12/07/08 17:51:00.26 O8E0iCQ1
>上辺だけで言っている
2年前の書き込みはそうだったなあ。
今はのこり1497のほうがメインですので。
512:ろん
12/07/08 17:52:45.75 16qf4yfb
473にとっては、2ちゃんの書き込み=自己のようだ。。。ww
2チャネル依存どころじゃなくて、2チャンネル命wwww
513:ろん
12/07/08 17:53:54.66 16qf4yfb
病人を観察するスレになっちまったようだ。。w
やれやれだな。。
514:ニカサ・アア ◆UNegKIvARw
12/07/08 17:58:09.62 FP1hrA/6
>>509
>>500の前半は何をどうとったらそんな解釈になるか、
図りかねたのでスルーしました。
どのみち、その解釈を聞いたとしてもあなたの悟りに対する
解釈自体、砂上の楼閣なので、例え言葉を重ねても、
的が外れ続けるだけで、会話にならない点からもスルーです。
強いて言えば、473さんが「まだ」な時点で、厳しいようですが、
悟りについてあなたから聞くことは何もありません。
515:473
12/07/08 17:59:43.25 O8E0iCQ1
>あなたが書いたものを読んで、あなたが解っていないことは 解ってました。
こんな意味不明な断定をする人が解かっている事を解かっていないというのはすばらしい事です。
解ってしまったら大変です。
516: 忍法帖【Lv=10,xxxPT】
12/07/08 18:00:27.21 7rn0PBTP
悟りを発明しろよ!?♪。
517:473
12/07/08 18:03:16.28 O8E0iCQ1
>>514
私が聞いてたんですけどね。
この方向性で表現できたら、それは理解してない人にはまねできないものだろうからやってくださいと。
私よりうまくやってくださいと。
518:無しよ
12/07/08 18:17:10.62 JYDoWdLe
>>428
我々は473さんの悟りの踏み台ってことですね
修羅だなぁ…もっとそれを出してくれてもいいのに
おまいらは俺の踏み台なんだよ、とかわかりやすく言ってほしい
自我に愛なんかないですもんね
>いつか自らの全てをかけて挑戦してみるといいです。
と、瞑想云々のとこでおっしゃってましたが
鏡を見ることにも瞑想と同じくらいの勢いで
いつか473さんのすべてを賭けられてみたい…踏み台としては!
いまんところ473さんにかまってもらってちょっと良い気分です
519:オレって名無しかよ!?
12/07/08 18:27:31.19 J07cff7X
>>518
>我々は473さんの悟りの踏み台ってことですね
踏み台にしたけりゃ、いつでもどうぞと言いたいが
踏み台は踏んで上に上がるからこそ踏み台なのに
踏み台の前で足踏み続けてるようじゃ踏み台を続ける甲斐がない。
520:神も仏も名無しさん
12/07/08 18:32:33.66 JBipQ/cN
473はまともだよ
悟りについて語れること、悟りを理解していること、
それはおまけ
自分に本当に正直なのか、そこにしか真実はない
473は寝ぼけているわけじゃない
月を指す指を、指すことがどんなに上手になっても
意味がないことを知ってるだけ
521:ろん
12/07/08 18:46:12.52 16qf4yfb
>>520
意味がないことを知れば、ふつう沈黙するのではないか?
というか、自分未だし、自救不了なら、まずは自分の修行をするのが当たり前だ。。
救われていないやつが、わーわーギャーギャー喚いて、認めてくれーとか言っても、周りはただ閉口するだけ。。
自分で自分の長文にうっとりして、尊敬してくれるやつがいるに違いない、と思い込んでいる、と言うのはよ~くわかった。。ww
ナルシシズム性自閉症というか、要するに自分だけの妄想宇宙に住んでる人だから、周りが何言おうが、まったく理解できんのよ。。
病気の人には何を言っても無駄だと思う。。
経過を見守るのみだ。。w
522:Ope
12/07/08 19:35:26.68 b4cEfQjK
>>395
> 勉強になりました
ありがたいお話の対極として
どうでもいい話をくっつけてみました
>>399
> 在る・無いは、一つの明確な区分です。
一瞬、寝言を言っているからといって起きているわけじゃないし
区分なんてないんじゃないかな
>>412
> あまりにもベタ過ぎです。。w
ドラやきなら買って来れるかも だったらどうかな
・・・
絶句だな
523:ニカサ・アア ◆UNegKIvARw
12/07/08 19:38:50.35 IjCVCLk2
>>515
あなたはあなたが書いたものを以って判断してくれと言い、
そのとおりに判断した結果です。
具体的に判断されると「意味不明な断定」とは、それこそ、基
準を示さずに結論だけですよね。
524:神も仏も名無しさん
12/07/08 19:40:38.85 7wtBOnMc
断見常見の多さ故、アラが目立つ
突っ走ってる間は何も見えないもんさ
近いから皆が助けるの図にも見える
実際のところは良く分からんが…
必ずいつかは止まる日がくる
525:473
12/07/08 19:41:56.24 O8E0iCQ1
>>518
他者を救おうとする事は自分にも他人にも害悪を与えてしまいます。
それをしない事で精一杯。
そのように表面で表現できるのですが、じゃあそれって実際どういうことなのと示したのが428です。
428でいる事すら大変ですよ。精神は隙を見ては教化の相手を探して自他の眠りを深めますから。
>いつか473さんのすべてを賭けられてみたい…踏み台としては!
そういうゆとりやユーモアのセンスのある人は473を判断基準で裁いて、自己の混乱を投影して、無茶苦茶言ったりしないので踏み台にはなりませんね。
>いつか自らの全てをかけて挑戦してみるといいです。
適切な時期や用意があり、それがその人個人の成功を保証するでしょう。
挑戦する前におおよその用意を済ませてしまっている場合もあれば、用意を済ます前に瞑想に全力投球せざるを得ない
精神構造であるということもあり、そちらは瞑想を見出す事ができてもそこからが大変です。
一番しっくりする時期にコミットするのが一番の近道だと思います。
>>519
そういうこと言う人は私を喜ばせるので踏み台になりません。
ただ、目が覚めますね。
526:Ope
12/07/08 19:47:55.00 b4cEfQjK
>>425
> 473は言いたいことをもっと端的に言えないのだろうか?
脳内の思考が止まらないのだろう
>>449
> 「友情」とはなんでしょうか?
種の性質として、1人ではいられない
という傾向を持っているから友情が生まれてくる
おそらく集団で生活する宿命があるからなのだろう
もしも、我が落ちたり弱くなったとすれば
集団のなかでも1人であり
集団に依存することはなくなるだろう
527:473
12/07/08 19:49:56.44 O8E0iCQ1
わずかな層が消えるたびに消えた層を言語化すると、皮むきが進まないどころか停滞する。
この辺反面教師に。
528:ニカサ・アア ◆UNegKIvARw
12/07/08 19:58:37.67 IjCVCLk2
>>502
> 1500分の3だけは目覚めているので(小さな変化)・・・
惜しい所ですが、目は覚めてないでしょう。逃している、と思います。
無常であること、無我であることの字面だけ理解しているだけです。
自己申請されるのは構いませんが、ろんさんとの数スレにも及ぶやり
取りを見ても、「1500分の3だけ目覚めている」には遠く及ばないです。
それは目が覚めていれば、有身見、疑、戒禁取を滅しているので
あれば、無我を背景とした会話が可能ですが、それができないから
数レスにも及ぶ問答に及んでいるものと思います。
お互いに目が覚めていれば、>>482と>>490のように一瞬で終わる
話です。
529:ニカサ・アア ◆UNegKIvARw
12/07/08 20:12:22.11 IjCVCLk2
>>522
> 区分なんてないんじゃないかな
はい、区分はないです。その通りです。
全ての区分と比較は無意味です。全てはそのものの自体であり、
レッテル張りをして区分できないもので、また表現できない欠けがえのない
価値を有しており、他と比べられるものはないです。
ただ、何かを説明する上では、悟りと迷い、あれとこれ、こういうモノと
そういうモノ、過去と未来、部分と全体、いまといつか、というように、分けて
説明せねばなりません。
それらの区分が幻想であることを承知で、分けました。
決めずに、区分せずに、選び出さずに説明する方法が何かあると良い
のですが、、、現実には方便として分けずにはいられないかと。
530:ろん
12/07/08 20:22:49.49 16qf4yfb
>>522
>絶句だな
いやいや、そんな自虐的にならなくても。。w
御椀を洗わせたい師匠の話はけっこうおもしろかったし。。
これからもどんどんOpeギャグを書き込んでください。。
たぶんおもしろいですから・・ってフォローになってるのか。。ww
531:473
12/07/08 20:46:20.58 O8E0iCQ1
どんな観念も持たなければ変革が起きうるというのは語弊がありました。
どんな観念も古い精神がそれ自身を超えようとする葛藤をもたらします。
ただ、それがなくなるというだけです。
ここで2つの道があるでしょう。
古き精神の範囲内でなるべく苦しまず生きる道。
何の変化の保証もなく、ただ死に向かうだけであっても、今までと同じよりはましだと、
それを見つめたまま死んでもいいと、古くからの精神の動機に覚めることです。
532:ニカサ・アア ◆UNegKIvARw
12/07/08 20:50:32.81 IjCVCLk2
>>502
> 「般若心経の悟り」として言語化するんですか?
般若心経を通して、仏教で描く悟りが自身の体験と一致したため、「悟り」とのラベリングを
行ったまです。
五蘊皆空から究竟涅槃まで読んで、般若波羅蜜の意味はさておき、自身の体験と照らして、
認識の一致を見たという感じです。
> 結局新しい体験で、新しい価値観や知識に鞍替えしているならある意味状況は変わりません。
> 価値観や知識から一瞬でも自由になれば、それに捕われない態度が出始めるのです。
> そして知識と価値観が作り出す悟りの体験の危険性も理解し始めます。
> どんな知識もどんな価値観も、精神がそれを利用しようとするなら、「精神が延命するだけで
> 全く同じです。」
上記はあなたの憶測ですね。悟りを表していません。特に「全く同じ」ではありません。
同じように見えるだけです。
悟りはWindowsに例えると、OSがVerUpするようなものです。
一見、同じAPで、そのAPが同じ見た目、挙動をしたとしても、そのAPを処理する体系・やり方が
全く異なっています。
そして、中には動かせないAPがあるかもしれません。そして、四沙門果で説明するならば、最初
のVerUpで動かせなくなるのが有身見、疑、戒禁取といったものです。
533:ろん
12/07/08 21:10:14.86 16qf4yfb
>>531
おまえは2ちゃんを卒業するか、休むかしないと、変革は起きえない。。ww
キッパリと断言できます。。ww
534:ろん
12/07/08 21:13:08.68 16qf4yfb
いつまでたってもクリシュナムルティの口マネ、オショーのばったもんじゃーなー。。w
天国のオショーは呆れてるぞ・・オレの弟子はバカでバカでどうしょうもないと。。ww
535:ニカサ・アア ◆UNegKIvARw
12/07/08 21:18:15.52 IjCVCLk2
>>497
空とは実体がないことを指します。
# ここでいう実体とは「他の何者にも依らず、それだけで存在できるもの」と
# 定義します。
この世界はどんなものでも全て縁が寄り合わさって成り立っているだけです。
それは、あなたも私もそうです。
無限に続く水面を思い浮かべてください。
そこに小さな水面の盛り上がり(突起)が2つかあるとします。
それがあなたや私です。
この水面の盛り上がりは、実は小さな波が無数に一時的に重なって、
たまたまそこが盛り上がっているだけです。
波の一つ一つはとても小さく、縁と呼ばれます。
その一つ一つがあなたや私の構成要素ですが、どれもあなたや私ではありません。
また、水面に新しい波が立てばあなたと私のと見えている突起も、その波の影響も
受けます。これが縁によりて生ずるということ(縁起)です。
縁が生じてたまたま事象(水面の突起)が生じているが、突起自体は実体ではない。
このように見るのが空です。
536:ろん
12/07/08 21:33:35.67 16qf4yfb
水の如く、空の雲の如しだね。。
自分がどんな形であろうが、執着しない、というか自分を認識しない、忘じている。。
修行ではなくて、そのまま・・だから禅宗の修行僧は、雲水さんと言われる。。
537:神も仏も名無しさん
12/07/08 21:37:54.04 PaqRnlV3
>>535
お答えありがとうございます。
とすると突起(事象)に実体はないとしても水面は在るわけですよね。
この万物の実体ともいえる水面にあたるものっていうのはなんなんでしょう?
538:神も仏も名無しさん
12/07/08 21:44:25.04 J2ObNSPa
>>481 ロンは女好きだな ダメだこりゃ
うまくいかんな
539:オレって名無しかよ!?
