【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践9at PSY
【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践9 - 暇つぶし2ch510:神も仏も名無しさん
13/11/18 19:58:04.38 6FGy3CxV
仏教はじめた人が「死後の事は語るな」って言ってるのになぁ。

511:神も仏も名無しさん
13/11/19 11:21:26.67 /2oeMyDi
テーラワーダ仏教で?

「仏教始めた(ばかりの)人が語るな」
とある、仏教をはじめた人がそう言っていた。

どっちの意味かわからん。

512:神も仏も名無しさん
13/11/19 23:06:16.01 TObv892n
ともあれ、瞑想によって自分の悩み苦しみを無くすというのだけはやめた方がいい。

あくまでも、もっと現実的な解決を模索すべきだ。

そうしないと、結局は人生全体を棒に振ることになる。

宗教はみんなそうだが。

513:神も仏も名無しさん
13/11/20 00:03:25.29 zpbqrLzK
他人の悩みって割りとたいしたことない
コツは自分の悩みを他人の悩みと区別しないこと

514:神も仏も名無しさん
13/11/20 16:39:10.00 XmANT1TG
>>511
仏教をはじめたゴータマ・シッダルタとかいう人は
死んだ後どうなるかを語らなかったというではないの。

>>512
シッダルタ自身が、
責任放棄して世捨て人になっちゃったそうだからねw
現実的な解決を求めるなら、方向性が違うんだろうね。

515:神も仏も名無しさん
13/11/22 13:23:33.36 HlYsBH4m
覚りを開くとホームレスになる他はないんだよ
性欲がなくなるので家庭生活ができないし
金を儲けようとする欲望もなくなるので
なんの仕事にもつけないから

516:神も仏も名無しさん
13/11/22 22:05:11.36 UdXUnDQY
なくなるのは欲求ではなく執着では

517:神も仏も名無しさん
13/11/23 03:29:48.63 RYo4SLz9
欲望=執着

518:神も仏も名無しさん
13/11/25 14:33:37.63 6w1vybDM
食欲も執着か。

519:神も仏も名無しさん
13/11/25 21:37:21.82 JDv2Q6/g
>>515
悟りか覚りかしらんけど、
そんなんだったら開かない方が良いじゃんw

520:神も仏も名無しさん
13/11/26 00:01:17.11 GwoH6FmC
教祖がホームレスだし

521:神も仏も名無しさん
13/11/26 00:08:40.16 k7PCzKw8
出家っていうか、家出しちゃったもんね。

522:神も仏も名無しさん
13/11/27 00:14:41.68 UBOoOXJO
覚りを開くとホームレスになる他はないと
スマナサーラ先生がちゃんと本に書いてる

覚りを開いてホームレスになるのが幸福で、覚りを開かず健康で長生きするのが不幸である
普通の人間はアベコベ感覚で生きている
普通人の幸福とお釈迦様の幸福は全然違うからね

523:神も仏も名無しさん
13/11/29 01:26:23.67 XwFDGMpv
>>514
如来が死んだ後どうなるかを語らなかった、ね

「箭喩経」
もし尊師が
『如来は死後存在する』と知っているのであれば、
『如来は死後存在する』とわたしに尊師は語るべきです。

もし尊師が
『如来は死後存在しない』と知っているのであれば、
『如来は死後存在しない』とわたしに尊師は語るべきです。
URLリンク(homepage1.nifty.com)

524:神も仏も名無しさん
13/11/29 22:07:31.54 fQBzRLk5
涅槃とはすべての感覚が滅することであると
お釈迦様が言ってる

阿羅漢は死後、完全消滅するのでは?

525:神も仏も名無しさん
13/11/29 22:58:38.12 DUJ/XteT
如来は死ぬと、死後の世界ではなく涅槃に逝くのです
涅槃とは言葉では説明できない世界なので
お釈迦様は自分で確かめよと語りましたとさ

526:神も仏も名無しさん
13/11/30 01:35:43.60 B6JIjsGX
『如来は死後存在する』というのは、わたしによって語られなかったことである。
『如来は死後存在しない』というのは、わたしによって語られなかった事である。
『如来は死後存在し、かつ、存在しない』というのは、わたしによって語られなかったことである。
『如来は死後存在するのでもなく、存在しないのでもない』というのは、わたしによって語られなかったことである。

なぜ、これらのことが、マールンクヤプッタよ、わたしによって語られなかったのか?:
これらは、マールンクヤプッタよ、利益をともなわず、最初の清浄行のものではない。
厭離に導かず、離欲に導かず、止滅に導かず、寂静に導かず、証智に導かず、正覚に導かず、涅槃に導かない。
それだから、これらは、わたしによって語られないことである。

527:神も仏も名無しさん
13/12/02 21:12:03.70 TIA/G1hi
阿羅漢は死後
完全消滅するのでもなく
幽霊になるわけでもなく
シュレーディンガーの猫になるわけでもない

言葉では説明できないわけですね

528:神も仏も名無しさん
13/12/02 22:43:12.30 YWjUZFPN
絶望したッ!!!

有益じゃないから語らないのだ!と開祖が言ってるのに、
勝手に輪廻転生を採用しちゃう仏教に絶望した―ッッ!!!

529:神も仏も名無しさん
13/12/03 01:23:37.32 Qwx9Vs+v
輪廻転生がある前提ですべての話が組み上がってるのに
経典読めばわかることなのに。

530:神も仏も名無しさん
13/12/03 01:25:36.88 Qwx9Vs+v
形而上学的議論がしなかった、無記だ、とかいって
「輪廻転生を説かなかった」とか、さらには「輪廻がないという見解に至ることこそ悟り・解脱だ」とか
言いはじめる人、多すぎ。

まず、ブッダが語った内容を見ることさえしないで、勝手に内容を創作して
納得のいく範囲内に納まるように変更してしまあdsdfjkじゃ

531:神も仏も名無しさん
13/12/03 16:48:47.97 FYhnZ+QT
利益をともなわず!清浄行でもなく!
厭離に導かず!離欲に導かず!止滅に導かず!寂静に導かず!
証智に導かず!正覚に導かず!涅槃に導かない!!

こうまで口を酸っぱくして酸っぱくして酸っぱくして言ってるのにッ!!!

532:神も仏も名無しさん
13/12/04 02:57:38.17 DDpf8t0I
仏教の入り口の段階で、仏教に対して懐疑的な人たちを遠ざけないように
するために黙っているだけで、知識としての仏教ではなく、瞑想実習を含めた
実践的仏教をしていけば、どのみち遅かれ早かれ、必ず輪廻転生や、業と
業果の話が当然の前提として出てくる。

533:神も仏も名無しさん
13/12/04 03:01:09.61 DDpf8t0I
どこを探しても、輪廻からの解脱を説かないテーラワーダの長老なんていませんよ。
そんなのブッダダーサ (プッタタート)氏くらいでしょう。

スマナサーラ師だって、日本人の価値観に合わせて「科学」を強調されているだけで
スマさんのスッタニパータにも、沙門果経にも、輪廻転生が前提の記述が随所に出てくる。

534:神も仏も名無しさん
13/12/04 18:35:40.97 hA+OTv2r
それらは全て、開祖の言うことを無視して、
後の人たちが勝手にはじめたことなんだってヴぁぁ

535:神も仏も名無しさん
13/12/05 11:44:11.21 AEhPkE9D
>>534
どの経典を読んだことがある?

536:神も仏も名無しさん
13/12/13 08:26:00.19 yGCFNEi6
>>382
>>388
第78経「五支物主経」の幼児の喩えについて

今日は暇なので書いておきます。
赤ちゃんは無我の状態だよ。だがそれは中道によるものではない。
そういう意味では釈迦が否定するのの間違いではない。
赤ちゃんは、いずれ立たねばならない。立つことによって無我を消滅させていくんだよ。
「釈迦は生まれてすぐ天と地を指さした」という逸話(作り話)が残っているけれど、人間は立つ行為により、重力(地)、反重力(天)が生じる。
だがどうしても重力(地)に偏った立ち方になってしまうんだよ、そのほうが安定するから。
そこに中道が必要になるんだよ。天と地、極と極、これが矛盾なく成立している立ち方が中道であり、そのときには脳も中道になってるんだよ。

>棟梁よ、なぜなら仰向けになって寝ているかよわい幼児には

「仰向けになって寝ている幼児」には中道は必要ない。立っていないから。
立つことによって人間となった。立つという行為のうえに大脳を発達させ、言語を獲得していったんだからね、人間は。だけど、それとともに苦しみも生じるようになったんだよ。詳しくはかかないけど。
原始仏教の足の裏を地につけてラベリングするのは、立つことをとらえなおしていくプロセスのほんの入り口なんだよ。

537:神も仏も名無しさん
13/12/13 23:28:20.10 mzX4KeEj
お釈迦さまのことを、「釈迦」と呼び捨てにする人が語る仏教解釈は100%に間違ってるの法則。

538:神も仏も名無しさん
13/12/13 23:31:18.08 mzX4KeEj
というか、お釈迦さまと、そのダンマを理解できていたら
「要するに釈迦の思想ってのは云々」だとか、「釈迦が言ったことはつまりねぇ」だとか
そういう表現、そういう態度には絶対にならない。

539:神も仏も名無しさん
13/12/15 04:03:32.82 nY6+97is
なんか釈迦よばわりする奴って2重に腹立つわ
不遜なのと、加えて姓を呼び捨てにする頭の悪さ(せめてガウタマかゴータマにしろw)

540:神も仏も名無しさん
13/12/15 07:44:11.37 77ZP32hI
腹をたてるのは釈迦自身であって他人ではない

541:神も仏も名無しさん
13/12/15 13:04:56.50 Phni6L8k
釈迦はいい人だったから~
どろろろ脳ずいぃぃいいい

しゃらら しゃらら しゃらら釈迦釈迦

542:神も仏も名無しさん
13/12/15 19:39:21.54 fFqlqSuQ
瞑想すると始めたとたんにころっと眠れるわー
面白いくらいにころっとねれるわー
ちょっとウトウトしたところでやめてみるともうぜんぜん眠くないの
でもつづけるところっと眠っちゃうの
いかんのう
ほんとはここで眠気にあれするんでしょ?
マジで不眠とはおさらばだわー

543:神も仏も名無しさん
13/12/16 16:54:33.19 OJO0SnV7
姓に「お」をつけるのはいいのか?

っていうかそんな瑣末なことに執着するのが仏教的なんでしょうかね。
もう日本語でしゃべんなと

544:神も仏も名無しさん
13/12/16 23:22:50.96 w7fITIg8
些末なことに見えるだろうけど、そういう些細なところに表出するんだよね。
理解の程度が。

545:神も仏も名無しさん
13/12/17 02:08:04.71 IK/9enRz
そうだな。でも「釈迦」がまずいなら「お釈迦さま」も変じゃないのかな?
それとも「おシャカームニさま」なら納得なのかなククク

546:神も仏も名無しさん
13/12/17 16:10:57.98 cewbdxh1
何か批判、もしくは指摘できたつもりなのだろうが
理解の程度が態度に出ていて、それを見透かされているという問題について
なんの対処にも解決にも回答にもなっていないのだよね。

547:神も仏も名無しさん
13/12/17 21:08:20.60 rkxdet6M
仏教理解しても釈迦を呼び捨てにされると怒るもんなんだな

548:神も仏も名無しさん
13/12/18 00:18:06.30 9pC2YOZH
>>545
バカにかまってもしょうがないけど一応反論あげとく
反論できないから黙ってると思われるのもアレなので

・「お釈迦さま」は釈尊などのように姓+r敬語である。そもそも姓の呼び捨てではないし
・シャカ・ムニ(釈迦族の聖者)だけで敬称になっているので「お」~「さま」という過剰な三重敬称は
むしろ無作法

549:神も仏も名無しさん
13/12/18 13:03:11.60 Yqvv2ky5
>>547
間違った仏教解釈を吹聴していることについて反応しているのであって、
君は何を指摘されているのか全く分かっていない。

550:神も仏も名無しさん
13/12/18 20:46:03.71 DA06NDZm
釈迦は自分を釈尊と呼べと説法してたといいたいのかな

551:神も仏も名無しさん
13/12/18 20:59:25.64 zosUbPmE
>・シャカ・ムニ(釈迦族の聖者)だけで敬称になっているので「お」~「さま」という過剰な三重敬称は
>むしろ無作法


インドの言語と日本語をごっちゃにするお前がバカ、
なんでそこまで馬鹿なの?

552:神も仏も名無しさん
13/12/19 00:18:46.38 NdKZ8TCV
論点を逸らしはじめたのでお終い。

553:神も仏も名無しさん
13/12/19 00:27:53.26 tuYAVD2z
>>551
インドの言語と日本語をごっちゃにしていないんだったらなぜ「ムニ」をつけたの?

