12/09/06 22:44:11.08 jBHXuE9e
>>619
面倒くさい ggrks
621:神も仏も名無しさん
12/09/06 22:49:44.15 9p+mhJ8p
>>618
忍耐力重視なら少々のことに腹立てちゃどうかなと思うんよ
そりゃ条件反射でカッとなるのは体の反応だからどうもならんけど…
思考だけではどうもならん
そんなことは誰でも解ってる
ならば少々のことはどうでもいいと思うんだよね
622:神も仏も名無しさん
12/09/06 22:53:20.67 88x1a7iO
>>620
お前に言ってねぇよ。ってお前、元うどんの人か。
面倒くさいんだったらいいよ。元うどん人よ名前変えてもうそついてねぇか見張ってるからな。
623:オレって名無しかよ!?
12/09/06 23:04:43.32 jBHXuE9e
>>622
「元うどん」って何だよ?
こっちのコテの方が古いんだから、こっちで覚えとけよ。
見張るのは勝手だが、コテ付いてなきゃお前って分かんねーぞ
624:神も仏も名無しさん
12/09/06 23:15:40.24 S1dOU5ZU
ID:88x1a7iO の馬鹿、こっちでも訳の分からんこと喚いているのか?wwww
こいつ、やたら俺をロンにしたがってるが、真言バカか?www
625:神も仏も名無しさん
12/09/06 23:17:30.60 S1dOU5ZU
このバカ、IDを見るっていう知識さえもないのかよ?wwww
626:安堂
12/09/07 01:05:00.55 SLnNyXjW
保守あげ
627:オレって名無しかよ!?
12/09/07 01:10:11.03 akcc9X1T
>>624
いつの間にか、このスレは「ひまわり学級」になってしまったみたいだ。
628:473
12/09/07 01:51:42.30 OTrANUgM
自我の終焉の13章は素晴らしい。加えるなら、
古いもの、肉体に執着することによるさまざまな経験。その経験が反応することで物事のかかわりにおいて感情が形成される。
その経験の枠内にいる限り、肉体に執着しない境地は見出しようがなかった。
なんにせよあらゆる経験を手放し、過去に死ななければ、欲望の対象が移り変わるだけ。
629:神も仏も名無しさん
12/09/07 01:53:56.60 mnCeGsJB
新しい風が入るのは良いことだ
「諸行無常」
例えば、諸行常だとしよう。考えるとなかなか面白い。
とりあえず苦痛だけでも永遠に続くのである。
どんだけ~の世界であり、そんなものは有り得ない。
ところがたった一つだけ常がある。
それが事実だという法である。
苦とは終わりのあるものであり生き甲斐とさえいえる。
人は山を越えるという喜びがあるから努力できるし
生きていけるのである。
630:安堂
12/09/07 02:01:33.79 SLnNyXjW
いろは歌にある、有為の奥山けふ越えてってか。
浅き夢見じ酔ひもせず・・・。
世誰ぞ常ならん・・・・・
631:神も仏も名無しさん
12/09/07 02:07:09.84 mnCeGsJB
「諸法無我」
つまり我というものも永遠ではないのである。
我というものは思考と行動により
別物に変わっていくのである。
我と思っているのは自分のみであり、
実際は我に非ずなのである。
「万物は流転する」
よってこれも法である。
であるから思考を良化し行動を良化していくのである。
632:神も仏も名無しさん
12/09/07 02:14:17.47 mnCeGsJB
誰のおかげで生きているのか?
周囲の人々のおかげではないのか。
それは己の肉体についてもいえる。
あるいは自然の恵みではないのか。
思考による虚像や虚構に浸っている場合か。
おかげがあるなら感謝するのが筋である。
633:神も仏も名無しさん
12/09/07 03:07:41.14 mnCeGsJB
「なんたらは、あの世とこの世をどーたらこーたら」
つまり「万物は流転する」の事実から
あの世というものは無いのである。
この世とは思い込みである。
過ぎ去った過去にすぎない。
別の世が繰り返し展開するのみである。
634:ベゲザン
12/09/07 03:08:33.52 c3Y2LvFq
おはよう。もう一寝入り。