12/07/08 22:02:42.72 J07cff7X
>>537
「存在」
でも、「存在」には事象での存在は無い。
540:ろん
12/07/08 22:25:35.49 16qf4yfb
>>538
一休さんのモノマネだよん。。w
541:ろん
12/07/08 22:26:23.11 16qf4yfb
オレムの方が、女大好き、エロ大好き。。ww
542:神も仏も名無しさん
12/07/08 22:36:20.44 J2ObNSPa
>>540 独身を貫いたほうがよさそうだな こりゃ
543:ろん
12/07/08 22:37:10.04 16qf4yfb
>>542
なんでてめーは人の心配ばかりしてるんだ、コラァ。。
544:神も仏も名無しさん
12/07/08 22:53:11.95 J2ObNSPa
>>543 女が欲しければ素直に風俗に行くが良かろう おまいさんのばあい
545:ろん
12/07/08 23:46:29.01 16qf4yfb
何を言ってるんだろう?
このひとは・・フーゾクへ行けとかダメだこりゃとか、意味の分からん奴だなー。。
546:オレって名無しかよ!?
12/07/08 23:59:01.98 J07cff7X
>>541
うん、俺、女大好き、エロ大好き
そもそも女性の嫌いな男っている?
いるなぁ確かに
547:安道
12/07/09 00:21:25.35 dHb9hrOj
一切有為法は夢幻泡影なり・・・
548:安道
12/07/09 00:34:13.38 dHb9hrOj
473は壮大な夢を書いておられるようだ・・・・。
しかし、本人が夢の中だと気づいてないようだ・・・。
549:安道
12/07/09 00:37:05.30 dHb9hrOj
邯鄲の夢
趙の時代に「廬生」という若者が人生の目標も定まらぬまま故郷を離れ、趙の都の邯鄲に赴く。
廬生はそこで呂翁という道士(日本でいう仙人)に出会い、延々と僅かな田畑を持つだけの自らの身の不平を語った。
するとその道士は夢が叶うという枕を廬生に授ける。そして廬生はその枕を使ってみると、みるみる出世し嫁も貰い、
時には冤罪で投獄され、名声を求めたことを後悔して自殺しようとしたり、運よく処罰を免れたり、
冤罪が晴らされ信義を取り戻ししたりしながら栄旺栄華を極め、国王にも就き賢臣の誉れを恣に至る。
子や孫にも恵まれ、幸福な生活を送った。しかし年齢には勝てず、多くの人々に惜しまれながら眠るように死んだ。
ふと目覚めると、実は最初に呂翁という道士に出会った当日であり、寝る前に火に掛けた栗粥がまだ煮揚がってさえいなかった。
全ては夢であり束の間の出来事であったのである。
廬生は枕元に居た呂翁に「人生の栄枯盛衰全てを見ました。先生は私の欲を払ってくださった」と丁寧に礼を言い、故郷へ帰って行った。
『枕中記』
550:安道
12/07/09 00:41:07.17 dHb9hrOj
胡蝶の夢
以前のこと、わたし荘周は夢の中で胡蝶となった。喜々として胡蝶になりきっていた。
自分でも楽しくて心ゆくばかりにひらひらと舞っていた。荘周であることは全く念頭になかった。はっと目が覚めると、これはしたり、荘周ではないか。
ところで、荘周である私が夢の中で胡蝶となったのか、自分は実は胡蝶であって、いま夢を見て荘周となっているのか、いずれが本当か私にはわからない。
荘周と胡蝶とには確かに、形の上では区別があるはずだ。しかし主体としての自分には変わりは無く、これが物の変化というものである。
『荘子』
551:安道
12/07/09 01:01:23.11 dHb9hrOj
どうやら悟りスレの馬さんは
鬼が使う「意識」という語の意味がわかってないようだ・・・。
大抵の瞑想者が知る「意識」は「純粋意識」といわれ、
かなり多くの人が用いる言葉である・・・。
恐らく「唯識」から来ているものと思われる。
552:Ope
12/07/09 01:05:59.02 qWq3wfQl
>>529
> それらの区分が幻想であることを承知で、分けました。
そうですか
悟りの最終段階が幻想であると承知しているということですね
>>530
> これからもどんどんOpeギャグを書き込んでください。。
弟子:考えておきます
>>480
> このイチャイチャに終わりは無いのかもしれません・
人は独りでいると発狂するようです
しかし・・・
独りに問題ない人もいます
孤独と悟りこれわかりますか
553:安道
12/07/09 01:07:15.94 dHb9hrOj
すべてが意識である。という・・・。
このように使用する時は、三界唯心万法唯識と
同じ表現になる・・・。
ただしこの意識は、誰かの意識にはならない。
つまり誰のものでもない意識という言い方になるのだろう・・・。
唖の人が夢を見たようなもので、ただ自分一人で噛みしめるよりほかない。
554:オレって名無しかよ!?
12/07/09 01:21:16.24 mWNu124C
>>552
>悟りの最終段階が幻想であると承知しているということですね
悟りそのものが幻想である、なんてのはどうでしょう?
555:無しよ
12/07/09 01:54:15.33 Jp83VVMF
悟りからの解放~
556:ろん
12/07/09 02:11:36.10 ZRScAzIM
>>547
おいらの最近のモットーは、色即是空とかじゃなくて、塵塵三昧よ。。
わかる、これ?
碧巌録のどっかにあった。。
要するに生活仕事、細かいこともおろそかにしないということだな。。
557:ろん
12/07/09 02:16:14.60 ZRScAzIM
>>552
>孤独と悟りこれわかりますか
孤独を好むようになる人もいるかもだな、悟ったら。。
おいらは独りも人と一緒もどっちも好きだけど。。
人付き合いを避けもせず、求めもせず、といったところか。。
達磨さんは独り、面壁九歳と言われるけど、ホントに坐禅ばっかしてたんだろうか??
558:ろん
12/07/09 02:16:55.36 ZRScAzIM
塵塵三昧、未だ成らずなのだけれど。。w
559:無しよ
12/07/09 02:53:28.87 Jp83VVMF
>>525
オレムさん >踏み台の前で足踏み続けてるようじゃ踏み台を続ける甲斐がない。
473さん >踏み台にはなりませんね。
ということは踏んでもくれないのか
オレムさん的に言えば実は誰も踏んでくれてないのか…
わかった
ということは…試し斬りでしたか
>他者を救おうとする事は自分にも他人にも害悪を与えてしまいます
それはそう思う。自分で自分を救えるのに、というまさしくそれ
だが、あなたのその偏執的な正しさも、結局は「正しさの手本」としての
ある意味誰かこれを見ている人への教化にも思えるときがあってね
救いたいを止めるのって絶対無理だって。影響されないのも無理だけど
影響されるのも、救いたいのも、それはじゃあほんとにあなた自身なの?…と問いたい
判断基準で裁いて、自己の混乱を投影して、無茶苦茶言ってみるぜ
560:473
12/07/09 09:16:33.07 gnl/WSsd
>>528
>無我を背景とした会話が可能ですが
「可能」
そう、表面的にそれを行う事は第一の悟りでなくてもできますし、第一の悟りの人は非常にうまくやるでしょう。
しかし無意識は怒りに煮えたぎっています。無意識とはそんなものではないでしょうか。
しかし
>一来果では、有身見、疑、戒禁取の三結は当然消えていますが、その他に、欲、怒り、無知の三煩悩が、いずれも弱くなります。
「え~っ、たったそれだけ?」はい、それだけです。
というように第2の悟りにあっても「そうある」ことはできないのです。
第2の悟りに入り始めて、ようやくそれらが減り始めるというぐらいですから、自分自身の凶暴な無意識が活動している事を自覚して、
ようやくここでそうすることはできてもそうあってはいない事を知識として出なく実感として気付き取り組み始めます。
あなたはこのポイント以外を重視しますが、このポイントを見逃すのはこの部分をまだ内部的に理解していないからであり、
このポイントの重要さに気付いていた仏陀がこの段階を付け加え強調したのではないでしょうか。
561:473
12/07/09 09:23:39.31 gnl/WSsd
>>559
奴隷になりたい。
ああ、これ無意識の本音です。
提示された価値観によって己のあるがままを否定し、進んで奴隷となり、その価値観そのものになってしまう事で、
経済的な、精神的な安心を図りたい。
会社や社会にある無数のばかげた因習に進んで身をささげ、誇りを持ってそれに染まりきりたい。
そうすればとにかく安心だ。
これが理想や、規範や、社会的価値観のマインドの実情かと思います。
外向的
それに従うと、人はその価値観そのものになり、また分裂症気質になります。
これらの価値観は人のハートを満足させないため、ハートを満たす別の人格が必要になります。
空虚さを感じる人生ですが、それからの逃避方法はふんだんにあります。
内向的
そしてそれに従わないと、自分自身を責め立て始めます。
そういう人は自分自身の感情と調和し、空虚さは感じないですが、社会としっくり来ず、
また内部の社会の声が自己批判して苦しい。
562:ama ◆BmUbLWewsM
12/07/09 09:24:24.85 UPYr6WAL
>>444
> それが何々であると意識したとたん、その働きは止まってしまわないでしょうか。
意識(認識)できるものは、過去ですね。
「それ」は意識(認識)できないです。
できないけど「それ」の真っ只中を生きていますよね。
それで十分なのに、なぜ、わざわざ意識(認識)するのか?ということです。
> またその悟りを希求したとたんそれは、その働きではなくその働きのような精神の作り出す夢になってしまわないでしょうか。
悟り体験は一度したら忘れ捨て去るべきでしょうね。
> 「本当にあるがままなら、執着は減っていくでしょう
> 執着を保存するのが、あるがままと思っているのなら、勘違いですね 」
> というのは非常に良いところをついているように思います。
執着が減るのですか?
執着に苦しまなくなるのではなく?
> 私はそのamaさんが悟りと言う働きがおきるような書き込みをしています。
> その働きが死なないような書き込みをしています。
そんな書き込みができるのですか?
人をコントロールできるとお考えではないですよね。
> amaさんは悟りと言いゴールのような錯覚を与えていませんか?
どのように受け止められるかは分かりません。
> >落ち着く事、というのは精神がその精神の既存の働きに安穏とするように仕向けていませんか。
何を危惧していらっしゃるのでしょう?
563:神も仏も名無しさん
12/07/09 09:30:56.63 AoMkROCQ
自分にしがみつきすぎだよw
悟りは自力じゃどうにもできないよ
他力によってそうなってしまうものだから
564:神も仏も名無しさん
12/07/09 09:32:55.73 AoMkROCQ
もっと気を楽にして宇宙とダンスしなさいな
神とでも無意識とでもなんでもいいけどw
565:ama ◆BmUbLWewsM
12/07/09 09:33:12.52 UPYr6WAL
>>446
473さんがその理想や夢をお捨てになっても、
その違和感や疑問は残るのでしょうか?
566:473
12/07/09 09:37:35.85 gnl/WSsd
>>559
私はそういう社会的規範に目覚めてはいません。それは昔に植えつけられてしまいました。
それらは今でも動いていて、私はそれを嫌い、抑圧しています。
抑圧していると理解はありません。
自分の中のそれに目覚めるのではなく、社会の、また他人が投げかける規範や理想に、自分の中にあるそれの蓄積を投影して
闘ってしまいます。
というような事に気付くためには、私の中のそういう植えつけられた価値観を活性化させるような非難が必要だったのでしょう。
社会、宗教、道徳の理想と、それに反抗するマインド。そんな葛藤の構造。
特にどうすればいいという事ではなく、毛嫌いしていた因習の奴隷が、毛嫌いしていたからこそそっくりそのまま自分の中で活動しているという事に気付けたのは不幸中の幸い。
OSHOは良くこれについて語っていたのですが、その重要性に気付くのはそれに気付いてからでした。
抑圧しようと(内向)乗っ取られようと(外向)それはタイプの違いで優劣はありません。
何をしても無駄なのは同じかもしれませんが、出発地点が違うので起こる物事も違うでしょう。
宗教的信念、思想というのもそれに乗っ取られて進んで奴隷となる事で自身の無意識の不安を和らげる働きがあります。
その奴隷となった人は誇りを持って他の人をその奴隷にしようとするでしょう。
567:473
12/07/09 09:46:48.55 gnl/WSsd
>なぜ、わざわざ意識(認識)するのか?ということです。
でも、それすらないときは無意識であり、とある思考にとっとられてその思考の通り夢遊病者のように生きているかもしれません。
その意識、認識を、意識する人を意識することが起きるのが悟りなんていわれると思います。
意識は苦しみをもたらしますが、人は無意識に落ちる事もできれば、意識に覚醒する事もできると、そのように聞きます。
>そんな書き込みができるのですか?
消極的な意味合いです。その働きを阻害する信念の働きが起き難いような表現です。
>執着が減るのですか?
え?減らないのですか。
減らなくてもいいのですが、それが無いと見出すのが仏教の悟りなので、何で悟りという単語使うのかな。
減らなくても悟りというなら、仏教否定かもしれず、それは面白いです。
別の見解を持つのはいいのですが、別の見解で同じ単語を使うと気になります。
>>531
の選択があるだけでしょう。といっても選択できるのは前者だけで、後者は選択ならざるものかもしれません。
568:473
12/07/09 09:55:20.00 gnl/WSsd
>amaさん 567続きです。
473さんがその理想や夢をお捨てになっても、その違和感や疑問は残るのでしょうか?