554:神も仏も名無しさん
13/12/19 18:57:32.48 2ff6sRjH
いちいち敬称つけないといけないなら フロイト様とかマルクス様とかめんどくさいな
仏教は科学なんだから呼び捨てでいいんだよ

555:神も仏も名無しさん
13/12/19 23:04:06.28 NdKZ8TCV
文学部哲学科

556:神も仏も名無しさん
13/12/19 23:06:02.02 NdKZ8TCV
科学的ではあるが、科学ではないだがなぁ。
スマさんが科学を強調するのは、現代人の理解力の限界がそこだから
という、ただそれだけの理由だと思うぞ。

上座部の比丘が、本気で釈尊の教えを科学だなんて思っているはずがない。
スマさんも、「科学は心を扱えない」と語ってるし、そちらが本音だろう。

557:神も仏も名無しさん
13/12/19 23:07:34.07 DlDkKClD
もうめんどくせぇ、呼び名にこだわる奴らはこのスレで日本語一切使うなよ。
当時の言葉で当時の呼び名と当時の礼にのっとって語れ。

釈だの迦だの漢字も使うな。失礼だろ。

558:神も仏も名無しさん
13/12/19 23:08:19.23 NdKZ8TCV
本当に科学であるなら、とりわけ現代科学であるなら
理論を実験によって検証せねばならないが、心を取りだして見せるわけにはいかないし
そもそも、そんなことは出来ない。

(脳内物質や電流は、心そのものではない。心と連動して動いた物質でしかない)

559:神も仏も名無しさん
13/12/19 23:13:08.18 NdKZ8TCV
現代科学は物質しか扱えない。
心を扱うことはできない。

なぜなら、(仏教的観点から言えば)心は物質ではないから。

560:神も仏も名無しさん
13/12/19 23:21:23.28 tuYAVD2z
論点をずらしまくった挙句ちゃぶ台返しで議論そのものを放棄するんかい
まあ個人の自由だから別に強制するつもりは端からないよ

561:神も仏も名無しさん
13/12/19 23:23:50.77 tuYAVD2z
>>557
>釈だの迦だの漢字も使うな。失礼だろ。
意味が分からんのだけれど

562:神も仏も名無しさん
13/12/20 00:19:50.90 r7YeHj1Q
サンスクリット文字のほかは禁止!!
これは世界共通のルール!

563:神も仏も名無しさん
13/12/20 09:45:58.39 K7OB9r5U
サンスクリット文字ってなんだよ

564:神も仏も名無しさん
13/12/20 12:37:29.84 g39cByvE
やればやっただけの効果がある 善因善果悪因悪果だから科学なんだろ
おまえら理解浅いわ

565:神も仏も名無しさん
13/12/20 14:49:57.98 a13kkfRX
理解と習得度はまったく別の話。というのが仏陀の教えなんだがな。

566:神も仏も名無しさん
13/12/20 18:20:00.35 r7YeHj1Q
人殺しじゃなく、動物殺しも植物殺しもカルマを負うの?

567:神も仏も名無しさん
13/12/21 10:18:14.00 b0TKp6EM
ブッダは中道を説いたと言っても、
その前にとんでもない苦行をやってるわけなの。

苦行をヤる前にはとんでもない豪華な贅沢な生活をしていた。
最高ランクの出自の良い完璧美女と結婚、セックス、子供も残してるのね。

だからなんでもまずは社会的な成功をして生活の質を上げまくる、
その物質的な豊かさに虚しさを感じたら精神的な師匠を探して歩く、
そして教えを請う(最初から一人でやらない、複数の師匠を試すことが大事)、
そして(自分にとっての)苦行をとことんやってみることも大事だと思う。

こうした経験を踏まえた上での中道なのね。

568:神も仏も名無しさん
13/12/21 12:30:30.11 mKvHiNjl
そんな作為的なもんじゃない。それだとどこまでいっても跡を残す。

569:神も仏も名無しさん
13/12/21 13:14:54.04 b0TKp6EM
ちょっと何言ってるのか理解できないわ

570:神も仏も名無しさん
13/12/22 12:00:23.39 u97BUDCK
>>539
信仰にしたくないとおもってるから、お釈迦様とは呼びたくないし、
だいいいち、今のこってるものは全部、後世の人がつくった「お釈迦様」でしかない。
水の上を歩いたとか、お釈迦さまの手には水かきがあったとか・・・・・・嘘が多いから、信用できない。
見たことも会ったこともない人に、いわば空想上の人に敬語つかうのは妄想的リスペクトでしかないよね。

不遜でもななんでもなく、過去の歴史上の人のことをいうときには敬称はつけないのはよくあることだし。

仏教を客観的に捉えて、修行をすすめていく、修行の実践者として、釈迦のメソッドをやってるだけであって、「法」に拠ればいいのであって、
「お釈迦さま」は修行には関係ないんだわ。直接指導してくれるわけでもなし。

アラカンであるスマ氏には尊敬もしているし敬語つかうよ。。

571:神も仏も名無しさん
13/12/22 12:14:40.38 kfGk3uvt
>>566 自我に基づいた行為はすべて大なり小なりカルマを伴うんだってさ 

572:神も仏も名無しさん
13/12/22 12:18:27.12 tuzptSC9
いかにも無宗教日本人らしい考え方だなぁ。

573:神も仏も名無しさん
13/12/22 13:38:10.54 kfGk3uvt
>>567 だったらそういうはずだろう。極端から極端に修行しろと。

574:神も仏も名無しさん
13/12/22 15:06:07.75 u97BUDCK
>>539
阿羅漢というレベルにおいては、釈迦も弟子も同じとされている。
悟りのレベルでは釈迦も弟子の阿羅漢も同じということ。
つまり、釈迦の悟りは再現性があるということ。
これは、とても大事なことで、だからこそ修行する意義があるし仏教が本物であるという証。

阿羅漢というレベルにおいては悟りは同じなんだけども、「お釈迦様」を先覚者として絶対的権威をあたえ、信仰する。
これが仏教が宗教であるゆえんだけども、それには利点もあるし弊害もある。
そういった「宗教色」を排し、もっと自由な立場、広い視点から初期仏教を捉えなおしていく立場があってもいいし、
その場合「釈迦」という呼び方になる。
「釈迦」と呼ぶことじたいが、そういう立場であるということを表明しているんだよ。

問題は「釈迦」と呼ぶものが掲示板にあわわれただけで、感情を害されてしまっている「あなたのマインド」
それも信仰の弊害といえないだろうか。

575:神も仏も名無しさん
13/12/22 15:57:08.18 kfGk3uvt
過去の諸仏もいるわけだから、釈迦が最初の仏というわけでもない
説法したのが最初だから偉いんだな

576:神も仏も名無しさん
13/12/22 17:41:27.89 tuzptSC9
結局は内向ヲタクのための、厭世世捨て宗教なんだな。

577:神も仏も名無しさん
13/12/23 10:48:45.55 JTpca67f
>568
 でも経験がなかったら中道なんて出てこない。経験が重要なんだよ。
女を捨てなければ、女を捨てたことの意味なんて解らんだろ。

578:神も仏も名無しさん
13/12/23 12:16:21.43 9gsPzhih
じゃあインドで王子に生まれて妻と子供を持たないと悟れないってことになるな

579:神も仏も名無しさん
13/12/23 13:40:18.02 j6Z9g55S
>>577
女を捨ててオナベになる意味は
経験しないとワカランだろうなぁ。

580:神も仏も名無しさん
13/12/23 13:51:45.84 z63faQmr
>アラカンであるスマ氏には尊敬もしているし敬語つかうよ。。
アラカンであるスマ氏には早く来日してもらって、破戒僧であるスマ氏
(シャム派のスマナサーラさん)を駆逐してもらいたいですね。

581:神も仏も名無しさん
13/12/23 15:38:03.88 JTpca67f
>578
 あったりまえだろ。同じことなど二度と起こらんよ。全てが移りゆく。
悟りも二度と起こらない。あの時代にあの場所で仏陀に起った一過性のものだよ。
これは全ての真理も教えも免れることはできない。すべては移りゆく。

582:神も仏も名無しさん
13/12/23 15:40:43.32 JTpca67f
 昔のスマと今のスマは違う。悟ったと思ったらすぐに悟っていないのだよ。

583:神も仏も名無しさん
13/12/24 02:33:07.14 zHN/DDFx
>>567
君の中道観はギャグだ。他の方も指摘しているように全然おかしい。
『快と不快』『好きと嫌い』『喜びと悲しみ』『愛と憎』『恐怖と安心』『静と動』『天と地』などの両極性、そういうような対立するものが、融和や調和して対立でなくなったものが中道だよ。
また中道は仏教だけの専売特許ではないよ。
大衆は極に偏るという。極と極しかない。
クオリティの高いアーチスト、レベルの高いスポーツ競技者は中道を体現しているよ。まさしく大衆から抜き出た人でもある。ただ「自覚がない中道」だから悟ってるとはいえない。

たとえば歩く(経行)という動作。
右と左の足を交互に使っていくわけだけど、右と左の極の間、中道の人は、重心の移動までを細やかに認識しているよ。
大衆は、自分の重心さえ認識できなくなってる。歩く意味においても極と極しかないんだ。
歩く、立つという人間の基本的行為さえも自覚を深めていくことで、それは修行だし、中道への道なんだよ。

584:神も仏も名無しさん
13/12/24 09:54:39.89 zHN/DDFx
>>581
例えば、それまで解けなかった難しい数学の問題が、解けるようになった人は、明日も同じような問題は解けるし、明後日も解ける、ずうっと解ける、それが当たりまえのレベルになる。
悟りもそれと同じだよ。

一瞬一瞬変化はしているけど、固有の存続性を保ちながら変化してるのだから悟りも継続性のあるものだよ。

585:神も仏も名無しさん
13/12/24 21:03:37.74 nVs3QaSy
そんな事よりクリスマスでも祝おうぜ
ふっひっひ~

586:神も仏も名無しさん
13/12/25 03:20:34.91 RLNOFoFh
>584
 悟りと数学の問題が同じレベルなら、数学の問題を解いた方がいいだろ。
わからんものを対象にするより判ってるものから始めた方が良い修行になるだろ。
悟りって何のことから解らんようなものをほんとうは何のことか分かってないやつが
分かったつもりになって一所懸命説明しようと試みている。それがこの世界じゃないの?
だれが解ってるんだね?
 分からんものなんて修行になるわけない。WWW

587:神も仏も名無しさん
13/12/25 07:04:05.62 UknGR0dZ
この世界・・・×
2chの世界・・・○

588:神も仏も名無しさん
13/12/25 07:47:51.03 RLNOFoFh
トランス状態に入ると能力が高まる。不要な感覚は遮断されるので集中力が高まる。

例えばバイオリニストは演奏の時は完全にあっちの世界に往っている。
ある種の憑依状態ともいえる。音楽する人と普通の人が一人の脳内に共存していて
演奏をするときは音楽する人にスイッチする。違う脳を使っているのは目を
みればわかる。修行はそういうもので普通の人のままでは修行できない。儀式によって
そっちの世界に入ってそこで最高度に集中して練習を積む。2万時間以上練習を積むと
別の世界が開ける。それが芸術家だ。演劇でもおなじ。

 宗教する人も同じで宗教をするときはそっちの脳にスイッチする。いかれてくると
完全に往ってしまってもう戻ってくることは少なくなる。それが涅槃だ。理想郷は
いわばそういう演劇世界、芸術世界の中にある。

 君たちは仏陀から芸を仕込まれているのだ。この感覚を持ちなさい。ガイオン夫人が
素晴らしい祈りの方法を教えているが先ずは取り決めた簡単な儀式を使って
「神の臨在の内に入る」ことから始まる。これは脳を演劇脳にスイッチすることだ。

589:神も仏も名無しさん
13/12/25 08:07:00.68 RLNOFoFh
トランスは脳をスイッチすることだ。だから阪神タイガースの応援も芸能人の
追っかけもオタクも女装もSMもトランスだ。そういうくだらないトランスが蔓延している。
瞑想はトランスの手段なのだ。ところがくだらないトランスならだれでも簡単に
嵌ることが出来るしドンドンエスカレートする方法も知っている。
それなのに、瞑想は特別難しいとでも思っているのだろうか? 一流という意味では
愛ちゃんも松子デラックスもスマ氏も同じなのだ。
瞑想は簡単だ。要は戻ってくるかこないかだ。戻ってこなくてもいいのであれば
つまりはチンチンを切ってしまえばいい。一線を越えればアラカンだ。

590:神も仏も名無しさん
13/12/25 08:27:41.94 RLNOFoFh
 一線を越えると芸が変わる。まずは舞台に立つか立たないかが一つの分かれ目だ。
舞台にたつことで何かが変わる。
 自宅で瞑想していてもだめで、いくらやっても深まらないし悟りなどおとずれない。
 キリリスト教徒なら伝道活動をすることで深まっていくが仏教は内に籠りやすい。
仏教もキリスト教徒のように訪問伝道とかボランティア活動とか辻説法みたいなことを
始めるとドンドン深まっていく。

591:神も仏も名無しさん
13/12/25 08:34:03.07 RLNOFoFh
>アラカンであるスマ氏には尊敬もしているし敬語つかうよ。。

アフォだろお前は。
「御釈迦様」と呼ぶところから世界が始まるのだ。入口で拒否していては全くダメだろ。

592:神も仏も名無しさん
13/12/25 12:22:03.54 dtafOaTe
仏教は科学だと哲学だ信仰する宗教じゃないとかいいつつ教祖には様をつけろよデコスケ野郎か
釈尊は草葉の陰で泣いておるぞ

593:神も仏も名無しさん
13/12/25 14:55:54.09 KlOVPivR
釈迦のメソッドは、ラベリングするというということは「意識化」するということなんだよ。
常に意識はしっかりもっていることが前提。
トランス系じゃないんだな。
浄化がすすんでないのにトランスばっかはいってると、キチガイになるから・・・・・というかもう。
魔境というやつね。
支離滅裂になるんだな。自分ではマトモなこと、すごいこと言ってるつもりなんだろうけど。

スイッチなんていらんし。
潜在意識は常時稼動してるし。
悟った人は、潜在意識と顕在意識のつながりがよくなるんだよ。
マナヤシキという蓋が浄化されると潜在意識と顕在意識が連動するようになるんだよ。
マナヤシキは、身体にかかる意識の層だ。

594:神も仏も名無しさん
13/12/25 15:36:23.15 /v8b6pLA
実践者と能書きだけの人とで、話が合うわけがない。

595:神も仏も名無しさん
13/12/25 18:35:48.05 KlOVPivR
ミッチャーサマタ(邪定)
URLリンク(www.bukkyouoshie.com)

596:神も仏も名無しさん
13/12/26 01:41:02.01 KMVeEdzR
>>593
>悟った人は、潜在意識と顕在意識のつながりがよくなるんだよ。
単純に路心(顕在意識)があるときは有分心(潜在意識)は存在しないだろ、という間違いと、
悟った人は~という前書きで独自説を唱えるあなたは悟ってるの?っていう疑問

あとマナ識とアーラヤ識が混ざってるって

>>595
もしかしてご本人のブログ?

