13/05/20 19:11:27.34 F+ftm9Jr
一般の人と信者の人では、ぱっと見た目で違うって分かるかってのは、もしかしたら
雰囲気でわかるかもね。本の受け売りで、信仰に染まった人の顔(表情)は2パターンに
分かれるって説があった。そのひとつは私は真理を悟ったんだ~というきつい感じの
人を信じない表情、もうひとつはなんでも信じる、疑問のないつるっとした感じの顔だそうな。
言い回しはうろ覚えだけどそういう風だった。ちなみに、たぶん私は後者だったのだろう。
おみたまをしていないで手かざしして、分かるかどうかやってみるつもりなのかな。
とっくに逃げ道は作ってあるよ。人はおみたまなしでも手かざしできる、
でもおみたまをした方が神様の御加護があって強力だなんて言うから。
またはおみたまをして手かざしをしていると体にみ光がたまるから、よく手かざし
している人はおみたまなしでも(しばらくは? 少しは?)手かざしできるっていう言い訳があるよ。
いつだったか後者の説を聞いて、大分手かざししたあとだったから、おみたまなしとの
比較が出来ない、先に早く言って欲しかったと悔しがったことがある。そんなことを
思ったのは心の底では信じきっていなかったからかもしれない。
手かざしや真光に限らず、宗教というのは疑問(つっこみ)に対する返答(言い訳)は
一通りできているものなんだそうだ。やり込めるのは難儀だね。
信じている当人が自分で考えて自分で理解して受け入れないとどうにもならない。
真光一家なのか。家族によってのめり込み度が違うかも知れないけど、苦労しそうだね。