い。
またアナウンス養成の発声練習も、実は道教の影響もある。
発声練習は、精神疾患には極めて有効なり。
791:神も仏も名無しさん
14/01/18 16:24:18.52 FG9R5WVu
>>789
釈尊を絶対化しない仕掛けと捉えたら、どうだろうか?
>>790
過去のアニミズム的な儀式にもそちら方面の治療的ものがあったと習ったことが
792:神も仏も名無しさん
14/01/18 16:25:27.98 FKiaeHSg
>>780
ワシは(聞き齧ってるだけでwww)そこまで見えてないからね。
それこそdaio-に聞くべき内容だと思うが?
マジな答えを望むなら
少し前の ID:7Kf542gb(= ID:L/bOGSe1) に聞くのがいいとオモ。
793:パーピマン ◆hVgvvzQ7pw
14/01/18 16:28:38.33 c3wCvg7b
>以上、「大般涅槃経」の文脈では、悪魔がアーナンダに憑依→アーナンダは釈尊の長生きを懇請せず
>→釈尊は別れを決意→チュンダのきのこ料理を独占して食した、となります。
なるほどww
釈迦は、悪魔がアーナンダに憑依しているのを見抜けないほど馬鹿だったわけか?ww
そして、まんまと悪魔の意図どおりの選択をしたとwww
794:パーピマン ◆hVgvvzQ7pw
14/01/18 16:31:07.84 c3wCvg7b
>>792 wwwwwwwwwwwwwww
確かにww
>このスレの「覚者」さん 及び 禅マスター または 「観」の出来る人
>>780 に答えてちょーだいww
795:神も仏も名無しさん
14/01/18 16:42:40.90 FG9R5WVu
>>790
読みのがしてました。
「歌う」「独り言を言う」という状態が特異な疾患がありますが、発声練習的な側面で見たら治癒的な効果がありますね。
前から、精神疾患の人が自然と取ってしまうそういった行動には自己治癒的な側面もあると思ってはいたのですが。
796:セラピスト
14/01/18 16:54:08.31 i/jG9iqd
>>795
>発声練習的な側面で見たら治癒的な効果がありますね。
母音(あいうえお)だけ明瞭に発言するのは精神的安定に良いらしい。
それに度胸というか、不動心をつけるのに効果あり。
例えば、スピーチの前に発声練習するとか。これは丹田呼吸法と併用すると効果も高くなる。
>精神疾患の人が自然と取ってしまうそういった行動には自己治癒的な側面もあると思ってはいたのですが。
精神疾患は、頭が混乱して自分でも収束がつかなくなる。
そういう場合は、混乱している原因をメモとかすると、それだけでも楽になる。
こういうことは自然発生的に取る行動で、
後にその行動が、メモとか日記が精神疾患には有効とされた。
797:神も仏も名無しさん
14/01/18 16:59:53.59 FG9R5WVu
>>796
仏教スレでスレチの話題申し訳ないですが、さらに自然に取る行動を一つの方法論としたときに有効でない人も出てくるかもしれないと思い、個別に治癒の道があるのではとも思ってました。
798:セラピスト
14/01/18 17:10:02.42 i/jG9iqd
>>797
>個別に治癒の道があるのではとも思ってました。
方法論というのは多数あるのですよ。
複合的にやるのですが、自分に合ったのが1つとか2つあれば充分なんじゃないですかね?
一番簡単なのが正座することなんですが、
これだけでも寛解に向かう人もいる。
正座というのは精神も「正(まさ)に座」してる訳ですから、
精神疾患患者には良い訳です。
心身不二ですね。
799:神も仏も名無しさん
14/01/18 17:22:03.90 FG9R5WVu
正座!
