悟りを開いたことあるけど何か質問ある?16at PSY
悟りを開いたことあるけど何か質問ある?16 - 暇つぶし2ch1:神も仏も名無しさん
12/07/29 20:11:55.66 HTh1kO/3
このスレの主はamaです。
ご質問は、できるだけ日常の言葉を使っていただけると助かります。

*前スレ
悟りを開いたことあるけど何か質問ある?15
スレリンク(psy板)

≪ご注意≫
amaが申し上げる「悟り」は、
一般的に言われている「悟り」とは違うかもしれませんし、
仏教で言われている「悟り」とも違うかもしれませんので、
誤解を避けるために「ほげ(hoge)」という言葉を使いたいと思います。

2:神も仏も名無しさん
12/07/29 20:12:29.36 HTh1kO/3
以下、ほげの解説です。

ほげを見出しても、何かが無くなったり出現したりはしません。(執着しかり煩悩しかり)
無くなる現れる、増える減る、などは二元です。
こうなるああなるも、ならないことに支えられていますから、やっぱりこれも二元です。
ほげは、そのような次元のものではありません。
もちろん、ほげることで精神に何らかの変化が起こることもあるでしょう。
ただそれは、どこまでも、もともとあるものが変化するだけであって、
無かったものが現れれたり、あったものが消滅したりすることではないのです。
たしかに、何かが強くなったり弱くなったりすることはあるかもしれません。
でもそれは副産物であり、おまけのようなものです。
ほげ自体(一元)と、ほげったことで起こること(二元)とは、まったく別の次元のことです。
二元的な変化をほげと申し上げているわけではないということです。
また、ほげった結果起こることは、人それぞれであり、決まってこうなるというものでもありません。
一方、ほげを見出していない人が、ほげった人の表面に現れた何らかの変化を見て、
「ほげるとこうなるのか」のように誤解してしまうのは当然のことでもありますから、
文献などにそれが書き残されることもあるでしょうし、口頭で語り継がれることもあるでしょう。
ほげを見出していない人がほげを分かろうとするとき、
一番頻繁に起こることが表面に出たものだけを見てほげを判断することでしょう。
そのようにして、一般的なほげ(悟り)の解釈や、仏教の一部の宗派でのほげ(悟り)の解釈が生まれ、
現在も引き継がれているのでしょう。

さて、このようなわけで、私の申し上げる「ほげ」は、
貴方の中では、別の単語かもしれません。
くれぐれも誤解の無いようにお願いいたします。

3:ろん
12/07/29 20:15:17.02 HTh1kO/3
悟りは本を読んだり、考えたりしてもわからんで~。。

チラッとでも自分で見なきゃ、わからない。。

見てない人は、まずは修行をしましょう。。

悟らないうちに説法をはじめないように。。ww

説法とは説教とは違います。。

こうすべきこうあるべきの次元にはないのです、法は。。

仏法は三法印でググって理解してください。。

4:ろん
12/07/29 20:17:09.62 HTh1kO/3
どんなに頭でわかっても、瞑想、坐禅などしない人は、いたれないという場合がほとんどです。。

坐禅は、坐って死ぬことです。。
自分をよくしたり、高めたりなんてものではありません。。

他の習い事、修法などとは全く別です。。

全くの初心=仏です。。

5:ろん
12/07/29 20:19:42.47 HTh1kO/3
坐禅は自分が死ぬこと、主客の境界が消えて、向こうが自分になる、見たものと一体化してしまうのが、一つの目安です。。

坐禅中は自分を観察していいわるいしないでください。。

自分用なしで坐れ、外ばっかりに参じなさい、と指導されたりします。。

外ばっかりでもともと足りていることに気づいてください。。

6:さくら ◆NJraxAH1mi8E
12/07/29 20:20:47.04 L1m2dHOO
ろんさん、こんばんわ


7:ろん
12/07/29 20:25:16.02 HTh1kO/3
こんばんわ―。。

8:さくら ◆NJraxAH1mi8E
12/07/29 20:26:37.15 L1m2dHOO
あたいへの返事かしら?



9:悟り子 ◆AAyxyMDKw6
12/07/29 20:48:56.96 UYQrMguH
>>1
ろんさんスレ立てありがとうございます
m(_ _)m

10:ノスタルジア
12/07/29 21:00:37.52 zC3Z7XQ0
>>3 無量の諸仏の国土を見るということでしょうか?それが悟りを見るという
ことでしょうか?韋提希が釈迦から見せられたように・・・。

11:ろん
12/07/29 21:35:56.19 HTh1kO/3
>>10
自分なくしてものみな在る、って僕は言われましたけどね。。

何か特別なものを見るんじゃなくて、目の前のものが見える、と言うだけです。。

12:ろん
12/07/29 21:36:31.45 HTh1kO/3
>>9
どういたしまして。。

13:ろん
12/07/29 21:38:40.81 HTh1kO/3
>>10
目の前のものの実在感が違うんですよ。。

そのありありとした現実感が。。

一体感のようなものがあるわけです、見るものとの。。

14:さくら ◆NJraxAH1mi8E
12/07/29 21:41:22.84 L1m2dHOO
ろんさん、こんばんわ。

前レスの最後ですが、余り見ていないのは、ごめんなさい。

15:神も仏も名無しさん
12/07/29 21:43:11.48 7qd+Riou
悟りを開いたことあるけど何か質問ある?16

このスレの主はamaです。
ご質問は、できるだけ日常の言葉を使っていただけると助かります。

*前スレ
悟りを開いたことあるけど何か質問ある?15
スレリンク(psy板)

≪ご注意≫
amaは悟ってはいません。
スレタイは釣りです。


16:473
12/07/29 21:47:02.48 7qd+Riou
>>985

ここ、という限定をもたらすのは誰でしょう。

17:ノスタルジア
12/07/29 21:55:37.51 zC3Z7XQ0
>>11
まあそれもあるかもしれませんね。言われた人をろんさんは信じたんでしょうか?
どれともただ言われたことを書いただけですか?信じたんだったら僕の言う浄土
を見るのと似たりよったりだと思います。言われた人の言葉については僕は意味不明
でしたけど、しかしろんさんの言葉は分かりました。
>>13
なんか神秘体験されたんでしょうか?

18:473
12/07/29 21:56:47.34 7qd+Riou
根っこに苦しみがあったとしても、いつしかと苦しみと苦しみに気づこうとする主体に分裂している。

苦しみに気づこうとする主体も、苦しみと同じくざわめく心ではないだろうか。
2つの部分のざわめく心が相対しても、更なる散乱しか期待できない。

私は苦しみそのものである、と知識で知ったり、ある種の気づきがあっても、
その気づきは、苦しみに対抗する自我が気づきのふりをしているという状態に取って代わられている。

苦しみは静かならぬこころ、苦しむ人、苦しみを見る人も静かならぬ心。
ならその2つを分けて考える必然性も無い。
そもそもどこで分かれたのだろうか。

分かたれていると感じるとき。それは事実として分かたれているのか、分けているだけなのか。
自身で見極めるほかありません。

19:473
12/07/29 21:59:30.76 7qd+Riou
>>17
3を読みませんでしたか?

絶対的な全体性、無我であるところ存在による戯れの自我の表現と、
相対性である自己と他者の比較、隔絶を感じさせるありふれた深刻な自我の言明。

何が何を語っているのかはおのずと示されています。

20:さくら ◆NJraxAH1mi8E
12/07/29 22:20:56.55 L1m2dHOO
こんばんわ

21:ノスタルジア
12/07/29 22:25:37.12 zC3Z7XQ0
>>19
はっきりと読んでいませんでした(笑)
質問なんですが、心は「自我の「?」」。何が当てはまりますか?
あなたは瞑想修行しているんですよね?
法、仏法は心にも通用しますか?

22:ろん
12/07/29 22:28:34.36 HTh1kO/3
>>17
浄土を見るというのは、眼を閉じて見るわけでしょう。。
浄土宗は、そういう観想の修行をする、そこから浄土真宗が出ている。。

禅宗は、浄土や仏を見る必要はありません。。

ただ物が見えればいいというだけです。。

 眼眠らざれば 諸夢自ずから失す
                       (証道歌)

せったんさんから言われて、まったくその通りだなあと感じた、と言うことです。。
誰でも坐ればそうなるんですよ、三昧と言うやつです。。
坐らなくても、静かにしていればそうなっていきます。。

23:さくら ◆NJraxAH1mi8E
12/07/29 22:31:20.05 L1m2dHOO
ろんさんは、お坊様ですか?

24:473
12/07/29 22:38:58.05 7qd+Riou
19続き。

文章、発言には、表層上のロジックという層と、その言葉ににじみ出るその人の実存というもうひとつの層があります。
発言者の実体は後者であり、何を発言しても、後者のそれがにじみ出てきます。

問題は、後者は私たちの無意識に影響を与えるということです。
表奏上のロジックに気をとられていると、私たちは自身の無意識がそれらの発言ににじみ出る発言者の実存から影響を受けてしまいます。
それを好いても、嫌っても、かき乱されても、およそ無意識は強化され、目覚めは失われます。

他者の分析のためというより、自身の無意識があらぬ影響を受けぬよう、その文章からでる発言者の実存に気づいていなければ危険です。
そしてそれは、他ならぬ自己に自身の無意識に気づくということであります。

25:473
12/07/29 22:42:12.82 7qd+Riou
>>21
その類の質問に明確に答えるというのは不可能というものです。
曇りない意識であるか、もしくは知ったかぶっているかのいずれかのように思います。

一応18の文脈ですと、自我とは心の分断そのものであり、分断とはなんなのでしょうか。
分断とはどういう存在でしょうか。存在しないのでしょうか。
そんな意味合いになります。
21の文脈がどんな文脈かわからないので18の文脈で補足させていただきます。

26:ノスタルジア
12/07/29 22:43:51.37 zC3Z7XQ0
>>22
ググりましたけど浄土を見るというのは無いといっていいでしょうたぶん。
浄土の中の極楽ですね。観無量寿経ですね。
禅ですか~、我々真宗門徒らは修行をもう出来ないのだ。、っていう風なことを
言われましたね先生に。それほど愚で凡であるということです。


27:ろん
12/07/29 22:50:06.34 HTh1kO/3
>>26
愚で凡、いいじゃないですか。。

愚人礼賛、凡人万歳。。w

おいらも愚でも凡だよ~。。

28:ノスタルジア
12/07/29 23:02:01.67 zC3Z7XQ0
>>25
予備知識がないとやっぱりつらいか。いや~あの~「心の表現としての現象」というか
「心の無限の人格化」というか、そのような曇りない心があると思うんですよ。
まあ自我があるって言えばそうなりますよね、自我とは心の分断って話に。
修行と親鸞の言う大行は違うと思うんです。とにかく僕の言う二つの曇りなき心の
解釈が法の仏法の広がる速度に敵うものであると思ったのです。

