仏教議論スレッド47at PSY
仏教議論スレッド47 - 暇つぶし2ch97:大滝秀治
12/10/10 12:10:47.33 3SeWCjv8
>>86
>それは外道の尊者のレベルの境地の心境を述べた文章なのに、なぜ、その文章で
>釈尊が批難されなければならないのでしょうか?

この梵網経はなりすまし如来(たち)の見解なので、歴史的人物としての釈尊を非難できるはずがありません。
歴史的人物としての釈尊にとっては、ハア? でしょw
アタシが批判したのは梵網経を書いた成りすまし如来の坊主(たち)です。
釈尊がそんな表現をするわけがない。もしするなら、アタシは筏としてのこのテキスト梵網経釈尊を捨てるだけで、ことは簡単です。

しかし、これは龍樹でも落第点をつけたやろね。
前スレ46 >>920参照。龍樹中論24-10の“趣旨”(直文言のままではアウト)による仏法の二相把握からいえば、
梵網経37 「比丘たちよ、これらが、如来がみずから悟り体現して教示している、
>『深遠で、見がたく、了知しがたく、寂静で、離れており、思考と思惟とを越えており、微妙で、賢者だけが理解できる諸法』←成りすまし如来さんの見解です。

この>『~』の表現はありえません。これは直接現実(勝義)ではありません。
無分別智による縁起の直接現実は、ただただ無分別智直覚するのみであって、上記の如き二項相対分別表現はありえないのです。
この文言ひとつで梵網経を書いた坊主(たち)が落第だと分かります。

もし表現するなら、~三世緒仏までの般若心経やウダーナ8-3などのように間接否定表現に徹するべきでした(間接現実③:四句第4 中論18-6・8・11)。

 廓然無聖=廓然無真=廓然無善=廓然無聖=廓然無美(達磨)、庭前柏樹子=無(趙州)の禅師たちほうがよっぽど的確に『直接現実』の様相を掴んでいると断言できます。

いわゆる62見なるものは、間接現実の一切内①外②を無視したあくまで間接現実内の二項相対ハチャメチャ論であって、
直接現実の示唆③でもなく、直接現実そのもの(言語表現不可)にも届いていないことは明らかです。(前スレ>>920参照)

これは縁起の直接現観(直覚:悟り)から還滅すれば明智なことでしょう。
 


98:神も仏も名無しさん
12/10/10 12:35:43.88 lQtLLndn
>>94
梵我一如について誤解があるのでは?
ここで言う「梵」とは「梵天」などの
「人格化されたブラフマー神の境地」ではなく、
ブラフマンです。
これは名称と形態を超越し、人間によって認識されず言わば、「無限絶対不生不死」です。
ブッダの無我説は誤りです。
ブッダは非我説を説き認識されないものを説かず、それに到達する道だけを説いたのです。
理由は説けないし、無用な論議に落ち込むからです。
非我説から無我説へのすり替えはおそらく中国経由のものです

99:大滝秀治
12/10/10 12:43:14.37 3SeWCjv8

回向については、

80 :神も仏も名無しさん:2012/10/09(火) 22:00:21.00 ID:i26LV+a8
回向など、何がどうなっているのか、だれにもわからないのだから、
バレンタインのチョコレートと似たようなもので、
一切皆空を信じている、お寺さんの営業戦略かもしれないね。
            
            ↑
  上記が事実上正解です。

  物語ですから、何でも書けますから、作者以外はわかる訳がありません。
 
  回向料よこさんかい! ゴルァ~ !!! ←坊主のホンネ。

>>78>>90の批判については、気が向いたら書くわw



100:神も仏も名無しさん
12/10/10 12:48:58.16 lQtLLndn
回向が坊主のたくらみでバレンタイン商法だとしても、
個人でやる分には充分効果あると信じたい。
利己的な行為は宗教でなく
非利己的行為のみが宗教ですから…
非利己性こそすべての宗教のマントラですしおすし

101:大滝秀治
12/10/10 12:57:28.21 3SeWCjv8
>>98
>ブッダの無我説は誤りです。

誤りではありません。

まさに、仏法には無我にて候(蓮如)

非我・無我の問題は仏法上、存在の二相把握の問題で(前スレ46 >>920>>925),

龍樹中論の趣旨の徹底によって―アタシには―解決済みです。


102:神も仏も名無しさん
12/10/10 13:01:00.97 4Ueh/9sV
>>99 業が心の癖だとするなら、
善いことを考えれば善い癖(功徳)がつき、
悪いことを考えれば悪い癖(罪業)がつく。
他人が善を行い回向した功徳を自分が随喜すれば、
自分がやった善でなくても、善を考えることになるので、心に功徳がたまる。

103:大滝秀治
12/10/10 13:33:53.29 3SeWCjv8
>>102
『 安らぎに帰して、善悪を捨て去り、塵を離れ、この世とかの世とを知り、生と死とを超越した人、
   ─このような人がきさにその故に<道の人>と呼ばれる。』(Sn.520)

