12/12/03 10:20:48.96 D81elJxI
『比丘たちよ、このような境地(Ayatana)があります(atthi)。--中略--
依り所のないもの(appaThitta)、生起のないもの(appavatta)、
所縁のないもの(anArammaNam)が、すなわちこれ(etamM)です。
これがすなわち苦の終わり(anto dukkhassa)です』(『ウダーナ』8:1)
涅槃がこうなのは、そういうものを、みな吹き消したから境地だからであり
(それに加え、それらを引いた先に残る基体というものを設定してもいない)、
釈迦にとっては自分のアイデアではなく(死ぬほど昔の六仏とかもこの境地に至っている)
生み出したり作ったものではないからだろう。
とかれている相手が比丘というのも見逃せないポイント。
仏教的なものの見方が前提になっている人に向けて語っているということだ。