12/09/02 00:49:46.09 DUsPbY3M
最初は何もなかったのでしょう。
無自覚な執着によって恐怖が生まれます。
純粋な体の執着から来る体の損失の恐怖や、感覚への執着から来る苦痛への恐怖は凄まじいもので、
およそ直面できるものではありません。(光明に近い覚醒が無い限り)
それゆえに恐怖から逃れようと無自覚な欲望が生まれます。
欲望によって、快楽と苦痛が生まれます。それまでは快楽、苦痛という認知は存在しなかった。
そして、快楽というのは条件付の快楽であり、条件を満たさなければ苦しみか、少なくとも欲求不満を起こします。
つまり、何もしなければ欲求不満がおきます。
そして欲求不満から無自覚にに逃れるべく、新しい欲望が無自覚に生まれます。
なにもしないときに起きるその欲望は、悟りや一元の夢であったり、テレビや漫画の夢であったり、おいしい食べ物を食べるという体験(夢)であったりするでしょう。
かくして、無自覚な執着ー恐怖、から無自覚な欲望、欲望から苦痛、苦痛から逃れる無自覚な新たな欲望や白昼夢。
全て無自覚にここまでのことが起こり、そして無限に欲求不満から逃れるべく新たな欲望が無自覚に起ります。
欲求不満から逃げる無自覚な欲望の働きに気づき、根っこの欲求不満に気づき、そしてその根底である恐怖からの逃避に気づき、
恐怖を作り出した執着に気づく。
まずは欲求不満から、苦しみから逃げる無自覚な欲望の働きに気づく。
現状を苦しみと認識し、現状を否定する何らかの快楽を夢想する働きに気づく。
その働きに気づくことが瞑想ではないでしょうか。
苦しみと快楽という認識を作り出すのが欲望であり、思考です。
苦しみや快楽という認識は欲望が作り出した幻に過ぎず、変革はそれを作り出す私自身の無自覚な思考にあります。
しかし、「無意識の思考は苦しみをなくそうと勝手に動きます」「あるがままという思想は全く役に立たず、その無意識の思考を自覚することだけが脱出の扉です」
リラックス。