12/11/29 22:35:53.97 sOd+7ijo
143 究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達してなすべきことは、
次のとおりである。能力あり、直く、正しく、ことばやさしく、
柔和で、思い上がることのない者であらねばならぬ。
おそらく大乗の論拠の有名な慈悲の一説です。
究極の理想に通じた人が、の文にある通り、前提としての解脱があります。
どうも解脱後あるいは解脱そのものにのみに注視した大乗には手抜き感が
拭えません。それこそ解脱もしていないのに解脱あるいは解脱後を語るに
違いないものと思います。その一派がチベット密教であり、その要素が
南伝と同じものとは見られないと現象は語るものと思います。