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阿頼耶識(仮説)
通常言葉を介さない行動部分に思考を収める。
阿頼耶識での推論・論証・思考の過程は、言語で思考している人格からは不可視。
というか、スピードが恐らく全然違う。
解、情報が情報が足りないなどの分岐点で止まったときに、ようやく言語から見える状態になる。
若しくは夢。
文章構築を要しないので、それだけでも比べ物にならないほどの差が有る筈。
キーボードを打つのに、一字ずつ意識するのと、意識せずに長文を打ち込む以上の違い。
推論・論証の流れが文章構築を待たなければならないなら、純粋なシングルタスクとして流れざるをえないが、文章構築を待つ必要が無ければ全ての派生が並列化される。
音楽を聴きながら、歩きながら、夕日を見ながら、ソフトクリームを食べる等。
言語化したらとんでもないことになる。まず追いつけない。
無意識に処理できる行動は主に成功体験。
スキップや自転車に乗るなどと同じ領域。
成功及び肯定により収めることが叶う。
必要なのは、公平・等価・博愛。
これ等を無心の過程に充て、その経過・解を阿頼耶識に収める。
ので、ネイティブの意思に基づく思想は必須。
罪の成功が多ければ、ナチュラルに犯罪を犯す者になる。
言語化されない領域での理解なので、説得が難しいこと。
弁術を持って正当化することを考えれば、少なくとも社会的に殺さねばならない。
故に、現在の精神病の見解は全くの的外れ。