仏教議論スレッド50at PSY
仏教議論スレッド50 - 暇つぶし2ch667:神も仏も名無しさん
12/12/03 11:06:22.48 WBWjeMDI
>>658
《清浄道論》(南伝p219(中部小空経承けて)概略)では、
 『堂宇から諸比丘が去った後を見るとき、
 「比丘たちは死んだ・消失した(消えた)」「どこか“別の場所”へ行った」
 *(―実体的に継続して存在し、それが消じた或いは別の場所へ行った― …どこかで見たような考え方ですねw)
 とは考えず、
 「ただ、(そこには)何ものも無し、空っぽである、ここには無い・居ない」とだけ見る』 (無所有処の説明)
   *本文(>その〔集会ありし〕処を眺むるに〔人々の〕空なるを見るのみ、離去せるを見るのみ。
        >但、“これは空なり、〔人々は〕離去せり。”と、〔人々の〕無きことを見るが如し。)
と、非想非非想処定の前3つの説明のところで述べられてるみたいだね。

《小空経》は、周知の如く、
「空じていって(執着無きこと患いなきこと或いは(所縁に依る)生起無きことを作意し、内外に何も無きことを確認し)、
更に何がしかが残余する」って話しだし、
《大空経》は、
「上記が、禅定の階梯の一端として(清浄道論に言われるような)、やはり、
所有・把捉を離れていくときのことを「空じていく(≒空にしていく)」」という感じだし、

《長老偈92、長老尼偈46》は、下記Snと同義の方向かもしらんし註釈次第だろうけど、
やはり、執著なきこと、捉われなきこと、煩悩や欲・渇愛等の無きこと(自身の心がそのようであると見ること)と見えるし。
《経集1119》も、(隠居が好んで使うフレーズだがw)、ニッデーサ見てないんで何とも言えんが・・(^^;)、
これが唯一、“所縁によって成り立ち実体・固定的本質を持たない”
という義を付与できる例じゃないのかな・・。 (´・ω・`)

他、相応部とかは要チェックなんだろうけど、今は見てない。

いずれにしろ、初期の「空」は原義に近接して
「何がしか(それは往々にして煩い・患いや煩悩・誘惑・それへの志向性等)が無きこと、欠けていること」
として言われることが殆どだから、656と言った。
精査していないせいだと言われればそれまでだが、それでも、多くの(少なくともテキスト上の)事例は、
先鋭化・蒸留された「空」とは異質だと、やっぱり思えるんだよね・・。


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