坐禅と見性第92章同の行のほつとけ内迷い旅at PSY
坐禅と見性第92章同の行のほつとけ内迷い旅 - 暇つぶし2ch1:素人A
13/06/21 07:10:29.24 HKCY5heo
このスレは、南予さんが建てたスレッドである。
諸行無常、諸法無我一切皆空である。
こころコロコロ、色即是空は空即是色、である。
無我なり。無我とは、さとりである。
さとりとは、真理、法、ダルマである。
達磨さんはインドから中国にやって来たのか、来なかったのか。
 人は小さく生まれ、小さく死ぬと言う。
生まれなければ、死は無い、これは大目に観ない空である。
でも細界のもまあ好い野で有る◎
一生の旅とは 出会い、そして必ずの別れである。
小さく生まれ、小さく死ぬ。大きな眼空は生命の活動である。
ビッグバーン以来の一期一会である。
すずめはチュンチュンこんにちは、である。
道端のタンポポのこんにちは、である。
出会えば別れるのである。
問う 「片手の人がたたく拍手の音を聞いてこい」
【前スレ】坐禅と見性第91章 死者をして死者を葬らしめよ
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【過去スレ】
坐禅と見性第90章 この小道は都・長安に通ず
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坐禅と見性第87章スレ違うも他章の縁側うとうと
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2:しんしょー君 ◆IHSXPiND6Q
13/06/21 08:11:19.66 +nIGYnKk
2GET

3:素人A
13/06/21 08:33:16.83 HKCY5heo
法華経や経典は?今日の天気は?我々は経典の中で生きている。まあ何だかんだ同の行の仏と同行の仏物の長い方便の旅だし、まあ
好いもあり迷いも、まあ画絵を有るいて居苦し、心が迷っても悟っても一如しの車だし文句あつても文句も内鴨。輪空内で大丈夫な
んだけど、それが信じられないならそのままだし、私は書く文句に困りただ長く伸ばしているだけ、今日は何か文句が重い三行革命
以上は書かないと?でも三まわり半の蛇いも上空仏が待つ手下りーに?片手の人か 孝子師匠の  ミストラル  同の行の二人旅
灼けつく太陽が 歩道を焦がしている さまよう二人を さえぎるように 出会いの海が今 静かにざわめいてる あの日の想いを
くすぐるように もう一度夢を 輝いていた日々を このまま二人 引き返したくはない 今はまだ眠ってる 未来にめぐりあいたい
涙があふれるときも この手をはなさずにいてね はしゃいだ毎日を 不安を操り返して 二人はさすらう 運命の海
哀しい夜ならば 私をそばにおいて つないだ指先 願いをこめて すべてを受けて 駆けぬける風になる こぼれた愛を そっと運ぶ
ように 今はまだ眠ってる 未来にめぐりあうたび 心を閉ざさないでね この手のぬくもりのままに すべてを受けて
駆けぬける風になる こぼれた愛を そっと運ぶように 今はまだ眠ってる 未来にめぐりあうたび 心を閉ざさないでね
この手のぬくもりのままに 今はまだ眠ってる 未来にめぐりあいたい 涙があふれるときも この手をはなさずにいてね
ミストラル URLリンク(www.youtube.com)

4:野孤禅スレです。【要約版】
13/06/21 17:45:51.98 BpcifJUX
野狐禅とは、禅宗において、禅に似て非なる邪禅のことである。
「無門関」第二則の「百丈野狐」に出る語である。野狐は低級な妖狐の1つを意味する。野狐精、野狐身、また生禅ともいう。
「仏法は無我にて候」として真実の仏陀は自我を空じた無我のところに自覚体認されるはずのものなのに、徒に未証已証という、独り善がりの大我禅者をいう。いわゆる魔禅の1つ。 以上、Wikipediaより引用抜粋
この公案、禅に関心を持つものなら、知らぬ人はいないだろう。
一老人が、弟子から『悟った人は、因果に落ちますか』と訊かれ、『悟った者は因果には落ちない』と答えたが故に、五百生の間、野狐身に墮ちてしまったという、有名な公案である。
つまり、悟りの境地にない者が、自ら悟ったと独りよがりで増上慢の魔禅、似非禅を例えたものである。また、野狐禅が、如何に人生を無駄にさせ、狂わすことになるかという事例でもある。
この例えを、実地に身をもって示してくれているものが、ポッタンというこのスレ主である。
キャバレーの女から金色の炎を見て悟ったという、自称、無師独悟のポッタンである。 しかし、その説法は仏法ならぬ迷言妄言の連発である。
一貫した特徴は、禅が心のあり体を問うものに対し、知的に理解するものと、勘違いしていることである。
それ故、言葉に執着すること並大抵ではない。文字語句を追いかけては振り回され、しかも、その解釈が屁理屈に終始していることである。
曰く、「悟りとは自由と平等である」。曰く、「眼横鼻直とは、目は水平で自由を意味し、鼻は縦で主体性を意味する」。曰く、「主人公とは右頬を打たれたら、左頬を出すことである」等々。
時には「曹洞宗は色即是空はあっても、空即是色がない」などと宗派を批判して己の無知と恥を曝け出す。これらの愚挙を集めれば優に数冊の本が出来る程である。
本人の独悟とは正反対に、未証已証は言わずもがな、いつまで経っても尋牛辺りをうろついている有様である。
これからも珍奇な解釈をしてくれるだろう。 すべて野狐の戯言と受取っておけば間違いはない。
唯一の取得は、これら迷言妄言珍言が、禅を志すものに、進む方向の正誤を見極める反省の材料となることであろうか。 くれぐれも騙されないことを願うばかりである。
「修せざれば現れず」と言う。ろくに修行もせず、頭の知的理解だけで掴めるほど、禅は甘くは無いのである。