29:ろん
12/07/29 23:10:45.63 HTh1kO/3
さかしらを去る、と言うのが親鸞が目指したこと。。

利口ぶって、知ったかぶっての反対。。

愚に安住する、もともと何にもわかるわけないんだもの。。w

わかったはウソ、勘違い。。

30:473
12/07/29 23:27:23.19 7qd+Riou
執着と欲望は生を不毛なものにする。
生きる人にそう感じさせる。

その不毛さを生きる。
不毛でないものは執着と欲望の土壌からはそもそも生まれようが無い。
一時的な逃避、夢としてはともかく、生の基底としての音調とはなりえない。

だからこそ、「なにもしない」ということが提示されるのだろうか。
それは「なにもしない」、以下の振る舞いしかできないという事実を示唆しているかもしれない。

不毛さを苦しみ、不毛さを楽しむ。
不毛でないものを求めて自分を卑下することも無い。

31:473
12/07/29 23:33:58.33 7qd+Riou
>>28

それのあるなしより、それを覆い隠しているであろう、自我や苦しみや執着や憎しみや、、、
そういうものこそ現実にあるのではないでしょうか。
自分における、世界における現実

それがあるというのも、それを永続化させる言い方だから、現状分断されていて、それは個々人が統合するのが精一杯
世界に働きかけることは不可能なようです。と述べておきます。

自身がその分断から解放されうるか。それ以外を論じることに果たして意味があるのか。難しいところです。

32:ろん
12/07/29 23:40:21.13 HTh1kO/3
>>23
ちゃうよ~。。

33:ノスタルジア
12/07/30 00:10:56.42 8Na5Rriw
>>31 いやそれは覆い隠されていません。それは神聖なマインドです。
世界を最初から諸行無常や一切行苦と決めつけるのはどうかな~と思う。
僕はそのような事は相対的つまり浄土と現実という関係性で十分ではないか
と思うんです。浄土に今すぐにでも戻りたいが戻れないそれを信じる自分おける
現実世界における自我や苦しみや執着や憎しみや・・・ではないでしょうか。

34:神も仏も名無しさん
12/07/30 00:17:27.61 FHJeOce1
考えるだけ無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄ア──ッ

35:神も仏も名無しさん
12/07/30 00:37:47.18 TMqUc3r+
ろんに何かのコンプレックスを感じる
枝でつつくのは俺の悪いクセだw
逃げている対象は学歴か?親か?
わかったはウソ、勘違い その通り
無への回帰けっこう
だが、無になったつもりでいいんかの?
自己愛と自己否定とは違う
自分を持つとは自己否定である

36:安堂 ◆3LK.0gZrV2
12/07/30 00:44:02.67 etrys1EK

遊びをせんとや生れけむ~

戯れせんとや生れけん~

遊ぶ子供の声きけば~

我が身さえこそ動がるれ~~~♪。

37:神も仏も名無しさん
12/07/30 00:53:07.99 QdyYcp7J
>>16 せみです。

38:神も仏も名無しさん
12/07/30 01:00:33.67 TMqUc3r+
空論はどうでもいいw

39:ろん
12/07/30 01:17:32.77 cPq2j+kq
自分に親しむ、安住するから、安心して自己を忘ずることができる、と言う流れだって気がするけどねー。。

自己否定なんぞ、何も生みはしない。。

分裂して、否定している自己を生き延びさせるだけだ。。

まず肯定する、安心する、肯定を手放す、忘ずる、と言う気がするけどね。。

40:ろん
12/07/30 01:18:55.14 cPq2j+kq
自己はあっても、自己は法そのものだ。。

自己が在ることが問題ではない、問題にすることが問題なのだ。。

あるものはあるまま、ないものはないまま。。

何にも得られるものはない。。

41:ろん
12/07/30 01:20:11.00 cPq2j+kq
無我がわかるかがポイントと言うのもあるかもだな。。

ああしろこうするないう人は、無我がわかっていない。。

無我とは、もともと自分がない、あっても実体がないと言うこと。。

42:473
12/07/30 01:20:41.79 JEjKAwXT
自己が消え去るか、自己を消し去るか。

全く逆のことなのだけど似通っているから危険だという。
言葉は似ているけど、印象は真逆なのでそのように見れば見誤ることも無いでしょう。

43:473
12/07/30 01:22:45.07 JEjKAwXT
>>33

そのように述べたつもりでした。
自分における事実であり、そういう「自分」がほとんどの世界を構成しているでしょう。

44:ろん
12/07/30 01:23:35.87 cPq2j+kq
自己は消えないね~。。

無くなったり、現われたり、が坐禅とその後の有り様。。

自己がと思っている是はなんだ?

ホントに自分なのか?

って言うのはある。。

自分じゃないかもなんだよ、ほんとは。。

45:ろん
12/07/30 01:25:09.57 cPq2j+kq
私は私ではない、故に私である。。

全くこの通り。。

私が私であったら、それは間違いだ。。w

46:神も仏も名無しさん
12/07/30 01:25:32.82 TMqUc3r+
自己を消し去るのでなく自己否定により
自己を確立するのだよ
自己が確立できれば、どうとでもなる
俺が確立できてるとは言うてないw

47:ろん
12/07/30 01:26:51.02 cPq2j+kq
時間的に見れば、一瞬過去の自分はもう死んでいる、もうなくなっている。。

このなくなった自己を捉えて自分だと思ってしまうのが、おかしいんではなかろうか。。

今の自己、捉えられない今、そこにしか真実はないんでないかい?

48:神も仏も名無しさん
12/07/30 01:28:19.47 s7fhVmY0
>>45
>私は私ではない、故に私である。。

まさにw

49:ろん
12/07/30 01:28:45.43 cPq2j+kq
>>46
確立してしまったら、それは死んだも同じじゃないいか?

確立せずに、縁に応じて、変化する、流動する、確かな自己など無し、の方が真だろう。。

50:ろん
12/07/30 01:30:31.23 cPq2j+kq
そろそろ寝るわ。。

51:473
12/07/30 01:31:10.87 JEjKAwXT
あらゆる行為が、あらゆる思考が、あらゆる感情が、あらゆる体験が、その数だけ心を分断する。
自我を構成する。

しかし、あらゆる行為に影響されない、あらゆる思考に影響されない、あらゆる感情に影響されない、あらゆる体験に影響されない、
そういった何かがあるならば、何にも影響されないならば心はひとつのまま。無心のまま。
そんな心においてはあらゆる行いは、思考は、感情は、体験は平等なのだろう。

やることなすこと、思うこと、感じること、体験すること。
その数の分だけ記憶が残り、好み、嫌い、執着し、心は分断され分断された自我を形成する。
形象や体験の影響を受けている限りその数だけ心はばらばらになる。

ばらばらになると絶え間ない葛藤がある。ばらばらになると人生における正解は消滅し、全てが疑いと葛藤になる。(それゆえの種種の逃避と投影がある)
生の多様性を体験すればするほど葛藤はいよいよ強まる。

それが地獄であるが故に、莫大な数の体験の矛盾に直面するが故に
行為や体験に影響を受けないということはどんなことであろうか気にかかろうというもの。


52:ろん
12/07/30 01:31:32.51 cPq2j+kq
 随所に主となり、縁に応じて幽となる

53:神も仏も名無しさん
12/07/30 01:31:35.26 TMqUc3r+
>>49
真とは犬猫に同じかw

54:神も仏も名無しさん
12/07/30 01:35:37.69 s7fhVmY0
>>51
あらゆる行動様式、あらゆる思考様式、あらゆる感情様式、あらゆる体験を全て失っても自我は存在し続けるよ。
記憶喪失で全て失っても“私”って誰でも思うでしょ。
自我のコアの部分はそれとは関係ないと思うよ。
執着が人にそうと勘違いさせることはあっても、それはあくまで勘違い


55:神も仏も名無しさん
12/07/30 01:38:58.44 TMqUc3r+
>確立してしまったら、それは死んだも同じじゃないいか?

仏の姿がちゃんと見えてるじゃないかw
さすがはろんだなw
ならば何故仏になろうとせぬ?

56:神も仏も名無しさん
12/07/30 02:02:16.64 TMqUc3r+
私は私ではない、故に私である

自己否定とは、そういう抽象的なものではない
もっと具体的で部分的なことだよ
473にもわかってるね
そこから逃避せず正視するってことだよ

57:神も仏も名無しさん
12/07/30 02:12:23.22 TMqUc3r+
正見すれば正思惟が生じ、正行につながる
バラバラに考えるんじゃなくて、一つの自然な流れなんだよ

58:神も仏も名無しさん
12/07/30 03:05:21.88 FHJeOce1
みんなもともとそこにいるんだからそこにいりゃいいんだよ

59:神も仏も名無しさん
12/07/30 03:18:39.42 QdyYcp7J
>>58 その通りですね。
今日のここ。またも事実一割 想像九割です。

60:神も仏も名無しさん
12/07/30 03:44:32.17 U9hOS1++
日本のカミである、宮将軍の東武皇帝であり、殿様天皇の命において、この様な男女間の裸体での性行為の撮影は完全禁止している。
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騙された事を知っても自殺はしてはいけない。騙した悪人を倒そう!

61:神も仏も名無しさん
12/07/30 04:04:52.46 TMqUc3r+
>>58
残念だなw
みんなそこから離れてる現実があるのだよw
>またも事実一割 想像九割です
ええかげん空から抜け出せやw

62:神も仏も名無しさん
12/07/30 04:16:41.74 TMqUc3r+
>>60
健常な世の流れを否定しても、しゃーなかろ
偽を見分ける眼を持つのに一役かうだろ

63:神も仏も名無しさん
12/07/30 04:26:42.45 QdyYcp7J
>>61
空ではないです。ただの事実です。
ご自分の過去ログをご覧下さい。
たとえば>>35
これは実際に本当にそうなんですか?
どうやって確認したんでしょう。
ろんさんから聞きましたか?

64:神も仏も名無しさん
12/07/30 04:30:45.48 TMqUc3r+
>>63
空に決まってるだろw
枝でつついてみただけさw

65:神も仏も名無しさん
12/07/30 04:37:28.89 TMqUc3r+
ここにいる間は少なくとも
空という事実10割だw

66:神も仏も名無しさん
12/07/30 04:52:30.39 QdyYcp7J
先ほどからおっしゃってる空とはなんのことですか?
枝でなにをつついたんでしょうか。
事実1割 想像9割といったのは確かに私に想像です。
実際に量ったわけではありません。



67:神も仏も名無しさん
12/07/30 06:57:55.69 TMqUc3r+
>>66
空理空論。しょーもなーってことよw
わかりやすく言うとだな
・ちゃんとしよう
・もっと勉強しよう
・もっともっと~しよう
これは何だと思う?
これも立派な自己否定だよ
このようなものが非我ってことだ
何も生まないわけないだろう?
自己確立に納得できぬかい?
そこに留まるだけでいい

できてから言え?
言うただろう、思うだけでも違うんだよw

68:ama ◆BmUbLWewsM
12/07/30 07:08:20.04 biaM3b6f
>>1
スレ立てありがとうございます。
毎度のことながらお手数をおかけします。

69:神も仏も名無しさん
12/07/30 07:18:23.70 TMqUc3r+
ここで疾過ぎず遅すぎずという命題に出くわす

疾過ぎれば必ず壊れる
遅すぎれば修行にならん

まぁマイペースでいけばええw

70:神も仏も名無しさん
12/07/30 07:27:10.67 QdyYcp7J
>>67
なんの話しですか?
さっぱり分かりません。
私は難しい事は知りません。
いまお話されてるのは事実ですか?
それとも頭の中の話ですか?