倫理、道徳、法律、規則その他の共同幻想規範は間接現実(世俗)における相対基準(上記の塵)でしかなく、
ブッダの本懐である根源的な実存苦の超克とは異なります。
回向はあくまで二項相対間接現実での共同幻想内(善悪)での妄想です。
あくまでも世間でのイイ人のハナシです。

いくら世間で功徳を積んでも、縁起の直接現実では「無功徳」です。回向はあり得ません。
ブッダはまさに縁起の直接現実(あるがまま)に随うこと、受け入れることで
<道の人>として根源的な実存苦を超克することを勧められます。

自受用三昧(道元)、髄縁且従容(良寛)です。


104:神も仏も名無しさん
12/10/10 13:53:20.11 lQtLLndn
じゃあ功徳を求めず駅前でホムレスといっしょに、
ビッグイシュー売ればいいよ。
実存苦の軽減になりますわ
ところで僕はいま怒っている。
「自己責任」という新自由主義的な人を抹殺するような
言葉に対してです。
人間に自由意思は有りません。
経験則から言っても自己の意思は万能ではない。
にも関わらず社会の「支配層」はこの語を持ち出し、
社会弱点、本来は弱点でない者まで弱者化させ、
日本の弱体化を推進して
自分で自分の首を絞めているのです
「自己責任」という言葉は使用禁止にすべきです

105:神も仏も名無しさん
12/10/10 13:56:07.52 lQtLLndn
>>103
あなたの言う
>根源的実存苦の超克
などサッパリわしにはわかりませんわ…
わし、頭悪いけえ

106:神も仏も名無しさん
12/10/10 14:06:12.28 SmI/F7IT
>>105
健常者にはわからないのが同然。

それは釈迦の鬱病の症状に過ぎないのだから。

107:ノスタルジア
12/10/10 14:09:16.65 Y4kZYaxI
自分を最高だと思っていませんか?

108:大滝秀治
12/10/10 14:16:23.00 3SeWCjv8
>>104
>駅前でホムレスといっしょに、ビッグイシュー売ればいいよ。

うん。売るの何回か手伝ったことあるよ。
大阪では、梅田のJR高架下歩道がよく売れる。
お布施狙いのインチキ山伏やインチキ占いのベテランおっちゃんたちがいて面白い。

釜ヶ崎は修行天国だよw
動物園臭と酒臭い(中には覚醒剤でイカレタ)自由菩薩様がイッパイだw
ただし、自由菩薩狙いの貧困ビジネスヤクザ・暴力団もイッパイだあ。

109:大滝秀治
12/10/10 14:20:48.54 3SeWCjv8
>>105

四諦八正道のことなんだけど・・

110:神も仏も名無しさん
12/10/10 14:56:44.02 /i35mW5n
>>98
>ブッダは非我説を説き認識されないものを説かず、それに到達する道だけを説いたのです。
>理由は説けないし、無用な論議に落ち込むからです。

以下のとおり違いますね。
URLリンク(www28.atwiki.jp)

>非我説から無我説へのすり替えはおそらく中国経由のものです

これも違いますね。少なくとも龍樹菩薩以降は大乗小乗ともに無我です。
以下参照ください。
URLリンク(www.amazon.co.jp)

111:神も仏も名無しさん
12/10/10 15:14:42.83 lQtLLndn
>>108
偉いなあ
>四諦・八正道でしょ…
でも釈迦は慈悲を説いた。
慈悲とは与楽抜苦なり。
楽を与え、苦を抜くでありんす。
ありのままだと単なるLet It Be
それは違うよね…
まあ、わしもBeatlesは好きだけど

112:神も仏も名無しさん
12/10/10 15:34:15.29 lQtLLndn
>>110
縁起によってXと思う…
「思う」つまり心や感情ですよね?
ブラフマンは心や知性すら超越しています。
上記の説明では納得できません

113:神も仏も名無しさん
12/10/10 15:46:35.08 /i35mW5n
>>112
外道がそういうのは分かりますが、
釈尊は、そういう本質・実在としてのアートマンを認めません。

アートマンというのは記号で、ブラフマンでも神でもなんでも同じです。


114:神も仏も名無しさん
12/10/10 15:57:02.64 lVHCd5iR
>>113
釈迦自身も本質・実在でないのなら、それほど執着する必要はなかろうw。

115:神も仏も名無しさん
12/10/10 16:06:05.24 lQtLLndn
>>113
外道は記号を用いますが、仏教は用いない。
ただそれだけの事ではないでしょうか?

116:神も仏も名無しさん
12/10/10 16:06:12.30 /i35mW5n
>>112
『梵網経』を見ていただけると分かるかもしれません。

三昧体験で現象が消えていきます、その体験にも段階がありますが、
その体験を記号づけて何と呼ぼうとも、それは感受であり、
そのような見解では輪廻から解脱できないというのが釈尊の立場です。

その様々な見解を類型によって分類して六十二見としています。

そしてその六十二見で掴まないようにするのが縁起観で、
『梵網経』の後部はそれが説かれています。

『中論』は正に六十二見から解脱するための縁起観、中道観です。


117:神も仏も名無しさん
12/10/10 16:07:08.03 /i35mW5n
>>115
私も昔はそう考えていましたが、完全に間違っていました。

上の通りです。





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