12/12/03 12:40:36.59 WBWjeMDI
>>674
そうじゃなくて、「suJJa,suJJatA/zUniya,zUniyatA」の“用い方”の話でしょ?
エッセンスとして同じかどうか(―それは解釈に於いてということと同義となろうが・・―)?
ということではなかったのでは?
それはたとえば、《「当処すなわち蓮華国」と「涅槃(の境地)」は同じ》という、“意味上の合致”でしょ。
“般若経典群が使用するような用法”では用いられていないとは言える筈だし。
南伝索引で引いても、大した数はでてこない。用例が少ないということでもあるし、
「空」と言う語が、必ずしも「縁起」と同義同趣旨で用いられているわけではない証左とも思えるけど・・。
或いは、単語非我文脈無我の如く、単語空文脈縁起とするにはストレートさに欠けるんじゃないか?って・・。
例の奴って、自註? 幻の本質? (後者にそういう箇所あったっけ・・?(^^;) )
677:大滝秀治
12/12/03 12:46:43.35 x9yu9Z22
>>673
>衆生を引導するが故に、仮名の空を以って『肯定的な文章表現による説法もありえる』と考えます
>自性が無い 自性が無いが故に、空である
『およそ、縁起しているもの、それを、われわれは空であること(空性)と説く。
それは、相待の仮説(縁って想定されたもの)であり、それはすなわち、中道そのものである。』(中論24-18)
あなたの理由がよく分からないのですが、
中論觀四諦品第二十四では、『一切の法は、皆、空で、無生だ』とか、
『衆因縁に属するが故に、自性が無い 自性が無いが故に、空である』とか、
『無』という否定的言辞を使ってますが?
無矛盾、無意味、無分別、無価値、無実体の中道で、
直指肯定的言辞を使えば隔靴掻痒にせよ示唆したこと(中論24-10)になりませんが
龍樹は帰敬序にせよ、25-3にせよ、すべて否定的言辞に依ってますよ。
678:神も仏も名無しさん
12/12/03 12:56:44.42 8l7SSt7G
>>676
自註評釈ですよ
恐らく、そういう記号の形態だけでは分からないと思う。
なにせ、生滅の縁起と不生不滅の縁起は本質的に同じだから
679:マハーカッサパ教スコラ部派経典 1. 大滝秀治
12/12/03 13:07:57.53 x9yu9Z22
>>523 三百代言 宝珠
>大乗経典というのは、殆ど読む価値がないくらいに見なしていますからね。
だったら、マハーカッサパ教スコラ部派小経典から引用しようか。
宝珠に相応しいチンピラ護摩炊き向けだが、これでも、密教は「仏教」などと言えるのだろうか?
ちなみに、アタシはフリースタイルだからねw
<釈尊は秘密主義を排除した>
『しからば、アーナンダよ、比丘たちはわたしに何を待望していると言うのであるか。
わたしは、内もなく外もなく、ことごとく法を説いてきた。
アーナンダよ、如来の法には、あるものを弟子に隠すというがごとき、教師のにぎりしめる秘密はないのである。』
(大パリニッバーナ経 増谷文雄 仏教の根本聖典p270)
680:神も仏も名無しさん
12/12/03 13:14:59.87 VBk25wvd
>>677 大滝秀治 ID:x9yu9Z22 さん
> 中論觀四諦品第二十四では、『一切の法は、皆、空で、無生だ』とか
> 『衆因縁に属するが故に、自性が無い 自性が無いが故に、空である』とか
> 『無』という否定的言辞を使ってますが?
↑ 了解
URLリンク(ja.wikipedia.org)
我とは、バラモン教(のちヒンドゥー教)及び仏教上の概念。アートマン(梵我)
仏教ではその教義的立場から、我というものに関して、実我(じつが)、仮我(けが)、真我(しんが)という区別を説いている
このうち、「実我」(aatman)については、仏教はこれを否認して無我(anaatman)といい、非我(niraatman)という
この語が存在について、その本質とか自性とかを意味するようになり
後には万物の髄とか本体とかを示すようになり、ことに人間の生命現象の奥に潜んでいる本質存在と考えられるようになった
ウパニシャッド
このような「実我」は仏教以前のウパニシャッド哲学で力説され、一方に「ブラフマン」(梵、braahman)との相即がいわれた(梵我一如)
仏教では、ここで説かれるような実我を常一主宰と規定付けた
すなわち、我は、常住であり
他との何らの関係をもたないで単独で存在することができるものと考え、それは働きのうえで自由自在の力をもつとした
この我によって人間生存は根拠付けられ、支配されていると考えるのである
釈迦はこのような実我観念を批判し、「我として認められるものはない」として、諸法無我と説いた
これを色受想行識の五蘊について説き
_ _ _
人間生存は五蘊の仮和合したものであるから仮りの存在であると説いた(五蘊仮和合)
縁起によって、五蘊仮和合によって、『何かが』現れている
例えば ↑ これは衆生を引導するが故に、仮名の空を以って、『肯定的な文章表現』の様に見えます
681:神も仏も名無しさん
12/12/03 13:15:23.76 /qUC7hoO
母と父を殺し
二人の王と士族たちを殺し
王国と従臣を殺し
バラモンは苦なく行く(294)
母と父を殺し
二人の王と経聞者たちを殺し
五頭目の虎を殺して
バラモンは苦なく行く(295)
682:ノスタルジア
12/12/03 13:40:49.50 3ClzA38x
>>668 紹介ありがとうございます。失礼します。
683:神も仏も名無しさん
12/12/03 13:44:17.93 WBWjeMDI
>>678
そうかw
(テルマの件と同じくw)、そこはやっぱり平行線だな。
ワシは、そこまで「(重ね合わせの如き)統一性・(微塵の隙無き)一貫性」が必要だとは思わないから。
電車のレールの如き画一的一貫性である必要は・・。 多少のブレ幅はあってもいい。轍、獣道程度のシンクロで良いよ。
たかが記号、されど記号。
少なくとも、(註複註等を含めたとしても)聖典の“使用法”は、般若経群の比丘たちとは
(そしておそらく竜樹・月称とも)「明らかに」相違するし、今のところ、それを単に記号の相違として片付ける気にはならないんだな・・w。
*文脈で見ても、聖典(アーガマ)の「空」は、
「執着無きこと」「煩い・患いなきこと」「捉えるもの・志向するもの無きこと」等、原義に近接する。
「実体無きこと」「本質なきこと」というのは、意訳(解釈し直して初めて言えることでしょう。
だから、この辺も「パーリは見解が低い」という評価と、逆にシンクロするところと見る方がいいんじゃない?)