597:神も仏も名無しさん
13/12/26 02:03:21.96 ZPIXgJZ0
お釈迦さまのことを、「釈迦」と呼び捨てにする人が語る仏教解釈は100%間違ってるの法則。

598:神も仏も名無しさん
13/12/26 02:48:58.35 rOGiAojz
>>596
>マナ識とアーラヤ識が混ざってるって
混ざるとはかいてないつもりだが。

マナ識が浄化されるとかいている。

本人のブログじゃありません。

599:神も仏も名無しさん
13/12/26 06:07:04.19 HvFKYtch
>悟った人は、潜在意識と顕在意識のつながりがよくなるんだよ。
>マナヤシキという蓋が浄化されると潜在意識と顕在意識が連動するようになるんだよ。
>マナヤシキは、身体にかかる意識の層だ。

通路じゃない。
重要なのは蓋がどちらに開くかだ。いくら一生懸命引っ張っても開かない。蓋は押して開く
ようになっている。つまり「あちら側に行く」ことしかできない。御釈迦様の世界に
往くのだ。
 瞑想して意識をしっかり持って、頭を研ぎ澄まして、賢くなって、、あわよくば
潜在意識をフル活用して大金儲けをしようと思ってもそういうことにはならない。
だいたいが演劇世界は貧乏人の集まりと相場が決まってる。もっとも棚ぼたで大金を
掴むことはままある。
>597
 お前はなかなか素質がある。しかし同じような役はそんなには要らんので
お前の場合は「地獄で火あぶり」に抜擢しておく。

600:神も仏も名無しさん
13/12/26 07:33:37.23 rOGiAojz
>単純に路心(顕在意識)があるときは有分心(潜在意識)は存在しないだろ、という間違いと、

中道とは矛盾が矛盾でなくなることだよ。
潜在意識はいつもある。いつも存在している。いつもはたらいている。
潜在意識はいつもいろんな情報をとらえている。
なのに顕在意識で意識できない。
中間にある、まな識が汚れているから。
意識の層なんだから混ざらない。
つながりが良くなる。関係性が良くなる。ツーカーの仲になる。

リラックス(脱力)し、顕在意識を弱め潜在意識を表出させたりしてるけど、
リラックス(脱力)するとナマ識は、身体にかかる意識層だから、潜在意識とのつながりが少しは良くなるというだけ。
マナ識が汚れているから、潜在意識の情報がゆがんで伝わる

601:神も仏も名無しさん
13/12/26 10:31:15.83 ZI9S9Iz+
ウコサラ西澤が出てった理由は、
教えた中で一番出来がよかったやつがミャンマーへ行って出家しようとしたら、その人の
親から、「頭がおかしいから帰るように」って電話がかかってきたんで、テラワダは、日
本人通訳を通して圧力かけたらしい。
実際には、その人普通で、おかしいのは親で、案の定出来もいい上に温厚なので、どうし
てこんなことをしなきゃいけないの?って通訳が西澤に問い合わせたらしい。
「会って話したこともないのに、そんなことをしたのか、もういや」って言い出して、ミャ
ンマーへ行ったらしい。

602:神も仏も名無しさん
13/12/26 10:35:23.94 ZI9S9Iz+
この詳細が知りたい。日本語通訳が日本に、直接その人にスポンサーシップレターをもってきた、って
僕の周辺では話題になってる。その人は、山下さんを信じていて、テラワダ関係ないらしいw
詳細キボン

603:神も仏も名無しさん
13/12/26 14:06:18.46 rOGiAojz
>>599
質問1、
「あちら側に行く」ことしかできない世界で、一度はいったら戻ってこれないのになぜあなたは現世にいるのですか?

質問2、
その世界がお釈迦様の世界だとどうしてわかったのですか?
お釈迦様がいたのですか?

604:神も仏も名無しさん
13/12/26 17:28:27.19 rOGiAojz
>>599
質問3、
なぜ、あなたは馬鹿の振りをしてるのですか?

605:神も仏も名無しさん
13/12/26 18:44:18.14 vyYBNrTR
「怒らないこと」読んだよ。意外と読みやすいのね。

606:神も仏も名無しさん
13/12/26 19:48:07.33 KMVeEdzR
>>600

>中道とは矛盾が矛盾でなくなることだよ。
>潜在意識はいつもある。いつも存在している。いつもはたらいている。
>潜在意識はいつもいろんな情報をとらえている。
>なのに顕在意識で意識できない。
>中間にある、まな識が汚れているから。
>意識の層なんだから混ざらない。
>つながりが良くなる。関係性が良くなる。ツーカーの仲になる。

一応ここはテーラワーダスレなので「私の悟り体験」はそれに見合ったスレに書き込んだ方が適切かな、と思います

607:神も仏も名無しさん
13/12/26 20:34:25.85 rOGiAojz
>>606
例えば、スマ師はある説法会で聴衆にたいして「あなたがたは、リラックスしてない」「日本語にはリラックスに相当する語がない」といわれてます。それ以上の解説はありませんでしたが、これはどういうことか?
聴衆のかたがたは、ふつうにあぐらをかいて座っていたのです。通常でいわれるリラックス状態であったでしょう。
リラックスしてないということは緊張しているということです。
人間はその体重を支えるために必要以上に力をこめ緊張して立っているのです。それが脳に悪い影響を与えているのです。
縛られるようにして立ってしまっているのです。そのことにさえ気が付いていません。
なので、足の裏の感覚から立つと言うことを捉えなおしていくのです。
堅く立ってしまっているその堅さが溶解していく最初がプロセスが足の裏からなんですよ。

スマ師が立禅を指導するときにエネルギーというのは気のことです。
スマ師が瞑想中、身体を動かすなというのは、身体の動きを止めていると身体内の気が動き出すのです。
なぜ、瞑想で腹を意識させるのか?これは秘密にしておきますが、中道にいたるターニングポイントともいえる大事なポイントがあるのです。

真理はひとつです。プロセスは同じなんです。人間の構造はみな同じです。だいたい慈悲の瞑想以外は、気功と同じです。

私の悟りは、テーラワーダのプロセスと同じです。

あなたに他所へいけなどといわれる筋合いはありません。

608:神も仏も名無しさん
13/12/26 20:52:56.72 KMVeEdzR
>なぜ、瞑想で腹を意識させるのか?
丹田を意識するとかじゃないですよ?w ワーヨー・ダートゥ(動きの要素)を観察するためです。
別に鼻の空気の出入でも、歩行時の足の動きでもいいのです

609:神も仏も名無しさん
13/12/26 21:05:27.83 KMVeEdzR
>私の悟りは、テーラワーダのプロセスと同じです。
名色分離智も生じていないようですので、明らかに違うと思います

610:神も仏も名無しさん
13/12/26 22:19:46.56 rOGiAojz
>>608
そう、鼻の息でも、歩行時の足の動きでもいいのに、なぜ腹に限定させているのか?ということです。

ワーヨー・ダートゥ(動きの要素)を観察していったら、どうなるのか?ということです。

表面的な観察ならだれでもできます。微細で深いレベルまで観察できてきたとき、どうなるのか?ということです。

自覚がない部分は観察できません。気が至らないと自覚できえません。意識が気を導きます、だから、意識続けるのです。

中道へのターニングポイントが自覚できえたとき、実は、そのとき、呼吸の動きにたいするある自覚も生じます。


>>609
「名色分離智」をあなたがどう解釈しているかわからないので、なんともいえません。

611:神も仏も名無しさん
13/12/26 23:29:50.47 ZPIXgJZ0
「解釈」じゃないんだよ。
頭で考えたことや、本で読んだ知識じゃないんだから。

612:神も仏も名無しさん
13/12/26 23:48:24.65 rOGiAojz
>>611
解釈ではないというなら、
「名色分離智」をどういう意味でつかっているのか、教えてもらわないと話あえるわけがない。
いってるがわかりますか?
たとえば、プラユキ氏の名色分離智慧
URLリンク(hpcgi1.nifty.com)
この人は確か、「仏教のすべてが苦」といのは間違いだともいっている。
この人と同じ意味での「名色分離智慧」ですか?

名色分離智慧⇒「名」「色」は別のものであるとわかる智恵。
これにおける「名」とは何なのか?
「色」は何なのか?
定義しないと話しにならない。

あと君が、どの文章を読んで、どう判断して私に名色分離智慧がないと判断したのか?
たぶん私のある文章を理解できずに独自に判断して、そう判断してるだけなんだろうけど。

613:神も仏も名無しさん
13/12/27 00:08:44.81 jPhNs/l3
>>600
>中道とは矛盾が矛盾でなくなることだよ。

釈尊が悟りの内容を問われた時、「わたしの悟ったものは中道である」と答えたわけですよね。
つまり、中道とは四聖諦のことであり、仏教教理全体を包摂するものであるはずです。
そうでなければ中道を説明できたことにはなりません。

614:神も仏も名無しさん
13/12/27 00:13:09.82 jPhNs/l3
テーラワーダ仏教は、「ぼくが考えた悟り」とか「マイオリジナル仏教スタイル」といった
ものに迎合することはないでしょうし、認めることもないと思います。

他の部派だというなら何も言いませんが、「テーラワーダと同じだ」というなら
こちらも「違うものは違います」といわねばなりません。

615:神も仏も名無しさん
13/12/27 01:06:43.14 xGM58vpg
>>613

中道は、中道として中道を説明するのが正解であり、他のものと結びつけて、どうのこうのいわれてもあなたの理屈であり、同意しかねます。

あなたこそ仏教を違えているのではないでしょうか?

中道のあとに八正道や四聖諦がくるのではないでしょうか。

中道=四聖諦であるという説明をしてください、そういう珍説ははじめてききました。

少しだけ説明するなら中道なしに八正道はありえませんね、何をもって正しいというのか判断できませんから。

また、中道の体現においてレベルも存在します。私はスマ師や釈迦のレベルではございませんので。

相対立するものが融合、調和する、矛盾するものが矛盾でなくなるのが中道です。

これ以上説明するのは、時間、労力的にしんどいので、そのうちするかもしれませんが、いまはこの程度まで。
本当に話だせば、すごく長くなるので、そこまで説明しなければいけない義務もないはずです。

>>614
あなたの判断が正しいかどうかもわからないのですよ。
あなたに判断する力があるかどうかもわからないのですよ。
判断できるというのなら、きっちり、テーラワーダにおける中道とは何かを具体的に説明してください。
中道というものがわからないのに判断できるはずがないですよね。わかってるから判断できるんですよね。

また、中道とは普遍的原理であるはずで、テーラワーダ独自の中道があるというのはおかしな話ですよ。

616:神も仏も名無しさん
13/12/27 01:25:32.32 jPhNs/l3
>>615
本当の説明なら、お釈迦さまの教説がパーリ経典に残っているわけですから
それを見ればいいんですよ。
それが上座部のスタンスなんですから。

617:神も仏も名無しさん
13/12/27 01:27:02.41 jPhNs/l3
そこから離れて、色んな人がマイ仏教を語るからおかしな事になるんであって。

618:神も仏も名無しさん
13/12/27 01:39:13.65 X8sf8M0l
>>610
>なぜ腹に限定させているのか?ということです。
鼻の息を観察しないのはアーナーパーナが清浄道論でサマタ瞑想に分類されているので
ヴィパッサナーではなくサマタ瞑想を教えていると非難される恐れがあるから

(Vipassanaa Q&A マハーシサヤドーと現代のヴィパッサナー瞑想法 P.51-52
URLリンク(gotami.txt-nifty.com)

>歩行時の足の動きでもいいのに
歩行瞑想と呼吸瞑想の区別がついてないのかな

>>612
>たとえば、プラユキ氏の名色分離智慧
プラユキさんの名色分離智「解釈」は間違ってます。思考が現実でないと気づくことが名色分離智(nāmarūpapariccheda-ñāṇa)
ではありません

このSatyaという人があなたですか?文章が似てる気がするけれど

>これにおける「名」とは何なのか?
>「色」は何なのか?

