14/01/15 15:41:02.76 l+OwZViH
よく考えれば、自分の肉体は父母の精子と卵子に因って始まっている
この製造元もやはりそれぞれの父母の精子と卵子に因って始まっている訳だ
代々ずっと人間をして来た先祖が居るから今の自分が有る訳で、これは輪廻だろと思う
釈尊曰くの仏道修行の完成の暁は輪廻が止められるとは、出家して修行すれば
婚姻はしなくなるので確かに物理的な子々孫々は止まる事になる
涅槃は寂静である事実は釈尊が作った訳でも作れた訳でもなく天然のものと思われる
その上で自分の輪廻を止めるとは、子々孫々代々嫡々を止める事なのかと思った
そう考えると命とか魂とかの来世伝達も遺伝子レベルとなり、無い訳ではなく、有るとも確実には言い切れない
何故なら命やら魂やらは精子卵子が受精して着床して分裂を繰り返し、脳が作られ自我が出来た上で
考察を得る事が可能な概念だからだ
これは無い訳ではない、が有ると明言できるものでもない、しかも輪廻してない訳でもなく、してる訳でもない
確かに釈尊の無記以外の表現は当てられない、となる