684:神も仏も名無しさん
12/12/03 13:47:04.46 WBWjeMDI
いや、「膨れて中身がない」というイメージならば、
後者の方が、より“語源”には近いのか・・w >「実体無きこと」「本質なきこと」
685:. 大滝秀治
12/12/03 13:47:19.79 x9yu9Z22
>>680
>人間生存は五蘊の仮和合したものであるから仮りの存在であると説いた(五蘊仮和合)
>縁起によって、五蘊仮和合によって、『何かが』現れている
>>677の中論24-18に明解にされている通りだと思いますよ。
各パーツ類で組みあがったモノ=機能的存在現象を特定の名称で仮に呼んでいるだけですよね。
まさに人間は縁起機能による五蘊仮和合であって、
そこに<自立性・単一性・恒常性>機能という『実体』はありません。
>縁起によって、五蘊仮和合によって、『何かが』現れている
そうです、「名称」という言語ゲームが仮設されて現れている←仮観です。
そのように感じられる→「如し」⇒中観中道です。
仮設的(肯定)です。直指肯定ではありません。
ゆえに、一切内で無我(我の実体は無い)です。
一切外では認識の及ばない妄想領域ですから「無記」です。
このあたり、苦心して無矛盾を矛盾の内に示そうとしたのですが、このあたりの微妙なニュアンスを掴んでもらえるかな。
もし掴めなかったら、アタシの力量不足です。ごめんなさい。
686:神も仏も名無しさん
12/12/03 13:50:15.28 WBWjeMDI
あ、683の用例比較は、断定的書き方したけど、確証取ってないからそのぶん脳内で割り引いといて・・(^^;)
そこまで通暁してないっす。
調子に乗りました・・w スンマセン・・・ m(_ _)m >>ALL
687:マハーカッサパ教スコラ部派経典2. 大滝秀治
12/12/03 14:03:38.95 x9yu9Z22
<釈尊は呪文・祈祷・占い・苦行を禁じた>
⇒Sn.245、360、927など
<釈尊は誦偈による賃受を禁じた>
・詩を唱えて(読経)[報酬として]得たものを、わたくしは食うてはならない。
バラモンよ、このことは正しく見る人々(目ざめた人々)のならわしではない。
詩を唱えて(読経)得たものを、目ざめた人々(諸のブッダ)は斥ける。
バラモンよ、定めが存するのであるから、これが(目ざめた人々の)生活法なのである。(Sn.81)
(スッタニパータ 中村元、岩波文庫)
日本の葬式仏教、祈祷仏教はどーするんだ?
688:マハーカッサパ教スコラ部派経典3. 大滝秀治
12/12/03 14:12:45.25 x9yu9Z22
< 釈尊は護摩を禁じた>
・サンユッタ・ニカーヤⅦ-1-7で密教スタイルはブッダから全面的に批判されてますが、
どーすんの?
『バラモンよ。木片を焼いたら浄らかさが得られると考えるな。それは単に外側に関することであるからである。
外的なことによって清浄が得られると考える人は、実はそれによって浄らかさを得ることができない、 と真理に熟達した人々は語る。』
・ダンマパダ
⇒107,108,392など。
以上を見れば、ブッダは根源的なバラモン教→密教批判者であることが判る。
689:ノスタルジア
12/12/03 14:31:08.99 3ClzA38x
20願の真門のお経は仏説阿弥陀経であり仏力を疑い往生することであり、
また、疑城胎宮とは本願を疑いせっかくその往生したのに500年間蓮華の
中に包まれているということでもあります。
18願で一切衆生を救うのであり、救うとは、極楽往生であり、往生即成仏であります。
よって私は浄土門の自力心(20願)と浄土門の他力本願(18願)に迷っている。
迷っているということはギザギザな線を引いたら分かると思うが、そんな感じです。
私はピーンと迷ってない状態ではないのです。
浄土門の自力心と浄土門の他力本願のうち阿弥陀様の他力本願はなぜ心までも
救ってくださるのか?阿弥陀様はなぜ私を極楽往生させてくださる(させられると
思っている。)のでしょうか?
自力心ではなぜ辺地にしか往生できないのか?そこはなぜ極楽の一部なのか?
極楽の一部なら、極楽とほかの仏国土との関係性はないのか?私は大ばか者ですが、
それは真実なのか?極楽浄土の場合、往生即成仏であるので、辺地の人々は全員
仏ではないのか?だから辺地に仏がいないというのはおかしいのではないでしょうか?
辺地と真実報土には断絶があるということでしょうか?
690:人種差別主義(レイシズム) 大滝秀治
12/12/03 14:35:42.50 x9yu9Z22
<神智学に於ける人種差別主義体質を問う>
内ゲバだらけの神智学ごときを相手にしたくもないが、
『第3根本人種』とかのレムリア人系ってなんですか?、
『第4根本人種』とかのアトランティス人系ってなんですか?で、
『第5根本人種』とかの、アーリア人系といわれる人種ってなんですか?
“生まれ”により 人間を民族・人種によって分類して、そこに階層をつけている根拠はなんですか?
何でヒンドゥやナチスのようにアーリア人が優越的なんですか?
ブラヴァッキーらがわざわざインドのカイロに拠点を置き、ヒンドゥやチベット密教スピリッチュアリズムと人種差別をパクリ導入したのを知ってますよね?
人種差別主義が神智学の根源的体質です。
21Cにおいて許されざる思想です。
691:ノスタルジア
12/12/03 14:45:15.04 3ClzA38x
辺地には矛盾があり胎内の胎児(善人のこと)のように矛盾がある。
人間の中に人間がいるということがどういうことか?
人間界に人間がいるということが空即是色
人間に人間界がいるというのが色即是空
人間の中にいる人間(胎児である、善人のこと)に人間界があるのか?
人間界に人間の中にいる人間(胎児である、善人のこと)があるのか?
ふつうに考えて一人の子を身ごもるのも二子でも三つ子でも数に制限はないと思う。
ただ胎内にいる胎児(善人のこと)がいるということは辺地では事実だから。
それが辺地の全員ですから。
私は決して辺地は善くないところではないと思います。
失礼しました。ありがとうございました。
692:人種差別主義(レイシズム) 大滝秀治
12/12/03 14:51:02.17 x9yu9Z22
>>638
神智学や密教やオウムなどの人種差別主義体質者は、
“生まれ”による差別(←Sn.136 142)を絶対前提とする「業報輪廻転生論」にすがりつく。
「カルマ(業)論」+「アートマン論」などは2,600年前のアーリアン至上主義のイデオローグである
ヤージュニャヴァルキアの人種差別政治的支配のための創作イデオロギーであって、でっち上げ概念でしかないことも知ってますよね?