名(ナーマ)とは心であり、色(ルーパ)は肉体
具体的にはおなかの膨らみ縮みや、足の動きなどの動作が色(ルーパ)で、
その動作に気づく心が名(ナーマ)

名色分離智とは心と肉体とが別々の働きだと智慧で知ること

>どう判断して私に名色分離智慧がないと判断したのか
悟ったという割りに、潜在意識と顕在意識がどうたらとか、気功がどうたらとか、悟りに関係ない話ばかりしてるから
カンポンさんの本を読みましたか?あれのP.125に出てくるのが名色分離智ですよ

619:神も仏も名無しさん
13/12/27 03:13:19.03 xGM58vpg
>>618
>歩行瞑想と呼吸瞑想の区別がついてないのかな

腹に限定している事実があり、腹に限定するには理由があると私はいった、
そしたら、あなたが「別に鼻の空気の出入でも、歩行時の足の動きでもいいのです」といったんですよ。
だから、私は、それに対して、だからなぜそしたら、「腹」に限定するのかといってるんです。
自分のいってることわかってる?話の流れわかってるか?
歩行瞑想と呼吸瞑想の区別ぐらい馬鹿でもわかるわ。

鼻の息に限定しない理由=腹に限定するではないですよね、腹に限定する理由の話をしてるんですが!あなた論点ずらしすぎですが。
結局、なぜ腹に限定するかあなたは、説明してませんが。

>プラユキ氏の名色分離智慧

私は、あながち間違ってるとも思いません。深いレベルでとらえられてるという見方もできます。
Satyaは私ではありません、全然知らない人です。簡単に同一人物視しないでください。

620:神も仏も名無しさん
13/12/27 03:14:26.72 xGM58vpg
>>618

>悟ったという割りに、潜在意識と顕在意識がどうたらとか、気功がどうたらとか、悟りに関係ない話ばかりしてるから

関係ないとあなたが思うだけですよね、あなたのレベルでの判断ですよね。悟りに意識が関係ないとでも。関係ないことを説明できますか?
スマ氏は脳の本やらいろいろだしてますよね。スマ師がいろいろ語る分には悟りに関係あると思えると、まったく独善ですね。

スマ師がいうエネルギーというのは気だといったのです、立禅は気功にもありますし、中国拳法の内家拳系武術でも立禅はやります。
だから気功は関係あります。気功は身体に気をめぐらせていくメソッドです。スマ師は悟りに関係ない、まったく無駄な「立禅」を指導しているということですか?

仮に関係ない話ばかりを私がしていたとしても、それが、私に名色分離智慧がないのとは結びつきませんよね。あなたの独善ですよね。
結局、レベルの低い言いがかり的なことをいってるだけですよね、きちんとした理由説明は一切できてないですよね、あなたの幼稚さを自覚してください。

>カンポンさんの本を読みましたか?あれのP.125に出てくるのが名色分離智ですよ

カンボンさんて誰?知らんがな。一般的な名色分離智ぐらいわかっとるわ。まず定義しないと話あえないといったの。

621:神も仏も名無しさん
13/12/27 04:49:30.25 xGM58vpg
>>616
>>617
経典と違うというのならどう違うのか説明するのが筋ではないでしょうか?
記憶では経典では、中道のことは説明されてなかったと思いますが。
大衆は極に偏る⇒悟った人は中道を行く⇒八正道の説明
「悟った人は中道を行く」としかかかれていなかったと思いますど。
経典にはかかれていないのに、上座部のスタンスもなにもありませんが。

あなたが理解できないから「マイ仏教」としか思えないだけですよね。
自分の理解できないレベルや世界があるとは思えないんですよね。
顕の教えと密の教えがあるというのがわからないのでしょうね。
スマ師なら何かいても、仏教だと思えるのですよね。

私のかいてることぐらいあたりまえに理解してもらえて、意見交換できるグループもあります。
別のグループでは私は指導してもらってるのですが、指導者とは会ったことも、話したこともない人で遠距離の人ですが、会わずとも話さずとも離れていても、
私の身体の状態、意識の状態を読みとりアドバイスをブログのコメント欄にしてもらってます。
信じられないでしょうが、わたしの想念まで正確に読み取られてます。そういうレベルの世界もあるのです。

まあ、ここはあまりにもレベルが低すぎます。書くだけ時間の無駄ということがわかってきました。

622:神も仏も名無しさん
13/12/27 06:11:06.55 X8sf8M0l
>>619
>だからなぜそしたら、「腹」に限定するのかといってるんです。
>鼻の息に限定しない理由
>結局、なぜ腹に限定するかあなたは、説明してませんが。
まず根本的な誤解がある
マハーシ長老はお腹の動きに限定してないし、アーナーパーナでも、方法論的に変わらないと思うと言ってる。
ヨギが望めばマハーシ長老は許してると書いてるしね

なぜアーナーパーナを自分から指導してないかということはすでに書いた通り、清浄道論で~だね
勝手に憤激する前に人の話をもうちょっと聞いてね

>簡単に同一人物視しないでください。
ごめんなさい。。

623:神も仏も名無しさん
13/12/27 06:13:32.53 X8sf8M0l
>>620
>スマ氏は脳の本やらいろいろだしてますよね。スマ師がいろいろ語る分には悟りに関係あると思えると、まったく独善ですね。
ん?俺一言でもスマナサーラ長老がどうとか言ったっけ?長老が脳の本出してるかどうかなんて知らないよ
で、長老が脳の本で、悟ると潜在意識と顕在意識がつながると言ってるの?

>スマ師がいうエネルギーというのは気だといったのです、立禅は気功にもありますし、中国拳法の内家拳系武術でも立禅はやります。
で、スマナサーラ長老がエネルギーと言ってるからなんなの?

>だから気功は関係あります。
実践してる姿を外から見たら似てるだけで、理論は全然違いますね。テーラワーダでは気なんて概念は扱わない
パーリにないことを、自分がそう思うからという理由だけで勝手に取り入れられても、あっそで終わりですよ
2chとかネット界隈では頭のおかしい仲間が同調してくれるかもしれないけど

>スマ師は悟りに関係ない、まったく無駄な「立禅」を指導しているということですか?
いいえ、「立禅」は悟りに大いに関係があります。気という概念と絡めた気功もどきの「立禅?」が悟りに関係ないだけで

>それが、私にそれが、私に名色分離智慧がないのとは結びつきませんよね。慧がないのとは結びつきませんよね。
顕在意識と潜在意識がどうとかいうヨタ話を語ってる時点で確実に智慧はないと思いますけどね

あと、矛盾が矛盾でなくなる~というのは単なる神秘主義です。
どの段階の悟りの智慧がそれらの話と関係あるんですか?壊滅智ですか?過患智ですか?

まともなテーラワーダの人は誰もそんなことはいいません。だからここで自分の悟り体験を披露することに益はないと思いますよ。あなたにも、他の人にも。

>カンボンさんて誰?
プラユキさんの本に出てくる人ね。プラユキさんを出してくるから当然知ってるかと思って

624:神も仏も名無しさん
13/12/27 06:22:34.50 X8sf8M0l
>>621
>顕の教えと密の教えがあるというのがわからないのでしょうね。

アーナンダよ、いったい、比丘僧団が、
わたしに何を期待しているのか?

アーナンダよ、内もなく、外もなく行い、
わたしは、法を説いたのである。

アーナンダよ、そこには、如来にとって、
師の握り拳(隠された教え)はない。

(大般涅槃経)

625:神も仏も名無しさん
13/12/27 08:52:54.07 xGM58vpg
>>623
>実践してる姿を外から見たら似てるだけで、理論は全然違いますね。テーラワーダでは気なんて概念は扱わない
パーリにないことを、自分がそう思うからという理由だけで勝手に取り入れられても、あっそで終わりですよ
2chとかネット界隈では頭のおかしい仲間が同調してくれるかもしれないけど

では立禅は何のために行うのか、立禅の説明のとおきにスマ師がエネルギーというのは何のことか説明してください。
気功や武術でおこなう立禅とどうちがうのか?なぜ同じことをやってるのに、違うといえるのか説明してください、
普遍的真理を求めてるのではないですか?仏教だけ立禅で違う結果がでるのですか?

気という概念を扱うかどうかではなくて、修行がすすめば、当然、気の感覚は芽生えてます。そこまでのレベルにでさえ達してないからわからないだけです。
同じ人間が同じことやって違う結果がでるというのは、おかしなことですよ。


>あと、矛盾が矛盾でなくなる~というのは単なる神秘主義です。どの段階の悟りの智慧がそれらの話と関係あるんですか?壊滅智ですか?過患智ですか?


中道そのものが矛盾が矛盾でなくなることだということです。中道であるからこそ智慧というものがでてくるのです。

まず、あなたのいう中道、または、テラワダでいう中道とは何かを説明してください。
自分では中道がなにかわかってないのに、否定することだけはできるというのはおかしな話です。


>まともなテーラワーダの人は誰もそんなことはいいません。だからここで自分の悟り体験を披露することに益はないと思いますよ。あなたにも、他の人にも。

まともとまともでない判断は誰がどのような基準でおこなうのでしょうか?

626:神も仏も名無しさん
13/12/27 09:35:05.08 9r0pt+Jb
俺にもわかることがあるな・・・

それは君たち二人が怒っていること

627:神も仏も名無しさん
13/12/27 09:47:23.08 xGM58vpg
中道とは、「矛盾が矛盾でなくなること、対立するものが調和、融合、和合すること」

これが神秘主義だというが、悟りを得ない人には神秘としか思えないのはわかる。
頭の理屈だけで理解できる、理屈だけで完結するなら悟りではない。

通常は中道は「極端に偏らないこと」というふうに説明される。
これはいいかえれば、バランス感覚が大事だということになる。
それなら、はじめから、バランス感覚といえばいい。
でもこれが悟りといえるだろうか?

628:如是我観
13/12/27 10:48:37.84 L2tqqIDD
>>624
>アーナンダよ、内もなく、外もなく行い、

受け売りのまま、
これを無いと誤見したら有の対極が立つ二元性であり
虚無に堕ちるだろう。
また不二一元にも非ず不二不一元とする中道をとる。
だれがこんな誤解する言葉で伝記か誤訳したんだかw

アーナンダよ、内に執着せず、外に執着せず行い、
わたしは、法を説いたのである。
が正しい見解です。

629:神も仏も名無しさん
13/12/27 17:45:45.32 X8sf8M0l
>>625
>立禅の説明のとおきにスマ師がエネルギーというのは何のことか説明してください。
俺が長老から瞑想指導を受けたときはエネルギーがどうとかいう話はされなかった
長老が書いているヴィパッサナーの本にもエネルギーがどうとは書いてない
・・・ので知りません

>なぜ同じことをやってるのに、違うといえるのか説明してください、
気功では足の裏の感覚や立っている姿勢、立っている時に心の内に起こる事などなどを価値判断なく観察しますか?
それらをやって無常を発見するなら、同じといえるのかも

>修行がすすめば、当然、気の感覚は芽生えてます。
ひとつ言えるのは、そのような感覚が起きてもテーラワーダでは、これは悟りの智慧だとか価値を入れてないということです
価値があるなら、必ず修行の体系に組み入れられて、仏典に記録されているはずですから

>中道そのものが矛盾が矛盾でなくなることだということです。
つまりあなたは、その中道体験を、思惟智から随順智までの10のヴィパッサナーの智慧の
どれにも関連付けられないということでしょーか?

>あなたのいう中道、または、テラワダでいう中道とは何かを説明してください。
二つの極端によらないこと、です。苦でもなく、楽でもない、実践を行うこと(具体的には八正道)
それをバランス感覚にすぎないからつまらない、というならあなたの勝手だけど

>まともとまともでない判断は誰がどのような基準でおこなうのでしょうか?
無常・苦・無我の発見につながるかどうか、執着をなくすことにつながるかどうか
なぜならそれが仏道の目的だから

630:神も仏も名無しさん
13/12/27 23:10:51.93 xGM58vpg
山下良道というビッパサナの指導者がいます。
URLリンク(www.onedhamma.com)
↑のワンダルマ・メソッドの音声ファイルの中で、「身体に流れるエネルギーを感じてください。そのエネルギーをなんとよんでもいい」といっています。
私は「気」と呼んでいます。
URLリンク(www.onedhamma.com)
↑の時間表のところに、「立禅(站桩気功)」とありますね。
気功や中国武術では、立禅のことを站桩功(たんとうこう)とか站桩気功とか呼びます。
山下氏は、立禅のことを站桩気功という気功だと認識しているということです。

>つまりあなたは、その中道体験を、思惟智から随順智までの10のヴィパッサナーの智慧の どれにも関連付けられないということでしょーか?