5:素人A
13/06/22 07:45:37.17 taqnTcjf
禅語百選より 把手共行 仏の実在を信じ、その教えを学び、ともに手を取り合って人生を旅する仲間を同行と呼び同朋と懐かし
みます。四国遍路や西行巡礼の旅人たちは、たとい一人であっても「同行二人」と傘に記します。自分以外の一人は、弘法大師で
あり観音様です。禅者はこの同行を特に、どうあんと呼び習わしています。同行は師となり先輩となり友となって影と形のように
寄り添って修業を励みます。つくしんぼうの様に、どこか見えないところで、こころとこころがつなぎあっているのです。人間と
人間だけが「手を把って共に行く」のではなく、ほとけと人間、ほとけとほとけとが、ともに手をとりあって旅を続けているので
す。ほとけと修行者は横に並んで歩くときもあるし、前後になりあうときもあります。同行は現実に同行する友だけではありませ
ん。苦悩に喘いでいる自我の心の奥底に沈んでいるもう一人の友でもあります。彼の名を「自己」と言います。人間は現実の感性
的自我と、本質の本来的自己の同行二人の存在です。感性的自我がどのように醜悪でも、その奥底で清浄な同行の本来的自己が凝
視していると信ずるのが、禅の人間観です。信心、そしてこの同行に出会った人を「さとった人・めざめた人」と言います。・・
でした。ところで全然関係ないけど本写しているとき? 気が付いた事 安藤さんの名は藤安つまり同行逆バージョンからももし
かしたら付けたのか?このどうのこうのは下らない。私はどうのこうので一人で会話出来るし、人と話す時は話が飛びすぎ相手に
されないし、頭や気を使う事は面倒で面倒も見ないから?相手にされない 

6:たろ冠者  ◆AxK1lCqg04yr
13/06/22 13:38:03.62 PDDqhs4S
484:(〃▽〃)ポッたん  ◆Roba//56hk2013/06/19(水) 20:10:11 ID:
むかしむかし 道元と言う人が、山川草木国土悉有仏性、であるにもかかわらず、なぜ 河童の頭、つまり更に修行をしなければならないのでしょうか、と言う疑問を持ち、あちこちのお寺に聞いて回ったそうな。
だけど納得のいく答えをもらえなかった。
そこで中国へ渡る兄弟子にくっついて中国へ渡った。
そして、眼横鼻直がんのうびちょく
鼻は直(たて)に 眼は横に 付いている、と言うさとりを持ち帰りました、と帰国インタビューで報告。

あたまのお勉強としての了解事項では、なかったのですね。
眼横鼻直って何よ?と聞かれても、答えるとしたらわたしは現代人にもわかりやすいように「自由と平等」それが眼横鼻直の言い換えになります、と答えます。
そうすると 普通は フランスの国旗にも有るように、三色を思い浮かべて、自由、平等、もうひとつは、博愛だったかな、そう言うキリスト教的理解に走ります。
いえいえ、そうじゃない、とわたしはそれから説明を続ける事になります。
つまり、くちぱくでは、なかなか伝わらないのです。
と言うのも、倒立して見ているひとには、受け取りが、難解(なんげ)
公案も 坐禅(坐禅も公案ですが)も 大爆発をうながします。
なにがさとりなのか。
それは 揀.擇(けんじゃく) しない、です。 好き嫌いしないです。
まあ、ここで こばかにしたような哄笑(こうしょう) を浴びます。