また、閻魔大王による「業論」の根源的欠陥の指摘
<「輪廻からの解脱」は有我執動機前提であって、理論構造的に絶対的に解脱不可能に組み立てられている>については、
「業論」者からの反論は全くありません。
さらに、追検証可能なカタチで業による転生メカニズムを証明された事は一例もない。
>仏教の業報すらも理解できないような者(>>524)
いつかヒマが出来たら「カルマ(業)論」の解体的検証を提示します。
693:崩壊する仏教 大滝秀治
12/12/03 15:03:43.69 x9yu9Z22
>>638
>仏教は輪廻(転生)を前提にすべてを構築していますから、
>もしも、これが間違いなら仏教理論のすべては崩壊する。
崩壊するのは、成りすましまがいモノ仏教である、
(1)実質ジャイナ教の「マハーカッサパ教スコラ部派」、および
(2)実質ヒンドゥ教の「密教」である。
とにかく「カルマ(業)」は“生まれ”による人種差別支配イデオロギーである。
両者共に、“前世”とやらの行為と意志を記録したカルマ(業)というハードディスク上のデータベースが、
“とにかく存在する”という全く検証性のないSF妄想物語を「信仰」する連中だ。
仏法は崩壊するどころか、縁起(機能)=空=中道(直接現実:内容)というクールでシャープな一本やりだからこそ、
実存苦の根本的超克(四諦)という本懐を鋭くストレートに示すことが出来るのである。
存在はシンプルである。
以上
694:神も仏も名無しさん
12/12/03 15:35:21.92 8l7SSt7G
>>683
『小空経』も『勝義空性経』も変わりないと思うんだけどね。
まさに生滅の縁起と不生不滅の縁起みたいな、仮設から説くか勝義から説くかみたいな。
空は、中身空っぽ、欠くという意味では同じでしょう。
しかも『宝行王正論』4.86のように龍樹菩薩は記号の違いで同じだと見てるよ。
見解の違いは、空性ではなく、それ以降の話でしょう。
第七地以降の菩薩行、普賢行について。
アルハットの小乗は第六地で涅槃するが、一切智を目指す菩薩は普賢行を行う。
ここが違う。
親鸞上人風にいえば七地沈空の難に落ちないのが菩薩。だからこそ見解が高い。
そして密教は本質的この七地以降のものなので、空性と菩提心が前提となっている。
儀礼や形相はあくまでインド的な縁起・因縁に過ぎない。
ところで白隠展、行く?
695:神も仏も名無しさん
12/12/03 15:45:04.31 Zo7Zp1bX
>>693
>実存苦の根本的超克
その「実存苦」という言葉は、何とかなりませんか。「苦」は「楽」によって
相殺されるから、空である。
健常者には無関係な釈迦の鬱病の症状に、いつまでも執着しているのは
誤り。
696:神も仏も名無しさん
12/12/03 18:28:55.13 WBWjeMDI
>>694
>白隠展
たぶん行かない。
面白いし、上手いし非凡の才とも思うし、(民間浸透という面でも)傑出した業績と思うけど、
それ以上ではないかな。(例えば仏像も傑作は数多あるけど、お気に入りは数点でしょ、大概w)
寧ろ、結局行きそびれたがフェルメール展の方がそそられてたw
>変わらないと思うんだけど
いや、まあ、きっとそう言うだろうとは思ってったけどさw
なんつーのかな、非我から無我は、文脈を辿ってすんなりと延長線のラインが見えるわけだが、
(また、注視の仕方として「本質無きこと」を共通ワードにして「空」と結び付けてもいい。)
が、やっぱり「後付」なんだよね・・。 あとからの、「こういう風に読めますよ」という提示を超えてないと思うんだよね・・。
阿含に於いては、文脈上でも、【「本質無きこと」として「空」が言われているわけではない】わけで・・。
結果として、読み方として、【それは「本質無きこと」と言えるよね】という形じゃないかと思うわけだ。
テルマ論に立つ者からは、時間的先後に意味なんかないんだろうけどさ・・。
697:神も仏も名無しさん
12/12/03 19:28:18.83 XD5xt6km
仏教てのは観念論だから、思索→観念→行為の流れになるだろうか?
思索が何によるかというと、知識もあるだろうが、
それは経験に他ならない。
知識と経験が一致しないと思索には至れないことを示す。
即ち、経伝だけでは前には進めない。
ここで重要なのはどの知識、どの経験による思索が
採択されるべきかという点である。
経験というのは無常性の日常生活に他ならず、
知識という点が採択のポイントとなるだろう。
では、どの知識を経伝を採択すればよいのか?
釈迦の言はどれで、どれが釈迦の言でないのかの
選択はやはり重要なポイントであろうと思われる。
698:神も仏も名無しさん
12/12/03 20:03:27.06 8l7SSt7G
>>696
フェルメールはどうでもよかったんだけど、フランドル好きだから行ったら
すごく混んでたんで、東博にしました
そうは思わないな。導きだから、そうは仰らなかったことが多かったんだと思う
>>697
仏教は全く観念論じゃありませんよ。
実在論でもない。
x論という思想、見解、哲学への囚われを開放する道です。
699:神も仏も名無しさん
12/12/03 20:06:31.25 XD5xt6km
元々が釈迦の主観的観念であるというのは否めない
それがうつ病を指すかもしれない。
であるなら、うつ病の傾向が言説にあらわれるはずだ。
釈迦の主観的観念を全人類的に照らし合わせるのが仏教であるが、
問題なく現状肯定なら、わざわざ教える必要性はない。
問題が何かを探るのも重要かと思われる。
700:神も仏も名無しさん
12/12/03 20:09:14.39 XD5xt6km
>>698
それは観念の否定という観念だw
701:神も仏も名無しさん
12/12/03 20:13:40.53 XD5xt6km
>>698
問題があったとして、思想、見解、哲学の囚われが問題だろうか?
そんなものは意識しなければ済むのではないだろうか?
ほっておけない問題があるはずである。
それは死とも思えない。病気でもないだろう。
702:神も仏も名無しさん
12/12/03 20:15:58.28 8l7SSt7G
なんだ生命教か
君は一生分からないだろうな
703:神も仏も名無しさん
12/12/03 20:20:54.40 XD5xt6km
>>702
わかったふりして何も答えないなw
何の問題があると思うね?
生存=苦?
