14/01/09 13:40:44.49 vdclyaLN
>>297
>中村元さんが本当にそんな事を言ったのか知りたいだけだよ。
これのことかな?
『原始仏教では、在俗信者に善行をおこなわせるために、因果応報の理をもって説いた。
正しい行いををした在家の人は、天の世界に生まれる。それに反して悪業を行った者は、地獄に堕するという。
こういう輪廻説ないし応報説が無我説と矛盾し、一致しがたいものであるということは、しばしば学者に指摘されているが、
原始仏教はかならずしも輪廻および業の観念を排斥せず、むしろ世人の宗教的通念としていちおう許容したらしい。
では、なにゆえに許容したのであるか、というと、『来世を信じない人は、悪を行う』(Dhp.176)からである。
すなわち、世人に善を行わせるために方便の教えとして説いているのである。』
(原始仏教の思想1・p663)
これは水野博士の、
『仏教においても(インドで)常識的な穏健説として業報思想を採用した。
この常識的な業報説を受け入れないならば、仏教独自の四諦や縁起の教えに入ることはできないとして、
★仏教独自の学説に入るための準備として業報説が用いられたのである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
しかしこれは前述のように、仏教にとってはあくまでも初歩的な通俗説であって、きわめて低い教えにすぎず、
★業報説からさらに進んで仏教独自の四諦や縁起の説に向かうべきものである。』(水野弘元 「仏教の基礎知識」春秋社 121頁)
『業報説は仏教への入門的予備の学説であるから、
釈尊は仏教をまったく知らない人を仏教に導く場合には、まずインド一般の常識としての因果応報説を具体的にのべ、
因果応報説を真理として受け入れるようになった時に、はじめて仏教独自の教えに導かれるのが常であった。』
(同上p128)
と同趣旨。