12/09/02 17:51:11.64 DUsPbY3M
>>156続き
最初は無意識で眠りこけている。
同じような夢をみんなと見ており個性は存在しない。
瞑想において自我は統一されてゆき、より広く物事が見えるようになる。
独自の見解を持つようになる。
ここで、自分を含み、あらゆる人間が夢の中にいると気づく。
人々がそれに気づかないのは似たような夢を集団で見ているから。
しかし、この個性の、意識によって統一された自我の獲得も過渡期というか副産物に過ぎない。
ここにはある種の無条件の喜びもあるが、眠りでもなく悟りでもないという一番苦労が耐えないところ・
大きな羊が群れから離れさまよっている。
独りであることを認識した統一された自我は、自らが自我であることに覚醒しうる。
全体に溶けてゆくこと。過去に死に、新生を許しうる。
群集から独りへ、独りから全体へ、そのような地図が昔から宗教において提示されていた。
人々と意見が合うということは、非常に狭く限定された偏見の世界であるということ。
人は自分自身を持ちつつ、外界ではその狭く限定された人々の夢を考慮する。
求道者よ、個性の栄光を持つものよ。
それは祝福されるべきものであり、かつ、いずれ捨てられるべきもの。
そして、それはあなただけのものであり、他者とは何のかかわりもない。
よくもわるくもあなたは一人だ。