そんなものはマヤカシだ
それなら仏教の必要性はなにもない
704:神も仏も名無しさん
12/12/03 20:30:16.00 8l7SSt7G
>>703
君は聞く耳を持たないし
誰もが認める単純な間違いを認めないから、言うだけ無駄なんす
要するに幼児強弁なんすよ
泣きながら大声で叫んで手足バタバタして、こっちが何言っても同じことを繰り返すだけ
それに付き合うヤツは慈悲深いと思うよ~
705:神も仏も名無しさん
12/12/03 20:44:25.65 VBk25wvd
>>685 大滝秀治 ID:x9yu9Z22 さんへ
>> 人間生存は五蘊の仮和合したものであるから仮りの存在であると説いた(五蘊仮和合)
>> 縁起によって、五蘊仮和合によって、『何かが』現れている
> そうです、「名称」という言語ゲームが仮設されて現れている←仮観です
> そのように感じられる→「如し」⇒中観中道です
> 仮設的(肯定)です。直指肯定ではありません
> このあたり、苦心して無矛盾を矛盾の内に示そうとしたのですが、このあたりの微妙なニュアンスを掴んでもらえるかな
大滝秀治さんの文章表現は難しいので理解できない所が多々あるけど、とりあえず了解いたしました
これからは、世俗側の立場に立って、わかりやすい文章表現で、お願いします
706:神も仏も名無しさん
12/12/03 20:48:25.56 XD5xt6km
>>704
それが自己満足論であるなら、やはり仏教は必要ない。
釈迦にとっての問題が何であるかを知らなければ、
方向性は何もでてこない。
問題が精神病なら、やはり大きなお世話論である。
犯罪一般か、戦争か人種差別が大きな問題ではないかと一応は考えられる。
これら全てかも知れないが、であるならここからの解放が解脱と捉えられる。
これらの具体的解決策の方向性で経伝は読むべきであり、
「俺は解脱して悟っちゃったから他の人より偉いんだぞー」
的方向性で決して読むべきではないと思われる。
に対して>>704の見解は虚無と捉えざるを得ないw
707:神も仏も名無しさん
12/12/03 20:53:24.93 ig8NOvGz
>>704
反論に窮すると、感情的な人格批判しかできない。
どこのカルトも同じだなw。
708:神も仏も名無しさん
12/12/03 21:01:42.86 YM4OLqjV
ナーガルジュナの空はバッタモンだよ。
709:神も仏も名無しさん
12/12/03 21:03:59.93 YM4OLqjV
非想非非想の意味がわかってしまった。
710:神も仏も名無しさん
12/12/03 21:05:05.13 VBk25wvd
大滝秀治さんへ
>>687 > 釈尊は呪文・祈祷・占い・苦行を禁じた
>>688 > 釈尊は護摩を禁じた
【ブッダのことば】スッタニパータ<中村 元訳>
URLリンク(homepage3.nifty.com)
スッタニパータ 426
スッタニパータ 428
(悪魔)ナムチは言った
「ヴェーダ学生としての清らかな行いをなし
聖火に供物をささげてこそ多くの功徳を積むことができる」
スッタニパータ 430
スッタニパータ 431
わたくしにはその(世間の)善業を求める必要は微塵もない
スッタニパータ 927
わが徒は
アタルヴァ・ヴェーダの呪法を行なってはならない
スッタニパータ 568
火への供養は祭祀のうちで最上のものである
サーヴィトリー〔賛歌〕はヴェーダの詩句のうちで最上のものである
_ _ _
↑ 火への供養などについては肯定的な所もあるらしい
711:神も仏も名無しさん
12/12/03 21:05:43.27 ig8NOvGz
宗教とは、やはり、「開祖の精神病の感染」による「感応精神病」という
精神医学的現象であると結論せざるを得ない。別に「ありがたいもの」でも
何でもないのである。古代には「精神医学」がなかっただけ。今後は、徹底的
に精神医学のメスを入れ、「治療」の方向に向うべきであろう。
712:神も仏も名無しさん
12/12/03 21:14:45.78 ig8NOvGz
>>710
スッタニパータは、釈迦の精神の病である「精神性の狂気」「我のみ良し
の思い上がった独善性」「人間差別」を暴露した強烈なカルト書。
聖書に次ぐ、「読んではならない、読ませてはならない悪書No.1」である。
「ダニヤの章」だけからでも明らか。
713:神も仏も名無しさん
12/12/03 21:17:27.70 VBk25wvd
>>709 ID:YM4OLqjV さんへ
> 非想非非想の意味がわかってしまった
『想うことはない、そして想わないこともない』と言う意味で良いんですか?
714:神も仏も名無しさん
12/12/03 21:18:24.46 XD5xt6km
>>711
ありがたいものではないのは確かだがw
まぁそういった意味合いで読むのが正しいと思われる。
あの世がどーとか、来世がどーとかは問題か?といいたくなる。
悟るため、解脱することだけが目標の仏道修行、
「アホなの?」と言いたくなる。
715:神も仏も名無しさん
12/12/03 21:19:17.37 YM4OLqjV
ヒントだけ教えてやるよ
小空経の識はthe識 想はthe想
716:神も仏も名無しさん
12/12/03 21:22:25.56 WBWjeMDI
>>706
長老偈・長老尼偈くらい読んどけよw
薄っぺらい仏教観だな・・。
717:神も仏も名無しさん
12/12/03 21:25:44.28 WBWjeMDI
>>712
ワシが詳説するまで、ダニヤの章なんか見向きもせんかったくせに
鬼の首を取ったかのように、自分の手柄かのように自慢げだもんなw
んと、自分こそが、自分で調べて自分で考えろよw 他人のふんどしでばかり相撲とりやがって・・・(^^;
718:神も仏も名無しさん
12/12/03 21:27:11.31 VBk25wvd
>>712 ID:ig8NOvGz さんへ
ひょっとして隠居先生かしら?
これからも引き続き(生命教の)
隠居先生の事を応援させてもらうので
『宗教批判』頑張って下さい
719:神も仏も名無しさん
12/12/03 21:29:00.58 YM4OLqjV
>>713
彼の想を修めよ、そして彼の想を修めようとするこの想を修めよ
つまり彼の想を修めようとするとあらたな想が生じるからそれも修めよ
これは修行をしないようなかたちで修行するという般若経にでてくる文と一致する
では彼の想とは彼の識を修めよとするときに生じる想のことである。
では彼の識とは すなわち般若のことである。
720:神も仏も名無しさん
12/12/03 21:30:09.43 XD5xt6km
>>712
「ダニヤの章」のテーマは執着だ。戦争や争いが問題と見られる。
争いが愛着から生まれるという観点で読むべきである。
であるならば、極めて大きな例え話だとは思うw
愛着とは即ち、長老偈・長老尼偈がどーとか言うものであり、
そんなものは知らんがなと答えざるを得ない。
まぁ、神秘主義哲学やりたいヤツは勝手にやっとけw
721:神も仏も名無しさん
12/12/03 21:33:07.60 8l7SSt7G
XD5xt6km は生命教じゃないのか
よく似た奴もいるな、どっちみち話にならないようだが
722:神も仏も名無しさん
12/12/03 21:33:48.81 Xk7JEt9s
>>717
おれがおれが おれが先だから
723:神も仏も名無しさん
12/12/03 21:39:58.23 XD5xt6km
隠居の説は宗教さえなければ戦争は起きないの説だろうか
宗教とは強い執着性を現わすものであり、
決して間違ってはいないということを「ダニヤの章」は説いている。
724:神も仏も名無しさん
12/12/03 21:46:13.92 VBk25wvd
>>719 ID:YM4OLqjV さんへ
> これは修行をしないようなかたちで修行するという般若経にでてくる文と一致する
↑ 知りませんでした、これからも、ご教示願います
725:神も仏も名無しさん
12/12/03 22:11:06.84 XD5xt6km
とするならば、大滝秀治さんや、業報輪廻転生論を批判する人達も
動機観念的には満足するものに値する。
かえって、竜樹の動機がどうであったかが怪しくもあり、
当然、それに賛同する人達も動機観念的に???であると言える。
726:神も仏も名無しさん
12/12/03 22:21:53.09 WBWjeMDI
>>720
w
足りんよ。 あそこで重要なのは執著だけじゃない。
(つーか、執著と往々にしてセットとも言えるもう一つの要素さ)
727:神も仏も名無しさん
12/12/03 22:25:03.95 XD5xt6km
>>726
何故隠そうとするかの動機観念の方が疑問だわw
728:神も仏も名無しさん
12/12/03 22:35:01.06 XD5xt6km
>>726
つか、たぶんそれを言うとキリがなくなるから言うなw
729:神も仏も名無しさん
12/12/03 23:11:47.92 60KtvgUg
レス読むの面倒だから今の議論の流れを誰か要約して教えて
730:神も仏も名無しさん
12/12/03 23:27:14.65 WBWjeMDI
>>729
そういう時の台詞は「今北産業」だろw
731:神も仏も名無しさん
12/12/03 23:47:08.36 ig8NOvGz
>>708
>ナーガルジュナの空はバッタモンだよ。
精神医学的には、釈迦とは異なり、竜樹は完全な健常者。その知能は、釈迦とは
桁違いに高い。彼の強烈な知性が、釈迦の狂気を克服したのである。
「『AによってBが生じる、Aが滅すればBが滅する』と考えるならば、それは
縁起ではない。中論第一章で否定されたとおりである。」 (吉永千鶴子「チベット
の中観思想」、シリーズ大乗仏教6「空と中観」より)
732:神も仏も名無しさん
12/12/04 00:05:34.96 WBWjeMDI
>>731
馬鹿じゃね?www
それは、
「リレー競技に複数のメンバーで出場したらリレー競技ではない」
という台詞と同じくらい頓珍漢なんだぜ?