中道体験というのはあまり適切ではないですね。状態とか在り方とか、そういうものですね。
なぜ関連つけないといけないのかよくわかりませんし、そういった発想もないですし、知恵のもとが中道としかいえないですね。
中道にもレベルがありますので、レベルがあがるにつれて、そういった、あなたの指摘している智が現れるとしかいえませんが、

山下良道氏はいろいろなメソッドは根本は同じだといっていますが、私にしたらあたりまえのことですね。
山下氏のこと少しだけ調べたりしましたが、表現は違いますけど、山下良道氏は私と同じこといってますね。

>二つの極端によらないこと、です。苦でもなく、楽でもない、実践を行うこと(具体的には八正道) それをバランス感覚にすぎないからつまらない、というならあなたの勝手だけど

それは、山下氏のいうところにシンキングマインドのレベルでの中道なんです。スマ師のいう大脳レベルでの悟りなんです。
悟り・中道にもレベルがあるということです。

631:神も仏も名無しさん
13/12/28 17:28:56.72 QHdTRPPm
URLリンク(www.buddhachannel.tv)
↑どこかの国のお坊さんたちのホームページのようだ。
ここで後半から中道についての解説がある。
以下は、その抜粋

>對立的な存在として見なされた質量とエネルギーが融和し、一つの塊になってしまうことです。ところが、よく󰡐中道󰡑とすれば、󰡐中道は中間である󰡑というが、それは佛敎を全然知らない人の話です。中道は中間ではありません。

>中道とは、矛盾․對立している兩邊の生滅を超越し、生滅が互いに融和して、生が卽ち滅に、滅が卽ち生になることです。

>中道は、すべての對立を離れて、對立が融和して互いに合することだが、


この方は「融和」という言葉で表現しているが、私のいっている

「中道とは、相対立するものが、融和、調和、融合、和合すること、または矛盾が矛盾でなくなること」

と同じようなこといっていますよね。

君たちは、私の言うことには仏教でないと反発するが、どこかのお坊さんがいえば信じるのだろうね。

632:神も仏も名無しさん
13/12/28 18:16:22.60 QHdTRPPm
URLリンク(www.buddhachannel.tv)
↑で中道を語ってる人は、韓国の禅のお坊さんで退翁 性撤という人ということだ、


↓退翁 性撤
URLリンク(jp.koreanbuddhism.net)

↑の頁では、

>第三には、仏陀の教えは中道であるということである。善と悪、質量とエネルギーが一つに通じるように、あらゆる矛盾が融和して一つになるということである。

これも私のいってる中道と同じようなことだよね。

633:神も仏も名無しさん
13/12/28 19:45:22.99 IIOwfGrU
>>621
『南伝大蔵経』巻17のp491に中道について説明がありました。

634:神も仏も名無しさん
13/12/28 20:12:38.71 t5eWFmgT
>>632
その大乗の退翁性撤さんが言ってることとテーラワーダの中道になんの関係があるの?
だから他所のスレでやってねって言ってるのに我見を宣伝したくてしょうがないのね

635:神も仏も名無しさん
13/12/28 20:50:16.48 SUPLCk0O
するどいツッコミの応酬でどっちを応援してえーかわからんのう
ぜひ白黒はっきりつけてもらいたいんもんだ

636:神も仏も名無しさん
13/12/28 20:57:43.19 SUPLCk0O
ちなみに、スマナサーラ氏が気功のようなエネルギーについて語っているのは、また聞きで聞いたとはある
山下氏がかたっているのも知っている
だからどうというわけではないが、マメな

637:神も仏も名無しさん
13/12/29 02:45:20.60 KKMq5C0O
>>634
あなたはあさはかですよね。たんなるアラさがしですよね、大乗だとつ込む馬鹿はいるだろうとはじめから想定してましたが、やっぱり馬鹿があらわれた。
大乗の坊主だとわかっていなかったら、あなたは、どう判断したのでしょうか?

テーラワーダでさえ初期仏教ではあるけど、原始仏教ではない。不純物はまざっている。
釈迦を信奉し「お釈迦様」と呼ぶなら、
退翁性撤氏の語る内容が真実か真実でないか、釈迦のものであるかないかが大事なのですよね。
退翁性撤氏は仏教としての中道を語ってる、たまたま、立場が大乗なだけである。
そのうえ科学的な面からも説明をしている。

テーラワーダの中道とこが違っているとかどう違うとか、なぜ関連性がないかとか・・・
具体的に意見してください。
あなたのは、たんなる中傷ですよね。恥を知りなさい。

いままで、私の中道を非難はするけど、具体的に中道を説明した人は1人もいませんが。




 

638:神も仏も名無しさん
13/12/29 06:59:24.30 rZxb9vuG
>>637
どう判断したのでしょうか?って俺の今までのレス読めば分かるでしょ…

>具体的に中道を説明した人は1人もいませんが。
…orz

639:神も仏も名無しさん
13/12/29 07:52:29.21 rZxb9vuG
>>637
まあ気を取り直してツッコミは入れときますか…

テーラワーダの中道では基本的に苦楽の二辺を扱うのであって、なんでもかんでも二項対立するものを俎上にあげたりはしません
生と滅とか天と地、男と女とかね

(あなたが言いたいのは中道というより、大乗でいう「不二」の論理でしょうね)

中道は二辺を離れて、それらと違う道を行くことだけど
あなたたちの言ってる「中道」は
>對立的な存在として見なされた質量とエネルギーが融和し、一つの塊になってしまうことです。

>相対立するものが、融和、調和、融合、和合すること

というように概念一般の二項対立を扱い、しかも二項を捨てるのではなく、むしろそれらを「掴んで」融合させようとしてる
生も滅も捨ててない。どっちも両取り

しかも
>矛盾․對立している兩邊の生滅を超越し、生滅が互いに融和して、生が卽ち滅に、滅が卽ち生になることです。

これは大乗の不二(不一)の論理からも外れてる
大乗は不二(別ではない)というけど、不一(同一ではない)とも言うからね

不一を外した「生が卽ち滅に、滅が卽ち生に」という融合論はむしろヒンドゥー教などの外教的な考え方だと思います
これは龍樹や般若心経がいう不生不滅とも全く異なる

龍樹たちが言ってるのは、生ずるとも滅するとも見ないということですから。
龍樹たちがいう二項を離れることは概念を消すこと(空性)

生が滅になりますよ~、滅が生になりますよ~ということではない
これでは生という概念も、滅という概念も結局残ってしまってる

640:神も仏も名無しさん
13/12/29 07:55:34.68 rZxb9vuG
>>637
>具体的に中道を説明した人は1人もいませんが。

>>あなたのいう中道、または、テラワダでいう中道とは何かを説明してください。
>二つの極端によらないこと、です。苦でもなく、楽でもない、実践を行うこと(具体的には八正道)

641:神も仏も名無しさん
13/12/29 09:28:51.54 gW5nox8J
ざっと調べると、中道についての説明は
「律蔵」「増支部」「相応部」等で見つかりました。
要約すると、

「欲に貪著することと自らを苦しめることの二邊をすてて中道。
中道とは即ち八聖道」(南伝3巻p18)

「両極端は避けられるべき。
両極端とは欲に専心することと、自分の難苦に専心すること。(略)
中道とは八正道。」
(南伝16巻上p36)

642:神も仏も名無しさん
13/12/29 09:33:44.08 gW5nox8J
「三つの道がある、諸欲に堕落する道、劇苦道、中道(世に対する貪と憂を除く等)」
(南伝17巻pp488-490)

「中道とは、未だ起こっていない悪不善の法が起こらないようにするため、
既に起こった悪不善の法を断つため、
未だ起こっていない善法が起こるように、
既に起こった善法が倍増するように、
欲を生じて策励して、(略)
正見~正定を修習する。これを中道という。」
(南伝17巻p491)

643:神も仏も名無しさん
13/12/29 11:59:01.82 KKMq5C0O
>>639
>テーラワーダの中道では基本的に苦楽の二辺を扱うのであって、なんでもかんでも二項対立するものを俎上にあげたりはしません
生と滅とか天と地、男と女とかね

扱わずとも、極と極があるのは事実ですよね。相反する極の対立や矛盾で人は悩み苦しむのですよね。仏教が人の悩みや苦しみに答えをあたえるものならば、それらに答えがないと意味がないですよね。
つまり、テーラワーダは人の悩みや苦しみなんか関係ないと、解決できるものではにといってるのと同じですけど。

644:神も仏も名無しさん
13/12/29 11:59:45.47 KKMq5C0O
>>639
>苦楽の二辺

修行は苦にも楽にも偏らない修行をする、それが中道・・・ということですよね。
立禅という立つ修行があります。
立つ修行という修行において苦にも楽にも偏らずに立ってください。それが中道です。私の言いたいのはこれです。私のいう中道はこれです。私はテーラワーダと同じこといってますけど。
楽(脱力)を極めれば寝るのが楽なんですけど、寝てはダメです。立っていて下さい。
だからといってしっかり立つことで力み(苦)すぎてはいけません。

問題は、人は力んで立ってしまっていること(苦)に気がついてないことです。
人間の大脳は、動物に比べて大きく重いのです。赤ちゃんのときに、まず首が立ちます。そのときから意識して最小限の力で頭を支えることを意識してきましたか?
重い体重を支えるのに、腰や足首に力を込めすぎていないか意識してきましたか?
常習化されてしまい、気が付くことさえできなくなってしまっているのです。
力みが首の付け根、腰、足首を中心に身体じゅうに広がってしまい、筋肉が固まってしまっているのです。高岡英夫という学者はそれを「拘束」と呼んでいます。
精神的にも人を拘束してしまっているのです。脳に悪い影響を与えています。それが苦の原因です。
力むことが、その力みが執着にもつながっているのです。

645:神も仏も名無しさん
13/12/29 12:00:33.23 KKMq5C0O
>>639
重力と反重力がある(→事実)
重力と反重力を利用して立っている(→事実)

力んで立っているということは、重力(↓)と反重力(↑)の相反するベクトルのバランスが偏っているということです。

重力という法則のもとに立っているのは、扱わずとも事実ですよね。
力むのと力まないのではどっちが楽ですか?

各宗派の理屈を並べるのは結構ですけど、事実や真理がいくつもあるのですか?
テーラワーダが真実かどうかは別問題で、それは~の考え方だ・・・・といってるだけですよね。
テーラワーダの真実性は、何によって担保されるのですか?
修行との関連はあるのですか?ないのですか?
テーラワーダの修行はなんのためにあるのですか?修行をすすめるとどうなっていくのですか。
修行をすすめていくとなぜ苦がなくなるのですか?
テーラワーダの修行で得たものをもとに自分の言葉で説明していただきたいものです。

646:神も仏も名無しさん
13/12/29 13:50:33.29 rZxb9vuG
>>641-642
おお、勉強になります
やっぱ法話や他人の受け売りじゃなく経典に直に当たるのって大事だなー

>>643
>仏教が人の悩みや苦しみに答えをあたえるものならば、
四諦で苦の滅を説きます。苦の滅に至る道、八正道があります
たしかに二項対立は色々あり、人はそれに苦しみますが、執着がなければ問題ありません。
自分への執着がなければ、背が高かろうと、低かろうと、どうでもよいことなのです。

>>644
>立禅という立つ修行があります。
いちおう言っとくと立禅はテーラワーダではそんなにメジャーな教えじゃない気がします
自分の見た限りですが、純粋なテーラワーダの指導者でこれを教えてるのはスマナサーラ長老だけです

>>645
>テーラワーダの真実性は、何によって担保されるのですか?
文献学的に最も信頼性の高い仏典を扱っていることなどもありますが
最終的には個人の信に関わってきます。絶対的な何かには担保されないかと

>修行との関連はあるのですか?
あります。実際に効果があるから続けます。なければ本物ではないのかも…となり、捨てられます

>修行をすすめていくとなぜ苦がなくなるのですか?
妄想と執着がなくなっていくからです。ぐるぐると妄想することは実は苦しいです。なにかを求めないということは凄く精神的に落ち着くことです。
自分がいるという執着が微妙にでもなくなるだけで恐ろしいほど安楽な気持ちになれます

647:神も仏も名無しさん
13/12/29 15:21:54.14 KKMq5C0O
>執着がなければ問題ありません。

簡単に執着がなくならないから悩むんだよね。
私は、なぜ執着してしまうのか・・・・ということから言っている。

>いちおう言っとくと立禅はテーラワーダではそんなにメジャーな教えじゃない気がします
自分の見た限りですが、純粋なテーラワーダの指導者でこれを教えてるのはスマナサーラ長老だけです

立禅がわかりやすいから、それを例にとっていってるけど、瞑想のときに身体を立てるのも同じことなんです。
重力に対してたててるし。
それに歩く瞑想も重力にたいして立って歩いているわけだし。


>あります。実際に効果があるから続けます。なければ本物ではないのかも…となり、捨てられます

そうそれを私は、脳科学で認められていること、他のメソッドであっても、指導者レベルと同じ認識や体験にいたったこと・・・などをもとに語っている。
特に脳科学で認められていることは、認めるべきだと思うが、悟りに関係ないとか、テラワダでないとかいって批判する人がいる。
テーラワーダの修行方法については否定したことがない。

>妄想と執着がなくなっていくからです。ぐるぐると妄想することは実は苦しいです。なにかを求めないということは凄く精神的に落ち着くことです。
自分がいるという執着が微妙にでもなくなるだけで恐ろしいほど安楽な気持ちになれます

それは、すばらしいことだと思います。経典の受け売りを並べるより、よほど価値のあるご意見だと思います。

648:神も仏も名無しさん
13/12/29 15:35:09.60 KKMq5C0O
>>646
八正道はあとから挿入されたという説もあります。
問題は、何をもって正しいというのかです。
実生活においては、あとからでないと正しいかどうかなんてわかりませんよね。
そのときは正しいとおもってやったことでも、全然、的外れだったとか。
犯罪者や政治犯、確信犯・・・・・・でさえそのときは正しいとおもいながら犯罪を実行していたりするわけで。