表面的なそれに頼る事をやめると実態が現れてくるのではないでしょうか。
何とびっくり、その集合体が活動していました。
表層の、意識化にあるレベルで理想を捨てる事も大変な恐怖を生みます。
それは何の変化も実は保証していないからです。
理想を捨てたら変化が起きるという理想も捨てなければいけないので、大変不安です。
あるがままとは、あるがままという観念ではないものですね。
精神があるがままという感覚を持つときは既存の精神既存の執着や不安の全てがあるがままという夢を一時的に
みるのであって、あるがままという観念は執着を存続させてしまうものです。
それではないあるがままを伝えるには、「前者のように誤解されないための細心の注意を払った表現が必要ではないでしょうか。」
というより、まず私自身観念として自身を騙さないよう注意しなければなりません。
まず表面的にすてると決意する次元がるでしょう。
表面的な部分で実際に捨てるという事実の次元があるでしょう。
そうしたら無意識全体のその集積である、、、、、、。実際もう言葉で表すのが野暮な次元でしょう。
569:473
12/07/09 10:00:39.01 gnl/WSsd
>>532
>悟りを表していません。
それはそうです。悟りでないものについて話す事で悟りを示唆しています。
全く同じというのは語弊があるでしょう。
精神の構造に変化があったからこそ、新しい価値観を持つという事もあります。
反面、中身は殆ど変わってないのに価値観だけ変わる場合、瞑想体験により自分を特別だと思いより自分自身に対して無自覚になり、
もとある精神の傾向がより悪化する場合があります。
瞑想体験は成長の副産物なのですが、その副産物に執着すると、むしろ何もしないより悪い結果になる事も多いと聞きます。
体験への執着は自己の特別視であり、正にその分だけ自己への目覚めが減少するのではないでしょうか。
それはOSHOもクリシュナムルティーもグルジェフも警告しているのです。
570:473
12/07/09 10:21:37.73 gnl/WSsd
>>565
は、あなた自身がその理想から自由なのなら、amaのいうそれに疑問を感じるのでしょうかということですね。
要は自由になりきっていないから噛み付いてしまうということがわかってきました。
しかしamaさん自身にとってはまた他人事であり、amaさんにとってはこの指摘は一つの外界からの挑戦でしょう。
それに互いに深刻になってはいけないと思いますが、相手の言説に矛盾を感じた場合聞いてみて
なんらかの目覚めの一瞥となる回答や、互いの価値観の見直しや変革の契機とするのもいいと思います。
精神は放っておけば静まる幻だというなら、
精神によってそれを悟りとして、あるがままとして、無意識として、空として、言葉でいわなくてもそういう思いでそういう体験をする事は、
精神の延命活動であるといえるでしょう。
だから宗教というのは結局、、、。
571:473
12/07/09 10:23:01.18 gnl/WSsd
精神が静まってゆくさまを描写して生き残ろうとする精神。
572:473
12/07/09 10:29:03.49 gnl/WSsd
>>532
預流果で消えるのは、この、たった三つの煩悩だけです。しかも全て見解・邪見・無知に関するもので、欲も怒りも何も消えていませんから、
預流果になっても怒りっぽい性格も欲深な心も、まだほとんど変わっていません。
意識の表層では凄い体験をするときもありますが、目覚めたのはごくわずかな部分ですので、
無意識ではかつての欲望が活動してますし、表層意識も普通に乗っ取られます。
しかし、OSHOはこういいます。
無意識なのだが無意識に気付いている。
無意識なときに自分が何をやってしまっているのか自覚しているという事です。
それゆえに。
>ただし預流者は、どんな悪業をしても、それを隠し通したり、ごまかしたりするウソつきの性格だけは直っています。自分の悪事を正直に告白して懺悔します。
自分の犯した悪を隠し続けたり、隠すためにごまかしたりウソをついたりする、その心のいや~な気分に耐えられないのです。
だが悪いことを考えるし、罪も犯しますが、自覚症状だけはあるようです。
573:473
12/07/09 10:32:20.32 gnl/WSsd
>>532
>預流果で消えるのは、この、たった三つの煩悩だけです。しかも全て見解・邪見・無知に関するもので、欲も怒りも何も消えていませんから、
預流果になっても怒りっぽい性格も欲深な心も、まだほとんど変わっていません。
これも4つの階梯からの引用です。
預流果であるひとはこの部分を読み飛ばして、他の部分だけを自分に当てはめたりしないでしょう。
自分の体験についても、この部分についても訳隔てなく意識するでしょう。
574:オレって名無しかよ!?
12/07/09 10:40:50.96 mWNu124C
>>569
>それはOSHOもクリシュナムルティーもグルジェフも警告しているのです。
473さんの話は、OSHOやリシュナムルティーやグルジェフが全て正しいというのが前提になっていますね。
それはそれで構いませんが、彼がが間違っているとは考えないんですか?
それとも、彼らが全て正しいと言える根拠を持っているのですか?
575:473
12/07/09 10:47:13.36 gnl/WSsd
>>574
彼とは4つの階梯と、OSHO、クリシュナムルティーは正しいんじゃないだろうかという
前提の下で会話しています。
言葉は所詮相対的なツールに過ぎないので、会話にはルールが必要です。
共通のルールで、共通の言語体系でやり取りする事でお互い自身表現できます。
何かしら共通の前提が無いと会話は不可能だと思います。
宗教に共通要素がないなら日常的な要素でもいいですし、なにかしらの共通要素は必要です。
何が正しいという前提が無い同士でしたら、沈黙しあうだけでしょうね。
それに私は、それらの思想に影響されている事を自覚している意識です。
どんな思想とも関係ありませんといえるような意識もあるのですが、無意識であらゆる思想の影響を受けています。
うん。ややこしい。
576:473
12/07/09 10:54:33.32 gnl/WSsd
>>559
「偏執的な正しさ」
そうなのね。自分の心の傷ゆえに、相手の都合をかまわず噛み付く狂犬。
正確に言うと「偏執的な信念の破壊。正しさと間違いという観念の破壊。」を「正しいと思ってる」
あ、やっぱ正しいと思っている。
しかし間違っているというのとも違うし、あなたの信念による表面的な安定を壊してごめんなさい
とあやまるのもなんか最悪のエゴだ。
だから私は狂ってると、他者の安息を破壊していると自覚しよう。
「他の人も無自覚にやってるしね」
だから
「信念の破壊は正しい事ではないんだよ。」
ということを諭せる他の信念はない。
ただ、目覚め、成り行きがあるのみだ。
私は今こうであるし、こうであることを謝っても、誇っても仕方ない。
また別のとき、別のときに私はそのときの今を表現するしかない。
あるがままなのかな。
こういう狂人がここにいる。
577:神も仏も名無しさん
12/07/09 11:16:49.84 DE6cw12x
苦受 楽受 不苦不楽受を元に心が立ち上がる。たいていそれ。
苦は嫌悪になり
楽は渇望になり
不苦不楽は迷妄になる。
あるがままやあるがままにない、どやこやも人間は何でも思い通りにならんのに、
どうにかしようとする、どうにかしようと考えるから言われた言葉。
空とは無いということではない。無常ということ。
手をすべらせてしまったとき、今と分離された自分にハッとする。
今に全霊を注ぐ、いつのまにか今を忘れ思考してる、それに気づく、今に戻る、
この全てが修行。基本は呼吸をみる。
思考を否定してるんじゃない。
思考があるからこそ教えや修行がある。
思考は無常。
何事にも失敗や成功 否定や肯定を作りたがるこの心は無常。修行も無常。
あるがままは無常。生死も無常。
そこかしこに人が生まれ死に植物が生まれ死に動物が死に虫が生まれ細菌が生まれ死ぬ。全てが無常。そこに生死はない。
578:473
12/07/09 11:24:44.68 gnl/WSsd
>>559
561続き。
自分だけのこととして語ってもいいのですが、自分自身のことと、経典で言われる事を組み合わせ、
仮定として人間一般として論じてみましょう。
誰もが自分の夢の中で自分自身と戦っている。
それを他人に当てはめあってる。
各々が完全に個人的な問題なのだ。
そもそも互いが互いの夢に閉じこもり出会い自体がないのだ。
などといいつつ、それを伝えようとする矛盾。
いや、誰かに脱出してもらって、それでという事なのだろうか。
579:神も仏も名無しさん
12/07/09 11:30:28.27 z3M57MGt
amaさんもボロが出てきたなー
生きのびるために死んだフリをするのが上手い人だ
580:オレって名無しかよ!?
12/07/09 17:08:39.56 mWNu124C
>>579
どの辺からボロが出てるのか詳しく教えて?
581:561
12/07/09 17:14:40.92 gnl/WSsd
外向的
それに従うと、人はその価値観そのものになり、また分裂症気質になります。
これらの価値観は人のハートを満足させないため、ハートを満たす別の人格が必要になります。
空虚さを感じる人生ですが、それからの逃避方法はふんだんにあります。
いや、その空虚さが実は相当強いもののようで、だからこそ人はより多くの権力やお金や、
理解しがたい刺激やお酒を過度に求めるのでしょう。
ひと時たりとも自分自身にくつろげない状態です。
そしてその抑圧されたハートからくる感情の苦しみは、あらゆる形で発散され、それを与え合って大きくしてゆきます。
社会の悲惨さも、一人ひとりが価値観の奴隷であり、ハートが苦しんでいて、その苦しみを投げつけあう以上必然かもしれません。
経済的な苦しみを今まで見ていましたが、
外交的な人間は全員地獄にいつつそれを抑圧するために外部に投げていますし、
内向的な人間も別種の地獄におり、なんとか自分の権益を確保しつつ冷笑的になっている。
人間の内面という次元でのこの世の中はおぞましい地獄だ。
だからだろうか。
覚者は経済的な問題を直接扱わず、執拗に人間の心の救済をしようとしていた。
彼らは人々が自覚している経済的な問題より、人々が無自覚な心理的な苦しみのほうが
より差し迫って見えたのかもしれない。
582:473
12/07/09 17:28:34.76 gnl/WSsd
>>580
平凡な精神は世の中の、自分の内の少しの事しか認知しないから、
内部葛藤も世間との葛藤も少ない。
あるがままに幸せに暮らせる。
が、その精神のパターンに目覚める事は難しい。
苦しみが無いとそれから目覚める動機がないから。
良くも悪くもない。悟りへの道のりはここでよく止まる。
その幸せなあるがままの生に飽きるまで。
非凡な精神は、非常に広範に複雑に自己や外界を捉えるから、
内部葛藤も外部との葛藤もある。
あるがままがものすごい苦しみなのだ。
こういった精神は精神を超えるのか精神が死ぬのかしないかぎり苦しむ。
発狂か悟りかのどちらかしかないとOSHOはいう。
各々の道のりがある。
目的地は同じでも、スピードが違うし、コースも違う。
そして後者の人は前者を知ってるが、前者の人はそういった風に自分以外の人間に興味を持たないのでわからない。
583:473
12/07/09 17:29:41.55 gnl/WSsd
>>580 はアンカーミスです。
半分関係あるけど、ない。
584:ノスタルジア
12/07/09 17:46:59.75 SpOI02mh
ウオークインと言われる自分の魂と自分以外の魂の入れ替えは本当に
起こるのか?マインドの現実がこの僕の三次元世界,宇宙なわけであって,
僕が思うにハートの現実というのになれば,マインドの現実は自由意志を持った
ものに変わり,行動は元々自分なので,自分に適した行動をするだろう。
マインドの画面からハートの画面に切り替わるのだ。そのハートの世界は
どの現実を経験するのではなく,とりあえず五次元波動に移行するので,
不安定なフィールド無き,無我の「境地」にとどまるのである。そこから無数の
王国に出入りして遊ぶのだ。それは王国というものしか僕には見えないが,
とても限度無き行をするのだ。
以上 新しいレムリア の自分なりの解釈。
585:オレって名無しかよ!?
12/07/09 17:53:25.52 mWNu124C
>>582
なるほど、俺は平凡な精神と言う訳ですか?
まあ、確かに平凡ですね。
でも、そこまでして悟りを目指す動機が良く分からない。
何のために悟りを目指してるの?
