12/12/22 21:19:40.52 6+YjT4RL
>>175
石飛先生によれば『中論』13-1は『スッタニパータ』757偈に相当します。以下、757の中村訳です。
「或ものを、ああだろう、こうだろう、と考えても、そのものは異なったものとなる。
何となれば、その(愚者の)その(考え)は虚妄なのである。過ぎ去るものは虚妄なるものであるから。」
虚妄というのは、決して「虚妄だから言語表現できない」という意味ではありません。
諸仏によって説かれる法は、同一性を常に保つような、不変なる実在であるわけではなく、
縁起によって生じた(作られた)ものであるため、それはしばしのものでしかない、という意味です。
中論13-2では、このことは「空を闡明するものである」とも言われています。
法は同一性を保たないことから虚妄と言われますが、仮説によって意思疎通ができる程度には同一性を保っているともいえます。
A君が老いゆくさまを見れば、A君はすでにA君ではないのですが、しかし、依然として、
人々の間で「A君はA君だ」と、共有することができる、ということです。
実在論者は、「A君は常に変わりゆくことなくA君である」というように、
A君の中に、A君をA君たらしめる基底のようなもの、アートマンを見てしまいます。
これは常見と呼ばれ、虚妄である法を、虚妄ではないと顛倒するものの見方です。