正しいと思われることをやって、結果、適切だったと、その正解率の確率がすごい高いのと、
正しいと思われる答えを出すまでの時間が瞬時であること、
物事の本質から捉える能力が高いこと、
これが中道の人の能力(智慧)です。

私は中道を現実生活で活かすのが八正道であるというのなら同意しますけど。

何をもって正しいと判断するのかわかりませんので、実行はできませんし、
八正道で悟りにいたれるとは思えません。

649:神も仏も名無しさん
13/12/29 17:41:29.02 KKMq5C0O
>>639
>というように概念一般の二項対立を扱い、しかも二項を捨てるのではなく、むしろそれらを「掴んで」融合させようとしてる
生も滅も捨ててない。どっちも両取り

理にかなえば融合してしまうのであり、無理に融合させてるわけではありません。
つかむとしても力んだり、こちらに我欲があれば相手は逃げるでしょう。
動物なら、人間の緊張する表情をよみとり、攻撃的になったりします。
そもそもまったく性質がことなるものを、つかんで融合させようとしても、できないものはできない。

極と極というのは、現実生活にあるもので、どうやって捨てるのですか?
利害関係者がいて悩むし、武術、スポーツなら敵がいるし・・・・・・・・・。

私の言う中道とは形而上的なものではないのです。
例えば、バレーというスポーツなら、敵からのサーブをレシーブでセッターにボール送ります。
時速100k以上のスピードのサーブを球の勢いを殺し、セッターがトスを上げやすい角度、高さでボールをあげなければいけません。それもセッターは移動しながら、ジャンプしながらトスを上げるのです。
球の勢いをレシーブで殺すには、極力、力を抜いて球を受け止めなければなりません。だけども、ゆるいスピードで球をセッターに送ると、相手に読まれてしまいますので、早い球で、移動中のセッターがトスを上げやすいように
球をコントロールしてセッターに送らないといけません。
球をコントロールには、力を使わないといけません。
つまり、球の勢いを殺すには脱力しないといけないけど、球をコントロールするには、力をつかわないといけません。
このように矛盾することを同時に高レベルでやってるのが、全日本やプロの選手たちです。
大衆ではできないことをあたりまえにやってるからプロなのですが、矛盾が矛盾でないのです。
これは一例でしかありませんが、現実ですよね。

私のいう中道は、考え方ではないのです。現実なのです。

650:神も仏も名無しさん
13/12/29 19:04:33.83 KKMq5C0O
>>639
>テーラワーダの中道では基本的に苦楽の二辺を扱うのであって、なんでもかんでも二項対立するものを俎上にあげたりはしません
生と滅とか天と地、男と女とかね

釈迦が中道をガンガー河に流れる丸太に例えて説いている(相応部)
>こちらの岸に流れつかず (六根(六内処)に囚われることなく)
>向こう岸に流れつかず (六境(六外処)に囚われることなく)
>中流で沈みもせず (悦楽・欲望に囚われることなく)
>中州に打ち上げられもせず (自我の妄執に囚われることなく)
>人によって持ち去られもせず (社会性・人間関係(付き合い・同情)に囚われることなく)
>人でないもの(鬼神)によって持ち去られもせず (神秘主義に囚われることなく)
>渦に巻かれることもなく (五感による欲望にまきこまれることなく)
>内部から腐敗していくこともない (偽り・欺瞞を隠して生きることがない)
>ならば、海(悟り、涅槃)へと到達するであろうと説かれる。

↑では中道を苦楽の二辺いがいにもあてはめてとかれていますので、苦楽だけの中道をあつかっているという主張はおかしいですね。
いろいろな極と極にたいしての中道でないとおかしいですね。

あともっと根本的なことからもうしますと、大脳自体がもともと2極的に判断をするとこなんですよ。
大脳優位性(山下氏のいうシンキングマインド)の状態だと、とくにそれが顕著になるんです。
だから大衆は極と極に偏るということなんですが。
それに対しての中道ですね。小脳が関与してくるんですが。
そのうち暇があればかくかもしれませんが。

651:神も仏も名無しさん
13/12/29 19:21:36.75 jKQntH95
経蔵(スッタ)
論蔵(アビダンマ)
注釈(アッタカター)
複註書(ティーカー)

八正道における正しいとは何か
中道とは何か

この辺に全部書いてあるでしょ。

652:神も仏も名無しさん
13/12/29 19:30:59.79 jKQntH95
たとえば、正見の正しい見方とは
ものごとの実相を無常、苦、無我であるとみること
過去、現在、未来の縁起が、因と果の連なりであることを見ること
と説明されているし、

正思惟とは、慈悲喜捨に基づく思いであると定義されているし、

正語、正業、正命、正念、正精進、正定、それぞれに定義がある。

正定は四つの禅定のこと。

653:神も仏も名無しさん
13/12/29 20:25:22.40 rZxb9vuG
>>650
どこの経典か分からないので同じ経典を題材にしたらしい法話を見ながら書きますね。。
URLリンク(www.j-theravada.net)

>釈迦が中道をガンガー河に流れる丸太に例えて説いている(相応部)
これは中道の説明ではないと思います

中道は2つの極端に(ubho ante) 近づかずして(anupagamma)と表現されるからです

これは「8つの障害に合わなければ海にたどり着く」ということで、極端に近づかない事とは説明されてません

2辺の組み合わせが4つあるのだというかもしれませんね
では
>渦に巻かれることもなく (五感による欲望にまきこまれることなく)
>内部から腐敗していくこともない (偽り・欺瞞を隠して生きることがない)
というのは2つの対立項でしょうか?違いますね?

しかし、この8つの例え自体が八正道の説明になってる可能性はあります。
ならばこれは苦楽の中道とみるべきでしょう

>苦楽だけの中道をあつかっているという主張
誤解です
「基本的に」と書きました。「だけ」とは言いませんでした。有無の中道もあるからです。(カッチャーナ・ゴッタ経)

>いろいろな極と極にたいしての中道でないとおかしいですね。

では釈尊が生滅の中道を説いたという経典を教えてもらえますか?
ないと思います
「生じたものは滅する性質のものである」というのが釈尊の教えですから

654:神も仏も名無しさん
13/12/29 21:07:09.95 KKMq5C0O
>>653
釈迦は最初に苦楽と有無の中道をといたが、そのごは、ことあるごとに中道をといたのが正解だと思いますが。
たとえば
>>628

>内に執着せず、外に執着せず行い、

これも中道ですよね。

655:神も仏も名無しさん
13/12/29 21:16:02.33 KKMq5C0O
>>653
>「生じたものは滅する性質のものである」というのが釈尊の教えですから

私はまえに中道とは、状態・在り方であると書きました。
生成と消滅のなかで生じるのが中道です。

656:神も仏も名無しさん
13/12/29 21:16:57.07 rZxb9vuG
>>654
>>内に執着せず、外に執着せず行い、

>これも中道ですよね。

違うと思います

Sn 949 過去にあったものを涸渇せしめよ。未来には汝に何ものも有らぬようにせよ。中間においても汝が何ものをも執しないならば、汝は「安らかな人」としてふるまうことであろう。

のように、すべての考え得るケースを列挙して否定しているだけだと思います

ていうかそれは628氏の改変だし。。

657:神も仏も名無しさん
13/12/29 23:59:42.42 KKMq5C0O
>>656
改変じゃなく解釈の違いですよね。
私はパーリ語読めないので日本語のもので理解するしかありませんが、

>>653
川の対極という極に丸太が引っかからなければ、最終的に海という悟りにたどり着く
と私は解釈したんですけどね

658:神も仏も名無しさん
13/12/30 00:26:42.34 VtDNspJn
いくら議論しても、実際にそれを見ないと全貌はつかめない。
逆に遠ざかる。

659:神も仏も名無しさん
13/12/30 01:59:17.90 3MUfBXVJ
とおざかるわけねえだろ。W

660:神も仏も名無しさん
13/12/30 02:02:40.90 3MUfBXVJ
 妄想の世界で「それは妄想で、これが瞑想」というような議論が宗教の全貌。

661:神も仏も名無しさん
13/12/30 02:06:06.24 Uxmgf+VA
その考え方はよくわかる。
その枠組み、フレームワークはよく見かける。

662:神も仏も名無しさん
13/12/30 02:44:42.09 VtDNspJn
アフリカゾウの特徴を1000挙げてみる。
出来上がったのは化け物。

中道の定義を10000挙げてみて、出来上がったのはグロテスクなただの概念。

どちらも、自分の目で見れば一発なのに。

663:神も仏も名無しさん
13/12/30 02:49:53.81 VtDNspJn
まあグロテスクじゃなくて、一見美しい概念かもしれないけど。

グロテスクだろうが美しかろうが、どちらも同じ役立たず。概念にとどまる中道に、
口角泡を飛ばして議論するほどの価値はない。ただ自意識を強化するだけ。
知りたければつかめばいい。語ったり、仮に論破できたりしても、なんの得にもならないよ。

664:神も仏も名無しさん
13/12/30 07:21:20.74 lBaAHdRC
>>623
>実践してる姿を外から見たら似てるだけで、理論は全然違いますね。テーラワーダでは気なんて概念は扱わない
パーリにないことを、自分がそう思うからという理由だけで勝手に取り入れられても、あっそで終わりですよ
2chとかネット界隈では頭のおかしい仲間が同調してくれるかもしれないけど

仏教に4大元素で火地水風がありましたよね。そのうちの風が「気」です。

終わってるのはあなたのほうです。
気の感覚もないのに退翁性撤禅師をあれこれ見て取るようなことするなんてことは、大それたことです。
経典ごっこの世界のあなたには、退翁性撤禅師の修行の重みがわからないのでしょうね。修行歴だけみてもすごい人です。
まだ算数もできない幼稚園児が大学生にむかってアレコレいってるようなもんです。
あなたを貶めるためにいってるのではなく、本当に幼稚園児レベルなのです。
あなたは、ただの経典マニアです。シンキングマインドの世界の住人です。

まえに堅く立ってしまってるその堅さが溶解しはじめるのが、足の裏からだと書きましたが、こんなことは経典にはのってません。
気をまず感じ始めるのは、手からなんです。こんなことは経典にはのってません。
経典の世界と悟りの実体の世界とは別の世界だとお考えください。

仙道では気、仏教では風、ヨーガではプラーナ・・・・・共通項ですよね。悟りに絶対必要な感覚なんです。
気を扱うとかそういうことではないんです。
修行がすすんでいったばあい、感知するものなんです。
ヴィッパサナーで風(気)も観れないようでは悟りなどまだまだです。
悟ってないものがなぜ、悟ってる人(退翁性撤禅師)を見て取ることができようか?
見て取るとは、たとえば、私は山下氏の音声ファイルの声を聞いて、この人は本物だ、中道の人だ。
話している内容よりも、その声に聞きほれてしまいました。
反重力にのった立ち方をしている人でないと出ない声なんです。


URLリンク(www.bukkyouoshie.com)

665:神も仏も名無しさん
13/12/30 12:31:16.66 kP7Fh8Fe
>>664
>仏教に4大元素で火地水風がありましたよね。
>そのうちの風が「気」です。

ではないよ。
上座部仏教の四元素は色(ルパ)の構成要素。
つまり、物質を構成する要素としての風。

666:神も仏も名無しさん
13/12/30 12:32:16.76 kP7Fh8Fe
あと、山下氏はパオ森林僧院から破門扱いされてて
スダンマチャーラの比丘名も没収されてる。
いまは他の人がスダンマチャーラの名前をもらっている。

667:神も仏も名無しさん
13/12/30 12:34:48.49 kP7Fh8Fe
>>664
>ヴィッパサナーで風(気)も観れないようでは悟りなどまだまだです。

ヴィパッサナーでナーマ・ルーパ(名色)を識別できる人なら、そんな勘違いは絶対しませんけどね。
宇宙空間から地球の形を見た人が、地球は平らだとか、いや六角形だとか、いやいや八角形だとか
そんなこと言うわけないからね。

668:神も仏も名無しさん
13/12/30 19:20:29.71 lBaAHdRC
>>665
あなたの言いたいことがわかりませんけど。
その物質を構成しているうちの風が気といってるんですけど。

あなたのいう風は何ですか?