でも、なかには、自分に向かって問い始める人もいます。
答えを出そうとする人です。
最初は、さとりを求めます。 さとれば、求める事はなくなります。

シャキャ族の聖者は言います、「汝こそ汝の主人公他の誰が汝の主人公で有り得るか。」 と。

>科学は技術革新して発達していくけど、仏教はなぜ御釈迦さんを怖いと恐れ入つてばかりでは不味いのでは?
革新して行く勇気が必要では?
これでは何時までもお釈迦さんを越えられないし、そんな事こだわらなきゃ大丈夫だあ 』
把手供行()はしゅきょうこう
祖師方、祖佛の方々 と 供に 手を把(と)りあって行く。
ガウタマちゃん ハクインちゃん とマブダチづきあいだよね。
だから、超えるも無ければ、超えられるも無いんだよね。

7:たろ冠者  ◆AxK1lCqg04yr
13/06/22 13:45:01.08 PDDqhs4S
>>ポッタンボサーッ
>>484

眼横鼻直をあなたがまず知ってるというのはどういう前提で行われてるの?

・・・・・

自由、平等って
これほどレベル差によって多義的なものが生ずる言葉ってなかなかないよ。

悟りを開いているということの証明義務を
うやむやに先伸ばしするに、もってこいの言葉じゃない?

・・・・・

眼横鼻直って、花は紅、草は緑。事物が然るべき位置に収まるって意味じゃないの?

最低限そこが理解のスタート地点だと思うけどね。

それより幼稚な理解は話にならないでしょう。

8:たろ冠者  ◆AxK1lCqg04yr
13/06/22 15:02:06.21 PDDqhs4S
>>ポッ師匠

失礼、幼稚というのでなく、許容出来ないと言いたかった。

あなたの教えは許容出来ない

それはつまり
眼横と鼻直に分けて理解しているよね、自由、平等と

これはどう考えても頭(分別)で理解をしているとしか思えない。

こんな捉え方は禅ではありえないよね?

ましてや臨済禅だよ?

完全に分別だよね。

自由、平等?あなたは自由、平等についてどれだけ知ってる?

せいぜい師匠気取りがあなたの勘違い自由なんじゃない?

9:神も仏も名無しさん
13/06/22 15:13:11.24 SKYT/bKH
残念だが理解は全て頭でされるもんです。

10:素人A
13/06/23 07:45:49.81 hiLGHe49
諸法実相 ・・仏祖があらわになるという事は、極めつくされていく「真実のすがた<実相>」という事である。真実のすがたと言
うのは「あらゆる事物・事象<諸法>」である。あらゆる事物・事象はそのままのすがたであり、そのままの本性である。そのまま
のからだであり、そのままの心である。そのままの世界であり、そのままの雲であり雨である。そのままの行(歩く)住(留まる)坐
(すわる)臥(ねる)であり、そのままの憂・喜び・動き・静かである。そのままの杖であり払子であり、そのままねん華破顔(仏が華
をつまみ上げ、迦葉がその意を解し顔をほころばせた)・・・ ?此処まで写したけど 私は此処でそのままでは面白く無い?
御釈迦さんが自分の鼻を捻って顔をクシャクシャにした、それを見た人は笑いたいけどお釈迦の威厳を恐れて笑わない?しかし
迦葉だけは鼻で笑った。これはそのままの嘘だけどこのほうがネタになる?そのままでは面白く無い捻りなさいと嘉門達男さんも
言う師、でも本当は実話そうなのだ?

11:素人A
13/06/24 07:20:03.58 AdK0bStH
本当に解るものが有るのだろうか?何一つはっきり解るものは無い、是はこうだとかあれはあれだとか決まったものは無い。
でも決まりだからルールでスポーツや国の法律の様に決まりを決めてそれを守る智慧も居るし感覚も居るし是は生物無生物
でも物理的な物は必要十分条件かも?でも皆で決めた法律は異論が出て必ずバラバラになるし?元は独だから(空)何でも妄想
で創り出すのが基本なのか?元の人のその能力は如何なっているのか?求めてもそれは土台無理?我々が考えても解らない?
悟ってもきつと解らない鴨?先ず独りから法は枝分かれした樹の様に本店から世界に支店いや視点といえか体?が広がって世
界が出来てくるのか、コンピューターも二進法の枝分かれのソフで世界が複雑な様相も見えるようになるし?人という字も上
が一つで下は二つに分かれている。きつと枝分かれ下世界ならば逆にたどれば阿弥陀の後光の一になる?底から元の光が出て
いるけど灯台元暗しと言うし元は暗い性格の阿弥陀さん。孤独で泣いているのだろうか。妄想された我々が明るくして元気に
なつてもらわなければ、阿弥陀さんあ軽い我々だけど良く解らん我々でも適当に頑張っているのだからと癒えば元空あかるく
成るのか?良く解らない出鱈目だけど?私は必ず元眼ると決まってこういう妄想になる。良く解らんけど主人公元気だせハイ
空と色々がお互い禿げ増しあうか、迷ってもよい皆励ましあって活きれば明るくなると妄想。なかなかそんなに上手く行かない
けどあーあ