586:神も仏も名無しさん
12/07/09 17:58:14.74 z3M57MGt
>>580
貴方は本当に、書いた誰かがいると思っているのですか
587:悟り子 ◆AAyxyMDKw6
12/07/09 17:58:15.26 DIjvlqBx
>380
>悟りは今は通じにくい概念ですが、時代が進めば一般的なテーマになるのかもしれません
・職場や学校や人の集まり、テレビ、ラジオ等で普通に悟りの話がされる時代とか楽しそうですね
夢の一億総覚者社会
世界は一つ 人類は皆仏陀...とか
588:ノスタルジア
12/07/09 18:08:02.02 SpOI02mh
この地球は動物や植物がいるが,ペガサスやユニコーンや,天馬や不死鳥は
いないだろう。それらは僕は緑の宇宙街では通用しない。聖域として悪魔も
来ないし,天使も来ないし,神も来ないし,仏も来ない。別種の者から離別して
いるのだ。人間の楽園が僕の言う緑の宇宙街なのだ。どこまでも夢見て,
希望を持って,おもしろおかしいのが緑の宇宙街なのだ。もちろん害のない
樹木や建築物はあるかもしれないが,太陽も無く,道路もなく,水もなく
人間という存在はあるが肉はなく,摩訶不思議な領域なのだ。とても楽しい
わくわくするところなのだ。限定性が介入することを極端に嫌う宇宙街なのだ。
創造の禁術,過ちを僕は認めたくない。つまり人間がいないと,この世界,宇宙
が変化が起きないように、創造主にはなれないのだから。人間の未熟さに僕は
共感する。真の悟りっていうのは浄土を作ると言うことでしょう。それは否定
出来ないですよね。必ず真の悟りの一側面としてある。
589:悟り子 ◆AAyxyMDKw6
12/07/09 18:08:14.18 DIjvlqBx
>>382
>現状の我々はもっと身近な事から関心を持ってゆくべきかもしれません
そう、外から帰ったら、うがい手洗い、出かける時にはハンカチとティッシュを持って
使ったものは元の場所に片付けて・・・
590:悟り子 ◆AAyxyMDKw6
12/07/09 18:10:26.29 DIjvlqBx
>>394
>唯心論(ゆいしんろん、英: Spiritualism)とは、人間・社会において
、心、もしくはその働きこそは至上の要因であるとする存在論における立場の一つ。その反対が、唯物論になる
了解しました
591:悟り子 ◆AAyxyMDKw6
12/07/09 18:18:19.92 DIjvlqBx
>>397
>5「あるがまま」の全てが根拠のない妄想だと思う
ありそうですね
例えば「あるがまま」=リラックスした自然体とか、観念とか考える人は、いそうな気がします
592:オレって名無しかよ!?
12/07/09 18:24:05.63 mWNu124C
>>586
>貴方は本当に、書いた誰かがいると思っているのですか
誰も書いていないのに書き込みがそこにある!!
これって何か怖い話?
593:悟り子 ◆AAyxyMDKw6
12/07/09 18:26:35.14 DIjvlqBx
>>397
>6「あるがまま」に囚われるあまり、あるがまま以外のモノを否定する
「あるがまま」=プリミティブライフと考えたりもありそうですね
あと「私はあるがままの境地を会得した」
等と言う人がいても悟り子は驚きませんとも
594:悟り子 ◆AAyxyMDKw6
12/07/09 18:32:55.52 DIjvlqBx
>>397
7「あるがまま」を全てに結びつける
これも根っこに「あるがまま」と「あるがままで無い」がありそうです
そして人がそのような観念を通して全てを見ることも「あるがまま」なのですね
595:神も仏も名無しさん
12/07/09 18:42:17.94 P+/wLuAz
欲求、依存、執着の元を確認しました
意識の確認と同時に胸の中央ど真ん中において球状の気泡を確認
この気泡が希望、愛情、苦しみ等に変化するものと思われます
気泡でありますが、なんらかの微粒な物質かもしれません
尚、消滅方法は不明
596:神も仏も名無しさん
12/07/09 18:57:57.06 P+/wLuAz
何もないところから風船のように膨らむイメージ
大きさは意識の上ではパチンコ玉程度と思われます
それにより意識が変化することも確認
麻薬的作用があるものと見られます
597:Ope
12/07/09 19:15:39.41 qWq3wfQl
>>554
> 悟りそのものが幻想である、なんてのはどうでしょう?
じゃ、何が幻想でないの?
>>569
> それはOSHOもクリシュナムルティーもグルジェフも警告しているのです。
473は盲信しすぎだとは思わないのか?
その蓄えた知識を全て捨てない限り
いや、何の役にもたたないことをわからない限り
その永久ループからは抜けられん
598:Ope
12/07/09 19:23:44.42 qWq3wfQl
>>592
> これって何か怖い話?
記憶喪失ってことだろ
>>593
> あと「私はあるがままの境地を会得した」
> 等と言う人がいても悟り子は驚きませんとも
驚かないけれど
また変な人がでて来た
と思ってしまう
599:オレって名無しかよ!?
12/07/09 19:26:19.89 mWNu124C
>>597
>じゃ、何が幻想でないの?
今日の夕飯の肉じゃがとか・・・・・
600:Ope
12/07/09 19:27:13.17 qWq3wfQl
今週のオレすごい
スレ主でもないのに、結構、スレ読んだし
・・・半分、・・・いや3ぶんの1は読んだ
601:Ope
12/07/09 19:28:14.64 qWq3wfQl
>>599
> 今日の夕飯の肉じゃがとか・・・・・
感覚器官の投影が全てなの?
602:オレって名無しかよ!?
12/07/09 19:42:28.17 mWNu124C
>>601
マジレスすると、幻想かそうでないかってどこで見分けてる?
俺は良く分からないから、そのままにしてる。
603:神も仏も名無しさん
12/07/09 19:44:52.42 P+/wLuAz
473は気泡(欲)を生成、消化しまくっており欲の権化と化してます
悟り(欲を作らない)とは全く逆方向に進んでいます
妄想は全て泡による作用と思われます
604:473
12/07/09 20:30:15.80 gnl/WSsd
>>amaさん
>>580
既存の精神が
平時の内部葛藤を避け、
自分自身を変革しようという不可能な試みの夜葛藤を避け、
また一つの執着の苦しみそのものと対峙する事による苦しみと、精神活動の消滅の機会を避ける。
amaさんのいう悟りはそんなものとして提示されていますね。
彼の言う執着と闘わないということは上記を示しているように見えます。
本当に執着と闘わなければ、より苦しむでしょう。執着の全貌と直面するでしょう。
全貌と直面すればそれは留まる事ができず消滅に向かうでしょう。
しかし、ここで執着に苦しまないのだと、既存の精神が経験する事により、
既存の精神はそれを自分自身で変えようとする苦しみから逃れる事になりますが、
既存の精神、執着が背伸びせず自己肯定するという状態であり、単に現状が維持されます。
別にこれ自体特に悪い事だと思いません。
瞑想してゆき、あるところでその歩みを止め精神に支配権を渡せばこうなるだけで、特に非難の対象とも思えません。
だが、これをもって「いわゆる悟り」というのはどうしたって無理がありますね。
明らかに異なる概念である悟りなんて言葉使わなければいいのに良く考えもせず当てはめてるあたり馬鹿だなあと思うし、
紛らわしいなあと思うのです。
どれだけいっても悟りという言葉を使うのはおかしいという部分にだけはレスもないので、自覚したくもなければ変える気もないのでしょうか。
瞑想のある段階を示している事に間違いはないのですけど。
605:473
12/07/09 20:37:34.77 gnl/WSsd
>>オレムさん。
いろいろニュアンスを込めている表現なのですよ。
何故悟るか。悟りを目指す理由はありません。
そうでないと苦しくて仕方が無いと自覚すればそうなるしかないというだけの話です。
凡庸な精神は、あまり苦しむ構造事態がないので、苦しみをあまり感じない境地に早々とたどり着き、
それ以上進まない事が多いです。苦しくないのにどうして自らを焼き尽くす事を選ぶでしょう。
そしてオレムさん。
おそらくあなたはどちらかというと非凡な精神たる潜在性があります。
でもまだ気が狂うほどその視野が広がっていないのだと思います。
それに非凡でも平凡でも瞑想、自己の精神の全体像の自覚が広がってゆかない事には
苦しみとは部分的にしか出会えず、気が狂うほどの苦しみに出会う事もできないでしょう。
>>603
自分が作っているものなら自分でなくせるでしょう。
もしあなたがそれを成功させたらご指導ください。
606:473
12/07/09 20:39:48.70 gnl/WSsd
苦しみからの解放を探求するのでなく、憧れの元自分を投げ捨てるという方向性もあるようですよ。
苦しみからの解放を目指すのが悟りの動機で、悟りを得ようとするのは単に世俗的な欲望です。
これは悟りとは言わないで、愛というのでしょうけど。
607:§
12/07/09 20:41:27.71 D6eLITJk
>>601
>感覚器官の投影が全てなの?
どうやら、投影が知覚を作り出すようです。
(受け売り半分、実感半分ですが)
608:473
12/07/09 20:56:24.96 gnl/WSsd
>>amaさん
604続き
瞑想のある段階を示している事に間違いはないのですけど。
というように提示すれば害もないですが、amaさんはそのように生き続ける事を「悟り」といってしまいますからね。
確実に既存の執着の延命を謳っているのであり、反仏教、反悟り、反光明の主張そのものなんですよ。
ほっておけば消えるかもしれないものなのに、あるがままになったりそれになったりしたら、
それに抵抗する苦しみは消えても、
元の執着による苦しみのほうは消えない。
609:Ope
12/07/09 21:52:42.10 9CZT7pmE
>>602
> マジレスすると、幻想かそうでないかってどこで見分けてる?
> 俺は良く分からないから、そのままにしてる。
意味がわからん
見分けるも何も
幻覚は幻覚
妄想は妄想
現実は現実
間違い様があるか
610:神も仏も名無しさん
12/07/09 21:54:38.56 P+/wLuAz
推測ですが既に餓鬼道に入ってませんか?
苦しみ→アドレナリンのような物質?→苦しみ→アドレナリン…
のような輪廻(繰り返し)かもしれません
このまま死ねば数万年?数兆年?の餓鬼地獄かもしれません
まだ生があるので間に合います
悔い改めて逆方向に向くのです
虚心坦懐の方向へ向くのです
悟りは欲を消滅、生成もさせないことにより起こる
身体の覚醒作用です。逆方向の幻影作用ではありません
611:神も仏も名無しさん
12/07/09 21:57:56.87 P+/wLuAz
>>605
とりあえず快楽を得ることで消滅はします
次に生成させないことが重要です
輪廻は避けねばなりません
612:Ope
12/07/09 22:00:43.89 9CZT7pmE
>>607
> >>601
> >感覚器官の投影が全てなの?
> どうやら、投影が知覚を作り出すようです。
思考や感情や感覚の
投影を知覚している といったほうがいいけど
613:オレって名無しかよ!?
12/07/09 22:03:03.61 mWNu124C
>>609
夢の中で、夢と気付かなければ それは現実
夢と気付けば それは夢
夢と現実を見分ける方法なんてあるのか? って話ですよ。
>幻覚は幻覚
>妄想は妄想
>現実は現実
>間違い様があるか
Opeは幻覚、妄想、現実の意味を知っているけど実際に見たことないのかな?
614:Ope
12/07/09 22:07:29.67 9CZT7pmE
>>602
> マジレスすると、幻想かそうでないかってどこで見分けてる?
ちなみに
>>600は幻想
615:Ope
12/07/09 22:16:31.14 9CZT7pmE
>>605
> そうでないと苦しくて仕方が無いと自覚すればそうなるしかないというだけの話です。
どうして、その1本満ちしかないと思い込んでいるの?
> 苦しくないのにどうして自らを焼き尽くす事を選ぶでしょう。
どうして、それしかないと思い込んでいるの?
> 気が狂うほどの苦しみに出会う事もできないでしょう。
どうしてそう思い込んでいるの?
悟りとは苦しみの代償か?
仏とはサディストか?
616:神も仏も名無しさん
12/07/09 22:30:54.44 P+/wLuAz
欲望とか願望により苦しみが生起します。苦を繰り返し(輪廻)と捉えても
さしつかえありません。
欲を減らしていく作業においては禁断症状以外の苦しみはありません。
欲を減らせば減らすほど静寂を得て心は平穏になります。
代償として快楽は放棄しなければなりません。
快楽と苦は相対線上にあります。
617:ニカサ・アア ◆UNegKIvARw
12/07/09 22:36:56.20 iGQJOKWi
>>537
水面にあたるものは実相と呼ばれます。
それは見えるままに認めてよいのです。
それが実体でないことを了解しつつ、なおかつ、そのままに。
水面という見え方は否定しなくていいのです。
あなたという水面も私という水面も、それはそれでいるのですから、
実体でないことを了解しつつ、認めてあげてください。
実体がないこと(空相)も真実ですが、見えるまま(実相)もまた真実
なのです。経典ではこれを、
色不異空 空不異色 色即是空 空即是色
と表しています。この中でも色即是空は人気がありますね。
618:ニカサ・アア ◆UNegKIvARw
12/07/09 23:17:21.44 iGQJOKWi
>>572-573
> 預流果で消えるのは、この、たった三つの煩悩だけです。
その通りです。
私の状態とぴったりです。その三つだけ消えて、貪恚痴もそのまま残っています。
現実の生活や意識で三つ以外の煩悩が、残りまくりなのは全く否定しません。
なので、四沙門果はいまの私にとってはぴったり来るガイドラインなのです。
> その心のいや~な気分に耐えられないのです
ここもそうですね。戒というわけではなく、傾向としてそのようになりますが、
その傾向もまた無常です。
また、次の一来果の解説を読んでも、「あぁ、そのあたりが弱まるだろうなぁ」という
気になります。二度目の無我にはまだ至っていませんが、我が弱まるのを感じることは
あります。そんなときは貪恚痴の三つが弱まるのを感じるので、次の果ではたぶんそう
なるだろうという感覚があります。
この感覚がもっと実感できるようになると一来果向になるのでしょうね。
619:神も仏も名無しさん
12/07/10 00:14:37.37 zYa6Egax
>>617
お答えありがとうございました
620:ろん
12/07/10 00:49:17.40 Af0LhJ/P
>>615
>どうしてそう思い込んでいるの?
