12/09/18 17:53:44.85 G4mLhhWB
信が必要なのか?よく言われるけど
悟ってない人が悟りを目指すときは信に依らないの?
信に依らない人はすでに悟ってるんでは?
人にしろ教えにしろ最初は信では?
65:神も仏も名無しさん
12/09/18 17:59:39.39 jdmf1uSU
人はウソをいうのでそれを根拠にしないことが重要
66:神も仏も名無しさん
12/09/18 18:02:29.44 KqnADu6C
生命には、生命の側面と死の側面とがあり、
極楽も地獄もこの生命の中にあるだと。
その昔、この世は苦しみだらけで
輪廻を嫌う思想が起きた。だが、このシャバ世界こそ衆生が遊楽する所と説いている。
67:神も仏も名無しさん
12/09/18 18:04:49.48 jdmf1uSU
米に税金をかけるのが始まって払いたくないから青田刈りとかやったらしいけど
困ったときに集めた米を配給するのが目的だったと思う。食い物がないと死ぬから地獄
68:ミルキー・ウェイ
12/09/18 18:06:27.67 KqnADu6C
シャハカ
69:神も仏も名無しさん
12/09/18 18:36:12.77 qiWxt6ac
自性がある、自性がない、言い方は違うけど意味内容は全く一緒なんだよ。
火に関する知識を考えてみたら仏教徒も凡人も何も変わらないでしょ?
外延が同じなら言葉の意味も同じ。
実在だ、仮設だ、というのも同じで中身がないんだよ。
70:神も仏も名無しさん
12/09/18 18:38:45.34 jdmf1uSU
わかりやすくするために物のたとえを使うと誤解させるいことがある
71:神も仏も名無しさん
12/09/18 20:19:05.45 cZafnZqV
>>69
>自性がある、自性がない、言い方は違うけど意味内容は全く一緒なんだよ。
>火に関する知識を考えてみたら仏教徒も凡人も何も変わらないでしょ?
>外延が同じなら言葉の意味も同じ。
仏教徒は世俗があるがまま用いるからね
>実在だ、仮設だ、というのも同じで中身がないんだよ。
そこは違うな。実在・実体・有自性と捉えて現象に執著するか、
無我・空性・無自性と捉えて現象から開放されるかで大きく違う。
少なくとも仏教では、そのように捉える。
じゃなきゃ、我と無我、有自性と無自性、実体と空性の違いを言う意味がないな。
72:神も仏も名無しさん
12/09/18 20:36:22.10 GUh4PJX8
「火」という概念(法)は無我である。
勝義諦としては、色(物質的な刺激)。
その刺激を皮膚で感じれば熱さや痛みと感じるし、
耳で感じれば音声だと感じるし、網膜で感じれば色彩だと感じる。
身体のどこのセンサーで受けるかの違いであり、どれも物質的な刺激、つまり色である。
73:神も仏も名無しさん
12/09/18 20:44:54.39 GUh4PJX8
>>69 物質的な刺激を受けると、心身はそれに反応して次の動作をしたがる。
火に触れば「あつっ」と言って手を引っ込めるし、
エロい刺激には身体がエッチモードになるし、
梅干しを見たら唾がわいてきたりする。
気持ちいい刺激もそうでない刺激も、とにかく受が入ってきたら、
心身は反応せざるをえない。
それは本当に煩わしいことである。
朝から晩まで、入力され続ける刺激に対して出力し続けるしかない。
満足しきってもう何も反応する必要がない、というふうにはならない。
いつも、刺激に対して反応せずにはいられない、満足しきっていない、次の行為を求めてしまう。
74:神も仏も名無しさん
12/09/18 21:00:23.76 RiLITM7g
>>52
逃げ場を塞いで、「権威」の鼻を折って、屈服させたいだけでしょ。
釈迦が説いた、という意味での「仏説」だけでなく、
仏法を感得した、という意味での「仏説」を名乗ることも容認しない。
彼らが【宗教的・信仰的な意味で】仏教を自認することを許さない。
大乗仏教徒が仏教ヅラをするのが許せない。
「自分たちのことを
仏教の二次創作&修法・呪法コレクション
だと考えろ」
そういう要求なわけだ。
75:神も仏も名無しさん
12/09/18 21:08:33.84 GUh4PJX8
食べることに満足したら、食べることを止める。
眠ることに満足したら、眠ることを止める。
輪廻に満足したら、輪廻を止める。
生きることに満足したら、生きることを止める。
私達は、自分の名前を呼ばれたら反応せずにはいられない。
仮に返事をしなくても、耳の意識は呼び声に向いてしまう。
しかし、入滅したお釈迦様は、名前を呼ばれて返事することにも満足しているから、
いくら呼ばれても返事をすることはない。
聴くことにも満足しているから、呼び声を聴くこともない。
すなわち無余涅槃、吹き消された、平安なる滅び。
