13/10/25 19:40:58.70 7+6m4DVp
無我の概念だけはしっかり押さえておけよ。
12:サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A
13/10/25 19:42:56.29 3V6SVf+v
>>9
鎌倉仏教は普及版の仏教としてはかなり優れていませんか?
キリスト教ならプロテスタントがそれに当たるかもしれませんが
唯一神への信仰で契約の宗教なので近代に至るまで
他の宗教 価値観との共存が難しかった
浄土教も厳密に言えば大乗とゾロアスターあたりの混淆かもしれませんが
それでも仏教の基本は保つ
そういった発展の仕方が興味深いですね
13:神も仏も名無しさん
13/10/25 20:56:19.17 6OyTIn3v
>だが、その自分らだけに通用する価値体系をもって、他者に干渉してくるんじゃ
>ねえってのw
そんなふうに思っていた時期が私にもありましたって感じかな
個人主義的な方向性に限界があることはここ50年でハッキリしたと思う
そりゃ、個人の才能がフルに発揮されるような自由度の高い社会形成は個人にとっても喜ばしいことだろうし
パワーオブバランスにおいてより優位な地位に立てるという観点からしても理想ではあるが
他者とのつながりを考えなければ持続的な社会はつくれない。疲弊してしまうんだよ。
なんでもかんでも消費していくかわりに、常に花の蜜の香りで外から移民という活性剤を誘い入れないかぎりね
だが、かつてそういった都市国家だって過去にはいくつもあったわけで、それらがどれほど持続可能だったかも考慮する必要があるかな
で、ま~結論から言えば、結局はシステムではなく、人的な内面の力の鍛錬を考えなければいけないと思う。
それは、ある程度他人に干渉されることを認めないといけないということと裏表で
干渉に対する自己の鍛錬ということでもあると思う。
もちろん、その鍛錬が、宗教という形でなければなされえないというわけではないのだけど。
ただ方法と言っても、なんでもかんでも宥和すればいいというわけでもないはずで
歴史文化伝統と法律、そして人心がうまく合致するところに、解決の方法があると思う。
歴史的文脈を無視した安易な宥和というやつはけっこう危険なんだよ
そのへん円滑剤として宗教の果たす役割の可能性はあると思う。
もしコメント主がうざい宗教勧誘のよしあしを論じていたとしたら、ちょっと的はずれな反論だったね
14:サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A
13/10/25 21:00:38.11 3V6SVf+v
>>13
個人の救済は仏教
共同体の祭儀としての機能は.バラモン教
って感じだったのですかねインドにおいては
大乗以降に共同体の祭儀に仏教がかかわるようになったとか
中国では唐代以降に儒 道 仏 各宗教が競り合って
仏教は競り負けた印象が個人的にあるのですが
15:神も仏も名無しさん
13/10/25 21:06:41.08 7+6m4DVp
法華経の梵字写経本は、温存されている。
梵字とはサンスクリット語(梵語)を表記するために作られたもの。
サンスクリット語の文字化の為に作られたのが梵字。
梵字の遺跡で有名なのが、紀元前三世紀に造られたと言われているアショーカ法勅。
梵字は、実際には前六世紀頃から南インドやスリランカで使われていると考古学ではみている。
16:神も仏も名無しさん
13/10/25 21:07:20.27 6OyTIn3v
>>14
答えにくいっすねwww
そうだと言えば誤解が生まれそうだし。
ただ、自分の解釈にはすごく近い。
17:神も仏も名無しさん
13/10/25 21:11:09.07 B2eWtS8B
前スレ>>993
>縁起の直接現実とその「縁起の現観」【般若門】を透過・掴みえない者
>とのあいだに、まさるか否かの比較などありえない。
縁起を誤解していると思うよ。
評価基準である苦楽や善悪や好き嫌いなど、こういった相互依存ならば、
中論の空が成立する。ただし頭の中だけね。
これに対して、この世の事物に般若の空は証明されていない。
その証明ができない以上、この世の事物は空だ、とは言い切れない。
であれば、空の思想に距離を置く方が正しいのではないか。
18:サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A
13/10/25 21:18:25.43 3V6SVf+v
>>16
キリスト教はローマ帝国の衰弱と崩壊で
一気に帝国の行政機能代替しましたからね
だから当然 共同体の集団祭儀の儀礼もキリスト教化しました
仏教はインドではバラモン教がヒンドゥに移行して仏教と共存
中国でも西域は知りませんが中華では個人の信仰にとどまり
日本でも律令の国家仏教は貴族のものや武士階級に庇護される存在で
神道も習合しながら生き残りましたからね
ここら辺は自分でも調べてみます
19:神も仏も名無しさん
13/10/25 21:18:37.32 7+6m4DVp
中国では現代に名を馳せる名僧が数多くいる。
仏教が破壊によって廃れたのは近年の話し。
インドから中国に仏教が伝わった当初、
争いを避け『格義仏教』を用いていた。
20:神も仏も名無しさん
13/10/25 21:32:20.23 B2eWtS8B
前スレ>>976 宝珠@神智学徒
>今生における出生の境遇の違いに対する説明がつかない。
>何故、彼は金持ちの家柄に生まれ、私は貧しい家系に生まれたのか?