71:神も仏も名無しさん
12/07/30 07:29:33.96 FZTySCgQ
空理空論じゃな

72:神も仏も名無しさん
12/07/30 07:32:50.36 FZTySCgQ
67は自我の話じゃろう
今という自分を差し置いて、違う自分になろうとする願望
その自我による思いに、今を費やしておるだけじゃな

73:神も仏も名無しさん
12/07/30 07:37:21.33 FZTySCgQ
自己否定が非我だというのは、間違いじゃから、真に受けん方がいい
自己否定している我の方を忘れとる

74:神も仏も名無しさん
12/07/30 08:04:53.65 QdyYcp7J
>>73
大丈夫です。バカなんでさっぱり入ってきてませんのでw

自分自身も悟道に入るまではそうだったとおもいます。
「今よりもっと」
「ちゃんとしなくちゃ」
「もっと賢くならなきゃ」

これは想像になりますが人間は環境に左右されやすいです。
そして今の日本というか、私がいた環境は「もっともっと」が当たり前でした。
自分としては普通に生きてたつもりがいつのまにか追い詰められていました。

ただ、ありのままの事実だけ見ていなさい。 やがて、観るともなく観るようになり、
何もしない ということが身体で分かるようになると教えを受けました。
今までの自分は事実1割 想像(妄想)9割の生活でしたが事実だけをみるようになって苦しみはかなり減りました。
今は何もしない修行中の身です。

75:ノスタルジア
12/07/30 08:21:33.14 slHvbEDk
常寂光土(御浄土)から南無阿弥陀仏という名号を称える私は相(すがた)をとって
還ってきた(還相回向)。マインドの乱用とは私が見る現在の相(すがた)を常寂光土(御浄土)
から継続している相(すがた)だという真実を見ることや思惟することをためらう
ことだろう。内蔵に常寂光土(御浄土)は内蔵される。時を刻む私としての過去世
未来世現在世を内蔵するのが内蔵である。内蔵は秘蔵に秘蔵される。美しいものが
秘蔵にはある。無量の諸仏の国土の景色が秘蔵されている。そこには南無阿弥陀仏ただ
それだけになった自分がいる。所蔵も秘蔵に秘蔵される。所蔵は無限の心の人格化が
いるところであり、自分というものはない。極楽は所蔵に所蔵される。

76:ノスタルジア
12/07/30 08:33:32.55 slHvbEDk
>>自己が消え去るか、自己を消し去るか。
前者は75で言う所蔵にある心の無限の人格化それのことですね。まああえて
付け足すなら、消え去るというより、粗い波動は受け付けれなくなるということ
でしょうね。後者は75で言う真実を見る思惟することをためらわずにやること
でしょうね。
>>自分における事実であり、そういう「自分」がほとんどの世界を構成しているでしょう。
いろいろある世界から抜け出す事はあなたにとって不可能ですか?

77:神も仏も名無しさん
12/07/30 08:36:49.95 TMqUc3r+
>>72
それこそ空理空論じゃw
方向性の問題だけじゃ
外に向くんじゃない、内に向かうんじゃよw

78:神も仏も名無しさん
12/07/30 08:40:01.19 TMqUc3r+
>>74
それは外ばかりみて
自分を見失ってしもうたんじゃw

周りに踊らされただけじゃw

79:神も仏も名無しさん
12/07/30 08:46:42.38 FZTySCgQ
方向性が違うと全く違うものになってしまうがこの道
少しは、自分を省みてはいかがじゃろう
言い訳ばかりしとるもんが、人に教えるなぞ100万年早かろう

80:神も仏も名無しさん
12/07/30 08:48:10.05 FZTySCgQ
ろんさんも>>3で言っておるじゃろう
>>3から読み返してみなされ

81:神も仏も名無しさん
12/07/30 08:51:35.53 TMqUc3r+
ろんは馬鹿だから、どうでもええ

ところで体のパーツは何のためについとる?
なんのために脳がある?

なにもしない
なにもしないことに安心を求めたボケ老人達の悲しい末路である

82:神も仏も名無しさん
12/07/30 08:58:51.38 TMqUc3r+
>>79
あんたもマトモなことの一つも言うてみいw

どうせ権威主義まみれで借り物で思考停止のアホ脳だろうがw

83:神も仏も名無しさん
12/07/30 08:59:28.97 FZTySCgQ
脳を中心に考えるからそうなるんじゃ
体のパーツを等価に考えてみなされ
どこに中心がある?

脳には脳の働きがあり、手には手の働きがあり、腹には腹の働きがあるわな~
どれもが同じ価値を持った身体じゃ

何もしないとは、何も考えないも含まれるんじゃよ
一旦その位置に帰れば、何を思い違いしとったかわかるのじゃよ

何もしないと言っても、呼吸もするし、心臓も動くわな
それも立派な身体の働きじゃ
その位置に帰れば、なんもかもよーくわかるんじゃ
目は両の眼だけではないぞ
もひとつ、心の眼があるんじゃよ

84:神も仏も名無しさん
12/07/30 09:03:59.27 QdyYcp7J
>>75
ノスさんはもっとみんなと対話がしたいですか?
それとも自分が言いたいことさえ言えば相手が分かってなくてもかまわないですか?

>>81
ろんさんがバカなのか賢いのか知りませんが、
彼の言うことは道元や祖師と合致することが多々あります。
ちなみに私はバカです。何一つ分かったと言い切れることはないです。

そういえば身体のパーツもよく分からないですね~。
教えてください。
どこからどこまでが脳で、どこからどこまでが脊椎で
どこからどこまでが首でどこからどこまでが腕とかなんですか?
歩いていて気づいたんですが足を使って歩いてるんじゃない、
全身で歩いてるんだ と。 
足もどこからどこまでが足か分かりません。

85:神も仏も名無しさん
12/07/30 09:05:41.41 FZTySCgQ
簡単な実験がある

右手と左手を握ってみなされ

どっちが握って、どっちが握られておるかわかるかね?

86:ノスタルジア
12/07/30 09:06:36.01 slHvbEDk
>>84 受け答えもしますし、対話もできる限りでしますよ。

87:神も仏も名無しさん
12/07/30 09:16:16.28 FZTySCgQ
ひとつ言うておくが、わしゃ~安心を求めたボケ老人ではないよ
イケイケのピチピチ30代じゃよ

88:神も仏も名無しさん
12/07/30 09:18:07.36 QdyYcp7J
>>85
分かりません。
>>86
するかどうか聞いてるんじゃないですよ。
対話したいかどうかを聞いています。

89:ノスタルジア
12/07/30 09:25:11.19 slHvbEDk
75でいった内蔵についてですが、実は内蔵から秘蔵という死に必然的に行き、
極楽という景色を見たとします。しかしそれでは死後往生するだけである。
浄土真宗をそのまま解釈したことになる。南無阿弥陀仏に先入観を持っている
だけであり、極楽に気をとられていることになる。自力即他力であるなら、
どうやって存在を意味する「法」を超えることができるのか?以前夢で
おまえの住んでいるところは裏と言われました。つまり表があるのです。
それが所蔵だと思うんです。人間は表にはなれないのか?それは謎であり、解決の糸口
だと思っています。

90:神も仏も名無しさん
12/07/30 09:25:19.67 QdyYcp7J
>>85
左手が握ってると思えば左手が握っていて右手が握られています。
右手が握ってると思えば右手が握って、左手が握られてると思います。
でもどっちも握ってるとも感じます。
なのでこれだ!という確信がないので分かりません。

91:神も仏も名無しさん
12/07/30 09:30:36.77 FZTySCgQ
>>90
それは、意識の位置変化によって主体と客体が入れ替わると言えるかもしれんの~
それは、言い換えると意識が自分を作り出しているとも言えるのかもの~

92:ノスタルジア
12/07/30 09:34:42.75 slHvbEDk
みなに分かって欲しいから対話したいです。>>88

93:神も仏も名無しさん
12/07/30 09:42:38.31 QdyYcp7J
>>91
そうですか。 やっぱりどっちが握ってるのか?となると、分かりません。

>>92
では、日本語しか話せないあなたとフランス語しか話せないフランス人は言葉だけでどう対話したらいいと思いますか。
どうやったら話し合えると思いますかこの外国人同士は。

94:ノスタルジア
12/07/30 09:48:57.59 slHvbEDk
比較的分かりやすい英語をお互い勉強してから対話するしか思いつきませんね。
>>93

95:ろん
12/07/30 09:51:20.43 cPq2j+kq
>>55
成ろうとしたら成れんよ。。

>>56
抽象的じゃなくて、金剛経。。

>>57
2ちゃんねるに勘違いを書き連ねるのは正行なのか。。w

96:神も仏も名無しさん
12/07/30 09:53:33.85 9fH6ySO1
意識が一人芝居をしているのでしょう。
体験するためには自分という視点が必要だから。

「師よ!」「はい?」「注意深くあれ」「はい」「他人に惑わされるな」「はい」
他人とは外側という意味で、呼びかける自分は、応える自分にとってはすでに過去で、対話することで過去が入れ替わる。
その対話を通して理解を作る、という、その二つの思考は、同時には存在出来ない。

97:神も仏も名無しさん
12/07/30 09:55:50.92 9fH6ySO1
>>96
>>91さんにでした…。


98:神も仏も名無しさん
12/07/30 10:15:47.90 QdyYcp7J
>>94
そうですね。 お互いが分かりやすい言葉を使わないと
コミュニケーションは成立しないかもですね。

なにも外国人同士の話じゃなく身近な私たちもそうではないでしょうか。
ただ、中には自分が言いたいことを言えばそれでいい
という人もいますので、すべての人が対話をしようとしてるワケではないですが。
失礼なこと言いますが、
私はバカなんで小学生にでも分かるように話してくれたら返事します。
私も対話がしたいです。
ただ分からない言葉 単語が多いのでノスさんの話は分からなくて流してるのが現状です。
もしかしたら私以外にも居るかもしれません。


99:神も仏も名無しさん
12/07/30 11:52:16.66 cwY4AI5G
>>3
>悟らないうちに説法をはじめないように。。ww

これってブーメランなんじゃ・・・・・・・

100:ろん
12/07/30 11:55:20.58 cPq2j+kq
正法眼蔵 
URLリンク(www.shomonji.or.jp)

第一 現成公案

諸法の佛法なる時節、すなはち迷悟あり、修行あり、生あり、死あり、諸佛あり、衆生あり。
萬法ともにわれにあらざる時節、まどひなくさとりなく、諸佛なく衆生なく、生なく滅なし。
佛道もとより豐儉より跳出せるゆゑに、生滅あり、迷悟あり、生佛あり。
しかもかくのごとくなりといへども、花は愛惜にちり、草は棄嫌におふるのみなり。


101:ろん
12/07/30 11:58:31.85 cPq2j+kq
自己をはこびて萬法を修證するを迷とす、萬法すすみて自己を修證するはさとりなり。
迷を大悟するは諸佛なり、悟に大迷なるは衆生なり。さらに悟上に得悟する漢あり、迷中又迷の漢あり。
諸佛のまさしく諸佛なるときは、自己は佛なりと覺知することをもちゐず。しかあれども證佛なり、佛を證しもてゆく。

・・自分が仏である時は、仏であると覚知できない、すなわちわからない。。

けれど、わからない時にこそ仏である。。

102:ろん
12/07/30 12:01:13.44 cPq2j+kq
身心を擧して色を見取し、身心を擧して聲を聽取するに、したしく會取すれども、
かがみに影をやどすがごとくにあらず、水と月とのごとくにあらず。
一方を證するときは一方はくらし。

・・ものを見ている時、客観のみで主観はない。。
花を見ている時、花のみで、花を見ている人はいない。。

あとで振り返って私は花を見ていたと思わないならば。。

すべて自己とはこのようなものである。。

行為のみがあって、私はないのに、あとで振り返って、私は~したと思ってしまうのである。。


103:神も仏も名無しさん
12/07/30 12:04:12.11 cwY4AI5G
>>84
>彼の言うことは道元や祖師と合致することが多々あります。

もともと道元や祖師の言葉や解釈を持って来てるんだから、
合致するのは当たり前じゃないの?

