12/12/03 13:47:19.79 x9yu9Z22
>>680
>人間生存は五蘊の仮和合したものであるから仮りの存在であると説いた(五蘊仮和合)
>縁起によって、五蘊仮和合によって、『何かが』現れている
>>677の中論24-18に明解にされている通りだと思いますよ。
各パーツ類で組みあがったモノ=機能的存在現象を特定の名称で仮に呼んでいるだけですよね。
まさに人間は縁起機能による五蘊仮和合であって、
そこに<自立性・単一性・恒常性>機能という『実体』はありません。
>縁起によって、五蘊仮和合によって、『何かが』現れている
そうです、「名称」という言語ゲームが仮設されて現れている←仮観です。
そのように感じられる→「如し」⇒中観中道です。
仮設的(肯定)です。直指肯定ではありません。
ゆえに、一切内で無我(我の実体は無い)です。
一切外では認識の及ばない妄想領域ですから「無記」です。
このあたり、苦心して無矛盾を矛盾の内に示そうとしたのですが、このあたりの微妙なニュアンスを掴んでもらえるかな。
もし掴めなかったら、アタシの力量不足です。ごめんなさい。