733:神も仏も名無しさん
12/12/04 00:09:38.58 6GLO5iyc
>>730
ほんとだ、ググったけど今知ったわw
相変わらず2ch語録はおもしろいな
>>731
そりゃ実有と仮有がごっちゃになってるな
実有を認めると、生じたり滅したりしないんだよ、有るって言うとずっと有ることになるし、
無いっていうとずっと無いことになる、不変の無常ならざる世界観だからね
因果も解けない。「種」という実有が、「芽」という実有を生み出すことは出来ない。
で、実在ではなく、存在が虚妄でしばしのものであることをよく観察すれば、
因縁によって生じたり滅したりするのが観察できる。これが縁起。
734:神も仏も名無しさん
12/12/04 01:11:31.65 xhgTl84g
>>733
>で、実在ではなく、存在が虚妄でしばしのものであることをよく観察すれば、
>因縁によって生じたり滅したりするのが観察できる。これが縁起。
観察できれば、それは「虚妄」とは言えない。矛盾。
中論は、そんなことを言っているのではない。「因・果」「生・滅」の概念を
否定したのが、中論の「相互依存性・関係性」という「抽象性」。
2諦論は、仏教哲学において世俗諦一本に止揚されるべき今後の問題。中論がそ
の方向示しているし、ジュニヤーナガルバの努力も、それを示唆している。
735:神も仏も名無しさん
12/12/04 01:45:09.05 6GLO5iyc
>>734
氷というものについて、
どれだけ溶けたら、それは非氷(氷ならざるもの)になるのか
どれだけ凍ったら、それは氷になるのか
これに答えはないだろう?
氷は、あるときには非氷になり、非氷はあるときには氷となる
非氷が氷になるとき、人はそれを「生ずる」と言い、「氷が有る」と言う
氷が非氷となるとき、人はそれを「滅する」と言い、「氷が無い」と言う
しかし、氷と非氷の明確な境界は無いのだから、
その生・滅ということさえも、かりそめの言い方でしかない
真実のありさまとしてみれば、それは「氷ではなく、非氷でもない」と知り、
本来として不生不滅、非有非無であると知る。
それでも、諸仏は、「氷」といった様々な言葉を使うのだが、
それは凡夫が「氷は確かにここに有るんだ!」と思っているためであり、
「本来、非氷」を仮に「氷」と名づけて説く。これを世諦という。
この世諦によって、「非氷」、最終的には、「非有非無」、「不生不滅」の勝義諦へと導く。
736:神も仏も名無しさん
12/12/04 01:48:35.45 h5p8ir97
生滅、因果の否定を実行できるのは悟りを開いた者、修行を持続する者だけ
凡夫は生滅、因果に左右されて悩み苦しむ
737:神も仏も名無しさん
12/12/04 01:51:44.35 6GLO5iyc
>>734
>2諦論は、仏教哲学において世俗諦一本に止揚されるべき今後の問題
これは面白い見解だね。俺も似たようなこと考えたことあるよ。
結局、不生不滅とか非有非無ってのは「言葉」でしかなく、
「言葉」で「真理」を直接に指すことはできないから、
勝義諦も"思弁哲学的に"突き詰めれば世諦になるよね。
これを吉蔵は「迷教の於諦」と呼んだ。勝義諦が世諦になってしまうタイプ。
思弁哲学者じゃなくて、仏教徒だったら、勝義諦も方便だとして理解し、
「勝義諦ならざるもの」へ至るように努力する。
738:神も仏も名無しさん
12/12/04 02:29:12.90 xhgTl84g
>>737
そもそも「言語習慣」自体が、100%世俗の産物。
「言語習慣」ではなく、「世俗的なこと」と訳した田川訳の思考の深さに感銘。
「言語習慣」という言葉を使っている仏教学者もまだいるようだが、「説示」は
「言語習慣」に拠らなければできないのだから、この訳語は、梵英辞典の意味
を掴みきれなかった誤訳である。
739:宝珠愚者@(規制代行)
12/12/04 04:26:24.83 y2s9m4au
>>656
>「何にも無いない」ということではないよ?(語源を騒いでいた人がいたけど。)
??私は、「空」というのは「無」とは違うといってるのですが・・・
>>660
まったく、そんな意味ではないから。
ホント..分らないんだなぁ・・・(悲しいくらいに)
>>657
解脱した完成者というのは、7チャクラすべてが完全に覚醒しています。
しかし、7チャクラの覚醒で完成者ということではありません。
また、完成者というのは個々の弟子達のチャクラの発達具合を直接、
霊視して弟子の成長度(達成)を判断されています。
弟子による造られる見た目だけや言葉での誤魔化しなどは不可能なのです。
740:宝珠愚者@(規制代行)
12/12/04 04:26:52.90 y2s9m4au
>>665
>あなたの文言ですよ、これはどーなりましたか? 人に要求しても、自分には無視ですか、そーですかw
大王が、
「密教とは殺人を肯定するものだ」というから、ではその論拠を提示しなさいな、といったのです。
私はそのあなたからの投稿を見て、誤解だらけだなぁ・・と返答したまで。
741:宝珠愚者@(規制代行)
12/12/04 04:27:21.30 y2s9m4au
>>664
>涅槃とは、一切内における「心と心の作用」(サンユッタニカーヤ 33-1-3)の境地だ。
>当然、間接現実「一切内」の縁起の機能である。
完全な勘違い。
ていうよりは・・・何も分ってない。
『諸行とは生滅変化する一切の現象法を指し、有為と同義である。すべての現象は一瞬の停止
もなく、無常にして生滅変化するというのが諸行無常である。(p158)
この諸法は諸行と同じく、現象としての一切法ということになる。(p160)
一切行苦とは、一切皆苦、諸行皆苦ともいう。五蘊・十二処・十八界などの一切の現象法が苦
であるということである。原始経典の現象法は無常であるから苦であるとされているのはそれで
ある。(p167)』(水野弘元著『仏教要語の基礎知識』新版第1刷/春秋社刊)
742:宝珠愚者@(規制代行)
12/12/04 04:27:57.90 y2s9m4au
『比丘たちよ、しかしながら、まさに、「生ぜられたもの」でなく「有らせられたもの」でなく「作り為
されたもの」でなく「形成されたもの(有為)」でないもの(涅槃の境地)が存在するがゆえに、それ
ゆえに、「生ぜられたもの」「有らせられたもの」「作り為されたもの」「形成されたもの(有為)」から
の出離が、覚知されるのである。』(『ウダーナ』8:3)
URLリンク(www.j-theravada.net)
仏教でいう一切とは何か?それは現象界のことであり、「有為」と同義です。一切法とはその
性質についての仏教的理解のこと。ウダーナに示した涅槃とは、有為ではないもの。つまり、
一切外にあるのが涅槃。涅槃は一切内には在らず。従って、これは縁起しない。
だから、「縁起しないのが涅槃である」と、ウダーナ8:1を示したばかりでしょう!