単に凡庸な奴が悟ってるわけない、悟れるわけないと、他を否定したいだけなんですよ。。
他を否定したいという妄執、インドのオショーとクリシュナムルティ以外悟ってるわけない、
そんなことは許せん、あってはならないという、彼の言う凶暴な無意識が、意識をしてそう思わせずにいられないのでしょう。。ww
自分が崇拝する光明を得た偉大なるマスターたち、それ以外は落とし穴にはまってるだけで、悟ってるわけないんです。。
彼の世界ではそうでなければならないんです。。
すべて自分の盲信するマスターたちの言葉、思想を通してしか見れないから、すべてを歪んでみているんです。。
で、偉大なるマスターたちの教えを学んだ自分が一番偉いんですよ。。ww
そういうわかりやすい、盲信、妄想の構造を持っていると思います。。
宗教家を盲信しているものが、どういった思考パターンに陥るか、典型的なサンプルだと思います。。
621:ろん
12/07/10 01:05:13.04 Af0LhJ/P
>>605
>自己の精神の全体像の自覚
おまえの場合、コレ>>620ね。。
それで2ちゃんねる命で、もっともらしいこと言って、何の中身もない。。
全部間違っているというオチ。。
そもそも、自分が悟ってないのに、悟りわかってないのに、どうしてラジニシやジッドゥが悟っているとわかるのか?
たぶん、文章に酔ってしまって、偉大なマスターに違いない、と思い込んでいるだけなのだろう。。
622:ろん
12/07/10 01:13:42.28 Af0LhJ/P
聞いた話だが、ラジニーシが死んだとき、ガネーシャが空から迎えに来たという。。
霊感のある人の話らしいけど、まあ、あり得んことはないなーと思う。。
彼は、大学の講師とかやってて頭がいいから、本を読んで理解していたことを言っていただけなのだろう。。
その頃は、禅の祖録の英訳も出始めたころだからね。。
あと、彼はクンダリーニも上がっていたとは思う。。
だけど、クンダリーニ上がるだけでは、誰も悟れんからねー。。
ただエネルギーが活性化するだけの話だから。。
クリシュナムルティは、大悟はしとらんよ、たぶん。。
彼が言ってるのは、スピリチュアリティを向上させるにはどうすればいいかみたいな話。。
静寂に至るにはどうするかとか、なんつーかそれ自体、ミスリーディングな話だ。。
俗人、俗な生活を脱して、どうやって沈黙に達するかとか、まあどーてことないお説教。。
スピリチュアルな人が喜びそうなお話と、格調の高い文章であるってだけ。。ww
623:473
12/07/10 01:14:56.60 IFH1mJfF
特に正しい宗教というものがあるわけではありません。
事実に留意させ、真実にに目覚めさせるように使われるか。
欲し、夢見させ、自分の事実を抑圧するために使ってしまうか。
どのような働きがあるかは出会った人次第です。
事実に留意させ、真実に目覚めさせる働きが起きたのなら、もうその人にとって
悟りも、光明も、無も、空も自らを束縛する言葉に過ぎないかもしれません。
一つの仕掛けはその役目を終えたなら手放されなければならない。
そしていつしか仕掛けというそのものも。
624:安藤
12/07/10 01:20:32.78 VJ9wb3S2
羅寺西や栗栖南無流体は悟ってないのか・・・。
それ以前に他人が悟ってるか悟ってないかって
わかるものではないのだよなあ・・・・。
625:473
12/07/10 01:20:51.35 IFH1mJfF
>>618
というわけで、4つの階梯があなたの留意と目覚めの方向に働きますように。
>>615
自分の執着の全て、無意識の全てを、それ同士対立させず全て明るみにする際に
もともとある苦しみがまとめて意識されてゆきます。
もし、それがないというのでしたら、おめでとう。
あなたは表層意識が静まったただけで真実への障壁はありません。
626:ろん
12/07/10 01:21:14.99 Af0LhJ/P
クリシュナムルティでもラジニーシでも、大半は心理学の話しかしとらん。。
依存や逃避をどうやって、抜け出すかなんて、どうでもいい話。。ww
その結果、どうやって自分を変えるか、変革を起こすかなどと言う、誤った観念を信者に植え付けてしまう。。
ラジニーシもあるがままと言ったけれど、自分があると思ってる人のあるがままだから、
全体が間違った話にしかならない。。
Kでもラジニシでも、自分がある、が前提。。
ある自分をどうやって無くすかと言う、間違いの上に間違いを重ねた、嘘八百のスピリチュアル講和を垂れ流す。。
あり得ん話だよ、全て彼らの言ってることは間違っている。。
そのままではよくないし、自分がある、あるがままとあるがままでない状態がある。。
信者たちはみんな迷っているから、私の話を聞いて、自分を変えなければならない。。
要は新興宗教の教祖たちと一緒です、オウムと全く一緒。。ww
627:神も仏も名無しさん
12/07/10 01:21:30.12 Lj0EBcPF
>>590
悟り子さんの言わんとしてることは分かるんです。
A=Bだろうが、B=Aだろうが同じことだっていうのは。
でも、私はそうでなく、唯物論や唯心論はA=AもしくはB=Bって言ってるように思うわけです。
なぜなら、唯物論は心を環境や肉体の中の物質しかみないし、唯心論は表層しか見ない。
中間にある生命に意識を向ければ、両極にあるものを世界の中に組み入れることができるのに。そう思うわけです。
物質、生命、心が具体的にどのように相互連関しているか、について詳しいことは説明出来ないけれど。。。
ただ遠い将来、宗教とは違う文脈で人は生命の学を打ち立てると思う。
628:オレって名無しかよ!?
12/07/10 01:26:32.50 y+mush4w
>>627
生命とは何か? って問いの答えが見つからないと始まらない話ですね。
629:ろん
12/07/10 01:29:08.27 Af0LhJ/P
>>623
宗教なんてあってはならないし、事実なんてものもない。。
ただ法があるだけ、あるものが、あるようにあるだけ。。
他に付け加えることがあってはならない。。
おまえは嘘八百の説法を信じ込んでいる、何の根拠もなしにね。。
>>614のように、事実があるというのは妄想ね。。
事実も無くなった人を、無事の人と言う。。
無事是貴人というやつだ。。
630:神も仏も名無しさん
12/07/10 01:31:10.43 Lj0EBcPF
>>628
>生命とは何か? って問いの答えが見つからないと始まらない話ですね。
はい。
植物にあって、鉱物にないもの。
睡眠中の人にあって、死体にないもの。
当たり前すぎて、気づけないけど、意識を向けるとよく分かる。
物質、心とは異なる人や生き物の構成要素です。
631:ろん
12/07/10 01:32:09.44 Af0LhJ/P
事実もないとは、Kとかラジニシが夢にも思わなかったこと。。
日本の禅師たちは、ラジニシの写真見ただけで、こりゃダメだと思ったという。。
本の中身読むまでもないの。。w
あとは、まともな洞察力ありゃ―、Kでもラジニシでも、こんなんいくら読んだって、何にもならん、なんの力もないとわかる。。
ようは、いいはなし、よさげな話してるだけに過ぎんから。。
632:473
12/07/10 01:43:42.01 IFH1mJfF
>事実もないとは、Kとかラジニシが夢にも思わなかったこと。
そりゃそうだ。それを思ったら、自分はそれを思っているという事実になってしまうから。
それは思いがないということでしょう。
それは言語化しないという方便もあれば、言語化するという方便もある。
方便として働けば嘘をついていい。いや、嘘でしか真実は伝えられないから方便という。
633:オレって名無しかよ!?
12/07/10 01:46:20.78 y+mush4w
>>630
あなたを、あなたにしてるのは生命? それとも他の何か?
634:ろん
12/07/10 01:46:34.75 Af0LhJ/P
実際としては、迷悟はある。。
しかし、理として、迷悟、善悪、混乱と静寂など、二元相対を説いているものは全部ダメだ。。
法と言うものがわかってないということだから。。
法がない=ただの人間性向上、宗教、スピリチュアル、ありがたいお説教と言うだけ。。
根本が何もわかってないの。。
根本は法、現象の、存在の本質、法則、これがわかれば、人間もないし、迷悟も善悪もない。。
二元相対を説くものは、全部偽であり、誤っている。。
それはそれら二つを分かつ、人間の主観の中にしか存在しないから、錯覚の中にしかありえないから。。
635:ろん
12/07/10 01:48:52.33 Af0LhJ/P
>>632
ぜんぜん違う。。
636:473
12/07/10 01:49:53.31 IFH1mJfF
ダルマ、僧燦、慧能、馬祖、臨済
彼らに比べ日本の現代禅のいかに貧弱な事か。
形だけで中身は死んでしまっているように見える。
彼らに並ぶ禅師が日本にいたらやる事は一つ。
今信じられている禅の形態を破壊し、
人に自分の実際の心の動きという事実に目覚めさせ、また真実へ跳躍する目覚めを喚起するような、
新しい大嘘、方便を作り出す事だろう。
古いものには人は執着してしまい、その働きは失われる。
どんな教えであろうと、使い方次第。
そして捨てるという事までが教え。
637:473
12/07/10 01:51:27.33 IFH1mJfF
それは思いがないということでしょう。
ことというより状態でしょうか。
言葉を超えているものについては語らない。
そこにたどり着くような嘘をつく。
そうした祖師も多い。
638:ろん
12/07/10 01:51:47.80 Af0LhJ/P
事実がない、は473にはわからん。。
639:神も仏も名無しさん
12/07/10 01:51:48.97 Lj0EBcPF
>>633
>あなたを、あなたにしてるのは生命? それとも他の何か?
他の何かです。
水面の話が前出でありましたが、
私を私にしているのは水面です。
波が立って水柱が出来ます。
それが自分である、という幻想です。
自分である、という幻想を持てるのは水面の圧倒的な実存が下地にあるからだと考えています。
生命は水柱を形づくる作用、と形容できるかもしれません。
640:473
12/07/10 01:54:05.13 IFH1mJfF
わかりたくありませんw
それはわかるのではなく、そういう状態ですから。
事実があると思っている状態、事実が無いという状態。
それはわかることではない。
641:ろん
12/07/10 01:55:05.59 Af0LhJ/P
>>636
>人に自分の実際の心の動きという事実に目覚めさせ、また真実へ跳躍する目覚めを喚起するような、
新しい大嘘、方便を作り出す事だろう。
ダルマ、僧燦、慧能、馬祖、臨済をのどこをどう読んだら、上記のような妄想が出てくるのだろう。。
バカは何を読んでもわからないだろう。。
で、どこにそんなことが書いてあるんだ?
642:ろん
12/07/10 01:56:25.14 Af0LhJ/P
ははーわかった、473はオショー講和とか、そういうインチキでしか、上記の祖録を読んだことがないのだろう。。
あるいは、読んでも何にもわからなかったかどちらかだな。。
643:オレって名無しかよ!?
12/07/10 02:00:02.10 y+mush4w
>>639
おもしろい話だね。
最後に、生命と水面はどう関連してると思う?
644:神も仏も名無しさん
12/07/10 02:02:12.99 aSTaUjRI
Hyoumentyouryoku
645:ろん
12/07/10 02:02:18.11 Af0LhJ/P
>>636
どうして、「彼らに並ぶものがいない」とか、自分だけの偉大で時う別な存在を妄想するのか。。
まったく目立たないし、説教なんぞしないけど、まったく仏そのものの、禅僧というは、そこらにいるものだよ。。
会ったことないのだろうか?