>そして、生まれつき盲目なのは何故なのか? と。
>>979-981 の指摘にもあるが、輪廻を認めたら説明できるの?
だれにも記憶がないのに、いったい誰が前世を語るの?
もしかして神智学の覚者たち?
21:神も仏も名無しさん
13/10/25 21:37:15.75 7+6m4DVp
中国のような、他民族からの侵略や群雄割拠で争いの耐えない国では、
思想的に仏教の人道的在り方は必要とされていなかったかもな。
それより、戦略的視点から劉備玄徳のような軍師や策士が重宝されていた時代。
22:サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A
13/10/25 21:41:32.51 3V6SVf+v
>>19
異民族出身の王朝といわれる唐でも道教が格上で
それ以降 中国の共同体の宗教に仏教はならなかったでしょ?
チベットくらいじゃないですか仏教が政教一致で共同体ぐるみ採用されたのは
ただ仏教は個人の信仰として非常に便利にはなってると思います
ユダヤ教から生まれた宗教は信者個人が宗教の共同体を離れて
信仰するのはかなり大変ですから
その意味で今後キリスト教離れした特に欧米人に仏教はもっと浸透するかも
23:シモン・エレクシア ◆/bVPRrlaFM
13/10/25 21:48:55.93 2Tz/V/HB
>>4
納得。
カラスの歌はアホすぎる。グノーシスが三位一体とか霊肉一元論だとか、
解釈以前の基本概念の部分すら理解してない。
三位一体って(笑)、んな概念グノーシスにねーし、世界の始原を霊的世界(永遠)に置き、
肉体を含めた物質世界全般を低級なデミウルゴスの造作による模倣世界として虚仮とするのは、
ヨハネのアポクリュフォン、アイオーンの本質、フィリポ福音書、etc全てにおいて基本概念だっつーの(笑)
文章も支離滅裂で失調患者の幻影羅列じゃねえかって
24:神も仏も名無しさん
13/10/25 21:53:30.30 B2eWtS8B
前スレ>>846
>「豊かな者」は幸いではないのか。
この世でもあの世でも幸せになりたいと思うのは欲張りでしょう。
>十戒は、人間に必要な道徳行為はすべて尽くしている。
旧約の十戒は、キリスト教も採用しているのでは?
>道徳倫理の最低限は、「他者の生命を奪わないこと」。この点では、
>キリスト教もイスラム教も滅茶苦茶。道徳倫理のカケラもない。
同じ宗教なら味方だが、それ以外は敵なんでしょうね。
25:シモン・エレクシア ◆/bVPRrlaFM
13/10/25 21:57:20.65 2Tz/V/HB
ていうかキリスト教と仏教は全てにおいて相反するし、思想的な共存はおよそ不可能だろ(笑)
世界は一切皆苦で、解脱により転生から脱出するのが救いってのが仏教の通有概念。
世界は神の創造による「良きもの」で、生めよ増えよは神の祝福で命令。
人間は最終的、復活によって肉と永遠に結合し、物質世界での生活を永遠に享受するってのがキリスト教。
共存しうるとすれば互いに無視するだけです(笑)
釈迦の道諦や八正道も仏教の究極目的である解脱を成す道であって、それはキリスト教的救済や目的に
転用するなんてことは論理的に不可能。
26:サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A
13/10/25 21:58:16.35 tWR8GJ/Q
>>24
キリスト教の 隣人 には諸宗教の人たちも含みます
イスラムも同じように隣人には寛容です
過去の歴史や現代において政治などに巻き込まれた場合
仏教とも充分残虐ですよ?