それでもまだ分らなかったら、まず自分自身で水野『要語』を買って(持ってます?)、直接自分
の手でページ捲って読みなさいな。更に、モニターの壁紙にして貼りつけるとか、プリンター印刷
してこの部分を毎日、読誦しなさい。もう、後は知らない・・・。
まっ、大王と話してもしょうがない・・・。
743:神も仏も名無しさん
12/12/04 06:19:58.23 i8Rh9DH5
>>731
>「『AによってBが生じる、Aが滅すればBが滅する』と考えるならば、それは
>縁起ではない。中論第一章で否定されたとおりである。」 (吉永千鶴子「チベット
>の中観思想」、シリーズ大乗仏教6「空と中観」より)
楽しみだ、どんなこと書いてんだか
744:神も仏も名無しさん
12/12/04 06:23:32.90 i8Rh9DH5
>>737
そこは言葉の勝義と、本当の勝義で区別されてるよ
本当の勝義は戯論寂滅の境地そのもの。
言葉の勝義は「戯論寂滅の境地そのもの」などと指示する記号。
前者が月で、後者が月を指す指みたいな
745:神も仏も名無しさん
12/12/04 07:32:19.30 WwXMMsRi
釈迦がどうやって生業を立てていたかを考えてみるとわかりやすい。
実相でみると、人から食べ物をめぐんでもらう立場であり、
乞食には違いない。
しかし、当人の立場で考えると教育者として飯を食ってる観念が
存在していると思われる。
これは現在の教育者としても在り方を観念的に問うものであるとも
思われる。
746:神も仏も名無しさん
12/12/04 10:13:06.08 K6nF6rn/
質問箱の新スレを誰かお願いします~
747:?
12/12/04 10:32:58.86 wNK8KODX
> 質問箱の新スレを誰かお願いします~
どうぞ ↓ こちらへ
☆ 卍 仏教 質問箱 卍 ☆ パート32
スレリンク(psy板)l50
748:神も仏も名無しさん
12/12/04 10:40:37.57 IMarPJn8
釈迦仏教の最大の問題は、「世俗諦・勝義諦」という「無意味な2項対立」と、
「実存苦」という「常住概念」。いずれも、止揚・克服されるべき課題。
749:神も仏も名無しさん
12/12/04 11:08:40.65 wNK8KODX
>>742 宝珠さんへ
>>661 ID:Npi7vwe9 さんから質問が来てますよ
750:1/? 縁起撥無な心霊主義思想 大滝秀治
12/12/04 14:02:56.50 vf7n+jUa
>>740>>741
ウダーナ8-3の素直な訳
『生じないもの、生成しないもの、つくられないもの、形成されないものがある。
もしも生じないもの、生成しないもの、作られないもの、形成されないものがないならば、
生じたもの、生成したもの、つくられたもの、形成されたものが、脱し、離れることはないであろう。
生じないもの、生成しないもの、作られないもの、形成されないものがあるからこそ、
生じたもの、生成したもの、作られたもの、形成されたものが、脱し、離れることがあるのである。』
ウダーナ8-3には(有為)とか(涅槃の境地)なんて文言は入ってませんが、何か?
姑息なインチキやるなってw
751:2/? 縁起撥無な心霊主義思想 大滝秀治
12/12/04 14:09:24.81 vf7n+jUa
>>740>>741
縁起の直接現実(中道)→ニルヴァーナ(境地:ウダーナ8-1)の示唆には、
否定的言辞によるしかなく(中村元「龍樹」p157参照:中論25-3、25-15。ウダーナ8-3“生じないもの”など)、
肯定的言辞で語りうるのは二項相対の間接現実(ウダーナ8-3“生じたもの”)だからである。
いずれも「縁起の現実(直接&間接)」であることはいうまでもない。
超越的心霊主義的意味など全くない。
あい変らず妄想心霊主義的発想丸出しだ。神智学的浅薄ロマンティシズムそのものだなw
問題はそーゆー心霊主義では仏法=縁起の直接現実はまったく掴めないことにある。
752:3/? 縁起撥無な心霊主義思想 大滝秀治
12/12/04 14:22:55.69 vf7n+jUa
>>740>>741
ウダーナ1-1~3を読めば、ブッダの悟りとは「縁起の直接現実」(『縁起の法』 “あるがままのあり方” 正田訳:〇〇〇〇〇:言語論理不立)であることが判る。
ブッダの悟り(1-1~3)を重視するなら、同8-1や8-3を縁起撥無の“超越”心霊主義で読むのは誤り(体系的齟齬・矛盾)だということが、誰でも判る。
わからないのは宝珠のような曲解妄想心霊主義者だけ。
仏教議論スレッド48 >>128>>163>>164>>169あたりを嫁。
ウダーナ8-3は、縁起の直接現実(無分別智直覚)と間接現実(分別知)の関係 ⇒<分別知からの「出離」:戯論寂滅>を提示したものであって、即ち中道である。
<中論25-15(間接現実・分別知四句第4→寂滅(出離)⇒ 中論25-16(直接現実・〇〇〇〇〇←あるがまま:言語論理不立)>
753:4/? 縁起撥無な心霊主義思想 大滝秀治
12/12/04 14:29:37.12 vf7n+jUa
>>741
水野のは自己咀嚼済み。いまさらそんなレベルでもないだろうw
間接現実の「一切内」の「時間」についてのあくまでも“水野的説明”でしかなく、それ以上のものではない。.
で、「無為」概念は縁起撥無概念であって仏法ではなく、これも論破却下済み。
でウダーナ8-1も「一切内」の「心と心の作用」(サンユッタニカーヤ 33-1-3)として縁起=空している境地だ(般若心経『度一切苦厄』参照)
縁起の直接現実の様相を無分別智(般若波羅蜜)直覚(縁起の現観)することで、間接現実の一切内・娑婆で慶安(無分別の分別)に暮らすことによって、ブッダの本懐が円満成就されるのだ。
ブッダの本懐はあくまで、娑婆でいかに慶安に暮らせるかであって、それ以上でも以下でもない。
仏法はシンプルだ。
ここに、一切の外道神秘主義や霊魂・心霊主義が介入する余地はない。
人種差別主義の潜入余地はない。
以上
754:記憶喪失した男 忍法帖【Lv=31,xxxPT】(1+0:3)
12/12/04 14:45:30.53 YvRn0FV4 BE:821224962-2BP(333)
とりあえず、仏教で知りたいことを羅列してみよう。
・阿弥陀如来の初出仏典。
・阿弥陀如来のいう救いとは、衆生を涅槃に送ることであり、俗人の求める救いとはちがうのではないか?