800:神も仏も名無しさん
14/01/18 17:31:17.24 LAUckWf5
バービーが空虚煽りカスに見えるの観ができるかもなw
>中国で道教が仏教に影響を与えて禅宗ができたとか。
小乗仏教寺院で修行だよ達磨はw
>道元の心身脱落は、「その状態を得た」ではなくて、「その状態が崩壊した瞬間」のことだね。
ハッタリせらぴすとのデタラメw、物事が明瞭になるんだよw
801:神も仏も名無しさん
14/01/18 17:39:15.21 LAUckWf5
>禅は光を使わずに一気に空を見て悟ると言われてますね。
でたらめwひでえなw臨済宗なら、ぶっ壊し(バービーは理解できぬwワンフレーズ罵倒らしいw)
曹洞宗禅は「ただ」「只管」
802:神も仏も名無しさん
14/01/18 18:02:52.31 FG9R5WVu
やけにズバズバとハッタリかまして豪語すると思ったら関西人かよ。
803:仏教関西人派
14/01/18 18:37:05.68 yhn8z90L
>>802
> やけにズバズバとハッタリかまして豪語すると思ったら関西人かよ。
関西がそんなのばかりと思っとったらあかんで(笑)
豪語するだけで説得力ないのはたこ焼きやお好み焼きに紅ショウガの入れ方知らんヤツと同じや(笑)
関西人なめとったら笑い死にさせたるで(笑)、関西人言うからにはあんさんどこの出身か言うてもらいまひょか。
今から茶しばいて喫茶去や。
804:神も仏も名無しさん
14/01/18 18:54:38.16 3ruo/Q8k
中村元氏によれば、インド人は歴史を書き残す意義とかをあまり重視しない民族で
起こった事柄を過去の偉人が予言した~とかの形式をとる。
だから予言は予言ではなく単に起こった事を予言した事にしてしまおうというw
仏典に釈迦の予言があるかないか知らないけど、超常現象などは一つこういう傾向もある、
と言う点は認識しておく方が良いと思います。
何でも全て書いてあるとおりと鵜呑みにするのは賢明ではないと思います。
805:神智学の本質はレイシズム
14/01/18 19:00:31.42 uiVLgsqh
宝珠には汗の匂いを感じない。
どうしてなのだろう? キミは働いたことがないね?
キミはたぶん在日コリアンだろう?
神智学は、モンゴロイドを滅び行く人々として決めつける。
キミはモンゴロイドなのに神智学を奉じるが、自分自身を差別してどうする?
自分に突き刺さるブーメランではないかw
ああそうか(^^) ブーメランはコリアンの得意技だったかw
806:神も仏も名無しさん
14/01/18 19:06:06.68 FG9R5WVu
>>803
めんどくさいから2chにありふれたレイシズムで対応しちゃったw
807:神も仏も名無しさん
14/01/18 19:26:59.63 zeVuetZ5
最高の徳を積んだ仏陀ですら、死を逃れられなかった
それぐらい死は必定なんだから、生きてる間に心を清めなさい精進しないさい、という論法は聞いたことがあるけど
808:神も仏も名無しさん
14/01/18 19:38:43.96 Y8x/VL8R
一在家よ
仏教では煩悩があるから断ち切れない惑として輪廻転生が起こるんだよ
輪廻転生は概念で、つまり念、一在家のグループが言う想念の事で
思考の中に属して我執に因って保護・維持される
我執がその外枠の本体なので、輪廻惑は我執並みに強い
だから消え難く離れがたい(我執に包摂されてるから)
この我執の惑を生きてるうちに悟って出来るだけ表に出さない様な所作を行わなければ
それが業となって今世の他人にも伝播し、輪廻惑の因(業)をばら撒いて今世を去る事になる
去れば自分は終わった筈なのだが、業は残っている(他者に伝播している=思想とか)
故に、次生は赤の他人として生まれた筈なのに、先の輪廻惑を巡り巡って受け取る事になる(報)
結果、自分は輪廻転生してきた、と言う思いがまた始まる
