12/09/05 17:26:56.60 BnpeHP2w
>>457
無意識の思考はあるがままと対立する。
そういう意味で無意識の思考は全て間違いだ。
人類共通の間違いもあれば、文化ごと、組織ごとの間違いもある。
また自我という現象において、個人の数だけ間違いがある。
自身の間違い、無意識の思考から自由になった分だけ実在に近くなる。
社会共通の幻想も、個人的幻想も、実在と調和しないという点については同じ。
ただ、瞑想に入ることができるのは特にどちらということは無い。
社会共通の幻想が支配的でっても瞑想に入るように成熟している人もいれば、
個人的幻想が人類を飛び越して成熟している人もいる。
個人的幻想が社会の平均以下の人もいる。
それが自己愛性異常人格者。
もちろん本人は全く無自覚なのであり、自覚症状があるのなら異常人格なのではなく、
単に社会共通の無意識の思考を拒否したある種健全な人たちとも言える。
しかし、拒否するのではなく、賛同はしないが所与のものとしてやることだけやっておくというのが望まれるところではある。
それが起るのもその人が行動タイプか思考感情タイプかどちらかという問題であり、優劣ではない。
宗教においては人間の成長は総合的な意識においてしか測られない。
人は為すことができない。働くことは起るし、働かないことも起こる。
起ることに意味は無い。
しかし、社会共通の幻想を拒否するのなら瞑想において自身の心を超えてゆくのでなければどこにも行き着けないだろうに。