・縁起について書いてあるできるだけ古い仏典。
・閻魔大王が死者の裁判官だとされた初出仏典。
まだまだたくさんあります。ネットで無料で読めるようにしてください。
正信偈とか、阿弥陀経とか、法華経の題目とか、そういう基本的仏典は、
ネットで無料で全文を掲載してほしいです。
そういうのをまとめた本も一冊ほしいです。あれば教えてください。
755:記憶喪失した男 忍法帖【Lv=31,xxxPT】(1+0:3)
12/12/04 15:04:16.20 YvRn0FV4 BE:2463674494-2BP(333)
わかりました。
阿弥陀如来の初出仏典は、無量寿経ですね。
岩波文庫を買うことにしました。
わたしは、阿弥陀如来の説いていることと、原始仏典で釈迦如来の説いていることのちがいが、
仏教を理解するために必須だと思っています。
この比較をぜひしてほしいものです。
756:記憶喪失した男 忍法帖【Lv=31,xxxPT】(2+0:3)
12/12/04 15:07:33.46 YvRn0FV4 BE:547483542-2BP(333)
阿弥陀経は読んだことがあります。
阿弥陀経で解かれている極楽浄土は、
金銀財宝で作られた楽園であり、涅槃とは異なります。
このことについて、誰か教えてください。
757:神も仏も名無しさん
12/12/04 15:16:39.24 7cFa0ule
>>756
この世では修行しづらいから、一旦浄土に行ってそこで修行するんやで
悪人は浄土に行けても、修行の前に超絶に長い間蓮の蕾に閉じ込められてるんやで
758:記憶喪失した男 忍法帖【Lv=31,xxxPT】(1+0:3)
12/12/04 15:26:00.09 YvRn0FV4 BE:547483542-2BP(333)
>>757
なるほど。
浄土とは、涅槃ではないわけですね。
浄土とは、無量寿経の世界観では、どこにある場所なんですか?
涅槃との比較の言及はないんですか?
759:神も仏も名無しさん
12/12/04 15:37:26.34 irpzLZ2T
>>758
さすが記憶喪失
760:記憶喪失した男 忍法帖【Lv=31,xxxPT】(2+0:3)
12/12/04 15:47:16.58 YvRn0FV4 BE:2189932984-2BP(333)
996 名前:記憶喪失した男 忍法帖【Lv=31,xxxPT】(1+0:3) :2012/12/04(火) 15:40:28.34 ID:YvRn0FV4 2BP(333)
来年あたりに、新旧聖書を読んでみることにしたよ。
仏教の無量寿経(阿弥陀如来のお経)と比較しようと思う。
仏教は、阿弥陀経では、極楽浄土へ生まれ変わるといっているけど、
それは釈迦如来の涅槃に至る教えとは異なる。
この辺りに、日本仏教の謎を解く鍵があるのではないだろうかと思って。
761:神も仏も名無しさん
12/12/04 16:17:58.40 dRMUxHpB
>>756
おれも釈迦は涅槃のみを想定して人はなくなったらみんな涅槃に入り仏になるものと思っていたが
ダンマパダなんかには、死んだらどうなるかが記述されている。
現世のあり方によって極楽か涅槃か地獄のどれかに行くと言っているから
矛盾はしていない。
762:記憶喪失した男 忍法帖【Lv=31,xxxPT】(2+0:3)
12/12/04 16:22:39.40 YvRn0FV4 BE:1368708454-2BP(333)
>>761
極楽を目指す阿弥陀経の教えが、日本の仏教の主流であり、
大乗仏教における救いや慈悲とは、涅槃ではなく極楽へ行くことを想定していたのではないでしょうか?
763:神も仏も名無しさん
12/12/04 16:24:44.86 7cFa0ule
>>762
>極楽を目指す阿弥陀経の教えが、日本の仏教の主流であり
時宗、浄土宗、浄土真宗などの浄土系
764:記憶喪失した男 忍法帖【Lv=31,xxxPT】(3+0:3)
12/12/04 16:29:56.53 YvRn0FV4 BE:4311430979-2BP(333)
>>763
臨済宗、曹洞宗、日蓮宗ではどうなの?
765:神も仏も名無しさん
12/12/04 16:31:52.91 DO5SqJnv
また変なのが湧いたな。
766:神も仏も名無しさん
12/12/04 16:35:56.99 i8Rh9DH5
大滝秀治が呼び水かと
767:記憶喪失した男 忍法帖【Lv=31,xxxPT】(2+0:3)
12/12/04 16:42:57.27 YvRn0FV4 BE:2053062465-2BP(333)
しょうがないんで、法華経を自分で買って読むことにしたよ。
高い。
上中下巻で、3000円もするのな。予算ぎりぎりだよ。
ガソリン代が足りなくなりそう。
768:神も仏も名無しさん
12/12/04 16:45:17.72 dRMUxHpB
確か多くの人々を涅槃に導いたものが極楽に行ける だったような。
いまさがしてみたがみすからなかった。
地獄へは現世の業をとりきれないと行く だった。
769:神も仏も名無しさん
12/12/04 16:46:44.31 DO5SqJnv
>>767
図書館においてある。
770:記憶喪失した男 忍法帖【Lv=31,xxxPT】(2+0:3)
12/12/04 16:49:42.58 YvRn0FV4 BE:3079593195-2BP(333)
>>769
おれは引きこもりだ。
図書館とかで法華経を司書さんに頼むのがすごく恥ずかしい。
からダメ。
家でじっくり読む。
771:神も仏も名無しさん
12/12/04 16:52:09.83 DO5SqJnv
>>770
無駄金乙。
772:神も仏も名無しさん
12/12/04 16:59:21.02 dRMUxHpB
妙法=行 らしいから修行しても涅槃にどおしてもいけない人を対象に
まぁ気楽にいきましょう ていう教えなのかなぁ。
773:記憶喪失した男 忍法帖【Lv=31,xxxPT】(1+0:3)
12/12/04 17:24:30.49 YvRn0FV4 BE:2463674494-2BP(333)
阿弥陀如来の願が、修業しても悟りを開けなかった人を涅槃に送るようにする、
というのがあるのは、歎異抄で読んだよ。
「無量寿経」も買うつもりだから。
774:神も仏も名無しさん
12/12/04 18:29:23.30 tTwB3ITO
>>747
テキトーな仕事してんじゃねーよ(怒
1のテンプレコピペする程度もできねーのかよ。
だったら、出しゃばったことすんじゃねぇ!
せめて前スレくらい貼ってあるかと思ったら、testかよ。
ふざけたことしてんじゃねーぞ、ボケナスが・・・。
自分にできそうになかったら誰かに頼めよ・・・ orz
そういう知恵すら回らないのか?
