13/09/24 02:45:23.29 ziY0pne6
>>4
まずは質問に即した回答
>分かりやすく言うとどういうことなのでしょうか。
→仏道をならう=心身脱落する・させる、ということです。
>「自己をならふ」や「自己を忘るる」の部分に焦点を当ててくれると助かります
→自己を習うというのは自分の本質と向き合うこと。自己を忘れるとは肉体的精神的歴史的な自己を忘れるということ。
で、ここからが重要な説明。
たとえばの話。
「神保町の『まんぷく』というカレー屋のカツカレーが旨いんだぜ」
こういう情報があるとします。
そのカレーを食べたことがある人には、説明は不要で「ああ、旨いね。俺も好きだよ」で話が済む。
双方の意思が疎通する。説明なしで、味のイメージの共有ができる。
ところが、食べたことのない人に何がどう旨いのかを説明しようとしたら、万言億言を重ねても、無理。
要するに、体験以外に説明のしようのないことってあるわけなんです。
だがしかし、体験したことがない人でも「どうやら神保町の『まんぷく』というカレー屋のカツカレーが旨いらしい」というところまでは、わかる。
あくまでも「らしい」までね。しかし肝心要の実態の体験がないからこのレベルの情報は、まったく無意味。
「旨い」を知るためには、そのカレーをを実際に自分で食べてみるしかない。
いくら「おいしいんだぜ」的な情報を集めても、それはゴミの集積にしかならないのです。
なので、とりあえず「座禅しろ」とか、「日常作業に没入するという形の『座禅』でもいいからしろ」っていう話につながっていくわけですが、
これは回答の範囲を超えるので雑談です。