12/12/03 12:40:36.59 WBWjeMDI
>>674
そうじゃなくて、「suJJa,suJJatA/zUniya,zUniyatA」の“用い方”の話でしょ?
エッセンスとして同じかどうか(―それは解釈に於いてということと同義となろうが・・―)?
ということではなかったのでは?
それはたとえば、《「当処すなわち蓮華国」と「涅槃(の境地)」は同じ》という、“意味上の合致”でしょ。
“般若経典群が使用するような用法”では用いられていないとは言える筈だし。
南伝索引で引いても、大した数はでてこない。用例が少ないということでもあるし、
「空」と言う語が、必ずしも「縁起」と同義同趣旨で用いられているわけではない証左とも思えるけど・・。
或いは、単語非我文脈無我の如く、単語空文脈縁起とするにはストレートさに欠けるんじゃないか?って・・。
例の奴って、自註? 幻の本質? (後者にそういう箇所あったっけ・・?(^^;) )