釈尊の教えでは煩悩を滅し尽くして行けば最後は四諦をありのまま観て本当の事を悟る、とされてる
釈尊が輪廻を否定せず、寧ろ教説に盛り込んでいたのは、方便の意味も有るが
釈尊の思考は自他や三界の区別を取っ払った無分別の境涯なので
人の思いが作す輪廻惑と物理現象である断滅とを区別しない
次生に他人が思いから出た言葉を受け取れば、それが念に焼きついて
輪廻転生惑として復活すると観れるから否定しなかったのだ
物理的には輪廻転生は無い
しかし思いから発する言説が人々に伝播し、次生に引き継がれる意味ではこの限りとは言い切れ無くなるのだ
故に、有るとも無いとも言い切れないので無記となる
疑う無かれ一在家、輪廻転生や業報輪廻転生の言葉を誰から聞いたか思い出せ
それがお主の輪廻惑の出発点である
809:神も仏も名無しさん
14/01/18 20:13:44.35 FKiaeHSg
>>795
あとは、2ch内でということなら
マハシゴエンカパオ☆ヴィパッサナー瞑想法Part.11
スレリンク(psy板)
【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践9
スレリンク(psy板)
とか。
810:前世は一在家 ◆2o6x38TRbE
14/01/18 20:15:18.23 hmV45uPb
>>808
>輪廻転生は概念で、つまり念、一在家のグループが言う想念の事で
どなたか存じませんが、真面目に調べていただいて有難うございます。
>疑う無かれ一在家、輪廻転生や業報輪廻転生の言葉を誰から聞いたか思い出せ
>それがお主の輪廻惑の出発点である
子供の頃に浄土宗の母から聞いた記憶があります。
高校の頃には浄土真宗の祖母からも聞きました。
その頃に「仏縁」という言葉も聞きましたよ。
811:神も仏も名無しさん
14/01/18 20:24:31.14 FKiaeHSg
あ、一個アンカーずれた。 すまんなw >>809は>>794へ
>>804
だから、
少なくとも、(輪廻(…宿命通)という一部だけでなく)全否定するなら、
自分で確認するか、同様に、(今流行の健康系でもいいし)ヨガを修めた人の見解を引用するとかしたら?w
少なくとも、今、上の方で書き込んだ人は、
指導者(及び参考著者)の言辞と自身の実体験を元に、『事実』を述べていると思われるが、
君の発言は、君の「実体験という検証」を経たものなのかい?
或るいは、実体験に基づくレポートが参照されているのかい?
これまで色々レスが交わされているが、畢竟そういうことなわけ。
だから自分は、(時々踏み込み過ぎてdaio-が野次入れるがw)、
テキスト以上の断定は(一応気持ち的にはw)遠慮してるよ。
812:前世は一在家 ◆2o6x38TRbE
14/01/18 20:28:04.82 hmV45uPb
>>793 :パーピマン氏
>なるほどww
>釈迦は、悪魔がアーナンダに憑依しているのを見抜けないほど馬鹿だったわけか?ww
>そして、まんまと悪魔の意図どおりの選択をしたとwww
流石、悪魔のコテを持つかた、悪魔の肩を持ちますね。
・釈尊は寿命が来ていることをよく知っていた
・当然、悪魔の憑依もお見通しだった
・アーナンダ(多分「大般涅槃経」伝承者)は自分の未熟さを深く悔い、釈尊入滅後に悟った
以上は私の読みですが、もしかしたらアーナンダやその他弟子達の修行完成の為に入滅を早められたのかも。
なおジャータカでは火の中に投身したウサギがおりましたが、その行為は馬鹿ではなく、慈悲だったのでしょう。
813:神も仏も名無しさん
14/01/18 20:33:07.39 3ruo/Q8k
>>811
何が「だから」なのか理解不能w
全否定って私がなにを「全」否定したのでしょうか?
私が否定したのは業報輪廻転生と瞑想が仏陀の悟りの方法であるとする見解、仏典の超常現象を一字一句鵜呑みにする事。
否定した本人がなんで瞑想で得がたいものを得る努力をせねばならんのか?
