12/07/08 17:11:30.32 O8E0iCQ1
>473さんにはこういった体験・感覚はありますか?
既に提示してるかもしれませんよ。
>体験そのものではなく、物事の認識がそれまでと変わってしまうのです。
過ぎた体験ではなく永続性のある「小さな」変化の事です。
1500分の3だけは目覚めているので(小さな変化)それが中心となって広大な欲望の群れを認知し始めます。
それまでは自らは欲望そのものなのでけっして欲望を直接認知できません。
>”後から” 悟りを言語化できました。
瞑想が起きれば、技法は落ちる。という言葉がありましたが、完全に無視していました。
瞑想などもう自分はできていると思っていましたが、瞑想が起きて初めて
自分は不断の欲望であり一瞬でも目覚めた事はなかったと見出しました。
方向性は似てるのですが、「般若心経の悟り」として言語化するんですか?
私はもっとささやかな瞑想や覚醒という言葉の指し示すところ、それが今までなかったと言うところを見出しました。
>最初の悟りを得る前まで自分が持っていた価値観、知識が
結局新しい体験で、新しい価値観や知識に鞍替えしているならある意味状況は変わりません。
価値観や知識から一瞬でも自由になれば、それに捕われない態度が出始めるのです。
そして知識と価値観が作り出す悟りの体験の危険性も理解し始めます。
どんな知識もどんな価値観も、精神がそれを利用しようとするなら、「精神が延命するだけで全く同じです。」