104:ろん
12/07/30 12:07:05.00 cPq2j+kq
佛道をならふといふは、自己をならふ也。自己をならふといふは、自己をわするるなり。
 自己をわするるといふは、萬法に證せらるるなり。萬法に證せらるるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。

・・前半は解説不要かな。。
自分も他人も無いものと見る、身心脱落底を見て、そこから外れてしまった人をも脱落させるということだろう。。


 悟迹の休歇なるあり、休歇なる悟迹を長長出ならしむ。

いつ悟ったかも忘れてしまった。。もともとそうなのだから、覚えている必要はない。。
逆に言えば、悟った時があったらおかしいのである。。何かの縁によって得るものではないのだから。。
得るのではなく、ただ誤解から、錯覚から脱したというだけである。

105:ろん
12/07/30 12:11:58.21 cPq2j+kq
人、はじめて法をもとむるとき、はるかに法の邊際を離却せり。
法すでにおのれに正傳するとき、すみやかに本分人なり。
人、舟にのりてゆくに、めをめぐらして岸をみれば、きしのうつるとあやまる。
目をしたしく舟につくれば、ふねのすすむをしるがごとく、身心を亂想して萬法を辨肯するには、自心自性は常住なるかとあやまる。
もし行李をしたしくして箇裏に歸すれば、萬法のわれにあらぬ道理あきらけし。

・・はじめから法であるのに、法を求めては背いてしまう。。
万法のわれにあらぬ、とはどこにも私と言えるものはないと言うことである。。
法だけがある、法だからどうしようもないのだ、そのまま以外。。

堕落した現状肯定ではない、単に今に落ち着く、今でジタバタしない、できないということに過ぎない。。
過去が間違っていると思ったならば、これからを変えていくことでもある。。
まあ、世俗で何するが問題じゃないから、問題とするのは、自分の在り方のみなのだけれど。。


106:ろん
12/07/30 12:14:26.26 cPq2j+kq
>>99
・・・・・・ww

107:ろん
12/07/30 12:16:27.06 cPq2j+kq
>>103
そうそう、他人の言葉ぶん回しバカ野郎。。

だって楽しいんだもーん。。ww

108:神も仏も名無しさん
12/07/30 12:32:14.92 PEFqpOEA
>>61
離れるとか、マジ無理だからw

109:神も仏も名無しさん
12/07/30 12:54:47.05 cwY4AI5G
>>107
でも、ろんは良く知ってるなって感心する事も多いよ

110:ろん
12/07/30 13:10:51.38 cPq2j+kq
うん、知ったかぶり野郎。。

いやいや分かち合いの精神だよ、by Ope様。。

111:ろん
12/07/30 13:38:09.58 cPq2j+kq
まあ禅宗は自分をコントロールしない、見もしない、その代わりに坐るのだろう。。

坐無くして、脱落もないのかもしれない、たいていは。。

頭に燃え移った火を振り払うかのごとく、坐に勤しみなさいと道元は言った。。

テレビでオリンピック見てるのと坐ってるのが変われなくなっちまえば、修行も終わりなのかもだけど。。

112:ノスタルジア
12/07/30 13:38:19.85 slHvbEDk
>>98 実は分かりやすくも言えるのです。分かりやすくいいますね。
1、日常に少なくとも私は南無阿弥陀仏を思い出す時に称えます。
しかしそれは「信じる」にはまだ至ってはいません。
逆に「信じれば」死後往生することになります。
往生するというのは極楽にうまれるということだから、
極楽に生まれたら、その直後に、往生するのです。
2、ある者の南無阿弥陀仏という声がまた違う者の南無阿弥陀仏の声を呼ぶ
のです。自分が称えた南無阿弥陀仏が浄土から還ってきた相(すがた)なのです。
「信じる」というのが極楽を先入観として持っていることが、そもそも、「信じる」
ということなのか?1で止めれば良かったのですが、探求がある。とにかく
1の続きなのだが、極楽からまた南無阿弥陀仏を称えるために還ってくる
可能性があります。そうなると円環であり、気分のいいものではない。
娑婆はそもそも僕の浄土ではない。菩薩が誓いを建てて仏になり浄土を作るのです。
つまり僕の浄土が極楽を内包していないといけないのです。しかし極楽に「信じて」
往生することは立派なことです。以上が僕のいいたかったことです。

113:ろん
12/07/30 13:41:39.55 cPq2j+kq
接心にはじめてきた人に雪渓師が尋ねる。。

 どういう動機でいらしたのですか?

 家でテレビ見てるよりはいいと思って。

 同じだと思いますけどねーテレビ見てるのと。。

 (内心)???

どっかのブログかなんかに書いてあった話。。



114:473
12/07/30 14:34:30.90 JEjKAwXT
>>102

そりゃ自己の価値判断に完全に乗っ取られて完全に無意識になってるだけじゃ。
後になって思い出したときがいわゆる人間の通常の意識状態であり、思考や感情や行為に同化して
無意識になっているより意識的であるといえる。
この平常の、過去を振り返る通常の意識状態から無意識に落ちるか、覚醒、無心を見出すか。

自己との接触が無いので自分の言動に無責任になる。
が、周りは覚えているので報いが来る。
是非振り返るべきだと思うね。
まず人並みの意識、自分の嗜好や感情や行動を覚えていて責任を取れるという人間として当たり前のところからはじめないと。

115:473
12/07/30 14:42:22.50 JEjKAwXT
絶えず価値判断している自己が目覚めの極致においては存在しないと見出すという境地もあれば、

絶えず価値判断している自己に気づいていないだけなのだが、
それは存在しないのだと、自身の無意識と無責任の正当化をすることもありうる。

自己の感情や行動を認識することを回避するという自我はそれなりの割合で存在し、
いろいろな方法で回避する。
回避しない人にとっては信じられないロジックと無責任だが、回避するためだという目的から見ると実に合理的だったりする。

116:神も仏も名無しさん
12/07/30 16:02:35.77 CoCElNrF
そんなものは自分で気にしなくてもすべて自分のまわりの人間関係や人生に表れてるわ
自分がー無意識がーとか言ってる人ほど、自分のことばかり考えていて、まわりの人たちのこと考えない法則

117:神も仏も名無しさん
12/07/30 16:07:00.91 CoCElNrF
要するに自分の心配ばっかしててそこから離れられないんじゃん

118:473
12/07/30 16:34:00.93 JEjKAwXT
人は無意識でも、意識があっても、覚醒していても記憶する。

無意識であれば、その記憶は呼び起こせず習慣となる。
通常の意識にあっては、自身の感情や行為や思考をおぼろげながら思い出せる。

ただ、どちらの場合も、行為、感情、思考、種種の体験の数だけ、記憶の数だけ心は分断されてしまう。
異なった執着、欲望、葛藤が起こり何もかもが部分的な行為になる。疑いが尽きなくなる。

覚醒において、ひとはあるがままに行為、感情、思考を分割せず一つのものとして記憶し、そしてその記憶によって心が分断される、
自我を作り出すことが無い。
彼は実に鮮明に記憶しているが、外部からの要請が無い限りあえて振り向いたり分析したりはしないだろう。
どの記憶が重要で、どの記憶が重要ではないというえり好みが無い。
靴を右足、左足のどちらから脱いだと質問されても答えられる可能性は高いでしょう。

記憶はあえて意識せずとも活動する人間の機能なのですが、これを使うことは本当に難しい。
これに使われてしまう悲喜劇があります。

119:473
12/07/30 16:42:22.42 JEjKAwXT
>>116

だから、原因である、自分の心配ばかりする無意識の解明が必要なのです。
その原因を放置したまま他人の心配をしますか?

無意識であるということで責任を回避しようとする論法はありますが、
宗教、瞑想の文脈は、その無意識全てに責任をとるという宣言でしかありません。


120:神も仏も名無しさん
12/07/30 16:49:34.89 5I6Hk+8e
>>119
人生に対処していくことがすなわち責任を負うということ。
どんなに責任を回避しようとしても、そんなことは不可能なんだよ。
自ら責任を負うとか躍起になっても、無自覚でもそんなものは不可能なの。
それがこの世の仕組みであり、法ってもんなの。

そもそも無自覚を自覚することで責任を軽くできるとか思ってるから、あなたみたいな発想になるんじゃん

121:神も仏も名無しさん
12/07/30 16:54:13.33 5I6Hk+8e
嫌なことは起きて欲しくない。苦しみたくはない。
そのためには自分の無意識を自覚してコントロールしなくては。
無意識を自覚してコントロールできるようになったら、
人生は良いことばかりになるに違いない。
だから無意識をいつも見張ってなきゃ。
ってか

122:神も仏も名無しさん
12/07/30 16:57:39.24 5I6Hk+8e
いま一緒にいる人を笑顔にさせるにはどうすればいい?と考える。
目の前に困ってる人がいたら、咄嗟に体が動く。
そういうときに、自分の中に自分を意識する心はあるか?
いちいち自分を見張ってる人はそういうこと考えないだろ

123:神も仏も名無しさん
12/07/30 17:00:25.09 5I6Hk+8e
無意識をどうにかしたいんだったら、マーフィーとかニューソート思想にでもいけば?

124:神も仏も名無しさん
12/07/30 17:29:12.86 5I6Hk+8e
そうそう。この世にもあの世にもどこにも逃げ場はないってことがわかったら自由になれるよw

125:神も仏も名無しさん
12/07/30 17:40:00.54 cwY4AI5G
見せかけの自由はあるけど、本当の自由は無いって分かるのも効果的だね。

126:ろん
12/07/30 17:46:30.70 cPq2j+kq
無意識である、無意識であるって、473は癲癇患者か何かか? ww

日常的に意識喪失に陥る人?