会ったことのない妄想の、偉大な禅師たちが好きなのだろう。。
スーパーマンとか、ウルトラマンに憧れる幼稚園児みたいなもんだ。。
誰かがすごい、と思うことは、それを知っている自分がすごい、と言ってるのと同じだから。。
岩波の『無門関』、現代語訳付き、これすらまともに読んだことないのだろう。。
偉大な禅師たちと、そうではない凡庸な今の禅と・・そういう比較相対でしかものを見られない・・もはやこの勘違い野郎は、何を言っても無駄なのだろう。。
646:473
12/07/10 02:05:42.86 IFH1mJfF
言葉という時点で嘘さ。 by 老子
647:神も仏も名無しさん
12/07/10 02:05:53.55 Lj0EBcPF
>>643
水柱を「形作る」作用です。
この、私である夢を可能にするためには、
肉体と生命が必要だと思います。
その条件があって、始めて私と心が生じます。
なので、機械に心を持たせることは今のところ出来ないと思います。生命がかけてるからです。
同様に、心のある物質も見つかりません。
648:ろん
12/07/10 02:07:10.01 Af0LhJ/P
人がいる、すら間違いなのに、光明を得た偉大で特別な人たちと、そうでない凡庸で俗な人たちがいて、という、この妄想はどうやっても拭い去れないらしいな。。
そういうやつには仏教も瞑想も禅も無理だ。。
要は特別な存在になりたい、という、妄想から抜けられないのだから。。
649:ろん
12/07/10 02:09:23.15 Af0LhJ/P
特別な人はどこにもいません、お釈迦様ですら、と言っても信じられんのだろうな、473には。。
三法印から、まずはお勉強するといい。。
わかったら、特別な存在と言う妄想は消えるだろうけど・・まあ無理だろうな。。
650:473
12/07/10 02:10:25.19 IFH1mJfF
いや、あなたのスタイルにお付き合いしただけだが。
こういう自分の言動を覚えていない事を無意識という。
>>645
>どうして、「彼らに並ぶものがいない」とか、自分だけの偉大で時う別な存在を妄想するのか。
という人が
>日本の禅師たちは、ラジニシの写真見ただけで、こりゃダメだと思ったという。。
本の中身読むまでもないの。。w
あとは、まともな洞察力ありゃ―、Kでもラジニシでも、こんなんいくら読んだって、何にもならん、なんの力もないとわかる。
そうそう、ちなみに、基本的に単行本で原文は愛読していました。
651:473
12/07/10 02:11:21.39 IFH1mJfF
わかったら、特別な存在と言う妄想は消えるだろうけど・・まあ無理だろうな
絶対に無理です。
あなたが私にそれがあると夢見てるものだから。
652:473
12/07/10 02:15:24.32 IFH1mJfF
むしろ、今の伝統を失った人が特別な人ですね。
自分のことを特別だと思うことこそ平凡というものです。
勉強する事で人は特別になり、それを忘れる事で自然に戻る。
特別でない人が昔の禅師。
653:ろん
12/07/10 02:15:37.47 Af0LhJ/P
>>651
仏に会ったことがない、と言うのは不幸だね。。
僕の近所にはそういう人がいたから、幼い時から会っていたんだよ。。
ただニコニコして、何の変哲もない、禅宗の庵主様だったけれど、あとになってあの人は仏だったとわかった。。
もっともらしいこと言う偽物に騙されて、一生を台無しにする、まあ知ったこっちゃないけどな。。
654:ろん
12/07/10 02:19:03.20 Af0LhJ/P
他にも何人かいるけど、ラジニシみたいなカリスマ風吹かす、のとは真逆の人よ、みんな。。
禅宗以外でもいる・・仏教がどうの、悟りがどうのなんて一切言わんの。。
聞けば、教えてくれることもあるけどね。。
655:473
12/07/10 02:35:19.59 IFH1mJfF
仏教がどうの、悟りがどうのなんて一切言わんの。
当然それが身についていれば、それを言う人を執拗に、誰もいないのに架空の誰かを指して日常的に批判したりはしないでしょう。
であれば、あなたも悟りを言わず、それを言う人も批判せず。
それを実行したうえで、時々654のような事を言えば自己欺瞞にはまらないのですけどね。
臨在は、特別な姿を出して、相手がそれにうっとりしてしまったらそれを取り上げる。
特別な姿を出しても相手にしないような修行者はめったにいないなんていっていました。
方便としてどのような姿も出しえるでしょう。
彼らはその中核が特別でなく、特徴もない。
けど、アルハトでなくボーティサットヴァは特別なふりをする事が多いみたいです。
それは彼らが働きかけた相手次第でしょう。
656:ろん
12/07/10 02:40:39.55 Af0LhJ/P
>>655
だから、臨在なんて、あなたにはわからんよ。。
どうしてわかってないないのに、わかったつもりになれるのか?
そこらへん、もう求道者としての資質が全くない。。
わかってないのに、何でもわかったつもりになれる、妄想の人。。
どうして知らないことについて、沈黙できないのだろうか?
そんなんでここの人は誰もダマくらかせないぜ。。
ホントに恥ずかしくないんだろうか?
657:ろん
12/07/10 02:43:19.57 Af0LhJ/P
臨済の間違い・・つられた。。
658:神も仏も名無しさん
12/07/10 03:20:52.93 zYa6Egax
>>631
写真見ただけで、こりゃダメだと判断とかどうなんだろう。。。要するに見た目でしょ?
あなたは外見だけで本なり論文なりを読むまでもないっていわれたらどう思います?
659:473
12/07/10 03:33:37.38 IFH1mJfF
>どうしてわかってないないのに、わかったつもりになれるのか?
まず、ろんによる、ろんのわかっているということを473はわかっていない。それは事実でしょう。
そういった個人的な主観を共有する事に意味があるとは思えません。
そういったものは重荷でしかないので重荷を背負っていないという事はいい事かもしれません。
わかるという事はそもそも自我による誤解の作用であり、どうあるか。
だから、私は自分自身のありざまを説明する事と、いかに物事がわからないかという謎賭けのためにしか言葉は使いません。
理解とは自分がそうでないものを捉えようとする自我の詐術に過ぎませんから。
また、会話は言葉を使わざるを得ません。
空もOSHOも同じく言葉に過ぎず、また全ての体系は仮のものに過ぎません。
仮のものを愛そうと、また敵視しようとそれはあまり変わりません。
仮のものを真に受ける人のおかしさは。
660:ろん
12/07/10 04:34:05.59 Af0LhJ/P
じゃ、問題出そうか?
お釈迦様は、何にも悟ってない、これはどういうことだろうか?
473の好きな、方便だぞ、、
661:ろん
12/07/10 04:36:19.30 Af0LhJ/P
ま、公案とは要するに、何でも本読んだだけで言葉覚えただけでわかった気になる、473みたいな敬神慢心バカを黙らせるためなんだろうな。。w
一つでも参じてみればいい。。
662:ろん
12/07/10 04:37:29.32 Af0LhJ/P
軽心慢心バカの間違い。。
まーおれも多かれ少なかれそうかもだが。。w
663:ろん
12/07/10 04:46:19.78 Af0LhJ/P
もう一つ、簡単な奴。。
セッキョウと言う弓の名人がいて、あるとき六祖に出会った。。
六祖:おまえは弓の名人と聞くが、一つの矢で何頭の鹿を射止めることができる?
セッキョウ:名人とは言っても、一つの矢では一つの鹿しか射止めることはできません。
六祖:一度に一頭の鹿しか射止めることしかできないなら、名人とは言えん。鹿野群れごと射止めることが出来なくてどうする?
(僕の記憶によるので、細かいところは違うかもだけど、だいたいこんな話)
さて、どういうことでしょうか?
664:ろん
12/07/10 04:51:59.51 Af0LhJ/P
こう言われた、セッキョウは、即座に大悟したそうだ。。
665:ama ◆BmUbLWewsM
12/07/10 07:43:02.05 AMoLqiAY
>>567
> >執着が減るのですか?
> え?減らないのですか。
分かりませんが、減らせる必要を感じないもので・・・。
> 減らなくてもいいのですが、それが無いと見出すのが仏教の悟りなので、何で悟りという単語使うのかな。
> 減らなくても悟りというなら、仏教否定かもしれず、それは面白いです。
般若心経には「不生不滅」とありますが、
解釈がいろいろあるのでしょうか?
666:ama ◆BmUbLWewsM
12/07/10 07:45:33.54 AMoLqiAY
>>570
> >>565
> は、あなた自身がその理想から自由なのなら、amaのいうそれに疑問を感じるのでしょうかということですね。
悟りに求めていらっしゃるものがありますよね。
悟るとこうなるはず、というのがおありだと思います。
でも、ひょっとすると悟ってもどうにもならないかもしれません。
その場合は、悟りとは別のものを求めて生きてゆかれるのかもしれません。
667:素人A
12/07/10 08:44:58.09 7Q4Z58fr
飯食わんでも全然生きられるとしたら、何で飯食わないと遺憾のかとおもう。
でも煩悩があり楽しけりゃ食うのは当たり前。空は至難の業だけど食う楽しみや
色々楽しい無駄な事?無駄じゃ無い、楽しい後は苦しい着ても空だけは死なん自由だ。
我々は苦しいと文句でて、楽しいと文句少ない、空たちばなし、さあとりあえずはまあよい天気。
暇だつまらん、色色な立場から妄想する立ち話、とにかく今はいい眺めだ。誇大妄想だ←いててて
ぽつ師匠空教わった。色即是空は即空即是色と返す。孝子師匠も言った空の色は皆も同じ色と
見ているのだろうかと。そろそろ仕事頭に切り替えないとでもどうせ暇、金儲け作戦に頭使え、
あそうだ今日は将棋王位戦が熱とあるそこえ行かん。
668:オレって名無しかよ!?
12/07/10 09:14:36.51 y+mush4w
>>658
お恥ずかしい話、俺も初めてサイババ見た時は「こりゃダメだ」って思っちゃったよ。
だって、アフロなんだもん。
669:473
12/07/10 09:21:18.23 IFH1mJfF
>>666
>般若心経には「不生不滅」とありますが
執着は生まれた事もないので消える事もない。
といってるのでしょうか。
非論理的な表現なので突っ込んでも仕方ないかもしれません。
どちらにせよ執着が保持された状態の事では無さそうです。
これを持ち出してどうしてamaさんの解釈と同じだと思ったのですか。
>悟るとこうなるはず。
それは各々自身の変革の願望のことですね。
それに悟りと名をつけてるからそうなるので、それに無自覚だと会話において互いに混乱してしまいます。
そうでなはく行き違いをなくしたり、相手を混乱させたくないならこの状態を悟りと名づける。
悟りというのは言葉に過ぎないので、言葉の本来の用法はこんなところじゃないでしょうか。
悟りを求めているのなら、それは精神による探求なので精神はどうにもなりません。
精神に何か変化があったときに、それを悟りとただ名づけるのならそれほど弊害はありません。
が、精神によって名づけたとたん精神の消滅か変化かそういうものが止まっちゃうんですよね。
名づけるという精神の働きとどうかせずに名づけられるところにいるまで名づける事も求める事と同じく
停滞をもたらすので探求ではない。
>分かりませんが、減らせる必要を感じないもので・・・。
いいんですよ。582でそう言ってます。
しかし、あなたのその状態を悟りと名づけるのはちょっと目に付くかなと。それだけです。
普通それを悟りと名づけないので、周りの人を混乱させたいのならどーぞ。
限定された意味での悟りならともかく単品で使うと「不生不滅」を連想します。
670:473
12/07/10 09:27:53.42 IFH1mJfF
さて、どういうことでしょうか?
すでにどうこう思っている人がそれを自覚して、それを捨て去るという事ですから。
私がどういう状態にあるかによって、私が何に目覚めるかは過去の例と変わるわけです。
どういうこと、というのは既存の精神、自我による解釈です。
既に問いかけが方便ではない。
どういうことか、こういうこと。というのは自我を太らせる。
どのような自分の無知が明らかになったか。方便はそのように使われます。
その方便は一見私と何の関係もないことのようだが、
自分の他者への攻撃意識というものを自覚させる。
目標一人と戦っているうちはなんてことの無いように見えるが、
それを世界全体に向かって放っているのが良いかといわれると、
悪いとは思わぬが、はたとなる。
671:473
12/07/10 09:35:54.61 IFH1mJfF
>悟りとは別のものを求めて
なんだろうな。
つまりamaさんは悟りを求めているのですね。
ある次元ではものすごい失言なのですが、それが本心でしたらそれはそれでいいのかもしれません。
悟りは求める対象ではなく、求める事からの自由を暗示する言葉だったりします。
672:神も仏も名無しさん
12/07/10 09:37:45.60 bhHZInUS
地涌きの菩薩みたいに地面から出現できますか?
空中に浮かぶ多宝塔を呼び出せますか?
673:473
12/07/10 09:46:45.11 IFH1mJfF
>お釈迦様は、何にも悟ってない、これはどういうことだろうか?
