14/01/14 02:00:21.01 6g/EPbeU
>>243
>故に、一端実しやかに巷間で認識されている思想潮流へ叩き込み
>そのつもりで誘引されたが実は無我故に「私は永続する事象に非ず」をストーンと再認識させる
>懐疑論に長け頭脳が明晰だった知恵第一の舎利弗にとっては相当高度な二重方便の展開例だったと言える
前スレで舎利弗が歓喜した本当の理由は「漏尽智」だったのではと仮設しました。
貴方の無我故に「私は永続する事象に非ず」をストーンと再認識と同様の見解かと思料します。
尚、「漏尽智」も前提条件は「輪廻」ですので輪廻否定にはなりませんが、輪廻がメイン皿ではなくなります。
(ご参考)
スレ84 >>953 :輪廻否定の四段階:2014/01/12(日) 22:51:34.64 ID:t2VBR5ZU
【第四段階】
仮設:舎利弗と五百羅漢の出自は外道であり、その時点で既に阿羅漢の位ではあったが、仏弟子としてはまだ菩薩だった故に誘引方便が必要だったのだろう。
反証:第一経「梵網経」では当時の外道でも前世想起をしていたので、宿住通や死生智では誘引方便になり得ない。
また第十一経「堅固経」では当時の魔術でも読心や空中浮遊はできたので、読心通や神変では誘引方便にならない。
よって釈尊の教えのオンリーワン性は「漏尽智」(輪廻からの解脱の方法)であり、スッタニパータに11か所記載の「もはや再び母胎に宿ることはない」ともよく整合する。
舎利弗が「自歓喜経」で一番強調したかったのは「漏尽智」だったのではと思料します。 )