☆ 卍 仏教 質問箱 卍 ☆ パート32at PSY
☆ 卍 仏教 質問箱 卍 ☆ パート32 - 暇つぶし2ch148:神も仏も名無しさん
12/12/15 19:49:33.74 rFERRv9O
>>146
別に苫米地発言を介さずとも、
普通に“悟りの階位”を考えれば、自然と出てくる疑問と思うよ。
異常とまではいかなくとも、普通ではない、というのがデフォルト形でしょ。
上座部的に言えば、菩薩と言えば概して釈尊等ブッダの前生がイメージされるし、
未だ(法)眼開けていないからこそ「阿羅漢以前≒菩薩」なわけだし。
仮に、在家の“聡明な篤信者”としたとしても、「在家→比丘」という構図は基本存在しないし、
ましてや対阿羅漢ともなれば・・。

ただ、伝承として弟子達の個性や特色が伝えられている実状を考えれば、
(―また、個々の弟子たちは(学校が採択する教科書(テキスト)の如く)一律・同一の教えを
聞いているわけでは必ずしもないし―)、或る教えに通達・熟知した者、或いは多く聞いてきた者が、
それを、未だ聞いていない者に教示するということはありえなくもない。
また、阿羅漢という呼称(階位)が、“煩悩の断じ具合”から言われるものなれば、
それは、“教えに対する通暁”や全知・博識・とはまた別問題ともなろう。
(十大弟子の一々をイメージしてもいい。そのように『秀でた在家者』の存在及び出現を否定する理由はどこにもない。)
となれば、補填し合うが如き、教えの提示し合いも、ありえそうではある。

が、それでもやはり「特殊な」構図であることに変わりはない。
(これを特殊でないと言えるのは、“大乗の文脈”の上での話でしょ。)
その意味で、127は、自然な問いだよ。


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