13/01/08 19:44:43.59 lgO08hEb
戒名料の相場
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261:176
13/01/09 23:34:16.67 Kundem5y
複数のレスありがとうございます
247以降の流れなのですが、質問に回答して頂いたのはありがたかったのですが
すみませんが、自分が知りたかったのは阿含やニカーヤで、煩悩の数をどのように想定しているかが知りたかったんです
倶舎論以降の体系では98随眠と10纏をあわせて108として解釈します
そして、倶舎論の五位七十五法なのですが、これは心の働きの分類であって、
煩悩じゃなくて、煩悩によって惑わされた心の動きが大煩悩と不善と小煩悩に分類されているだけです
せっかくレスをくれたのにすみません
262:神も仏も名無しさん
13/01/09 23:45:10.51 Kundem5y
質問の仕方が不明瞭と指摘されたので、もう一度詳細に質問させてもらいます
ニカーヤと阿含において煩悩を108とするという記述はあるのでしょうか?
煩悩は日本では108だと言われており、その理由を調べたら、様々なとんでも説もあったのですが、
私が調べた限りどうやら経論に求める事ができそうだと判断して、経典や論書を当たりました
一番古い、一番最初に言われたのが何であるのか求めたのですが、
有部の論書の倶舎論の煩悩の章に98随眠と10纏をあわせて108とすると解釈していました、
そこに経典のソースは見つけられませんでした、
また有部の論書の阿毘曇心論や雑阿毘曇心論や大毘婆沙論や大毘婆沙論の異本にも108とする解釈が書かれていました
けれどもそれより古い六速論と呼ばれる古い論書には見当たりませんでした(探し方がわるかったのかもしれません)
大毘婆沙論は経典の解釈を色々と集めたものであると聞きます、
ですので大毘婆沙論に書かれるきっかけになった経典があると思うんです
そのような経典があるのかどうか知りたくて質問させていただきました
よろしくおねがいします
263:176
13/01/09 23:47:32.69 Kundem5y
大毘婆沙論は二世紀の成立だそうです
ですので、それより古い成立であるとされる論書でも助かります
探しているのは一番古くに108が煩悩の数っていわれるようになったきっかけです
264:神も仏も名無しさん
13/01/13 00:20:22.84 WNDFLudb
マイナーな宗派だとは思いますが山崎弁栄上人の光明主義について教えてください。
特に世界観や一般的な日本仏教・従来のインドの仏教との違いについてだとありがたいです。
265:神も仏も名無しさん
13/01/13 03:49:36.51 8MHM+xFy
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教では救われない、というのが
一般的な仏教的見解ですか?もし、そうだとすれば理由も教えて下さい。
266:神も仏も名無しさん
13/01/13 07:52:20.88 kb4KUSrE
>>265 「救われる」の意味がわかりせん。
仏教を知らなくても、たまたま四諦八正道に合致する生き方をしていれば、悩み苦しみは減るでしょう。
「救われる」が、阿弥陀仏の本願力で極楽浄土に往生させてもらうことなら、
阿弥陀仏に対して「南無阿弥陀仏」と救いをお願いするのが普通です。
往生を望んでいない者(他宗教の人)を極楽に強制連行はしないでさょう。
ただし、その人がよほど徳の高い人の場合は、
阿弥陀仏に救われなくても自力で浄土や天界に生まれ変わる可能性があります。
267:神も仏も名無しさん
13/01/13 09:33:47.87 VfOjtD2e
>>265
救われる、の意味によります。輪廻から脱出する、
という意味でなら、仏教徒以外が「救われる」ことは絶対にありません。
(セム系一神教は主宰神信仰の一バージョンということになるでしょうが、
これは「来世をもたらす」(輪廻から出られない)結果をつくる思想とされます。
仏教徒も涅槃に至らない限りは輪廻を脱出できません。
(無理な人にはせめて善行して天に生まれることが薦められます)
仏を侮辱したりとかを明確に行っていないのなら、
善行を心がけている以上、天界などの善趣(良い来世)が得られる可能性はあるでしょうが、
それもまた六道輪廻の一部に過ぎないので、やがて酷い来世に
ぶつかったり、そこからまたマシな来世に行ったり、というサイクルを
永遠に繰り返すことになります。
268:神も仏も名無しさん
13/01/13 13:45:36.33 8MHM+xFy
>>266>>267
どうも、ありがとうございます。
ところで、輪廻から脱出するよう努力する事と、
メシアを待望する事の間に矛盾はあるとお考えですか?
メシア登場と言っても、最後の審判とは関係無い、
世界を今より、かなり良くしてくれる存在くらいに
考えてるんです。でも、一応、神とはちゃんと契約している
存在としてですが。
269:神も仏も名無しさん
13/01/13 15:05:54.79 JkKy8ux5
>>268 ID:8MHM+xFy さんへ
> 輪廻から脱出するよう努力する事と、メシアを待望する事の間に矛盾はあるとお考えですか?
> メシア登場と言っても、最後の審判とは関係無い、世界を今より、かなり良くしてくれる存在くらいに考えてるんです。
> でも、一応、神とはちゃんと契約している存在としてですが。
268 ID:8MHM+xFy さんが
何処かの神と契約していて、そして
世界を今より、かなり良くしてくれるメシアと
輪廻から脱出するよう努力する事が
矛盾するのか?
と言う質問ですか?
_ _ _
『 ユダヤ、キリスト、何処かの神との契約 』 と言う概念を捨ててから
仏教の南伝、北伝、チベット伝とかを勉強した方が良いかもしれません
270:神も仏も名無しさん
13/01/13 15:33:01.72 JkKy8ux5
例えば
世界を今より、かなり良くしてくれるメシアと言う存在があって
そのメシアと言う存在に執着しようとする、心の働きがある
(これは自分自身に、そのような 「 心の働きがある 」 と言う意味です)
- これに対して -
八正道を修習して、我、我所を滅する因縁の故に、無我、無我所を得て智慧を決定する
まず自分自身の自我を滅する事から始めて
そして、最終的には輪廻から解脱する
と言う事になります
_ _ _
矛盾があるのか?と言う質問に対しては
「 何と答えて良いの、かわからない 」 と言う事になります
271:神も仏も名無しさん
13/01/13 16:09:50.93 JkKy8ux5
世界を今より、かなり良くしてくれるメシアと
↓
世界を今より、かなり良くしてくれるメシアを待望する事と
輪廻から脱出するよう努力する事の間に
矛盾はあるのか?
_ _ _
訂正して、お詫び申し上げます
礼拝帰依/ブッダン サラナン ガッチャーミ
屮(_ ._)屮 屮(_ ._)屮 屮(_ ._)屮
272:神も仏も名無しさん
13/01/13 23:07:37.07 kb4KUSrE
生への執着を超えないと輪廻から解脱できません。
メシアに世界を良くして欲しいというのは、この世界に生きていたいからでしょう?
一方、この世界を捨て去るのが輪廻からの解脱です。
この世界は、たとえメシアが現れたとしても苦しみの連続です。
神様でさえ、次から次へとやってくる苦しみに操られて生きているのです。