それを信仰の価値の規準にするのは無益であると思います
27:神も仏も名無しさん
13/10/25 22:08:33.31 7+6m4DVp
初っぱなに十字軍遠征して隣人も糞もねえょw
美化し過ぎ。
28:サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A
13/10/25 22:15:27.52 tWR8GJ/Q
>>27
十字軍の遠征 初回は1096年で東ローマ帝国の救援要請に応えてのものです
西ローマが滅んで数百年後 キリスト教が定着したとはいえ
>>18に書いた事情により 西欧の諸国も政治と宗教が未分離の状態でしたね
政教が未分離では問題がおきやすいのはどの宗教でも一緒です
現代でもそれは同じであると思います
仏教がその方面で問題を起こしたからといって宗教としての仏教の価値とは混同しませんよね
29:シモン・エレクシア ◆/bVPRrlaFM
13/10/25 22:25:05.56 2Tz/V/HB
大衆はいつの世も愚劣な存在。彼らが求めるのは成道のための
激しい修行や哲学的考究なんぞではなく、できるだけ楽で分かりやすく
お手軽に救済される道。それも涅槃寂静なんて理解不可能な境地ではなく、
できるだけ現世利益で肉体・精神的に恵まれたウハウハの世界。
仏教の思想変容の歴史もこのアホの大衆の欲求とどれだけ妥協して、抱き込めるか、
それでもなおどれだけ仏教の本質を維持できるかの難儀を示してる。
釈迦の哲学は元来、出家者のそれで、俗世を捨て、サンガに入り、
日々仏道に励む修行者こそが成道、涅槃という宗教的境地に達することができるとするもの。
部派仏教はそのレールを保守的にひた走り、学究的エリートのアカデミーと化してしまったから、
大衆の尊敬は得られても信心を寄せることはできなかった。
初期大乗は衆生救済をモットーに在家の解脱の道を開いたが、それも竜樹の中観派や世親の唯識派が
無駄に思索を掘り下げ、およそアホには理解不可能な複雑な哲学的体系へと変えた。
ヒンドゥーが興隆したのはアホの大衆が大好きな儀式や現世利益の呪法や帰依できる身近な神々を
提供して、媚を売りまくったから。
信者を吸い取られて焦った大乗は、儀式やマントラ、現世利益、神々を導入し、ヒンドゥー混淆の密教化を
推進させたが、説き遅し。アホの大衆にはヒンドゥーの二番煎じなんぞお呼びじゃなかった(笑)
30:神も仏も名無しさん
13/10/25 22:32:26.42 B2eWtS8B
>>23
前スレのシモン氏の話は非常に新鮮、刺激的だったですね。
釈迦その人は、縁起や四諦八正道だけでなく、神との出会い、
霊魂との出会いをしたのではないかと考えています。
その線上で読ませてもらったが、死→中なる世界→再び物質世界へ輪廻
あるいは霊性とか「復活」の話はおもしろかった。
個人的な感想ですが、グノーシスの理論は神を中心にしており、
霊魂(我)の部分が不明確な印象を受ける。この霊魂は坐禅をしないと
出会えないので、坐禅の伝統がない西洋では無視されても自然だが、
プラトンは霊魂を論じていたし、どうなんでしょうかね。
31:前世は一在家 ◆2o6x38TRbE
13/10/25 22:34:27.46 yMaZSlAD
>>7
>日本仏教の祖師方が流転輪廻を前提として説かれたことをば新スレの入口に。
>>11
>無我の概念だけはしっかり押さえておけよ。
☆★真宗の三木住職「現代仏教塾」より
「私はない」という教えではなく「我執を離れなさい」という教えが無我。
初期の仏典結集でもあった誤解が、中国語で「無我」と訳されてから混乱、誤解が生じた。
「私が、私がという、我に対する執着を離れなさい」という教えだった。
パーリ語では「アナッタン、not self=自己ではない→我は無いと誤解、変化する心も体も自己では無い」
☆★石飛道子「マニカナ」より
>釈尊が説かれたのは「アナッタン=非我」であり、
この点は、たしかにそうですね。無我は、「わたしではない、わたしのものではない、わたしの本質(自己)ではない」の三つの意味であるとされます。
「無我」は、「我がない」というはっきりした主張を含みませんが、「無我」の境地をえると、我のことを忘れてなくなっていくようなところはあると思います。
「我がない」とはっきり主張すると、これまた断見に陥ることになるので、それも、避けねばなりませんよね。
>「縁起の法は相依相関であり、因果の法ではない」ともシュプレヒコール。。。
相依相関と見ても、それは、縁起の中に包容されていますので、縁起(因果)からはずれて、相依相関を説くことはありえないことだと思っています。
上記「無我」の二つの解釈も新スレの新スレの入口に。。 合掌