まあそんな気がするな・ww 自分で何言ってるかわからんみたいだし。。

対話もできんし。。ww

127:神も仏も名無しさん
12/07/30 18:07:11.24 QdyYcp7J
>>112
ありがとうございます。 大変読みやすくなりました。
南無阿弥陀仏を信じるということですか?
阿弥陀仏はきいたことあるのですが、南無阿弥陀仏とはどういう意味なんですか?
南無阿弥陀仏を信じるとはどういうことか理解していません。

円環とはなんですか? そしてなぜ気分がいいものではないのですか?
なぜ娑婆がノスさんの極楽浄土ではないのですか?
ノスさんの浄土が極楽を内包? これもよく分かりません。


128:神も仏も名無しさん
12/07/30 18:37:31.39 QdyYcp7J
>>126
これはあくまで私の予断になりますが、
473さんの話はそもそもが、スタートが想像、思考、想念からです。
つまり対象を観ている自己スタートで思考を記述してるものと思われます。

自我があるない、意識があるないという立脚点に立ってる限り、
分からないかもしれません。

禅定を経験すれば新たな目が生まれると思うのですが、これは経験しないと頭で分かるのは難しいと思われます。

いや本当は経験してるかもしれません。
人が何かに夢中になったり必死になった時 いわゆるゾーンに入ってるとき、自他の境界が消えてなくなるという経験をすると思います。

獅子はたとえ小さなウサギでも全力で狩るという言葉が最近よく思い出されます。
私たちはこうあるべきかもしれません。


129:神も仏も名無しさん
12/07/30 18:43:59.49 QdyYcp7J
URLリンク(ameblo.jp)

このブログに出てくる老師は井上義衍禅師のお弟子さんだそうです。
私が事実だけをみるといってるのはここに書かれてるとおりです。

130:473
12/07/30 19:12:55.66 JEjKAwXT
分断された心は葛藤する。
葛藤ゆえに即時の行為に移れず、思考することになる。

思考は葛藤から生まれるものであり、葛藤の解決にはならない。
思考にあるときは、思考の背景である、矛盾し葛藤する心に目覚めるといい。
そうあれば思考の根が消える。

分裂していない心はもはや思考しない。
無心、直感といわれる在り方、即時の行動がある。
そのように聞きます。

私にできることは、思考、悩みに同化せず、背景である心の分裂に気づくことです。

131:473
12/07/30 19:21:47.62 JEjKAwXT
>>120
不自由の自覚です。
無意識に囚われている、不自由である。

無意識の奴隷でなにを感じているかわからないか、すくなくとも自分の感情や思考を変えられない。
その奴隷状態からの脱出が望まれる。

だから人は責任を取れない。
報いを受けることと、責任を取ることを混同していませんか。
無意識から不自由な人間は、報いからは逃げられませんが、その報いを受けることを責任を取るとはいいません。

責任というのは、自由とセットのものです。
奴隷状態と報い。自由と責任。

132:ノスタルジア
12/07/30 19:29:21.98 slHvbEDk
>>127 まあパソコンの情報を主に書いているので誰が書いたかも分からない文
はちょっと気をつけた方がいいと思います。
>>南無阿弥陀仏を信じるということですか?
いやつなげたら頭こんがらがりますよ。(僕の頭が)
>>南無阿弥陀仏とはどういう意味なんですか?
僕が知っているのは阿弥陀様に帰依するということです。
>>円環とはなんですか?
円があるとします。そこに点が二つあるとします。右回りだとします。
その「点」が極楽と「この今私が生きている世界」であるとするなら、
その二つの世界を行き来することになりますよね。回っているのが自分ならばね。
>>そしてなぜ気分がいいものではないのですか?
なぜなら「この今私が生きている世界」が嫌だからです。なぜなら死にたくないからです。
老いたくないからです。重病なりたくないからです。
>>なぜ娑婆がノスさんの極楽浄土ではないのですか?
僕が極楽浄土であると信じれなくて感情的に認めたくないからです。
>>浄土が極楽を内包?
さっき父と話してたんですが、極楽はいっぱいの浄土の中で特にすぐれた所らしい
んですが、他のいっぱいの浄土だって負けてないはずです。僕は浄土を作るとか
いいましたけど、とにかく故郷の浄土があると思うのです。その故郷の浄土は
極楽を内包していると思うのです。つまり極楽はすぐれているだろうけど、レベル
が高いとは限らないむしろその点では僕の故郷の浄土の方がすぐれているのでは
ないでしょうか?

133:神も仏も名無しさん
12/07/30 19:30:23.87 07zvlcmy
>>131
あのさあ、そういう意味で自分が責任を取れるとか思ってるわけだ?
じゃあ、がんばって神を超えてください。
宇宙の法則を超えてくださいなw

134:神も仏も名無しさん
12/07/30 19:31:54.03 07zvlcmy
まあ、責任を完了するのが解脱ってことなら、
責任を取れば、この世から卒業できますよ。
もう生まれることはないでしょう。

135:神も仏も名無しさん
12/07/30 19:41:52.49 07zvlcmy
分析ばっかりしてる人に欠けてるのは、決意とか決心だったりするんだよね。

136:473
12/07/30 20:02:20.92 JEjKAwXT
130続き。

葛藤において思考する人もいれば、葛藤が解消されていないのに一部分の心、欲求に従ってすぐに
行動にでてしまう人もいる。
その場合、後で自分のしたことに驚く。

葛藤の帰結は人それぞれ。原因の構造は似通っている。

決心も思考も2つの極端。
背景は変わらない。

137:神も仏も名無しさん
12/07/30 20:10:14.94 07zvlcmy
その自分自身の葛藤で乱れて歪んだ心に映った世界が、
473のすべての書き込みに反映されているわけだね
他の人のレスに対する応答のすべてに表れているわけだね
ご愁傷様です(-∧-;) ナムー

138:神も仏も名無しさん
12/07/30 20:11:39.99 07zvlcmy
あなたの見る世界はあなたそのもの
私の見る世界は私そのもの

139:473
12/07/30 21:00:01.40 JEjKAwXT
>>133
自己の、欲望の奴隷であるということは宇宙の法則に逆らうことであり、神に逆らうことなのではないでしょうか。

その奴隷出ることから脱したら、たぶんあなたと神を妨げるものはありません。
その時の自由と責任とは、神に対する自由ではなく、神であることの自由と責任なのだと思います。

>>137
自己を含む葛藤一般を語ることは葛藤にはできないのです。葛藤に気づいている何かが必要になります。

そして、逆に葛藤に気づいていない人、葛藤そのものである人は一方的に他者に葛藤を投影します。
自分は例外と。このあたり注意が必要なのです。

前者も影響から脱していないのですが自覚はあります。後者はどっぷり使っているのですが世界や他者にしか見ません。

140:ベゲザンピーク
12/07/30 21:03:54.61 zrRm3N+h
フロイトも言ったことだが人間は無意識の要求の方が大きい。
意識的に常に抱えている問題は努力の賜物でなんとなく道がつく場合が
大きい。一方無意識の領域は意識から光をあてるにはあまりに小さい。
ペンライトの懐中電灯のようである。人間起きているときと、寝ているとき
では別の生物と言ってもよいくらいだ。物事の処理の仕方が違うのである。
 夢はある起きるべき刺激に基づいて再編集される。夢にとって重要
な意義はそもそもないが、刺激によって喚起されあとでもろもろの夢は編集される。
覚醒時は意味を設定した上で横道にもそれたりしながら時間が展開されていく。
この事情を知らずしていると無目的な旅のように一生は終わってしまう。
 服屋を夢のように無意識に回って、似合わない服を「似合います」と
カリスマ店員にいわれて喜んで買うのと同じだ。夢のようにショッピングを
楽しんで似合う目的の服を買うのは結構むづかしいことなのだ。

141:ベゲザンピーク
12/07/30 21:09:49.99 zrRm3N+h
人生は横道にそれるも楽し。夢は夢らしくどぎつい刺激で起される
のではなく(覚醒時にまで影響を与えるような)やさしく目覚めるように計らうべし。静かな朝、楽しいお昼。
物憂げな夕方。思索と本音の語らいの夜。幸せとはそういうものなんじゃあないか。
やっぱり寝言は醒めてから言うべきである。俗な言い様にも結構な真実
があることを忘れてはなるまい。

142:473
12/07/30 21:16:58.72 JEjKAwXT
覚醒が薄れれば、油断すれば、誰もが無意識につかまる。
だれもが思考に、欲望に捕まる。

それゆえに、それに目覚めた人は、私には無いがあなたにはあるとはいわない。
その私や、あなたというのが蓄積した執着の総体であり、覚醒を妨げるものだから。

473は油断しなければ欲望に引っかからないし、油断すればあらゆる欲望にひっかかる。
だから、この欲望は私には無く他人にはあるとはいえない。

「賢者は瞑想の炎で欲望を焼き尽くす。」

そのように客観的な叙述として仏陀が言うのは、わたしも、あなたもなく、ただそういうものだと伝えたかったのかもしれない。
わたし-あなたという眠りを持ち込ませず、純粋に目覚めを伝達したいからのこの話法だったかもしれない。

143:ベゲザンピーク
12/07/30 21:33:10.36 zrRm3N+h
>>473あなたはえらい意図的な瞑想が好みなんですね。そういうのは瞑想とは
あまり言えないと私は思います。夜はジャズ聴くほうがいい瞑想です。
意図的な瞑想の勧めはすぐ回ってきます。それはいわゆる思想ですから。
私はそういうのを瞑想ウィルスと呼んでいます。
あなたは瞑想するとき、やっぱり白目にひっくり返したりするのですか?
「私もあなたもない」という態度、白目、そういうのは・・・・
傲慢というものです。差別という名をつけてもあまりある無粋な態度です。
仏陀はなぜバラモンを否定したのですかねぇ。

144:神も仏も名無しさん
12/07/30 21:42:53.56 PCPpmT2J
無我がわからないと、自分の中でぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるしてるしかない
心や無意識に囚われて一生イタチごっこしてるつもりかね

145:473
12/07/30 21:47:18.59 JEjKAwXT
意図的な勧めを何かしましたでしょうか。

私ーあなたという感覚が目覚めの妨げであるという事実を、各々が自身のこととしてつかまなければ、
いつまでも断片化した心の、欲望の奴隷であるという事実を述べただけです。

これについては自覚して理解するほかありません。どうこうできることでしょうか。

仰るとおり何かのふりをするのは無意味なことです。どうしてそう受け取るかはわかりませんが。
何をしていて、何が妨げになっているか、ただ見るだけのことなのです。
そしてただ見ることができるなら事実を描写した先人の言葉をヒントにする必要もありません。

146:473
12/07/30 21:53:07.03 JEjKAwXT
>>144
無意識を、心を自覚できるのは、覚醒ゆえ、無我ゆえ。

無意識と無我は今は分割されているが、本来分割されているものではないように思います。
無我は正に無意識とたがわない場所にある。無意識の、心の分裂から逃げてその対照として無我の概念を追っても虚しい。

無意識と、無意識に気づいている自己が正に本来の心であり無我であるというのに、無意識と争うことも虚しい。

これら全てを通り抜けなければならない。
いつでも人は何か部分に取り付かれてしまう。
統合まで通り抜けねばならない。そのつどそのつど理解してゆかねばならない。
それを一瞬でやってのける人もいるかもしれないが、過程を飛ばしているわけでもないでしょう。

147:神も仏も名無しさん
12/07/30 21:56:40.52 bsYPwhSk
>>146
無我は無意識の延長線上にはないよ。
概念を追ったり分析したり考えたりしてわかるものじゃないよ。