775:神も仏も名無しさん
12/12/04 19:38:17.60 wNVQQnQy
>>774
禿同
>>747
スレ立てをお願いした者だけど…
なにやってんすか…
776:神も仏も名無しさん
12/12/04 20:11:14.72 i8Rh9DH5
>>774-775
?は?なりに善意でやってるので、大目に見てください
777:記憶喪失した男 忍法帖【Lv=31,xxxPT】(1+0:3)
12/12/04 20:20:42.60 YvRn0FV4 BE:1231837463-2BP(333)
ふつうは、>>1が不手際でも、テンプレを>>2からどんどん貼って使うものだな。
778:神も仏も名無しさん
12/12/04 20:29:10.61 irpzLZ2T
思うんなら自分でやってくださぁーい
ここに書き込むくらいなら自分でやってくださぁーーーい
779:神も仏も名無しさん
12/12/04 20:31:23.88 WwXMMsRi
1092 カッパさんがたずねた、
「極めて恐ろしい激流が到来したときに一面の水浸しのうちにある人々、
老衰と死とに圧倒されている人々のために、洲(避難所、よりどころ)を説いてください。
あなたは、この(苦しみ)がまたと起こらないような洲(避難所)をわたしに示してください。
親しい方よ。」
1093 師(ブッダ)は答えた、
「カッパよ。極めて恐ろしい激流が到来したときに一面の水浸しのうちにある人々、
老衰と死とに圧倒されている人々のたの洲(避難所)を、わたしは、そなたに説くであろう。
1094 いかなる所有もなく、執著して取ることがないこと、
─これが洲(避難所)にほかならない。それをニルヴァーナと呼ぶ。
それは老衰と死との消滅である。
つまり、洪水がきても諦めろとwそれが涅槃らしい。
一理あるがw
死の淵にあればジタバタしてもしょーがないもんね
780:神も仏も名無しさん
12/12/04 20:43:11.89 WwXMMsRi
1091 [師いわく]、「かれは願いのない人である。
かれはなにものをも希望していない。かれは智慧のある人であるが、
しかし智慧を得ようとはからいをする人ではない。
トーデイヤよ。聖者はこのような人であると知れ。かれは何も所有せず、
欲望の生存に執著していない。」
私には夢がある。と言ったら聖者でないらしいw
しかし、これは、これで超難しいぞw
781:神も仏も名無しさん
12/12/04 20:47:29.70 wNK8KODX
>>774 ID:tTwB3ITO さんへ
> テキトーな仕事してんじゃねーよ(怒
> 1のテンプレコピペする程度もできねーのかよ
> だったら、出しゃばったことすんじゃねぇ!
> せめて前スレくらい貼ってあるかと思ったら、testかよ
dat落ちしたものが何処にあるのか、わからなかったので
前スレのリンクの貼り付けする事が出来なかったのです
ID:tTwB3ITO さん → 有り難う御座いました
(↑セブン先生かしら?)
782:神も仏も名無しさん
12/12/04 20:50:43.73 WwXMMsRi
嗜好性と自我の高慢チキさ故に空一つとっても見解てんでバラバラw
辞書にさえ従おうとせんなw
こうなったら諦めるしかない
確かに涅槃は、諦めの境地なのだろう
783:神も仏も名無しさん
12/12/04 20:55:27.10 tTwB3ITO
>>777
誰がフォローしたと思ってんだよw
784:神も仏も名無しさん
12/12/04 20:56:51.20 tTwB3ITO
>>781
ま、次からは気をつけるこった。 ノシ
785:神も仏も名無しさん
12/12/04 21:06:01.53 i8Rh9DH5
>>783
彼や?に言ってもね~
786:神も仏も名無しさん
12/12/04 21:25:07.54 jcmjZiAa
>>779 「激流」を文字どおり洪水ととるとは、なかなかやりますね!
たぶんブッダは、ボカスカ殴られてる最中でも、
パンチとパンチの隙間の0.3秒くらいの時間にでも、
「あーつかれたつかれた、今日はいっぱい殴られたなぁ、さ、ちょっくら休憩休憩っと。」
と、完全に寛いで心を休めることができるのであろう。
787:神も仏も名無しさん
12/12/04 21:29:56.65 WwXMMsRi
喜びの裏には憂いあり
自他を観察しても、それは伺える。
これは即ち縁起性を現わすものであり、空と言えるだろう。
高慢チキを作る要因であると言える。
即ち、喜びと憂いを捨て去るのが方法論であると言える。
788:神も仏も名無しさん
12/12/04 21:37:43.77 WwXMMsRi
>>786
いかなる所有もなく、執著して取ることがないこと
これを推察すれば観念的には諦めとなる。
実相においては泣き叫ぶ行為がないといえる。
俺なら反射を理由に殴り返すと思われるw
789:神も仏も名無しさん
12/12/04 21:46:21.58 WwXMMsRi
>>786
そのケースでいうと仏陀はアウトボクサーの形式を取ると思われる。
釈迦は蝶のように舞い、蜂のように刺すであろう。
790:記憶喪失した男 忍法帖【Lv=31,xxxPT】(1+0:3)
12/12/04 21:58:01.36 YvRn0FV4 BE:1231838429-2BP(333)
「無量寿経」と旧新聖書を読んだら、
「釈迦如来と阿弥陀如来はどうちがうのか」について書きたいと思います。
今のうちに、何か教えてくれる人は教えてください。
791:神も仏も名無しさん
12/12/04 22:23:58.75 wNK8KODX
>>790 記憶喪失した男 忍法帖【Lv=31,xxxPT】(1+0:3) ID:YvRn0FV4 さんへ
> 「釈迦如来と阿弥陀如来はどうちがうのか」について書きたいと思います
> 今のうちに、何か教えてくれる人は教えてください
釈迦と阿弥陀について
☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート31
URLリンク(mimizun.com)
URLリンク(mimizun.com)
URLリンク(mimizun.com)
↑ 阿弥陀で検索して見て下さい
792:神も仏も名無しさん
12/12/04 23:55:15.63 qcN3Ysse
仏子、若し自ら殺し、人をして殺さしめ、方便して殺し・殺すを讃歎し、
作すを見て隨喜し、乃至呪殺すれば、殺の因、殺の縁、殺の法、殺の業あらん。
乃至、一切の命有る者をば、故に殺すことを得ざれ。
これ菩薩は、応に常住の慈悲心・孝順心を起こして、方便して一切衆生を救護せん。
しかも自ら恣なる心、快き意を以て殺生するは、これ菩薩の波羅夷罪なり。
前スレの最後、および今スレの最初の方で、
呪殺は生き返らせることができる奴ならできるとか、
浄土に送ってあげたんだからむしろ生き返らせない方が良いとか、
如来のやることだから、凡人には判断できんとか危険な話しが紹介されているが、
正気とは思えない。オウムを止めることができないわけだ。同じ穴のムジナだもんね。
護法尊云々の恫喝をしていた「伝統仏教」の人がいるようじゃあねえ……
殺人推奨の経典は偽経として放り出せば良いだけなんだが、
開祖や偉いさんが調伏(呪詛)をやっていた宗派もある手前、難しいのだろうね。
殺人肯定の文面を、なんとか政治的に正しく読み替えようと努力しているのが、
仏教徒ではなく神智学かぶれというところが末期的だ。
>護法尊と業は容赦無いぞ、その時後悔しても遅い
前スレのこの発言は、机龍之介がジャズの話をして逃走した時以来の衝撃だった。