12/07/10 09:21:18.23 IFH1mJfF
>>666
>般若心経には「不生不滅」とありますが
執着は生まれた事もないので消える事もない。
といってるのでしょうか。
非論理的な表現なので突っ込んでも仕方ないかもしれません。
どちらにせよ執着が保持された状態の事では無さそうです。
これを持ち出してどうしてamaさんの解釈と同じだと思ったのですか。
>悟るとこうなるはず。
それは各々自身の変革の願望のことですね。
それに悟りと名をつけてるからそうなるので、それに無自覚だと会話において互いに混乱してしまいます。
そうでなはく行き違いをなくしたり、相手を混乱させたくないならこの状態を悟りと名づける。
悟りというのは言葉に過ぎないので、言葉の本来の用法はこんなところじゃないでしょうか。
悟りを求めているのなら、それは精神による探求なので精神はどうにもなりません。
精神に何か変化があったときに、それを悟りとただ名づけるのならそれほど弊害はありません。
が、精神によって名づけたとたん精神の消滅か変化かそういうものが止まっちゃうんですよね。
名づけるという精神の働きとどうかせずに名づけられるところにいるまで名づける事も求める事と同じく
停滞をもたらすので探求ではない。
>分かりませんが、減らせる必要を感じないもので・・・。
いいんですよ。582でそう言ってます。
しかし、あなたのその状態を悟りと名づけるのはちょっと目に付くかなと。それだけです。
普通それを悟りと名づけないので、周りの人を混乱させたいのならどーぞ。
限定された意味での悟りならともかく単品で使うと「不生不滅」を連想します。