12/11/30 14:16:54.56 fZ0fBYE4
>>256
>「では真実のブッダとは何であるか。それはわれわれの経験している世界にほかならない」。
・では、あるがままのブッダとは何であるか・・・・・・・・・・・・→「非心非仏」(縁起の直接現実、中村博士の「真実」の語句は誤謬です)
・それはわれわれの経験している世界にほかならない・・→「即心即仏」(縁起の間接現実)
<無門関 30・33>
さすがに中村元博士は見事ですね→中論22-16、25-20.
>>258 机先生、復帰おめでとうございます。
>「蛇が脱皮するように」がキーワード
スッタニパータの既成観念を捨てる→無執着という趣旨は分かりますが、
「外相を離るるを禅となし」(慧能)からすると、
スッタニパータの表現は、脱皮しても蛇本体(有我)が残ってしまい誤解を招きます。
無我=縁起(Sn.653・874・1119)に相応しくありませんね。
むしろ、玉ねぎやラッキョの皮をむくように、が相応しいでしょうね。
>>260
>「縁起」は縁起しますか?
仏法は、機能的には縁起であり、内容的には空=中道=時空際断です。・・と一応矛盾の内に言えます。
しかし、時空際断の様相は言語論理そのものから離れていますから、返答のしようがありません。
従って、「不識」(達磨)と言わざるをえません。