どういうことでもなく、ただそういうありようなんでしょう。
どういうことという次元ではないでしょう。
何も求めないというありように名前をつける必然性は無いですね。
名前をつけない。概念化しない。
しかし名前をつけないということではない。概念化しないということではない。
674:473
12/07/10 09:50:10.97 IFH1mJfF
>>669 671
amaさん宛です。
>>672
私はできません。
そういうイマ経にあるような描写において、人の常識を揺さぶる効果があるなら多分製作者の意図通りでしょう。
頂上の力を夢見させてしまうなら、本当のことでも言わないほうがいいかも。
675:神も仏も名無しさん
12/07/10 10:31:43.27 7EkFJ2EJ
他力とは簡単な言葉をほんによく思いついたなあ。
あるがままを全てに結び付けると上にあるがそれは言葉だけだのう。
あるがままとは人はどうにかしたくてマネージメントしだし、
コントローし出してどつにもならんから苦を生むことへの言葉だのう。
他力とは実に簡潔にいったものだ。
拈華微笑のこと。
お釈迦様は善悪など本当はないと言った者を戒めた。
確かにそうなのだが
そうすると平気で人を殺したり悪いことをしだす人間が現れるからそういうことは言ってはならないと。
二元的になってる訳ではないんだよ。
人が無常を知らず立ち向かい苦を生む。
これもあるがまま。分かっているが敢えてあるがままに。
他力だと言ってるんだね~。
676:神も仏も名無しさん
12/07/10 10:44:43.62 t7boNmBW
「私は悟りました」
「私は悟っています」・・・・・・通常、このような言動に接したとき
この「悟り」という語彙が指示する意味は、いわゆる「宗教的意味合いにおける」
「悟り」であると解するわな。 ここは特に宗教板なわけだからww
では、上記の 「私は悟っています」 を仏教的に解すると
→「執着を脱し、煩悩を吹き消し、あらゆる苦を滅した状態・・・・」
→「心が鎮まり、迷妄を脱し、縁起を完全に了解している状態・・・」
などと言われるわけだw
ところが、「とるに足らない、ほんのちょっとした気づき」を勝手に「悟り」
と定義したり、 また、そのような、「わかったぞ感」を体験したことをもって、
「自分は悟った。」と言われると、読む方にとっては、甚だ迷惑なのは確かだわなww
大まかな野球のルールを覚えて、バッティングセンターで何本かいい当たり飛ばした
だけで、「野球というのはですね・・・・・」なんて語り出されても笑っちゃうだけだろ?www
「悟りとは・・・・・」 なんて語りだすのなら、 せめて
『私に苦はない。あるゆる執着を脱した。唯一の執着があるとすれば、全ての者を
ひとり残らず成道させることだけです。』・・・・・このくらいのことを言い切る境地に
達してからにせえよwwwww
677:神も仏も名無しさん
12/07/10 10:58:11.35 t7boNmBW
俺が、このスレで 『悟った』 こと
→「ロンは、473が嫌いだ」www
678:オレって名無しかよ!?
12/07/10 11:00:26.11 y+mush4w
>>676
そんな事言ったら、このスレ終わっちゃうじゃん!!
679:神も仏も名無しさん
12/07/10 11:04:42.73 t7boNmBW
>そんな事言ったら、このスレ終わっちゃうじゃん!!
wwwwwww そういうのを「杞憂」と言うwww
「勘違いバカ」は、決して消えることはないwww
(悟りどころか、「自分は神だ」と言ってる奴も大勢いるwwww)
680:473
12/07/10 16:21:49.27 IFH1mJfF
もういらないものだと思ってしまっていた。
なにかが必要、利用すると思っているうちは使ってしまえばそれに対する思考はいったん
奥に引っ込むわけだが、それはもういらないという思考は決して弱まることなくまとわり続ける。
なろうとするとこういう馬鹿をやってしまう。
ありように正直であるほかない。
変化は物事の本性だから、しがみついたり、変えようとしたりしなければ
私自身が死に、生まれる。
681:ろん
12/07/10 16:27:23.16 Af0LhJ/P
>>669
>それは各々自身の変革の願望のことですね。
>それに悟りと名をつけてるからそうなるので、それに無自覚だと会話において互いに混乱してしまいます。
おまえだけだろう、悟る前に悟りはこうだと勝手に思ってわかった気になってるのは。。ww
何度言ったらわかるのか??わかるわけないと言っている。。チラとでもみない限りは。。
アマさんは見てるけど、あんたは明らかにてんで勘違いしてるの。。
混乱するのは、おまえが勝手に思い込んでいる悟りと、アマさんが言っていることが違うからだろう。。
知識と照らし合わせて違うんじゃないかとか、憶測しているというだけ。。
>そうでなはく行き違いをなくしたり、相手を混乱させたくないならこの状態を悟りと名づける。
>悟りというのは言葉に過ぎないので、言葉の本来の用法はこんなところじゃないでしょうか。
だから、悟ってないものにとっては、悟りはX、?に過ぎん。。
これが悟りだとは、決してわからないもの。
どうしてわかっているように語るのだろうか?
悟る以前にあれこれ思う、語る、まったく意味のないこと。。
682:ろん
12/07/10 16:29:24.29 Af0LhJ/P
悟るとこうなるはず、と勝手に思い込んでてんで勘違いを喚いてるのは、473だけ。。
しかも、アマさんは悟っていないだろうという憶測で語っている。。
自分悟らなければわかるはずがないのに、ホントにバカな奴。。
683:ろん
12/07/10 16:36:58.39 Af0LhJ/P
アマさんは確実に見てはいる、わかっていると思うよ。。
間違ったこと言わないもの。。
禅の祖録で語られていることとも一致する。。
雪渓師が言っていることも理解しているだろう。。
わかってないのはアホの473。。
こいつは勘違いしまくりで、自分の妄想を正しいと思い込んでるから、わかっている人に対して、それは違うだろうとか・・ホントちゃんちゃらおかしいんだよ。。
684:473
12/07/10 16:48:48.12 IFH1mJfF
表面でいらんと思ったらいると思ってる無意識への気付きは失われる。
その構造に気付かない限り永遠の内戦になる。
そしてその内戦は外界に投影される。
周りの人を捻じ曲げて解釈し役割を与える。
685:473
12/07/10 17:28:45.52 IFH1mJfF
まあ666
は473への指摘ではなく、私もあなたもみんなそうですよねという意味にしか取れない。
特にamaは他者に一方的なそういうレッテル張りはしない。
ろんもamaのいってる事を単純に見ればいい。
感覚で通ずる事はあるかもしれないが、いってることは逆だ。
686:473
12/07/10 17:42:38.11 IFH1mJfF
誰しも宗教を未知へのガイダンスとしてではなく、既存の自分の経験から把握してわかった気になってしまう。
それが少なければ少ないほど成長の可能性が残る。
現代人は昔の人と違い、複雑なマインドと抑圧されたハートがある。
真実に直接跳躍するような宗教の技法は使う事はできない。
知識の肥やしになるのが落ちなのです。
特に真実に肉薄しているような般若や禅はただ誤用される。
現代人が宗教を志すなら、まず、自分の立ち位置から始めなければいけない。
それには基本的に現代宗教の力を借りるしかない。
例えそれが光明を得た人のものでなくても、現代人向けに宗教に赴く用意をさせるような体系であればそれが唯一今役にたつものだから。
自我の牢獄を自覚しており苦しんでいる探求者であれば、誠実に自分自身に使えるものに落ち着くでしょう。
といっても現代宗教にはうとく、OSHOしか知らない。しかし彼も30年前の人。
高度成長期の、雇用が安定してた時代の人だ。
>禅の祖録で語られていることとも一致する。
彼らが現代人向けに一から語り始めたら、最初の段階と最後の段階でその言説は相当矛盾するでしょう。
それはブッダでも同じ事。
また、彼らはその当時の思い込みと逆のことを言うし、自分の教えが協議になり始めたらそれを破壊する。
正しい教えなどない。教えもない。
我々がどのような影響を受けるのか。そういう事実があるだけです。
687:473
12/07/10 18:02:14.10 IFH1mJfF
ろんにわかっているといわれる程度なのよね。AMAも。
私だったら謹んで辞退するけど。
688:473
12/07/10 18:48:57.01 IFH1mJfF
669 671とレスして、どうして他人におせっかいを焼くのだろう。
他者というものが存在せず、このスレッドを見ているときにだけ未知の出会いと別れがある。
ことは起こるだけで何の希望もない。花が咲くように自然に対話が起きる。
というわけでもなんでもなく、自分の中に他者像というものがあり、それによって人を買いかぶったり、
修正しようと善意でおせっかいを焼いたり。そういうことを普段から考えている。
それって、どういうことだろう。良し悪しではなく、何を自身にもたらしているか。
それは他者像への執着、相互理解への執着かもしれない。憧れの相手の必要性や、自分を支配してしまった思想の新しい犠牲者を求めているのかもしれない。
他者を助けようとする事はあらゆる種類の他者の夢を、他者という思い、人間という思いを持ち続け、それに左右されている事かもしれない。
他者は存在しない。だからこのスレッドに来る。
そんな人を待っている。
689:悟り子 ◆AAyxyMDKw6
12/07/10 18:53:11.45 JFTLW6Zg
>>400
>今に生きることにより恐怖・煩悩は縮小するはずです
確かにたいていの恐怖は想像ですね
あと人は恐怖とゆう観念に恐怖しているところはありそうです
恐怖する自分を想像して恐怖しているのかもしれません
690:悟り子 ◆AAyxyMDKw6
12/07/10 18:57:12.77 JFTLW6Zg
>>404
>目標 あるがままでない自分を否定する。―あるがままであろうとする
投影 あるがままでない他人を否定する。―自分はあるがままだと肯定する
・否定がエゴの生き残り戦略かもしれませんね
そしてその様な心理作用もまたあるがままなのですね
691:悟り子 ◆AAyxyMDKw6
12/07/10 19:02:52.15 JFTLW6Zg
>>404
> >>396
それは瞑想と言われるものじゃないでしょうか。
悟りというと瞑想とさとりがごっちゃになります
>>396は一般的な体験の話のつもりでした
でも確かにただ「それ」であることは甘美なる体験かもしれませんね・
692:悟り子 ◆AAyxyMDKw6
12/07/10 19:05:46.48 JFTLW6Zg
>>405
>>認識と認識者の超克があれば自動的に恐怖は存在し得ないでしょう
平たく言うと恐怖は想像の中にあるとゆうことでしょうか?