あといっておきますが、あたりまえですが、「気」に「風」とか「空」とかかいてあるわけじゃないですからね。


>>666
それで、だから?何か犯罪でもしたのですか?
何を言いたいのかはっきりしてください。

669:神も仏も名無しさん
13/12/30 21:42:17.57 Uxmgf+VA
>>668
だからね。
テーラワーダ仏教の比丘サンガってのは、「マイオリジナル仏教」とか独自解釈で
釈尊の教法を変更したりする行為には厳しいんですよ。
認めるわけない。

670:神も仏も名無しさん
13/12/30 23:29:25.86 TJOjmbFQ
>>665
風界というのは動きの要素だから、歩行瞑想で足の動きを観察してるだけでも立派に風の観察なんだけどね
動き(気)の感覚があるもないも、ないんだけど
なんか風界のことを、神秘的なエネルギーのことだと思ってるみたいで

>気をまず感じ始めるのは、手からなんです。
って言っても別にワーヨー・ダートゥを観始めるのに足でもどこでもいいのだけれど・・

この人は「すべての教えは同じ」でないと気がすまない人だから、まあ何を言っても無駄だと思うよ
テーラワーダの解釈の方を、気功の方に捻じ曲げてくるから

671:神も仏も名無しさん
13/12/31 02:24:21.89 qP6KXdM1
>なんか風界のことを、神秘的なエネルギーのことだと思ってるみたいで
>>670
「気」が神秘的なものだというのは、あんたの勝手な解釈だよな。私は1回もそんなことはいってない。

>風界というのは動きの要素だから、歩行瞑想で足の動きを観察してるだけでも立派に風の観察なんだけどね
動き(気)の感覚があるもないも、ないんだけど

はぁ?じゃあ歩いてないと風の観察はできないわけだ?瞑想では身体を動かさないということを求められるよね。

>この人は「すべての教えは同じ」でないと気がすまない人だから、まあ何を言っても無駄だと思うよ テーラワーダの解釈の方を、気功の方に捻じ曲げてくるから

ビッパサナがなぜ気功といえるのか。
中国の言葉で「意が気を導き、気が動きを導く」というのがある。意識が気を導くのだ。これは法則である。ビッパサナは身体を意識化していく作業である。つまり、結果的にそれが気を導くのだよ。
君は修行が浅いからわからないのだよ。
気を身体に巡らせていくのが気功だといぜんかいたけど、これは一般的な説明レベルでのこと。気功は身体に意識を巡らせていくのだよ。
「気が動きを導く」つまり、動きを教えてくれるのだよ。つまり、動きの要素なんだよ。
。自灯明の道を行きなさいと釈迦はいった。
「気」が動きを教えてくれるとは、つまり身体が教えてくれるということで、こうなってくると、メソッドとかあまり関係なくなってくる。メソッドなんかいらなくなってくる。自(みずから)の身体が教えてくれるから。
自ずから(おのずから)気が教えてくれる。これが深い意味での自灯明の解釈です。経典の上澄みしかすくいとれない君にはわからないだろうけどね。

>「すべての教えは同じ」でないと気がすまない人

たくさんの人の体験の結果が同じだから、そういってるのです。

672:神も仏も名無しさん
13/12/31 02:25:51.71 qP6KXdM1
URLリンク(77713696.at.webry.info)
>スマナサーラ長老は、ブッダの実践心理学1(サンガ)において、「四大元素だけ直接体験できると言いましたが、実際には、地と火だけ、身体に触れることによって、直接体験できます。
眼、耳、鼻、舌では何も直観できません。水と風は、身体の体験を通じて、意、つまりこころで理解します。こころで物質を理解するのですから、直接体験ではなく、厳密には推測ということになります。」と仰っておられます。

足の動きの観察が「風」を観るということなら、動きは目でも観察できるし、動きは触れることでも感じとれる、直接体験できるから、スマ長老のいってることを否定していることになるけどな。
意が気を導くのだから、意で観る(推測)するしかないんだよ。私は推測より推定という言葉のほうがあってると思うがね。

673:神も仏も名無しさん
13/12/31 05:42:33.72 qP6KXdM1
URLリンク(arana-vihara.blogspot.jp)

しかし初心者はそれが起こるたびに気付くことはできないでしょう。
ですからはっきり見え、楽に知覚できる現象から気付き始めるべきです。
呼吸によって起きる腹部の「膨らみ」「縮み」は常にはっきりしています。
これは『動きの要素』ヴァーヨ・ダートゥ「風界」という物質的性質として知られています。
腹部を熱心に観察する心によってこの動きに気付き始めなければなりませ

ヴィパッサナー瞑想法においては実際に知り知覚することが重要です。
何と名づけ言い表そうが構いません。

674:神も仏も名無しさん
13/12/31 06:17:46.84 JE/B0B0U
>>671
>瞑想では身体を動かさないということを求められるよね。
座っている場合は、お腹の膨らみ縮みや、息の出入りを観察するよ

>>672
>動きは目でも観察できるし
いや、眼で見るのは色(いろ)の変化だから風の観察ではないと思う

675:神も仏も名無しさん
13/12/31 07:29:13.18 qP6KXdM1
>>674
>いや、眼で見るのは色(いろ)の変化だから風の観察ではないと思う

あなたは足を動かすのを観るのが風を観る瞑想だといった。
スマ師は、風は直接体験できないし、目では見えないといった。
それならば、足の動きは目で観ることができるし足の動きは直接体験できることだし、あなたのいう足の動きを観ることは、風を観ることではないといってるの。

だから、あなたのいう風とはなんなのよ。

>座っている場合は、お腹の膨らみ縮みや、息の出入りを観察するよ

身体の動きを観るのと風を観るのとは違うよ。
あなたの理屈では止めたままの腕の「風」は観る(意識で推測)することはできないということですよね。
風が物質の構成要素なら、止めた腕でも「風」は観ることができないといけないよね。

>>673をよく読むように

676:神も仏も名無しさん
13/12/31 07:43:38.53 qP6KXdM1
>>673
URLリンク(arana-vihara.blogspot.jp)

しかし初心者はそれが起こるたびに気付くことはできないでしょう。
ですからはっきり見え、楽に知覚できる現象から気付き始めるべきです。
呼吸によって起きる腹部の「膨らみ」「縮み」は常にはっきりしています。
これは『動きの要素』ヴァーヨ・ダートゥ「風界」という物質的性質として知られています。
腹部を熱心に観察する心によってこの動きに気付き始めなければなりませ

ヴィパッサナー瞑想法においては実際に知り知覚することが重要です。
何と名づけ言い表そうが構いません。


>しかし初心者はそれが起こるたびに気付くことはできないでしょう。
ですからはっきり見え、楽に知覚できる現象から気付き始めるべきです。
呼吸によって起きる腹部の「膨らみ」「縮み」は常にはっきりしています

初心者には、気付くことは無理だから、腹の動きを観ていくことからはじめましょうといってるわけ。
立ってる場合は足の動きでもいいし。
つまり、つまり初心者は風を観るのは無理だから、とりあえず腹や足の動きを観ていきましょうということ、

>これは『動きの要素』ヴァーヨ・ダートゥ「風界」という物質的性質として知られています。
>ヴィパッサナー瞑想法においては実際に知り知覚することが重要です。
何と名づけ言い表そうが構いません

腹の動きをしっかり見ることによって観ることができる「これは」、『動きの要素』ヴァーヨ・ダートゥ「風界」という物質的性質として知られている。
風という物質要素を何と名づけ言い表そうが構わないが、実際に知り知覚することが大事だ

(だけどの風を知覚することができない初心者は腹の動きを観ていくことで、風を知覚できるようになることが重要だ

677:神も仏も名無しさん
13/12/31 07:52:56.05 qP6KXdM1
>>669

URLリンク(cyberbaba.blog57.fc2.com)
>しかしパオ式の複雑なメソッドでは一般の人は救われないしまた必要もないとし

山下氏は、パオ式を切り捨てているし、山下氏のほうからパオ式に辞めますといった結果、パオ式が破門にしたのかもしれない。

破門になった理由はわからないわけで、君が勝手に妄想して、自分の都合のいいように解釈しているだけ。

自分で勝手に妄想して、鬼の首でもとったように言っている君は、かわいそう過ぎる。

678:神も仏も名無しさん
13/12/31 08:04:28.35 qP6KXdM1
風という物質要素がある。
その物質を何と呼ぼうが自由だが(山下氏と同じことをいっている)
だけど初心者は観ることができないので(私もおなじことをいったよね)、腹や足の動きを観ていきましょう。
ということなの。
身体の動きを観るのと風を観るのは違うよということ。

679:神も仏も名無しさん
13/12/31 12:10:42.02 JE/B0B0U
>>675
>あなたは足を動かすのを観るのが風を観る瞑想だといった
足の動きを観ること「も」だね。で、「観る」というのは眼で足を見ることじゃなくて、
足の動きに「気づく」ことね。動きを意識、知覚すること

>動きは目でも観察できるし、
だから、それは色(いろ)=視覚情報の変化だから、動きそれ自体の観察にはならないってことです

>足の動きは直接体験できることだし、
そうですね。でも、スマナサーラ長老の「風」の定義は、「水」と対になる「引き離す力」ですからね(実践心理学 vol.1 p.93)
マハーシ長老とも違いますし、もちろん、あなたとも違いますよね。
アビダンマの専門家の定義も参照しましたが、

アシン・ジャナカービワンサ長老:the element of motion support
ナーラダ大長老:the element of motion

で、スマナサーラ長老は、かなーり特殊だと思いますね。この辺はよく分かりません

ただ、スマナサーラ長老が「動きの要素」という定義も認めていると仮定して話すと、
足の動きは感じれるから「眼、耳、鼻、舌では何も直観できません」といって「身」は外してあるんだと思いますよ
「身」の触を通じて、「意」で理解する(=「身体の体験を通じて、意、つまりこころで理解します。」)
という手順を踏むんだと思います

>止めたままの腕の「風」は観る(意識で推測)することはできないということですよね。
身による触がないから、そうですね。風界(ワーヨー・ダートゥ)は「動きの要素」ですからね。
腕が動いている感覚を感じない時に、動きを推測することはできません。

>風が物質の構成要素なら、止めた腕でも「風」は観ることができないといけないよね。
んー、それはどうなんだろう?それだったら「水」(結合力)も観ることがでないといけないけど・・
物質の構成要素を、いつでも人間が知覚できるというのは、またちょっと違う気がしますね

680:神も仏も名無しさん
13/12/31 14:00:42.54 qP6KXdM1
>>679
>スマナサーラ長老の「風」の定義は、「水」と対になる「引き離す力」

これは知らなかった。実践心理学を買う気はないし、スマナ氏の「風」ついてはわからないので、勝手ではあるが以後、パスにする。

URLリンク(detail.chiebukuro.yahoo.co.jp)
↑一般的にいっても風は「気」と解釈されている。
また、ネットで調べるとすぐわかるけど、風を呼吸としたり、呼吸と関連つけたりするのは、プラーナ(気)は大気中にあり、それをプラヤーナ(呼吸法)
で体内に取り入れることにあるから。

>止めたままの腕の「風」は観る(意識で推測)することはできないということですよね。
身による触がないから、そうですね。風界(ワーヨー・ダートゥ)は「動きの要素」ですからね。
腕が動いている感覚を感じない時に、動きを推測することはできません。

>風が物質の構成要素なら、止めた腕でも「風」は観ることができないといけないよね。
んー、それはどうなんだろう?それだったら「水」(結合力)も観ることがでないといけないけど・・
物質の構成要素を、いつでも人間が知覚できるというのは、またちょっと違う気がしますね

動きの要素というのは、生命をなりたたせている活動(動き)の要素ということだよ。
細胞レベルでも活発に活動(動き)しているわけで、そういった生命活動にかかわる動きにかかわる「動きの要素」「動きを推進させるもの」
が「風」なんだよ。
腕を止めてても当然、生命活動は行われているのであり、止めてたら観れないというのはおかしいでしょ。

681:神も仏も名無しさん
13/12/31 14:36:04.37 Lgzn5QVS
仏教の場合、生命活動を成り立たせているものは、まず命根(ジーヴィティンドゥリヤ)。
地水火風は物質の構成要素(色(ルーパ))。
心の構成要素は、心(チッタ)と心所(チェターシカ)=名(ナーマ)

生命は名(ナーマ)と色(ルーパ)の複合体
(※欲界と色界においての話。無色界ではナーマのみ)

だから、風や気功の気だけ感じて、それが全てだというのは間違い。
アビダルマではもっと細密に生命を分析している。

682:神も仏も名無しさん
13/12/31 14:38:20.42 Lgzn5QVS
アビダルマというのは、経、律、論という三つの経典(三蔵)の中の論。
経の内容について論理的に解説した注釈書のようなもの(注釈書そのものではない。注釈書はまた別にある。)

経と論の内容を知らないで話しているようだけど、違うものは違うとしか言いようがない。

683:神も仏も名無しさん
13/12/31 14:54:14.86 qP6KXdM1
>>681
>だから、風や気功の気だけ感じて、それが全てだというのは間違い。

意味をはきちがえないように。

あなたが身体を神経で自覚的に動かすようなレベルを「風」における動きのことであるというから、それにたいして
細胞レベルの活動を含めた動きのレベルのことだといってるだけですけど。
腕を止めても細胞は動いてますよといってるだけですが。
細胞も物質だよね。生命活動の物質の動きには、細胞レベルの動きもあるといってるだけですけど。
心のことなんか一言もいってないよね。

684:神も仏も名無しさん
13/12/31 14:56:37.97 Lgzn5QVS
生きている心がなければ、物質は生命活動できませんよ。

685:神も仏も名無しさん
13/12/31 14:57:46.01 qP6KXdM1
>>681

>>676
にも返答してもらえますか?

686:神も仏も名無しさん
13/12/31 14:58:55.88 Lgzn5QVS
何か仏教でないものを感得して、そのことに感動し
その感動の延長で「これは仏教と同じだ、釈迦の悟りと同じものだ!」と言いたがる人
思いたがる人は、本当に多いんですよ。
後から後から出てきて際限が無い。

687:神も仏も名無しさん
13/12/31 14:59:48.01 Lgzn5QVS
>>685
それは別の人じゃありませんか?