書き込みを見ていて無我と無意識の区別がついていないんじゃないかと思ってたけど、やっぱりついていなかったんだ。

148:ベゲザンピーク
12/07/30 22:10:42.57 zrRm3N+h
>>145 私ーあなたという思考のがお互いの理解を妨げる断片化だというわけですね?
それをおのおの理解してつかまなければいけないという思想をあなたはもって
らしゃるわけですね。それはあなたの夢みたいなものです。思想よりも先ず
相手を理解することになんの弊害もありません。そして理解はただ弊害を見ることでは
ありません。人はひっくるめて観ることができるんです。そのほうが人の能力です。
理解を妨げるものはおおよそ思想であるということにもっと敏感に
なったほうがいいでしょう。何を読まれたのかはここでは問いませんが・・・
(少なくとも実感ではないでしょうから、一方的に思想と談じさしてもらいますが・・・)

「思考は断片化であるから、善性にかんして無意味です。」というのは人が
よく引っかかる思想、イデオロギーです。しかもかなり一方的です。
先もいったようにだれも実感を伴わないからです。

149:473
12/07/30 22:36:59.00 JEjKAwXT
>>148

137からの一連の流れをご覧になってませんか。
473は引用するときははっきり引用し、そうでない言葉は実感であったり、その場に即したものとして提示しております。

つかまなければいけないという思想、というのはどこから出てきたのでしょうか。
それが障害であるという自身の経験であり、また例がここにはあふれています。
あなたは事実の描写を全て思想に落とし込み、思想として批判する。

思想がよほどお嫌いなのでしょうが、人のいうことなすこと思想にしてもしかたありません。

150:473
12/07/30 22:37:54.57 JEjKAwXT
>>147

そんなことをどこで述べたでしょうか。
無意識に直面できない人は、無我を見出そうとしているのではなく、無我という概念に逃避しようとしているだけなのだと
そう述べました。

151:神も仏も名無しさん
12/07/30 22:39:24.71 bsYPwhSk
>>150
>無意識と無我は今は分割されているが、本来分割されているものではないように思います。

じゃあこれどういう意味?

152:神も仏も名無しさん
12/07/30 22:41:29.37 bsYPwhSk
>>150
無意識に直面しようとすることと、無我を見出すことに関連はないよ。
それらはぜんぜん別のことだよ。
あんたはここでまったく悟りとも目覚めとも関係ないことを延々とやってるんだってば。

153:473
12/07/30 22:49:50.98 JEjKAwXT
146続き

自我は心の断片化であり、表層意識と無意識を作り出す。外界の状況に応じて表層意識は入れ替わる。

ぞの自我が本性を覆い隠し、無我を覆い隠す。
表層意識、無意識、すなわち分断された心は本性を覆い隠し、無我を覆い隠している。
それが事実としてある限り、それが事実であり、悟りも無我も意味を持たない。

分断された心の葛藤はすさまじく人は直面できない。
刹那の快楽や外界への好意や憎しみの投影によって気を紛らわす。
いわゆる悟りという概念もそのうちのひとつ。

この分断された心の葛藤を避けて本性も、無我も見出しえない。まさにこれが障害であるから。
しかし、これと闘い、無くそうとするのも、宗教の知識を得た心の断片に過ぎない。
どうこうしようとするのではなく、この断片化全体に覚醒しなければならない。
だが葛藤のほかに求めても、葛藤と戦っても断片化は強まる。何一つできることは無い。

では何が表層意識と無意識の全容に一度に覚めることができるのだろうか。
おそらく、その覆い隠された本性、無我、真理そのものにしか可能でないのではないだろうか。
断片化された心同士の争いに同化せず、いかなる知識も、目的も持たないとき、当の本性が断片化全体に覚醒し、
本性が本性であったことを再発見するのかもしれない。

無意識、表層意識、心の断片化から逃げることは、新たな夢という断片をつくるだけ。
闘うことも、ある断片との同化でしかない。
この2つはどちらも分かつこと。

翻って分かたれていないのだと過去の覚者はいう。
この心がそのまま仏だと。苦悩と向き合えば至福になると。
分割することは無いのだと。

154:473
12/07/30 22:52:13.51 JEjKAwXT
>>152

直面しないことは、逃避であり、夢見です。
世間一般の無意識の夢に、無我の夢が2乗されます。

直面する、ということがあるわけではないのです。
しかし、直面せず逃避するということはあります。

155:神も仏も名無しさん
12/07/30 22:54:46.70 gI5tNmBK
>>152
そうかなー
自我があるって妄想してるから、無意識にいろんな妄想溜め込んで、
束縛されているとも思うけどね

だから、無我を見極めたとか言ってても、そいつが相変わらず、
自我ありきの物語に足取られてたら、しょーもなって感じる

156:神も仏も名無しさん
12/07/30 22:58:42.05 bsYPwhSk
>>154
だからそこがあんたの勘違いなんだってば。
一瞥も経験したことないんだろ?
無意識に直面するとかしないとか、そこの一点にこだわりすぎて
ほかがまったく見えなくなってるんだって。
そこからも離れればいいだけなのに、離れられないんだろ?

157:473
12/07/30 23:00:57.43 JEjKAwXT
>>148
>それをおのおの理解してつかまなければいけない
その弊害の中に住んでいるならばそうでしょう。
そして、その弊害の中にいながらそれを自覚せず、他者と分かり合えると思い込むことは悲劇であります。

その弊害の中に住んでいないのならば、理解する必要はありません。
そして反対する理由もありません。
その弊害の中にいる人はそれを自覚し、理解しないとその中に囚われたままだと、その中に住んでいない人もそう思うでしょう。

ひっくるめてみることができない。というのが宗教の理解であり出発点です。
それがおできになるのならあなたには宗教など必要ないでしょうに。
もしくは何もできないのにできるつもりでいるかです。

158:473
12/07/30 23:06:41.56 JEjKAwXT
153のように語るものが今の473です。

159:神も仏も名無しさん
12/07/30 23:08:39.51 bsYPwhSk
473が無意識云々といってやってることは、目覚めのためのあれやこれやではなく、
今自分が見ている夢を、もっといい夢に置き換えるためのあれやこれやなんだよ。

160:神も仏も名無しさん
12/07/30 23:08:49.90 gI5tNmBK
>>156
直面どうこうって言うかさ、もしそいつが直面できないとしたら、
それはまだ自我があるって信じてるからだよ
その妄想に力があるって思ってる だから怖い まっすぐ見れない

見れる上で見なくていいって言うのと、見れなくてそれをごまかす為に
見なくていいって言うのは同じじゃないよ

君がどっちかは知らないけどね

161:473
12/07/30 23:11:50.43 JEjKAwXT
154で述べましたが、無意識に直面するということは存在しません。

無意識に直面しないで、何かを愛したり、嫌ったり、解放の夢を見たりとそういうことはあります。

それをしないことが無意識への直面という言葉が示唆していることです。

つまり、表層の欲望、嫌悪、愛情、理想、そういったものの影響を脱していないと無意識と直面することはおきえません。
無意識を想像してそれと戦うという表層意識の自作自演になります。

そういう意味では無意識との直面というのは、あたかもそれをするかのように述べていたのは473は自我のトリックに引っかかっていました。
無意識との直面とは、表層意識の次々現れる思考の影響から脱した状態。瞑想のことです。
瞑想するということではなく、瞑想。

体験ではなく、体験というものの本質を理解することから来る静かなる変容。
瞑想。

162:ベゲザンピーク
12/07/30 23:13:51.22 zrRm3N+h
>>153
肝心なところで無意味な言葉を使うんだな。「いかなる知識も、目的ももたないとき、【当の本性】
が断片化全体に覚醒し、本性が本性であったことを再発見するのかもしれない。」

本性」ってどういう意味で使ってますか?断片に対する本性」ですか?
どうして自我は心の断片化なのですか?自我は本当に表層意識と無意識を作っていますか?

意識(記述)の流れもいわゆる経験ですが、源流でない下ったところから、突然何の説明もなく、源流が湧き出し、
湧き水の多い川のようですね。あなたの記述は。まず源流すら同意されてない可能性について考えたり
しませんか?

163:神も仏も名無しさん
12/07/30 23:17:44.47 QdyYcp7J
>>132
ん~全体的にまたなんて言ってるかわからないですね~。
それとここを眺めてください。
ほとんどがみんな自分の頭の中の話をされてます。
私は昨日 事実1割 想像9割と言いましたが、だいたいそれに近い比率じゃないでしょうか。

このように人間自体、想像の中で生きているということはある意味事実だと推測します。
>>132の中で 今、私が生きてる世界がイヤとか、死にたくない、老いたくない、病気になりたくないと書かれてますね。

いつから私たちはそうなってしまったんでしょう。 もしかするとここに居る人間のほとんどはあなたと同じなのかもしれませんね。

164:473
12/07/30 23:19:13.98 JEjKAwXT
瞑想のうちに表層意識に目覚め、表層意識が静まりだすと、
無意識のすることは強烈な体験を表層意識に引き起こそうとすることです。

その体験を真に受けてしまうと目覚めはその無意識に、無意識の思考の作る体験に乗っ取られてしまいます。

この表層意識の静寂と強烈な体験と「無意識による主導権の奪取」体験が終わった後の変わらぬどころか、何か得た気になってより不注意になった自分。
こういった瞑想体験のトリックにうんざりするまで引っかかりつづけ、絶望したとき、、。

逆に体験を真に受ける限り無意識との直面は無い。
体験があるということは無意識との同化であるということだから。

165:473
12/07/30 23:31:13.10 JEjKAwXT
無意識の影響は日々の自らの不自由な生で、思考で、感情で、反応で観察できる。

最初は観察から始める。
観察をやめるのは、観察が障害になったとき。
もちろん最初は観察は、不自由さの理解は大いなる助けになる。

前述の直面において観察の弊害は知識としてではなく実感として理解できる。
そうなったら信条としてでなく理解として観察を捨てる。

宗教のありふれた落とし穴は、今自身を助ける唯一の方便を、借りてきた背伸びした知識で否定すること。
それらは理解によって後にされるべきものなのに。

166:神も仏も名無しさん
12/07/30 23:31:25.75 ibhD8uHp
>>164
その強烈な体験とか無意識の思考の作る体験とやらがどんなものか書いてごらん。
書けないでしょ?多分そんなことをどこかで読んだんでしょ。

167:ベゲザンピーク
12/07/30 23:40:15.88 zrRm3N+h
>>164
無意識と表層意識をどうして区別するのですか?
無意識はお嫌いですか?要するに表層意識を分離させたいわけですか?
無意識に契機を得た体験は不純ですか?無意識を補填するからですか?
あなたは一体何を記述しているのですか?
>>164では表層意識と無意識を分離できないことに気づいていますね。
あなたはでもそれを自ら起しているといまだ思っていますね。同化という言葉で。
そういう文章ですね。一様理解できました。
そこまで自我の作用を拡大解釈しながら、対象のない無にあこがれているということ
なのでしょうか?それは矛盾です。自我を否定しても自我上の成功はないという
当たり前のことが存外わかってないのではないでしょうか。たとえそれが無であっても
です。本心にないものはないんです。テレビを見てようが座禅しようが、本心に
ないものはないんですよ。そんなもんじゃないですか?