693:悟り子 ◆AAyxyMDKw6
12/07/10 19:22:24.79 JFTLW6Zg
>>405
>悟りという言葉を使うなら定義に従って使うか、定義が違うなら別の言葉を使うかするのが普通だと思います
・ヨナミさんの言うことが正しい可能性もあります
一方悟りとゆう言葉を人がどんな意味で使っても良い気もします
そして悟りの定義自体が悟りそのものを比喩的にしか言い表せていない可能性もあるかもしれません
694:神も仏も名無しさん
12/07/10 20:22:19.35 zYa6Egax
>>668
根拠があれば見た目で判断しても全然いいと思うんですけどね
オーラが見えるっていう人もいるし
たぶんその禅の方々はそういう超能力的なものを持ってたんでしょうね
695:473
12/07/10 20:34:42.51 IFH1mJfF
>>692
いや、知らんですよ。いつもそれについては知らんといってるじゃないですか。
これは哲学論議です。
悟りをさも体得したとような人が、執着はなくならないというので、悟っていない人から見る悟りの一般的イメージ、
悟ってない人が知的に理解するブッダいう悟りってこういうものじゃないのですかと、単純に哲学的論議をしています。
この悟っていない人からの悟り像と、悟りという言語の運用方法。
そういう話なのに、まるで
>>認識と認識者の超克
が473であるかのように473が語ったというのはやめてくださいね。
それは知らないと、だけどそうみえるけど実はそうでない偽ものについては知っていると473は述べていました。
認識と認識者の超克>=恐怖は存在し得ない
こういうのは実際に超克してなくても論理的に類推できるじゃないですか。
結構しょうもない、わかりやすい話をしているのです。
だけどamaさんはわかりにくい話にもって煙に巻こうとする。
473はいつも会話の前提を綿密に定義してしゃべっています。
それゆえに、レス相手によって、会話の次元も、言葉の定義も違います。
それを読み取るには、中身と言葉の違い、またどういうルールで両者が対話しているのか理解する感受性も必要です。
ま、473を買いかぶる人は473が超克であるかのように誤解するでしょうし、その信念が473の存在と対立するような人は
それを不遜といってののしるかもしれません。
事実としては、あくまで哲学のゲーム、言語の運用の話で、そんなこといってないというだけです。
696:473
12/07/10 21:29:35.02 IFH1mJfF
>ろんさん
ただニコニコして、何の変哲もない、禅宗の庵主様
amaさん
愛にあふれたと頓悟の教えの白隠
なんか似た感じがありますね。
ところでろんさんは上記の人たちと正反対の振る舞いをしているわけです。
ろんさんに彼らの何がわかるでしょうか。悟らないと悟りがわからないように、彼らのようでないろんさんに彼らの何がわかるのでしょう。
彼らをわかったふりをして、自分も彼らのようであるという錯覚に陥っていませんか。
彼らは論争しませんし、ましてや非難しない。
彼らを基準にするととろんさんはそれから遠く離れています。
ましてや彼らをだしに他者を批判するなど、彼らは悲しむでしょう。
だれを基準にする事はないじゃないですか。
人それぞれの歩みがあります。
ろんさんは道の歩みにおいて彼らの平穏さとは全く別の輝きを示すでしょう。
無理に彼らの温厚さを真似しようとしても、それこそあるがままの自分を抑圧するだけです。
697:473
12/07/10 21:31:02.49 IFH1mJfF
>>693
私も同じく思います。
688他多数で表現しました。
698:ろん
12/07/10 21:41:40.12 Af0LhJ/P
>>695
おまえに哲学的議論なんぞ、できるわけないじゃないか。。
アタマが悪すぎるよ・・文章読めばわかる。。
人の言うことまったく理解できないし・・自分の誤り、無知を絶対認められない人。。
しかも、おまえは悟りについて知らないのだから、対話なんぞできるわけないではないか。。
教わることはあったとしても、対等な対話は無理だ。。
レスもらえるだけで感謝した方がいいんじゃないか。。
なのにこれ。。。。。。
>>687
ホントに終わってんなー。。
どうしようもない。。
699:ろん
12/07/10 21:50:14.14 Af0LhJ/P
>>696
性格、人格、個性は関係ない。
その人の法、理解、のみを見ればいい。。
禅僧だって、臨済と趙州、一休と良寛、みんな違うではないか。。
ボロクソに批判するのは、お前のためにやってんだよ。。
見てられない、スレ汚しだから、腐臭がプンプンするからと言うのもあるけどな。。w
正受老人は、白隠の鼻をつまみねじ上げ、崖から突き落とした。。
罵られるくらいで、罵った方を恨むのは、修行者と言えないだろう。。
感謝されても恨まれる筋合いはない。。ww
700:ろん
12/07/10 21:59:55.76 Af0LhJ/P
実際の修行をしないやつが、修行の成果が全くがないやつが、いくら対話したって無意味だよ。。
修行をするものだけが進む、あるいは退く、自分自身へと退いて行く、もともとの自己へ還ることができる。。
進化するとか、真理へ跳躍するなんて言うのは嘘・・余計なものが落ちて、もとへ戻るというだけ。。
こんなとこで、政治的自己宣伝(あるいはラジニシの宣伝か・・)演説やってて、しかもその無意味さに気づかない、まともな修行者からしたら、
鼻つまみ者以外の何物でもない。。
どうでもいい思考のループ、袋小路ををゆっくりと回転する、その閉ざされた妄想の闇・・外の世界を見ることはないのかもしれないな。。
自分の思考、知識、思い込み、妄想の暗室に住まい続けるうちは。。
701:ろん
12/07/10 22:06:09.84 Af0LhJ/P
朝起きたら、押し入れのふすまと一つになっていた、と言うのが悟りの一瞥だ。。
余計な思考、妄想、ガラクタ知識が落ちれば、見たものと一つになる、と言う体験が生まれるだろう。。
これが三昧だ。。
思考、知識、思い込みがあるうちは、脳内妄想の闇の中をぐるぐる回り続けるだけ。。
702:473
12/07/10 22:48:41.77 IFH1mJfF
>>693
どのみち完全な悟りを開くまでは誰もが夢の中です。
自分の、他人の、本当のことなんかわかりゃしませんし、
だれもが自分の夢で勝手に物事や他者を解釈するおざ得ません。
悟りという言葉も無数の使われ方をするでしょう。
どこまで他人を自分の夢から脱出するために利用できるか。
他人を憎んでも、愛しても、助けようとしても、どの道執着であり、自分の夢を存続させる。それは自我の罠に嵌ってしまう。
愛に自分や他人があるならそれは愛の道ではないでしょう。どうかお気をつけて。
>>700
>性格、人格、個性は関係ない。
恒例の自分の前言否定いただきました。
>意思の疎通
言葉は単なる相対性のツールなので、それに何を込めるかが肝心。
人によって言葉は異なる定義で使うので、自分の定義に固執すると、相手の言っていることを誤解する事になる。
自分の定義と自分の言葉に同化してしまっている人間は、自分の定義以外で他者の言葉を読み取る能力がない。
言葉に反応し、自分の経験と言語の関係において、相手が込めた意味は無視して、自分の定義で賛成、反対する。
基本的に意図でなく言葉に反応しすぎ。しかも自分の都合のいいように。
>進化するとか、真理へ跳躍するなんて言うのは嘘・・余計なものが落ちて、もとへ戻るというだけ。
①この2つは文脈によって同じ意味になりうる。
②同じことを言っていても違う事をこめていることがある。本物と偽者という事など。
宗教の入り口の案内なので、宗教に縁がない人にも理解できる表現にしないといけない。
ここで後者の表現をしたら、まったくの初心者が、全く無意識な人間が分不相応な知識を身につけてしまう。
そういうことは無意識な、入り口ではなく出口についてだけの知識をかき集める人には関係ないかもしれないが、
その危険性を知る人は表現を気をつける。
と、こういう473の意図まで読んでようやく会話になる。
703:473
12/07/10 22:57:40.11 IFH1mJfF
跳ぼうとしても、落ちる事を期待しても同じ。
思想は精神を存続させる。
そもそもそれに名前をつける必然性はない。
用途に応じて相対性である言語を仮のものとして使う。
別に飛ぶわけでもないし、落ちるわけでもない。
それは共に精神が描く概念であり、精神を越えた物事ではない。
704:ろん
12/07/10 22:59:49.42 Af0LhJ/P
>>703
無くすべき精神、心があると思っている、クリちゃんの受け売り、勘違いね。。
705:ろん
12/07/10 23:01:00.00 Af0LhJ/P
>>700
どこをどうとったら、前言否定になるんだ?
人の言ってることわからん、自分のいいようにしか取れないのだろう、すべて。。
706:ろん
12/07/10 23:01:42.86 Af0LhJ/P
間違えた、>>702に対してね。。
707:ろん
12/07/10 23:03:11.86 Af0LhJ/P
精神を超えるとか精神を存続させるとか何を言ってんのか?
誤解の上の誤解だな。。
708:ろん
12/07/10 23:04:26.89 Af0LhJ/P
何かがあると思う、判断する、無くそうとか超えようとか、自分のシッポを追っかける、バカ犬のようだ。。ww
709:473
12/07/10 23:12:03.98 IFH1mJfF
>>704
精神とは自我と似たような意味合いかな。
自我はろんにないのですか。
それとも自我が自我が無いと思っているのですか。
710:473
12/07/10 23:17:42.19 IFH1mJfF
自我が人はいないと思い込むというのは、仏教の誤用の代表的なもの。
ひどくそれをやってしまう人もいれば、微妙にそれをやってしまう人もいる。
人はいないというのは言葉に過ぎない。言葉としてのそれの影響から脱しなければそれそのものを見出す事はない。
乗りおわったら捨てられる船だが、そもそもこれに乗るまでの準備が長い。
711:ろん
12/07/10 23:25:52.15 Af0LhJ/P
>>709
自我はある、がその働きには実体がない。。
仏法中には法しかない、自我でなく法、精神ではなく法。。
それを意識的に判断したり、いじくることはない。
ただ坐るのみ、それと一つになるのみ。。
712:473
12/07/10 23:26:32.62 IFH1mJfF
精神って対象、客体ではなく、主体、単に私という意味なんだけど、
ろんは私(主体)を意識しないで客体しか意識してないのかな。
私、主体によって客体の映像を消してしまえばそれが空だというのかな。
私、主体のほうは全く持って生きているのだけど。
713:ろん
12/07/10 23:28:46.36 Af0LhJ/P
>>712
主観と客観は同時生成だ、一方が消えれば、もう片方も消える。。
一方が現われれば、もう一方も現れる。。
ただ、妄想を妄想と知り、否定も肯定もしない、雲が流れるまま。。
蒙を除かず、真を求めず。。
714:473
12/07/10 23:29:30.91 IFH1mJfF
自我が自我が無いと思っているってことですね。
自我にとって自我の働きは実体として経験されます。
715:ろん
12/07/10 23:29:51.00 Af0LhJ/P
君見ずや 絶学無為の間道人 妄を除かず、真を求めず
716:ニカサ・アア ◆UNegKIvARw
12/07/10 23:30:28.06 mY8L24tb
>>669
amaさんは悟ってますよ。仏陀みたいな最終段階ではないかもしれませんが、
悟りです。
私も最初はどのぐらいだろうと思って、スレ1や2であれこれ質問している
なかで、自分が見出したこと照らしあわせて、どうもamaさんも見出している、
そして、それを自分よりうまく使いこなしている、と思えたからです。
主観と言われるかもしれませんが、相手の悟りを確かめるのは、これしか
方法がないのです。
質問と回答の中で、相手がその「なにか」をどれだけ把握しているかを確か
めます。
言葉そのものではありません。受け答えの調子というべきもの…そういった
気配を嗅ぎ分けます。
悟りはそれを表現する人間各々の知性、知識、教育、伝統、心情、性向、
信念といった幾重もの層を通して表現されるため、どうしても色がついて
しまいます。ただ、色の出方には特定できない特定の傾向があります。
その傾向を嗅ぎ分けるには自分の悟りとあいてのそれを照らし合わせるしか
ありません。
でも、あなたはまだそれができません。あなたには悟りがないからです。
蓄えた知識やそれに基づいた分析は意味を成さないのです。
結論ばかりで根拠を示せないため、また「決め付け」と言われるかもしれま
せんが、悟りとはそういう世界です。
悟りを識るためには悟る必要があるという、どうしようもない領域なのです。
717:ろん
12/07/10 23:31:46.65 Af0LhJ/P
>>714
実体はない、わかる?
縁によってあるというだけ、仏教の基本中の基本。。
その働きのまま、自我が問題ではない、それを問題にするのが問題なのだ。。
もっとも、473の場合は実際問題だと思うが。。ww
718:ろん
12/07/10 23:35:13.16 Af0LhJ/P
473は、実際長い間、継続的に坐ったという経験がないだろう。。
それではダメだろう。。
アマさんのように、坐らずとも、瞑想が起こる人はいるが、473見たいのは意識的に坐らん限り無理だな。。
思い込み、知識を忘れてひたすら坐る、一定期間黙って、2ちゃんなんぞやらずに坐らん限り、堂々巡りが収まらないだろう。。
719:オレって名無しかよ!?
12/07/10 23:37:11.96 y+mush4w
>>717
ろんは実体ってどんなモノだか分かる?
俺は残念だけど、今まで実体って見たこと無いよ。
ついでに言えば、実は「空」も見たこと無い。でも、空(そら)は見たことあるよ。
720:473
12/07/10 23:39:20.40 IFH1mJfF
>>713
精神が主体にあてはまり、客体が飛ぶ事や落ちる事という主体の経験=客体として似た意味合いになります。
跳ぼうとしても、落ちる事を期待しても同じ。
思想は精神を存続させる。
そもそもそれに名前をつける必然性はない。
用途に応じて相対性である言語を仮のものとして使う。
別に飛ぶわけでもないし、落ちるわけでもない。
それは共に精神が描く概念であり、精神を越えた物事ではない。
しかし713は究極の意味で悟りを得ていなければあくまで受け売りじゃないでしょうか。分かりっこない。
自我がある状態で見出せる事とは思えません。
受け売りは受け売りでいいのです。
受け売りと明記し、また他者が受け売りだのと文句を言わなければ。
473受け売りはちゃんと明記しますよ。
似ていてもここで気がついた事を自分の言葉で書きます。
721:ニカサ・アア ◆UNegKIvARw
12/07/10 23:42:56.80 mY8L24tb
>>688
ここにいる中で、一番、他者像による生滅反応の連鎖(dukkha)に
引きづられているのは、他ならぬあなたです。
あたなが最初にスレ1に登場した直後についたレスをもう覚えて
いないでしょうけどあなたは473、474と連投した後にこんなことを
レスされてます。
悟りを開いたことあるけど何か質問ある?
スレリンク(psy板:475番)
475 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2011/09/17(土) 16:05:08.60 ID:fJaLHKRH
批判よりどうやったら悟れるか聞いた方がいいよ
せっかく悟った人がいるのだから
他者を批判しつづけて十ヶ月のあなたが>>688のようなことをいうのは、
天に唾するようなものです。
722:ろん
12/07/10 23:44:54.47 Af0LhJ/P
>>720
主体あっても、その意志によってはどうにもならんて。。
あるいは私と言うものはない。。
落ちるとか飛ぶとか妄想しても意味がないし。。
期待や求心は余計、ただそのまま、働きのままにあることによって、余計なものが消えてゆく、心が一つになっていくということ。。
これが瞑想であり、禅だ。。
723:ろん
12/07/10 23:48:43.00 Af0LhJ/P
とにかくなんもわかってない、思い込みと本の受け売り知識しかないのが、もっともらしい文章書いたつもりで、認められよう、尊敬されようとかやっても無駄。。
みんなの鼻つまみ者、単に醜いだけ。。
だから、法を学んで、実際坐るしかないだろう、意味のないことやってないで。。