12/07/16 16:24:28.31 74uB6Z99
>>30
キリスト教とユダヤ教では見解が違うので要注意です。
キリスト教ではイエスは神なので、全世界の人の罪を贖えます。
さて、ユダヤ教では、イエスは人間ですが、ユダヤ人によって裁かれたというわけではありません。
以下にユダヤ教側の見解を紹介しておきます。
イエスの処刑はユダヤ教指導者達の妬みによる策謀だと信者は考えがちですが、
ユダヤ教の石打刑でなく、十字架刑に処せられたのは、ローマ当局により政治犯として処刑されたことを意味しています。
イエス捕縛の真の訴因は、首都の神殿を占拠したことにあります。(それも過越祭で多数の信者が集まってくる時期に。)
ユダヤ人共同体の生活基盤は神殿での祭儀を中心とするヤハウェ信仰に基礎づけられており、神殿を支配することは共同体を支配することを意味しました。
その真相は最古のマルコ福音書も隠しきれていません。マルコは伝承片をサンドイッチ式に挟み込む傾向があり、
マルコ11章19節と27節は本来つながっていたと考えられます(田川建三氏も指摘)。
つまり、ユダヤ教指導者達の「何の権威であのようなことをするのか」という問いは、抽象的な権威の源泉の問いではなく、
本来は「どんな正当な理由があって神殿を占拠したのか」と、暴挙の意図を問い糾す質問だと分かります。
マルコ11章末から14章頭が伝承として本来つながっており、神殿占拠とイエスの捕縛・処刑が密接に関係していたことは、
あの護教的学者のエレミアスも「イエスの宣教」で指摘していることです。
福音書はぼかしていますが、広大な神殿内の人々を悉く追い出し、出入りを禁じるには、一人で出来るはずはなく、
弟子達を総動員して行ったに違いありません。いくら動機は宗教的なものだったとしても、その一大示威行動は、ユダヤ教指導者を驚愕させただけでなく、
パレスチナの治安維持に責任を負うローマ当局にとっても黙過出来ないものだったはず。
神殿を占拠し、政治的クーデターを図ろうとした民衆扇動者。これがイエスの真の罪状であり、「ユダヤ人の王」という十字架の捨札がそれを裏付けています。
いくら宗教的動機を誤解されたとはいえ、何の罪もなくして不当に処刑されたわけではないことを知るべきでしょう。