私の主張はそんなものを志向する事こそ間違いというもの。
上の3点については否定しました。
で?w
814:神も仏も名無しさん
14/01/18 21:01:02.26 Y8x/VL8R
>>810
>子供の頃に浄土宗の母から聞いた記憶があります。
>高校の頃には浄土真宗の祖母からも聞きました。
つまり、最低でもその人達がお主の輪廻惑の原因となる
その人達はまた別の人から輪廻惑を概念として受け継いでいるのだ
そうして輪廻転生は実在し続ける事になり、縁によって釈尊の教えを完遂した暁には
真実を知って輪廻に終止符が打てるのだ
815:神も仏も名無しさん
14/01/18 21:42:39.47 Z2fLj4ES
観ずるか 六根
816:神も仏も名無しさん
14/01/18 22:45:10.31 3ruo/Q8k
>君の発言は、君の「実体験という検証」を経たものなのかい?
実体験以外(読書により同意した事など)は書き込むなかれとでも言うのでしょうか?
実体験か実体験に基づく文献かを差し出さねば書き込むなかれ。
仏典にある事以外は書き込むなかれ。
個人の読書による同意事項など書き込むなかれ。
ふ~んw
で、誰が上座部の瞑想に同意するんだww
同意する人間もいれば私みたいに却下の人間もいる。
瞑想というものがあるとすれば流派やメソッドに縛られない単に自己を見るという行為。
ナニナニ瞑想が素晴らしいとか、ナニナニ瞑想でなければ駄目とか全く賛同できませんw
817:神も仏も名無しさん
14/01/18 23:16:57.69 Y8x/VL8R
仏弟子なら全ての門に敬意を持つべき
同門なのに敵対するのは増上満以外の何ものでもなく悪害有っても一利の徳無し
外道の徒なら悪業の報いを知るべし
818:神も仏も名無しさん
14/01/18 23:17:18.94 FKiaeHSg
>>816
42.195kmを走ったことのない人間は、
走り終えたときの息苦しさを知らない・知り得ない、ということだよ。
こんな単純なこともわからんか?
819:神も仏も名無しさん
14/01/18 23:20:32.97 3ruo/Q8k
言いだしっぺはセブンで私ではない。
売られた喧嘩は買うべし~とw
そもそも私は仏教徒ではない。しかも無宗教で、私が仏教と関わるのは
人間仏陀の想像と八正道の実践。なぜなら、人間仏陀を尊敬するから。
似非の仏教徒など論外なのですよw
820:神も仏も名無しさん
14/01/18 23:21:44.39 FKiaeHSg
>>816
誰が「 >書き込むなかれ 」と言ったんだ?w
稀勢ノ里が現在二敗。
横綱挑戦を全国から期待されているプレッシャーを理解できる人間は、
同じように横綱挑戦の場所を経験したことのある者だけだ。
そうでない人間の評や同情、苦言は、“それ”と比較すれば野次と変わらんよ。
821:神も仏も名無しさん
14/01/18 23:22:23.00 3ruo/Q8k
>>818
無論、個々人の経験など共有できるものではない。
で、仏教を語るには仏陀そのものの人生を経験しなければ論外とでも言うのですかな?w
822:神も仏も名無しさん
14/01/18 23:23:15.60 FKiaeHSg
>>819
その意味(>>818>>820)で、
まさに、君こそが、『似非仏教徒』だろ?w
823:神も仏も名無しさん
14/01/18 23:24:55.13 FKiaeHSg
>>821
だからw
君が否定する領域は、実際に師資相承で伝えられてきたものなの。
だから、
君のソレはどうなの?といつも聞いているだろ?