76:神も仏も名無しさん
12/09/18 21:26:33.74 gwGsjZcb
釈迦個人に執着する者は、その執着故に、いくら論理を説いても、その論理
は歪まざるを得ない。即ち、その論理はもはや論理ではなく、信仰に過ぎない。
77:神も仏も名無しさん
12/09/18 21:38:21.21 RiLITM7g
>>53
>不誠実というか、
>ただの嘘デタラメをそういうことにしてしまうのは殆ど詐欺同然かと。
俺が嘘デタラメと思うものはお前らも嘘デタラメと思え……
否定する選択肢しか認めず、調和化する選択肢は認めない。
でも、自分は寛容だ。偽仏教でも救われることを認めるのだから……。意識が目覚め
救いを獲得して霊性レヴェルが上がったら自然と自分の宗教を退けるのは当然だが。
この発想だと、相手がレベルを上げたら棄教するのを前提に放置しているだけだ。
相手宗教にとってどれだけ重要かは関係なく、あるドグマは
ただの因習であり、副次的産物に過ぎないのだから
そうしたものへの信仰・支持を弱め、捨てることが
霊性の成長をはかる一種の基準となる。
これを「他宗教にも真理があると認めている」ことにするのは、言葉遊びだ。
欺瞞にすら感じる。実際に認めているのはそれぞれの宗教が備える
メソッド・方法論の機能と効用に過ぎない。
78:神も仏も名無しさん
12/09/18 21:46:01.73 RiLITM7g
しかも、相手宗教が本来意図していない方向に働くことを前提としている。
79:神も仏も名無しさん
12/09/18 21:50:02.91 RiLITM7g
ID:cZafnZqVにとっては経典や論書にある戯論寂滅の表現は、
実際にそこに連れて行くための筏で、せいぜい緯度経度の書いてある
像の薄ぼんやりとした写真みたいなものなのか。
でもID:v9DsjjwIにとってはそのものズバリを言い表し尽くした物ということか。
頭の中で、文面上の表現と文句を全て重ね合わせて、何らかのテクニックで合一させれば、
その境地になるという発想なのか。
80:神も仏も名無しさん
12/09/18 21:58:45.32 cZafnZqV
>>79
だからはっきり「筏」ただの言葉だって書いてるでしょ。もうちっとキッチリ読んでクリヤ~
月が勝義だとすれば、それをさし示す指ね。
勝義そのものは戯論寂滅の体験自体。
勝義を示す言葉は、言葉の勝義(異門勝義、パリヤーヤ・パラマールタ)って言われてるよ。
これを混同するのも困ったもんだ。
81:神も仏も名無しさん
12/09/18 22:07:59.20 RiLITM7g
月を描いた絵、じゃないのね。
82:神も仏も名無しさん
12/09/18 22:17:55.72 cZafnZqV
>>81
絵でもいいけど、その絵が本物じゃなく、
本物を示すための図、似姿、譬喩みたいなもんですね
図、似姿、譬喩を勘違いして勝義とはこれだと言ってもらっては困るってのが、
郡盲象を撫でる『智光明荘厳経』に次のように説かれるのも譬喩ですよ。
文殊よ! 不生不滅な時、意心識は働かない。そこに何の分別もな
い。そ(分別)の妄想で理に適わぬ意識(不如理作意)も働かない。理に
適った意識(如理作意)を働かすことに努める者。彼は無明を起こさない。
無明を起こさないから、有の十二縁起が起きない。有の十二縁起が起き
ないこと。それが不生です。文殊よ! 何か不生なこと。それは無欠で
す。何か無欠なこと。それは了義です。何か了義なこと。それは勝義です。
何か勝義なこと。それは無人格な(無我の)対象です。何か無人格な対象。
それは言い表せない対象です。何か言い表せない対象、それは縁起です。
何か縁起の対象。それは法の対象です。何か法の対象。それは如来の
対象です。だから「誰か縁起を見る者は法を見る。誰か法を見る者は
如来を見る」と言われます。つまり、どのように探求しても観られない。
そのように観るのです。文殊よ! そこで「何も」とは何かというなら、
つまり、心と知覚対象[を何も]です。彼が心も知覚対象[を何]も観な
い時、正しく観るのです。以上のようにそれら諸法を如来が平等性か
ら同一だと正しく悟るのです。
83:神も仏も名無しさん
12/09/18 22:19:02.57 gwGsjZcb
釈迦を「信仰」する者が、いくら論理を弄しても無駄・無意味。その論理は、
「信仰」故にすでに歪み、論理ではなくなっているから。
「信仰」とは「非論理」「反論理」の行為である。
釈迦教徒の根本的誤りは、そこにある。
84:神も仏も名無しさん
12/09/18 22:28:38.10 RiLITM7g
いまありそうな陥穽を思いついた。
絵を見る→自分の頭の中でイメージでパワーアップさせて
→「実際の美しい月」を想像(創造)する
→「実際の美しい月」に兎さんや蟹さんが跳梁跋扈する。