13/09/07 17:08:12.35 My5DotdE
原始仏教は外道の脳内マインドを段階的に解く観察理論となっている。
預流果には、まだ輪廻が残っているが阿羅漢果には輪廻がない。
預流果には、まだ輪廻の洗脳が取れていないからである。
で解脱した阿羅漢果には輪廻がない輪廻をもう信じとらんからさ。
で求め修行していた解脱の境地も妄念としり、我が無く、あるがままの状態になってしまった状態が解脱だと知る。
我は脳が認識し死んだら終わり。
本当の我などない。
だから無我である。
輪廻する主体は無いが五蘊が相続して輪廻するといいたいだろう。
結婚して娶り子供を作ったら、それが五蘊相続だ。
それが次ぎの生存であり作ったのである(行為)。
だがそれは君か?違う。
だから無我だ。
前世の記憶意識は遺伝子情報&集合無意識のパイプによって起こる心理作用であり
イエスが生まれた頃の地球の人口の統計学は1億人弱であり釈尊降誕時代は、さらにそれ以下であり
今の地球の人口の100分の1程しかない。
全てが平等に輪廻転生しているなら、ありえない数字だ。