14/01/15 13:47:20.06 PB4dTzJD
仏道に於ける瞑想修行の果報についての考察
最初期仏教(釈迦の教え)では瞑想修行が最高期を迎えると前世が観えると教える
涅槃寂静が実は人の手による作為ではなく、世の普通の現象であるとするなら
前世が観えるその修行とは何か?
これは端的に言うなら自分が持つ細胞レベルの遺伝を辿れると言う事ではなかろうか
私とこの文を読んでいるあなたとは遺伝的には別系統ではあるので他人で有るが
結局はどこかで繋がって居るかもしれない、だからと言って私からあなたへ向かう事までは出来ないのかもしれないが
共に上位へ、過去へ、細胞レベルの蓄積を遡る事は瞑想によって可能なのかもしれない
四念処では自己の体の隅々を内側から観察する観法を使う
これだけ考えても非常にオカルティックで不可能に思えるが、普通状態の我々でも
例えば「現在腕全体に痛みは無いか?痒みは無いか?普通と違う感覚は無いか?」と
思いを巡らし簡単に感受を走査させる事は可能である
四念処のそれはもっと研ぎ澄まされた、通常の脳活動では使われてない部位を駆使しての活動なのではないだろうか?
我々は通常、生まれながらに授かってきた脳を全体の半分も使ってないとも言われる
上記に書いた事は全て、脳の未知領域で可能な事なのかも知れない
仏教は侮れん