168:473
12/07/30 23:40:29.40 JEjKAwXT
>>166

今にとってははただの夢でしかないことを当時の大げささをもって再提示するというのはばかばかしい作業です。
全ての発言の総体が473の表現です。

誰かががそういう体験をしていて、そしてそんな体験をした誰かの発言に私がコメントする。
その対話において借り物の知識かそうでないかは明らかになるでしょう。
そしてそういったことは何らかの必要性が無ければ生まれないでしょう。

169:473
12/07/30 23:43:14.23 JEjKAwXT
言葉は言葉。

言葉に覚めていないと言葉は主人になってしまう。

自分が発した言葉、自分が思った言葉も、他者が発した言葉も同じ。
区別することなく言葉に覚める。
区別があるとそれはいつもの内部葛藤との同化。

170:ベゲザンピーク
12/07/30 23:44:32.36 zrRm3N+h
167の続き。無ですらそういうものです。本心にない無はいつまでたっても
概念上のものですから。無や悟りへの憧れがあるなら坐ってみるといいかも
しれませんが、その思いが熟してないと、それが無い時気づかないでしょ。
もしくは悟りならそれがあったとききづかないでしょ。。

171:神も仏も名無しさん
12/07/30 23:48:44.29 ibhD8uHp
>>168
ね?書けないでしょ?wそれをもって借り物の知識と判断します。
誰かががそういう体験をしていて、そしてそんな体験をした誰かの発言にあなたがコメントする。
それは否定にならざるをえない。自分じゃ何も知らない借り物なんだからw
何らかの必要性っていうのはあなたがそんな自分を守る必要性でしょうw

172:473
12/07/30 23:51:36.54 JEjKAwXT
>>167
区別してしまっていてそれが厄介ごとの種だと経験則でわかってきました。
宗教は真理そのものの描写だけでなく、その自己理解のガイドブックという側面もあります。

(同化は無自覚の示唆です。意図の示唆ではありません)

「表層意識と無意識の分割が無く、無意識同士の無数の分割も無い心。ひとつのこころ。無心。」

しかし、無、無心について知らないので、現状について描写するだけです。
現状から無心は延長上に無いので、どうしようもないということを述べるだけです。
そういう意味で思想として持ちようが無いような表現になるよう気遣っています。
ただ、瞑想の仕掛けなのです。

173:473
12/07/30 23:56:45.00 JEjKAwXT
>>171

そもそも体験に何の意味がありますか。
平常の私、平常のあなた。
そちらのほうが大切です。
そこに全てがでます。

体験についてのコメントというより、体験をしたという人の言説や、言説からあふれ出る実存。
そちらにコメントするだけです。
体験そのものよりその人の振る舞いのほうがよほどその人をあらわすではないですか。
そちらがその体験がどんな質のものであったかを判断する試金石になります。

体験というのは自己閉鎖的な活動で、他者とも、あるがままの宇宙とも調和しないものなのですが、
それに価値を見出すのでしたらどんどん体験なさってください。

174:ニカサ・アア ◆UNegKIvARw
12/07/31 00:16:40.80 hlZw+5Xf
>>1 スレ立てありがとうございます。

ちょっと来ないうちに前スレ落ちてました。
自分の書き込みを最後に読めてませぬ。●買うかな・・・。

175:ベゲザンピーク
12/07/31 00:20:09.12 pM9hUTdK
世界はあなたの表象であるとだれかが言ったが(シャンパンハウエル)
その表象のなかに他者もあるんだよね。ない人なんていない。
振る舞いはダイジだね。表象の大きな部分を占める。
でもそれに大きな価値を認めるわけにはいかない。幸せと比例しないから。
 体験は自己閉鎖的な活動じゃないよ。それを大ピらに語ることがそうなの
だろう。それは虚栄心から来るから。人は失敗談を語るとき雄弁だ。
その雄弁さを益す為に振る舞いを身につけるなんてひともいるだろうなぁ。
でも一つ。体験は他者とのできごとを語るべき。かっこつかないもの。
じゃあなかったかw。「あるがままの宇宙とも調和」って言うより、心もとない
あるがままだから、世界は助けるのかもよw。
>>横レス

176:473
12/07/31 00:32:12.56 o35QW3hH
体験そのものはいつも副作用なので、副作用だけでなく作用があったかどうかですね。
自身に、また人に。

体験は宗教的なものでもそうでないものでも、何らかの分断を示しています。

深い瞑想体験は、通常の現実意識が、キリストの慈悲や、あるがままの新鮮な世界に取って代わられてしまうことです。
まるで別の世界にいるかのようです。
普段我々が抑圧している深層の無意識とつながったのかもしれません。

しかし、悲しいかな。
表層意識と無意識の全容に覚醒している覚醒が伴っているわけではなく、
限定された意識における深層意識とのリンクに過ぎないので、一時的なものだし、
普段の生活で世界と調和して使えるものではないのです。

この深い体験、現実意識がとってかわられるほどのものについては、瞑想が進んでいる証でしょう。
しかし、その体験はしょせん覚醒の伴わない一時の夢であると理解しておくべきです。

この光のシャワーに圧倒されるメンタル夢もめったに起こらないことでしょう。

たいていの場合は自己に向き合う動機付けの無い場合、その知識は知識を正当化する体験との結びつきを求めているので、
瞑想によって強烈な自我の白昼夢を見るほうにエネルギーが集中されるのでしょう。
その体験によってその人の不注意さ、無責任、投影が強まっていればその証拠です。
こちらについてはあまり体験したことがありません。
瞑想に向かう根っこの動機が違うので自分も恒常的にこういう体験の犠牲になっていますが、強烈なそれはやったことが無いですね。
これは夢遊病者になったことが無いという告白なので、まあそれだけです。
今、そういった自我による、知識による逃避の夢にありったけのエネルギーをつぎ込む実験をするのも?

177:473
12/07/31 00:49:16.73 o35QW3hH
176は懐かしい。

神に触れることと、ありふれた欲望に向き合うこと。
順番にせざるをえなかった。ヘッセのシッダールダの旅のよう。
しかしそれは共に自分の心にあるもので、それらをくまなく旅したなら、
こんどはその全面的な休息と動きに。

体験というのは、この体験とあの体験とを区別する心のメカニズムが働いていることを意味する。
体験の数だけ心は分割されており、心の分割の分だけ体験を異なるものとして区別する。
それが心の葛藤を生み出す。

心が静まればあらゆる体験に区別が無くなる。
その時もはやそれは古い意味での体験とは呼び得ないだろう。

178:ベゲザンピーク
12/07/31 00:50:23.07 pM9hUTdK
小春日やわらかい風が吹いていて妊婦さんなんて通るとやさしくていいね。
>>横レス

179:473
12/07/31 00:57:34.10 o35QW3hH
そう。
そういったことも全てが。


180:神も仏も名無しさん
12/07/31 00:57:58.12 7rCu87vv
>>174 さすがニカサさん・・・。
 波動がちがうんっすね・・・。
 

181:ベゲザンピーク
12/07/31 01:02:20.52 pM9hUTdK
473さん。ペシミストならペシミストだと周りの人にいっておかないと、、、
ペシミストはいろんなこと考えるけどペシミストだから。
君が幾ら心鎮めても、散った桜が風に休んでいる静寂とは別種もんだよ。
おらはペシミストじゃないけどね。


182:473
12/07/31 01:04:48.58 o35QW3hH
176の2つの例は両極端すぎました。
だが、結局これはその人のその時の状態次第で無限の段階とタイプがある。

一般化するとしたら164になります。

体験への執着が消えると、自然と覚醒がそこにあります。
無意識の無数の心の分断に対してか細い声です。

この覚醒はなにももたらしません。
が、ふと自身のおろかな習慣が、深刻さが消えてしまっていることに気づきます。
それまで自分を悩ませていた外界のあることが、その意味だけ消えうせていることに気づきます。
そしてそれを誇示することもありません。
その部分的な自由の再発見は、正にあらゆることに影響するので表現方法は無限にあり、
パプニングでこそ生きます。

これがなんであるのかはわかりません。
わかっているのは瞑想体験がこれの障害だということぐらいです。
そしてもうひとつわかっているのは、自分が不自由だという絶望からくる決死の努力と瞑想体験だけが、
体験が障害だという理解をもたらすということです。

183:ニカサ・アア ◆UNegKIvARw
12/07/31 01:13:24.12 hlZw+5Xf
>>173
体験は言葉を紡げますが、言葉では体験を紡げないのです。
言葉を追っても言葉の密林に迷いこむだけです。

体験はあなたを深くしますが、言葉は増々頑迷にさせるだけです。
体験からは真実が見つかりますが、言葉は混乱を助長するだけです。

あなた自身、現に言葉に惑わされ酔ってます。

少し、>>173を振り返ってみましょうか。

> 体験についてのコメントというより、体験をしたという人の言説や、
> 言説からあふれ出る実存。 ・・・①

> 体験そのものよりその人の振る舞いのほうがよほどその人を
> あらわすではないですか。・・・②

> 体験というのは自己閉鎖的な活動で、他者とも、あるがままの
> 宇宙とも調和しないものなのですが、 それに価値を見出すので
> したらどんどん体験なさってください。・・・③

①②③はきちんと整合性が取れますか?それぞれに合理的な
相手を説得できるような明らかな根拠がありますか?

184:安堂 ◆3LK.0gZrV2
12/07/31 01:15:16.93 L0rSFYuP
やっと柔道で金でたな・・・。
しかしジュリーとかいう陪審員が厄介だな・・。

まあいいか・・・

185:473
12/07/31 01:15:22.37 o35QW3hH
182はもちろん非常に部分的なそれです。

>181
私は自分を分断したいとは思いません。
それでもあるし、それ以外の全てであります。
なのですが、現状独特の分割が自我によって為されている模様です。

186:ベゲザンピーク
12/07/31 01:18:47.74 pM9hUTdK
473のいいところは所作ができるということだろうな。(所作なんて俺には細かすぎて
理解もできないしそこに感情も伴わない。)
一つ一つの意味、動きにたいして、意味や感情が伴うと本来表現力も身につくし・・
一つの意味、動作にたいして100分断できるやつと、1しかわからんやつでは
動作も内容が違って見えるな。舞台関係の人とかそういうの多いだろ。
文学とかでも生きてくるかもね。
あにめでもコマ数が違うとできる表現の数が多いだろ。

187:ニカサ・アア ◆UNegKIvARw
12/07/31 01:33:57.57 hlZw+5Xf
>>182
その瞑想はあなた起因ということで、良い試みですが、このように途中で結論を
決めないほうがいいです。

> この覚醒はなにももたらしません。
> わかっているのは瞑想体験がこれの障害だということぐらいです。

前も言いいましたが、探し求め過ぎるのです。
探そうとすると、予期したもののみを思い描き、それ以外が見出しにくくなります。
見ようとするものしか見えなくなるというか・・・

