12/08/31 17:37:06.76 PJplFQsV
以下、「それ」の解説です。
「それ」を見出しても、何かが無くなったり出現したりはしません。(執着しかり煩悩しかり)
無くなる現れる、増える減る、などは二元です。
こうなるああなるも、ならないことに支えられていますから、やっぱりこれも二元です。
「それ」は、そのような次元のものではありません。
もちろん、「それ」を見出すことで精神に何らかの変化が起こることもあるでしょう。
ただそれは、どこまでも、もともとあるものが変化するだけであって、
無かったものが現れれたり、あったものが消滅したりすることではないのです。
たしかに、何かが強くなったり弱くなったりすることはあるかもしれません。
でもそれは副産物であり、おまけのようなものです。
「それ」自体(一元)と、「それ」を見出したことで起こること(二元)とは、まったく別の次元のことです。
二元的な変化を「それ」と申し上げているわけではないということです。
また、「それ」を見出した結果起こることは、人それぞれであり、決まってこうなるというものでもありません。
一方、「それ」を見出していない人が、「それ」を見出した人の表面に現れた何らかの変化を見て、
「「それ」を見出すとこうなるのか」のように誤解してしまうのは当然のことでもありますから、
文献などにそれが書き残されることもあるでしょうし、口頭で語り継がれることもあるでしょう。
「それ」を見出していない人が「それ」を分かろうとするとき、
一番頻繁に起こることが表面に出たものだけを見て「それ」を判断することでしょう。
そのようにして、一般的な「それ」(悟り)の解釈や、仏教の一部の宗派での「それ」(悟り)の解釈が生まれ、
現在も引き継がれているのでしょう。
さて、このようなわけで、私の申し上げる「それ」は、
貴方の中では、別の単語かもしれません。
くれぐれも誤解の無いようにお願いいたします。