688:神も仏も名無しさん
13/12/31 15:01:28.12 qP6KXdM1
>>684
何がいいたいんでしょうか?意味がわかりませんが。

689:神も仏も名無しさん
13/12/31 15:03:57.68 qP6KXdM1
>>686
途中ででてきて、勘違いしたこといって、場をあらすのやめてくれませんか?
話の流れをキチンとつかんでからにしてください。

690:アラフェス
13/12/31 15:05:49.99 s/otT4oU
私の心眼師にすれば瞑想などたやすいもの。
かくりしまては、このアラフェスが実践してくれようというもの。
いっけぇー・・・、ぐばっ。

691:神も仏も名無しさん
13/12/31 15:14:48.31 Lgzn5QVS
>>688
あなたは知らないもののことを「自分の体験と同じだ」と言っているわけですが
そろそろ自覚できないかな。まだ無理かな。

692:神も仏も名無しさん
13/12/31 15:27:08.64 JE/B0B0U
>>689
テーラワーダと関係ない教えを話題にしてスレを絶賛荒らし中の人に言われてもね
いい加減、批判するのも面倒なので活動の場を仏教議論スレあたりに変えてもらえませんか?

スレリンク(psy板)

693:神も仏も名無しさん
13/12/31 15:27:45.98 qP6KXdM1
>>684
>>691

私はいぜんから、意が気を導くといってますけど。
これは、意で気をコントロールできることも意味します。

気で心や意識が動かされるとはいってませんけど。

いいがかりはやめてもらえますか?


そんなに仏教に詳しいなら、
>>676
にも返答してもらえますか?

694:神も仏も名無しさん
13/12/31 15:33:31.75 qP6KXdM1
>>692
テーラワーダと関係ないか関係あるかを議論してきたのですが。

>>676
に返答できないんですよね。

風とは「それを何と呼んでもいいけど、知覚できるものである」
ということは、経典にない言葉で呼んでもいいということですよね。

確かに経典にが「気」という言葉はでてこないけれど、それを理由に
仏教で気は扱かっていないとは断言できないということだよね。

それを認めますか?

695:神も仏も名無しさん
13/12/31 15:36:10.38 JE/B0B0U
>>680
>これは知らなかった。実践心理学を買う気はないし、スマナ氏の「風」ついてはわからないので、勝手ではあるが以後、パスにする。

ほんとうに勝手だね
よく調べもせずにプラユキさんやらスマナサーラ長老やら勝手に引用して、都合が悪くなったらパス
分からないのにあれだけ知ったかぶって断言してたんですか?

スマナサーラ長老がエネルギーがどうこう言ってて、あなたによるとそれは風であり、気に他ならないんじゃなかったんですかね?

結局、自分の気功フェチありきでテーラワーダを云々するからこういうボロが出るってこと
いい加減、他スレに移動してくださいよ

696:神も仏も名無しさん
13/12/31 15:40:31.43 JE/B0B0U
>>694
>何と名づけ言い表そうが構いません。
もうちょっと文脈を読んでください
なんと名づけようが構わないというのは、
「腹部に生じる膨らみと縮み」を
「膨張、収縮」とラベリングしようが、「膨らみ、引っ込み」とラベリングしようが構わないということですよ

697:神も仏も名無しさん
13/12/31 15:48:36.15 qP6KXdM1
>>695
ミスはミスとして認めてるじゃないですか。
あなたは絶対ミスしないんですか?
スマ師の「風」の説明は、相手のかたもいってたように特殊なんです。
ですからわからなかったし、知らなかった。

いいがかりつけて出て行けとは、それが仏教実践者の態度ですか?
私がどれだけ時間を使って説明してきたか。
自分たちの立場が悪くなったら出て行けですか?
あなたが出て行けばいいんじゃないですか?

私が気のことを話ていたら・・・・仏教で気は扱わないから出て行け。
仏教でも気は扱われている可能性が出てきたら・・・・・それでも出て行け。

勝手ですよね。そんなエゴ丸出しでなんのための八正道なのでしょうか?笑えますね。

本当に求道の気持ちがありますか?

698:神も仏も名無しさん
13/12/31 15:58:07.39 JE/B0B0U
>>697
>ミスはミスとして認めてるじゃないですか。
で、また自説に都合が良さそうだから、この人を引用しよう、ってなるでしょ?
同じことの繰り返しになるだけなんですよ。。

>私がどれだけ時間を使って説明してきたか。
それにいちいち反論する為にこっちがどれだけ調べ物してるかも分かってくださいよw

>仏教でも気は扱われている可能性が出てきたら
さっき可能性が一つ潰れたところでしょうに・・・

699:アラフェス
13/12/31 16:01:45.21 s/otT4oU
俺は神だ。天皇陛下よ、全盛の時あらず。

700:神も仏も名無しさん
13/12/31 16:08:35.54 qP6KXdM1
>>696
>この膨らみを心で「膨らみ」縮みを「縮み」と念じ気付かなければなりません。

念じ方(ラベリングの言葉)は文中でしっかり示されていますけども。

スマ師もラベリングの言葉は指定されてますよ。

現象を見るのですから「膨らみ」であり、「膨らんでいる」ではダメなんだそうです。

そこまでこだわるのですから、自由にラベリングしていいというのもおかしいと思ったのですが。

「膨張、収縮」とラベリングするのは、動詞であり微妙だとおもうのですが、これでもいいのでしょうか?

ただ、私は原本を読んだわけではないです。

701:神も仏も名無しさん
13/12/31 16:19:46.54 qP6KXdM1
「あるがままに観る」から精密に観れる。
精密に観ることは、あるがままに観ることですよね。

身体の動きや身体のあり方をあるがままに観るのがビッパサナななら、
武術は命のやりとりが前提ですので、どれだけ身体を精密に動かせるかが課題となりますが、そのためには身体を精密に知覚できなければなりません。
身体を観るという点においてビッパサナと変わりないと考えますが、武術は気は当たり前のように扱いますが、ビッパサナでは気は関係ないというのはあったくおかしいす。
立禅が練習のメインという武術さえあります。
また、気功もおなじで、身体を観ていくという点においてはビッパサナと同じです。

釈迦は、武術の達人だったそうです。
URLリンク(www.sportsclick.jp)

同じ人間でありながら、同じことをしているのに、ビッパサナでは気は関係ないというのはまったくおかしいです。

702:神も仏も名無しさん
13/12/31 16:20:05.02 JE/B0B0U
>>700
>スマ師もラベリングの言葉は指定されてますよ。

URLリンク(arana-vihara.blogspot.jp)
の①が参考になると思います

>感情なども「怒っている」などとその時、思いついたもので結構です。言葉を心の中で使いますがあくまでも対象をしっかり気づくためにラベリングで補助手段です。どういう言葉を使うかはそれほど問題ではなく、客観的に正しく気づくのが重要です。

>形容詞ではだめで名詞にするとか完了形にするとか過去形にするとかはどうでもいいことです。マハーシではビルマ語のときは動詞です。

703:神も仏も名無しさん
13/12/31 17:07:52.09 qP6KXdM1
>>702
どうもです。

気は仏教には関係ないなどと簡単に否定されますが、
私が一番してたときで、立禅を1日4~5時間を4~5年続けましたかね。
それだけやった人いますか?やってる人いますか?
経典もとに能書きたれるのはいいですけど、どのくらい修行してるんですか?やらなければわかるはずない。
高校生の頃から求道がはじまり、まだ道の途中ですが、こんな大変だとは思わなかったというのが本音です。間脳レベルの悟りまであと5~10年はかかると思います。

釈迦は王子の頃から瞑想はやってたようですよ。
釈迦が武術の達人だったということは、釈迦の悟りは、達人レベルの身体性のうえに成り立っていたということですよね。
その意義わかりますか?わかんないでしょうね。小脳の話しただけで、仏教には関係ないといってのける人たちですからね。

あなたたちが、修行をつづけ何年後か何十年後か、わかるかもしれないですね。少しは。あの人のいっていたことは本当だったと。

ではバイバイ!

704:神も仏も名無しさん
13/12/31 20:17:51.04 Lgzn5QVS
>>703
>私が一番してたときで、立禅を1日4~5時間を4~5年続けましたかね。

ぜんぜんやってますけど。

705:神も仏も名無しさん
13/12/31 20:30:33.16 Lgzn5QVS
自分の勉強不足を棚に上げて何を言ってるんだかな~。
こちらが瞑想してないと勝手に思い込んで決めつけてるし、思い込みが激し過ぎるんじゃないの。

仏陀が成道されて後、弟子たちに武術や身体技法の指導なんてされてませんよ。
弟子たちに指導していた修行法は、大念住経、四念処経に記されている通りであって
気功だの武術だの、身体性だのといったことは的外れ。

その立禅だって気功のやつじゃないの?
しかも昔やってたっていう話でしょ。

わたしがやってるのは経典通りの瞑想だし、やる時は一日八時間以上はやる。
座ってやる瞑想が全てではなくて、歩く瞑想、立つ瞑想と、一日中やるのが本来のあり方。

706:神も仏も名無しさん
14/01/01 16:27:40.89 xIOtVOB/
 悟りというのは要するに「すべては無駄だった」という深い理解だから
その程度では駄目だろうね。W
もっともっと頑張りなさい。

707:神も仏も名無しさん
14/01/02 10:19:36.52 dXhphYvo
>思いたがる人は、本当に多いんですよ。
>後から後から出てきて際限が無い。

 それを雑念という。仏教は雑念の歴史的集合体だ。
悟りについて師に問うてみるがいい。まともな師ならば「私はしらない。しかし私の師は
知っていたと信じる」というのが一般的回答だと思う。それが永遠に続いてきたのだ。
 なんの根拠もないメッソッドは「何かをしている」感覚をもたらす。実際上はまったくの
出鱈目であっても「どこかに向かっている安心感」をあたえてくれる。
 仏教は雑念の塊であり何トンもの経典という勿体ないゴミに囲まれたいわばゴミ屋敷の
ようなものだ。勿体ない心からゴミは日々集積するのでこのゴミを始末することは並大抵
のことではできない。

708:神も仏も名無しさん
14/01/02 11:47:12.64 mSRPvb8J
よく「ゴゾンジ」ですね

709:神も仏も名無しさん
14/01/02 13:11:03.05 to1zSK23
>>707
本当に多いんですよ。
後から後から出てきて際限が無い。

710:神も仏も名無しさん
14/01/04 18:40:17.40 168gY1so
「中部」の141経"Saccavibhaṅgasutta"に八正道が説明されてます。

711:神も仏も名無しさん
14/01/07 00:22:26.43 ebXkEtgU
昨日のスマナサーラさんの説法講演行った人いる?

712:神も仏も名無しさん
14/01/07 09:29:00.74 asdncsUa
中部経典で、初禅に入る準備段階では
「相を取らず、細かな相を取らず…」とありますが、
具体的にどのようなことをするのか分かる方いらっしゃいませんか?

713:神も仏も名無しさん
14/01/11 21:05:18.76 t+CQH+Fo
世界ふしぎ発見で今、ブータンの仏教やってる、こちらは大乗仏教ですが。

714:神も仏も名無しさん
14/01/18 18:13:23.75 kCn5rlqc
>>711
月曜にあったんか?

715:神も仏も名無しさん
14/01/20 00:23:59.05 FDtls5ms
アホか。

716:神も仏も名無しさん
14/01/21 12:57:31.75 1pN5/DUB
>>679 実践心理学を読んだ地水火風の意味のイメージとしては、
水(ひきつける)と風(おしのける)
の組み合わせで総ての物の動き(移動)を説明でき、
それに、火は変化・反応を早める働き、
地は変化・反応を妨げる(遅くする)働きという、
火と地で変化の早さの増減を説明できることを加えれば、
あらゆる物の動きと変化を地水火風で表現できる
という意味をイメージしました。

717:神も仏も名無しさん
14/01/26 17:47:34.21 4pjmD5lP
>>715
文盲乙

718:神も仏も名無しさん
14/01/30 22:49:31.20 3+8bsgMw
比丘らよ、親族の喪失、財の喪失、病の喪失、戒(道徳)の喪失、見(正見)の喪失、
という五つの喪失がある。

このうち親族・財・病の喪失によって、生命が死後、悪趣・地獄に生れることはない。

戒・見の喪失によって、生命は死後、悪趣・地獄に生れるのである。(パーリ増支部5-130)

719:神も仏も名無しさん
14/01/30 23:15:09.08 3+8bsgMw
(Sampadāsuttaṃ)

30. Pañcimāni bhikkhave byasanāni. Katamāni pañca:

Ñātibyasanaṃ, bhogabyasanaṃ, rogabyasanaṃ, sīlabyasanaṃ, diṭṭhibyasanaṃ.

Na bhikkhave sattā ñātibyasanahetu vā bhogabyasanahetu vā rogabyasanahetu vā
kāyassa bhedā parammaraṇā apāyaṃ duggatiṃ vinipātaṃ nirayaṃ upapajjanti.

Sīlabyasanahetu vā bhikkhave sattā diṭṭhibyasanahetu vā
kāyassa bhedā parammaraṇā apāyaṃ duggatiṃ vinipātaṃ nirayaṃ upapajjanti.

*byasana [=vyasana], 「損失」,「不幸」
ñāti-, 「親族の不幸」
bhoga-, 「財の損失」
roga-, 「病の不幸」
sīla-, 「戒の喪失」
diṭṭhi-, 「見(解)の損失」


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