12:たろ冠者
13/06/24 09:18:38.11 USjqUTwP
486:(〃▽〃)ポッたん  ◆Roba//56hk2013/06/20(木) 18:42:45 ID:
大川ちゃんて東大出のニューヨーク落ちこぼれ
思い描いてた出世コースのハシゴがもともと無かった事がショックで、グレちゃったんだよなー
そこで
出版教祖、高橋なんちゃらの教団に入る。
かれ高橋某はは無茶苦茶な数の本を次kら次へと出版する。

だいたいそうなんだけど、新興宗教教団の幹部に中で、教祖の経営手法を真似て、しかもやりくちを少し手直しして、ちょっと守り難い項目を加えたと差別化を計る。
大川ちゃんもそいうひとり。
信者はその教えのクレージーさが逆に世間に背を向けているが故の奇妙奇天烈さが、むしろ、教団内部の結束を強めていくと言う地獄落ちのスパイラルとなる。
気の効いた幹部は分派に分派を重ねていく。
うまいメシを喰い、いい女を抱く、
これが、天国だと古今東西、教祖達はうそぶく。。

13:たろ冠者
13/06/24 09:29:02.39 USjqUTwP
>>ポッ師匠

グレてカルト教祖になるというのは半分正しいね(笑)

正確な表現かどうか分からないけど。だが、まあカルト教祖なんて者はイカれてグレてないとなれない。

ところで大川カルト教祖はともかく、ポッ師匠はグレて騙り始めたとか?

そこらへんドウよ?

あと、カルト宗教が地獄のスパイラル云々いうのはあなたの見方なのかい?

少し『おっ』と思ったのだけど(笑)

14:たろ冠者
13/06/24 11:53:05.00 USjqUTwP
大王とか言うアホは、友達がいないのだな(笑)

まあ、気の毒だ。

大王なんてのは犬や猫にでも話しかける 暇人 にしか相手にしてもらえない。

しかもカカシは躁性防衛とは(爆)

キャバクラ行って本気の恋愛とか言ってるやつと変わらん(笑)10

あと消防か、こいつも《俺とポッタンが一緒》とか、壮絶なアタマをしている。

それは単に自分のアタマの中で、俺とポッタンが大変な粘着対象であり有名なダケだろう(笑)

ラジオ体操と禅の区別すらつかなそうな、知能、感性、直感の、貧困階級なんだろうケドね(笑)

15:たろ冠者
13/06/24 12:00:04.12 USjqUTwP
大王なんてのは犬や猫にでも話しかける 暇人 にしか相手にしてもらえない。

しかもカカシは躁性防衛とは(爆)

キャバクラ行って本気の恋愛とか言ってるやつと変わらん(笑)10

躁性防衛が社交や友情の擬態をとるなんてのは普通以上の人間の道理認識としては常識ね。

ひたすら友好的な体を取り続ける躁性防衛、薄っぺらい明るさで自己を防衛している。

それに引っ掛かるとは、、、キャバクラ並みの恋愛、転じて疑似友情だな(笑)

16:神も仏も名無しさん
13/06/24 12:21:24.09 8AsjUQ1D
ひたすら自分が一番だという
しかしその内容は無い
何かの経典の真似事かな

17:神も仏も名無しさん
13/06/24 12:27:58.06 8AsjUQ1D
>>15
何が楽しいんだい?
躁病?

18:神も仏も名無しさん
13/06/24 13:15:23.66 mwpjPxq8
>>15
いるいる、たまに見かける、こういう精神病患者。

急に思い出して、吐き出すように何やらブツブツ、つぶやく奴。

なんか最近は、多くなったよう。

コテハン、〔タロ患者〕の間違いじゃない。

19:ハッ・タロー妄想爆発ですなあw
13/06/24 17:02:07.84 8J4x7w6w
弱犬タローという語源は、
「弱い犬ほど、よく吼える」だw
ハッタリの為弱犬タローほえまくる、「アンアン」w
きゃわいいw
ハッ・タローは、はったり・タローの略w
みんな、使ってねw

20:ハッ・タロー妄想爆発ですなあw
13/06/24 17:06:08.01 8J4x7w6w
哀れなハッ・タローは自分のハッタリを自覚しながら、改心できないw
そういうハッ・タローが同じハッタリ猿芝居ぼったんを指導できると思い込んでいるから、
かわいいw
ま、弱犬タローの一番関心事は「俺が一番偉い、俺の縄張りだ!アンアン」


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