君のソレは、伝統に依存していないのか?とw
824:神も仏も名無しさん
14/01/18 23:25:13.56 3ruo/Q8k
>>820
>>811の中断にはその「 >書き込むなかれ 」が十分に感じられるのだが
私の読解力が無いためでしょうかねえw
いやあ、読解力の天才で比喩の天才が仰るのだからきっとそうでしょうねえww
825:神も仏も名無しさん
14/01/18 23:27:01.70 FKiaeHSg
ああ、この辺の『伝達』『伝承』『伝統』ってのは、
道場とまでいかずとも、大学高校の体育会系でも実感できることなんだけどね・・・。
826:神も仏も名無しさん
14/01/18 23:27:52.05 3ruo/Q8k
私は仏陀を想像するのに伝統やら伝承やらに縛られるのはマイナスであろうと思いますよ。
なぜなら、伝統伝承は業報輪廻転生を承認するオカルトだからです。
師資相承で師から承認されなければ価値が無いなどという人間に仏教は無理でしょう。
827:神も仏も名無しさん
14/01/18 23:28:41.05 FKiaeHSg
ああ、紐君は伝統工芸や職人世界、老舗の伝承・伝統にも否定的でしたっけね・・。
さもありなんですなw
828:神も仏も名無しさん
14/01/18 23:30:13.96 3ruo/Q8k
>>827
私がどこで伝統工芸やら職人世界やら老舗の伝統伝承を否定しましたか?w
私が否定するのは業報輪廻転生を承認する伝統・伝承仏教だけですよw
829:神も仏も名無しさん
14/01/18 23:35:09.65 3ruo/Q8k
>>822
読解力のセブンさんw
私は仏教徒ではないのですよ。
似非仏教徒ではなく非仏教徒w
830:神も仏も名無しさん
14/01/18 23:45:20.90 hmV45uPb
>>814
>真実を知って輪廻に終止符が打てるのだ
そうですね。
輪廻の真実を知って輪廻に終止符が打てるのだと私も思います。
譬えますと、自動車は無いと信じて疑わない人は車道に飛び出して犬や狸のように轢かれます。
自動車の真実を知って交通事故に終止符が打てるのだと私も思います。
831:神も仏も名無しさん
14/01/18 23:46:35.24 hmV45uPb
>>829
>似非仏教徒ではなく非仏教徒w
私もそう認識しておりました。
832:神も仏も名無しさん
14/01/18 23:48:13.62 3ruo/Q8k
>>830
その比喩は要注意ですね。
>自動車は無いと信じて疑わない人→輪廻転生を信じる人
>自動車の真実を知って→輪廻転生無記の人
ならば、同意します。
833:神も仏も名無しさん
14/01/18 23:52:27.05 FKiaeHSg
>>827
「倣う・習う」=「縛られる」
という発想が貧困だとは思いませんか?w
>>828
三歩歩いたら忘れる鳥頭かw 隠居みたいだな。
834:神も仏も名無しさん
14/01/18 23:56:10.98 3ruo/Q8k
習う=縛られるではなく、師からの承認に縛られるw
伝統文化で師に習うのは当たり前。それを縛る等と誰が言いましたか?
読解力を発揮してくださいよw なんせ読解力の天才なんでしょ?w
835:神も仏も名無しさん
14/01/18 23:56:20.31 FKiaeHSg
>>829
w
君は、伝統ではなく釈尊その人(の言葉)を追う者
という自身の座標をイメージしている筈だ。
その意味でも、似非だという意味だよ。
836:神も仏も名無しさん
14/01/18 23:57:19.01 3ruo/Q8k
世の中似非ばかりで面白いですねえww
837:神も仏も名無しさん
14/01/19 00:00:22.33 VswT+fxA
>>834
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
>伝統文化で師に習うのは当たり前
その >伝統文化で師に習う ことを全否定してきたのが、一連の君のレスじゃないかw
(容量や投稿規制もあるが、数日数ヶ月かけて該当箇所を拾って来ようか?w)
「自分にできないことは、人類全てにとってもできないこと」だという感性は貧し過ぎると思うよ。
838:神も仏も名無しさん
14/01/19 00:00:50.54 4MQgY63q
しかも「座標」ってww
面白いですねえ。
立ち居地とかの意味でしょうか?
