12/12/03 15:35:21.92 8l7SSt7G
>>683
『小空経』も『勝義空性経』も変わりないと思うんだけどね。
まさに生滅の縁起と不生不滅の縁起みたいな、仮設から説くか勝義から説くかみたいな。
空は、中身空っぽ、欠くという意味では同じでしょう。
しかも『宝行王正論』4.86のように龍樹菩薩は記号の違いで同じだと見てるよ。
見解の違いは、空性ではなく、それ以降の話でしょう。
第七地以降の菩薩行、普賢行について。
アルハットの小乗は第六地で涅槃するが、一切智を目指す菩薩は普賢行を行う。
ここが違う。
親鸞上人風にいえば七地沈空の難に落ちないのが菩薩。だからこそ見解が高い。
そして密教は本質的この七地以降のものなので、空性と菩提心が前提となっている。
儀礼や形相はあくまでインド的な縁起・因縁に過ぎない。
ところで白隠展、行く?