そして、大切なものは大抵「それ以外」にあります。

188:ろん
12/07/31 01:34:15.18 3D0iIpB9
>>184
なんか日本人選手、すくい投げとか、返し技とか強引にやりすぎ。。
銀メダルの彼らはそれで負けてる。。
片腕を取られたまま投げようとするから、逆に返される。。

組んで投げる、と言う正攻法で投げるという場面があまり見られなくなったのは残念。。
みんな組まない、袖口を掴んで防御とか、立ち技の攻防を避けているような気がする。。

金メダルに拘らなくても、もっと思い切って、楽しむくらいの気持ちでやった方が、
面白い柔道になるんじゃなかろうか。。

189:473
12/07/31 01:35:01.88 o35QW3hH
人の数だけ理解がある。

すなわちそれは人の数だけ誤解があるという現実も示している。

宗教、内面について語るとそれが露になる。

実は、これこそが単純な事実ではないだろうか。
私たちはこんなにも違っているが、職場や家族の因習や利益共同体としての
概念でなんとか共通の認識を持っているだけなのだと。

どうも私は意志の疎通の齟齬において後手に回る。
むしろ疎通しないのが当然でなんとか家族や仕事や噂話で場をつなぐのが実際だったかもしれない。

>>183
酔ったように書いています。細部は甘いところが多そうです。
全部の文脈を同時にとって、全体の文脈を優先して、
おかしいところはそちらで修正していいように受け取っておいてください。

体験と言葉なら私も体験を取るよ。
体験と覚醒、体験と非体験なら後者を取るよ。
そしてこの場合、1行目の体験と2行目の非体験は似たようなものをさしているよ。

190:安堂 ◆3LK.0gZrV2
12/07/31 01:42:53.09 L0rSFYuP
>>188

ぜんぜん組んでなかったな・・。シドーシドーばっかだった。
レスリング化してんのかね。
「ミナカワ主審」というのが話題になってた・・・。

191:ベゲザンピーク
12/07/31 01:43:19.43 pM9hUTdK
189,
共感するなぁ。189の最後の書き込みなかなかしびれた。
平成の笠智衆になれるよ。小津映画にでもはまってみようかな。
>>横レス

192:473
12/07/31 01:44:41.70 o35QW3hH
>>187

なにももたらさないというのは体験ををもたらさないということ。
そして無意識の影響を受けている自我の範疇である瞑想体験が束縛からの解放への妨げとなること。

ただそれだけの描写なのですが、一体何を探してるんでしょうか。
部分だけど選りすぐって捻じ曲がった解釈をする必要がありそうです。

473は何かを捜し求めていて苦しんでおり助けて上げなければいけないという投影をすることで、
自身のそれを見失っておいででは。

193:ニカサ・アア ◆UNegKIvARw
12/07/31 01:59:40.14 hlZw+5Xf
>>192
実際にあなたはまだ探し求めている人です。
それは部分ではなく、あなたのレス全体、あなたの言葉で言えば

 全ての発言の総体が473の表現

が語っていることです。
あなたが部分的に否定しようと、それはあなたがいう

 そのものよりその人の振る舞いのほうがよほどその人をあらわす

ことからもわかりますよね?
あなたはあなたのレス全体で、>>183の①②③のような調子で混乱と
幻想を表現してます。
あなたが「酔ったように書いてます」と自己弁護するくらいに、ね。

それに>>159さんのように、他にもその調子に気づいている人もいる
ことをお見逃しなく。

194:473
12/07/31 02:07:54.70 o35QW3hH
>>193
いや、それではわからない。要約でもいいから473の書き込みからの論理的な類推がないと文字のやり取りでは独りよがりになる。

ただ、自分に観ないで他人にだけ観ているその振る舞いから、
「473は何かを捜し求めていて苦しんでおり助けて上げなければいけないという投影をすることで、
自身のそれを見失っておいででは。 」
が、状況的に合致する感じですね。


195:473
12/07/31 02:11:26.89 o35QW3hH
特定の信条を追っていると投影されれば観に覚えの無いことですが、
自我というもの自体が何らかの結果を求める、保持を求めることの集合体なので、
自身があらゆる結果思考から自由であるとは言えませんし、感じられません。

感じられるとしたなら、私というものは存在しないのに、私の欲望云々を語るとはおかしなことだ。
という実感かもしれません。
ともかくいえるのは結果を全く求めない私、などというのは存在し得ないということだけです。

196:473
12/07/31 02:13:54.29 o35QW3hH
一方的に他者を弾劾したり、また救済できる私など存在しようが無い。
私、というのはみな同じ船に乗っている。

他者に欲望を投影し、自身のそれに無自覚である限り、その船からは下りられない。

197:ベゲザンピーク
12/07/31 02:13:57.78 pM9hUTdK
>>193ふ~~ん。

198:ベゲザンピーク
12/07/31 02:35:26.77 pM9hUTdK
>>193ニカサアアさんというのは、相手に語らすのが鉄則なんだろうけど、文章よめてないのが
悲劇的。たしかにそれでは船からおりられない。舟を降りて旅行者になろうと
すれば、語らなければならない。それがあなたが193の初頭で使った「実際」です。
内面ですら語ることが信頼につながることもあるんです。
たといホームで財があっても語らねばなりません。
朗らかにです。朗らかさが一番堅実な財産だからです。
でなくては虚栄という浪費を終始はたいていることになります。
でも大通りで知り合いにあっても話す必要はありません。



199:神も仏も名無しさん
12/07/31 02:50:59.26 lkJEIvVl
んー、カンだけど473さんとかは哲学板行った方がいいんじゃないかな?
悟りの話しには見えない。
それか心理学。
ほとんどなんて言ってるかわからないからカンだけどw

200:ベゲザンピーク
12/07/31 02:58:27.87 pM9hUTdK
いや悟りは苦いものではなく甘いものだろう。ただし、この世の中の黄金原則
を勧める。では格言を紹介する。
「甘さは苦味と手を携えて進んでいかなければ完成されないが、そうと知るには
 おびただしい自身を殺さねばなるまい」[夏の闇]より
473さんは十分な苦味を内包している。ありがたいもんだ。

201:神も仏も名無しさん
12/07/31 03:13:53.28 lkJEIvVl
まーオモチャ自慢スレだから何でもいいですけど。

本人もそういうとこ行った方が手応えあって
楽しいんじゃないかなと思っただけです。
ここに愛着があるんですかね~。

202:神も仏も名無しさん
12/07/31 03:26:36.92 WjsSaY4L
>>201
いや、たぶんボコられるw
たぶんそれが怖いんだろw

203:神も仏も名無しさん
12/07/31 03:40:09.28 WjsSaY4L
やりたいことに夢中になるヤツは強いからね~w

人とは志向作用の塊
無になりたいから無になろうとする
寝たいから寝ようとする
座禅を組みたいから座禅を組む

意識がそうさせる
それ以前には無意識である
どうあろうが志向作用そのものである
志向作用がわからんから迷う


204:神も仏も名無しさん
12/07/31 03:57:57.42 WjsSaY4L
これを否定できれば本物だw

205:ベゲザンピーク
12/07/31 04:09:54.03 pM9hUTdK
よくわからないんで書き込むのはずいけど、志向性というのは現象学で問われていることだね。
ちょっと拾ってみた。

「志向性というものは体験に対する(思考上の)客観的把握のことである為、体験に志向性を前提
とすると明証性は得られない」  すなわち
「りんごとしての判断がありそれが赤かったからだとするのは因果関係の把握である」
 すなわち因果関係は常に疑い得る可能性がある為、憶見(ドクサ)を取り除いて明証性を明らかにする
ためには直接経験=志向的体験ではあってはならないのです。
 要するに志向性のなかに憶見が潜んでいるということになるな。

ということは、直接経験について明証性を明らかにする場合、それが志向的体験
ではあってはならないということなんだね。

ただこの世の中には志向的体験を補う言葉やその関連を整備したものが山ほどある。
だからだますやつとだまされるやつがいるわけだね。でも圧倒的にだまされているやつが
多い。君もそろそろどうだ?ってなもんだ。哲学者は譲らんけどねw


206:神も仏も名無しさん
12/07/31 04:21:38.68 WjsSaY4L
>>205
俺は志向まみれだから偽者だよw


207:ベゲザンピーク
12/07/31 04:23:26.41 pM9hUTdK
今オリンピックやってるよね。フェッシングの大田君がZONEを体験したって
言ってたけど、そういうのみんな惹かれるんだよね。
圧倒的な志向的体験だよね。相手のパターンの裏を連続して掻くという。
相手も馬鹿じゃないから考えるよね。でも無心では読めない。でも本当は
本人が無心というよりも何の疑いもなく成功するという馬鹿になりきった
由来にすぎなかったりする。読み合いしていた相手が、一気にそれを放棄
するとだれでも虚をつかれるよね。
 太田君もZONEなんていってるところをみてると、今回はだめだな。
そんなの同じ相手には一回しか使えない。

208:ベゲザンピーク
12/07/31 04:34:21.92 pM9hUTdK
競馬でも競輪でも人でも馬でも読みあいしてる。
でも時々変なやつや、変になれるやつがいるんだ。後者のほうは強いよ。
変になるだけではだめだけど、変になりつつ火事場の糞力みたいなパフォーマンス
が上がるやつがいるんだ。ボクシングの輪島はそういう意味ではすごかった。
変になると99パーパフォーマンスが下がるのが普通の人だからw
ドラマの見過ぎかも知れんけど愛を背負い込んだ変ってのも強いねぇw。

209:神も仏も名無しさん
12/07/31 04:34:48.30 WjsSaY4L
相手に勝とうとしない
また負けようともしない
葛藤の中に真はあるのかもね
自分が何いってるのか、わからないよw

210:神も仏も名無しさん
12/07/31 07:02:10.93 WjsSaY4L
志向作用を抱えながら志向作用と格闘中
志向作用から離れる方法は幾らでもあるが、あえて向き合ってみる
志向作用の先には快感がある
快感を存分に味わいながら、飽きるまでの戦いみたいなことになっている
狂うが先か滅ぼすが先か
割と地獄であるw




211:神も仏も名無しさん
12/07/31 08:11:11.08 lkJEIvVl
志向性。
初めて聞いた言葉だからぐぐってみたら3行で意味不明。

なんかでも哲学とか書いてるね。
寝る前もいったけどここじゃなくて哲学板でやったほうがいいんじゃない?
悟りと関係ないとはいわないけど、遠ざかってる気がするよそれ。
ノス君とか飛びつきそうだねその志向性w
あくまで予断だけど彼は知らない言葉、難しい言葉を使うのにあこがれてそうだからね。
そういう気持ちも分かるし。 
私は個人的に「分からない」てのが真実だと思うけどな。
この世で本当に「分かった」なんてことあるのかな?
あるのかもしれないけど「分かった」となった時点で概念が根付いて
そうとしか考えれなくなるよね。

現時点では「分からないということが分かった・・・つもりだったがやっぱりわからない」かな。
論理というものがいかにもろいものか公案が簡単に示してくれてるよね。
隻手の音声とか趙州無字とか矛盾の逸話とか昨日のどっちの手が握ってる?の公案とかね。
論理好きはこういう公案に出くわすと簡単に避けるよね。
つまり、選り好みして思考してる。


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