まあ、上座部の立ち居地より遥かにマシと思いますが。
伝統や伝承で比較されると勝負にならないのは当然です。
なんせ2500年の伝統と伝承対個人の立ち居地ですからねえw
839:神も仏も名無しさん
14/01/19 00:02:37.96 4MQgY63q
>>837
>(容量や投稿規制もあるが、数日数ヶ月かけて該当箇所を拾って来ようか?w)
私が仏教以外の分野で伝統・伝承を否定したのがあるのなら是非拾って来て下さい。
840:神も仏も名無しさん
14/01/19 00:09:10.99 4MQgY63q
>>837
>「自分にできないことは、人類全てにとってもできないこと」だという感性は貧し過ぎると思うよ。
私はこう見えても超常現象には肯定的な人間ですよ。
しかし、それは限られた人間にだけありうるだろうとも同時に思っている訳です。
まあそれでもせいぜい、虫の知らせとか、何か予知夢を見たとかその程度までです。
だから宝珠さんが言うようなものは全部却下です。
で、瞑想で光を見てなんたらかんたらも有るでしょう。
しかし、そんなものに何の価値も無いと想像するだけです。
そこに価値を認めて焦点を当てるのが阿呆というだけ。
841:神も仏も名無しさん
14/01/19 00:20:14.84 VswT+fxA
>>840
>そこに価値を認めて焦点を当てるのが
焦点を当てるのは、それが、道程の一過程だからでしょう?
習熟、学習の過程に於いて、どんな分野でも幾つかのポイントってのはあるでしょう?
それに注目することがなぜいけないのでしょう?
習熟度の見究めに資する案件が、なぜ阿呆なのでしょう?
私も普段ならこういう絡み方はしませんが、
貴方のレスは、狂犬が見境なく噛み付くが如きものだから、反応しているのですよ。
842:神も仏も名無しさん
14/01/19 00:25:21.85 VswT+fxA
>>841補
>>840>そんなものに何の価値も無いと
「同じ漢字が一部分として幾つもの漢字の中にある!」と子供が発見したとき、教わったとき、
それを、 >そんなことに何の価値も無い と言いますか?
843:神も仏も名無しさん
14/01/19 00:28:19.37 4MQgY63q
私が狂犬ですか。
しかし噛み付いたのはアナタですよw
八正道の正思惟には欲を無くすという側面もあるようですが、正しい思考が第一義でしょう。
で、瞑想の光などを志向するのが正しい方向と考えるか否か?で分かれるだけでしょう。
輪廻転生と同じ。これを正しいと思考するか否か?
思考の選択の枝葉で別れ別れして幹に行くようには心がけているつもりです。
私が捨てたものにしがみついているのを見れば阿呆とでも言いたくなりますね。
もちろん、私が阿呆の可能性も半々ですがw
それと私がどこで見境も無く噛み付きましたかねえw
それこそ箇所を提示して欲しいものです。(アナタが最初に噛み付いたより前でお願いしますw)
844:神も仏も名無しさん
14/01/19 00:35:34.22 VswT+fxA
>>842補(>>843)
貴方が「伝統・伝承」に否定的発言をするときには、
常にその全てを否定しているのですよ。
もし、輪廻或いは輪廻業報のみであるならば、
上の禅定の過程に於ける話に首を突っ込む筋合いはなかった筈です。
が、貴方は
>>779に於いて>瞑想、瞑想ってw
とレスを入れた。 明らかに、輪廻以外の伝承にも否定的だという証でしょう?w
そのときの流れは、重要な要素として瞑想(禅定)が仏教内で位置づけられている
ということであって、【それが仏教の全てだなどと『誰も言っていない』】のに・・。
その意味で>>827・>>833と言ったのですよ。
845:神も仏も名無しさん
14/01/19 00:36:34.30 VswT+fxA
>>843
輪廻以外の伝承にも否定的だからですよw
846:神も仏も名無しさん
14/01/19 00:43:51.83 4MQgY63q
>>844
>【それが仏教の全てだなどと『誰も言っていない』】
ならば私は何も言いません。
私の読解力では○○瞑想云々こそ悟りへの道~というように見えましたのでね。
しかし、輪廻転生やら瞑想やら私には的外れとしか言いようがないのでw
上座部のセブンさんには心外に映ったのかもしれません。
私は率直にあらゆる権威イデオロギーの外に居たいので、一点に焦点を当ててあたかも
それが悟りの道~のように言われれば断固反対意見を書き込みます。