12/12/06 00:33:44.88 jPty7jh2
どうも大乗の見勝手な論理を振りかざして、
“これが(正しい本物の)仏教”みたいに語る人もいますが注意が必要です。
本来は阿羅漢と如来に違いなし。大乗は高度で素晴らしいという思い込みと
南方仏教を低きものだと見なすレッテル貼りから、遂には根本仏教までも誤解を起します。
仏(如来)のことを阿羅漢といいます。
-----------------------------------------------------------------
『世尊は次のように語った。「大王よ、如来はこの世に(人間としての)生を受け、阿羅漢、
完全なさとりを得た者、知と行とを身にそなえた者、善逝、世間を知れる者、この上なき者、
人々を真理に導く者、神と人との師、仏陀、世尊なのです。」』(沙門果経39-40)
『このように阿羅漢は存在するというだけで世を救い人々を幸福ならしめる者であって、 仏は当然
に阿羅漢である。』(水野弘元著『仏教要語の基礎知識』新版第1刷/春秋社刊)
『仏教では、はじめはさとりをひらいた人---めざす宗教的理想を実現した人---を阿羅漢と呼ん
でいた。ところが後代になると、個人的なさとりに満足している小乗の修行の完成者のこととされ、
ブッダや、自分のさとりを放棄して他人の救済をめざす菩薩とは、区別されるようになった。』
(中村 元編『仏教語源散策』東京書籍)