12/12/23 19:12:42.27 kkSGB+NC
>>196>>197
>人間生存は無我である五蘊の仮和合したものであるから仮りの存在であると説いた。
>日本仏教は神道との習合であるので盆供養をする。
191で質問しているのは、正にそこの確信についてでして、
>日本の仏教界では、この矛盾に対してどう説明しているのでしょうか?
ということです。
「我が五蘊の仮和合したものであるから仮りの存在である」とするならば、お寺などでお骨の入ったお墓を拝む。
しかもお釈迦様の教えに最も忠実であるはずのお坊さんがそれを積極的に行うと言うのは矛盾する話です。
またそれらが、中国や神道の風習であると言うならば、純粋なお釈迦様の仏教を考え葬式関係を除いた場合
在家の者を重んじるという大乗仏教という立場では、何が残るのでしょうか?
なんというか、上手く言えませんが、奥歯に何かがはさっがった感じがしてすっきりしません。繰り返しますと
>日本の仏教界では、この矛盾に対してどう説明しているのでしょうか?