14/01/14 18:42:54.46 ljqkIQ/P
隻手音声のことなんだけど
俺もはじめの人と同じようなイメージから入った。
でも、最終的には金剛般若経の結論に近い。
もともと健常者だった人が片手を失ってしまい
みなが拍手するのにつられてそのまま腕を動かすが
はて片手はすでにない。腕が空を切るのみ。
頭の中ではかつてのような音声を期待していたのだろうが
音声は頭の中だけで鳴っただけで余韻を残して
片手が虚しく目の前を横切っただけだった。
だが問題はここからで、大切なのは音が鳴らなかったという
現実より、音が鳴らなかったと気づく前の、気づく直前の
自然に両手を動作させていたその自分ではない自分ではなかろうか。
隻手音声を聞くとは即ちあったはずの両手の音を聞くことではなくて
意識しない自分に気づくことなのではなかろうか
自分は自分だと思っているが、私たちは気づいていない自分がいる
だからと言って、気づいていない自分を認識に乗せろと言っているのではなく
自分に気づかない自分を大切にしろということ、
そして、それは最終的にあなたであり、周りの環境でもあるということ
ではなかろうか