悟りを開いたことあるけど何か質問ある?13at PSY
悟りを開いたことあるけど何か質問ある?13 - 暇つぶし2ch434:ろん
12/07/08 10:06:00.45 16qf4yfb
>>414
何言ってんの。。
そんなこと言ってない。。

あなたはこっちの言うことがわかってないんだって。。

先入観の投影、知識の投影しかできんのだろうねー。。

ガラクタ知識の穴倉に閉じ籠って、未知の世界がないと思い込みたい。。
対話にならんから、ずっと閉じ籠ってろって言ってんの。。

435:ろん
12/07/08 10:09:15.38 16qf4yfb
>>423
言ってること全部間違い・・思い込み、勘違い。。

436:ろん
12/07/08 10:12:50.29 16qf4yfb
アンカー間違えた。。

>>434>>419に対して。

437:§
12/07/08 10:28:22.80 no73ebAC
悟りとか覚醒も人によって定義がそれぞれなんですね・・・

438:ろん
12/07/08 10:33:21.83 16qf4yfb
473はまずはこれに参じろ。。
基本中の基本だ。。
勘違いはまず、ないものをあるとお妄ことの中にあるんだよ。。

觀自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。照見五蘊皆空。度一切苦厄。
舍利子。色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。受想行識亦復如是。
舍利子。是諸法空相。不生不滅。不垢不淨不增不減。
是故空中。無色。無受想行識。無眼耳鼻舌身意。無色聲香味觸法。無眼界。乃至無意識界。
無無明。亦無無明盡。乃至無老死。亦無老死盡。無苦集滅道。無智亦無得。
以無所得故。菩提薩?。依般若波羅蜜多故。心無?礙。無?礙故。無有恐怖。遠離顛倒夢想。究竟涅槃。
三世諸佛。依般若波羅蜜多故。得阿耨多羅三藐三菩提。
故知般若波羅蜜多。是大神咒。是大明咒是無上咒。是無等等咒。能除一切苦。真實不?故。
?般若波羅蜜多咒即?咒曰
?帝?帝 般羅?帝 般羅僧?帝菩提僧莎訶
般若波羅蜜多心經


439:ろん
12/07/08 10:46:59.81 16qf4yfb
ないと言うのは、存在しないとか現象がないと言うことではなく、何の実体もない、水の泡みたいなもんだと言うこと。。

バブリーな夢の世界と言うだけ。。

その夢を真実在と思い込んでの七転八倒を仮に輪廻とか迷いと言っとるだけ。。

その迷いもまた実体のない夢なんだけどね。。

440:神も仏も名無しさん
12/07/08 11:32:23.91 7wtBOnMc
>>421
>既に行い、預流果を得ました
預流果は強烈な内省によりもたらされます
あくまで非我の体験、感覚ですから
語ることはできませんよね

あとは、心が定まった者勝ちです
いつ何時も心が定まっていなければなりません
2chに書き殴って満足するのとは、訳が違います
それに、言葉遊びは混迷を深めます
心が定まらない限りは偽であり苦しみは続きます

それが妄想でも、偽でもかまわないんです
真や偽を超えたところに、それはあります
だって、心が定まっているんだから、そんなもの
どうだっていいじゃありませんか

441:安道
12/07/08 11:44:07.22 tlYm89vB

露と落ち  露と消えにし  我が身かな  浪速のことは  夢のまた夢
                               豊臣秀吉 御辞世

442:473
12/07/08 11:47:40.18 O8E0iCQ1
何の実体もない、水の泡みたいなもんだ

と、言い聞かせてそれに捕われている自分から逃避することができるるが本音は全く違うと言う事がよくある。ということを419では述べていたかと思います。
だからそういう言明は自他への影響を鑑み慎重になってしかるべきなのでは。

僧燦曰く、
物事の実在を主張しても、物事の空虚を主張しても、共にその誤りに落ちると。

わたしのいうないも実体がない、水の泡のようとろんさんが言う意味とそうは違わない感覚で述べています。
論点はそこではないのでは。
実体がないと言う表現ではなく、ない、と言う表現を私が好むのは、実体がないと言う表現は実体があると思う普通の心を抑圧する働きがあるように思うからです。
このあたり好みなのですが、ろんさんへレスするときろんさんの語法に合わせなかったのは私のミスです。
ともかく論点はここではない。

443:ろん
12/07/08 11:55:19.31 16qf4yfb
>>442
取り繕ったって、嘘バレバレよ。。

おまえは迷っている人がいるとか、みんな迷ってると言ってる。。
これは、実体がないと言うことがわかったら、あり得ない言明だなよ。。

混乱があるというのそうだ。。
迷っている人には混乱があるとか・・いや、迷いもないし、混乱もない。。
おまえの誤った認識があるように錯覚しているだけだとこっちは言ってるの。。

そもそも~の人がいる、という認識があり得ない・・空と言うことがわかっていればね。。

444:473
12/07/08 11:56:15.19 O8E0iCQ1
>>433

それについて、何と申し上げるべき事でしょうか。
それが何々であると意識したとたん、その働きは止まってしまわないでしょうか。
またその悟りを希求したとたんそれは、その働きではなくその働きのような精神の作り出す夢になってしまわないでしょうか。

362さんの
amaさん
「本当にあるがままなら、執着は減っていくでしょう
執着を保存するのが、あるがままと思っているのなら、勘違いですね 」

というのは非常に良いところをついているように思います。

私はそのamaさんが悟りと言う働きがおきるような書き込みをしています。
その働きが死なないような書き込みをしています。
amaさんは悟りと言いゴールのような錯覚を与えていませんか?
>落ち着く事、というのは精神がその精神の既存の働きに安穏とするように仕向けていませんか。

起きた事を言葉としてあらわしてしまうと、今度はその言葉は自分にも他人にも夢を与えてしまうのです。
そうなるように、そうなった状態から落ちないようにかたることと、それについて描写しそれを解説したり求めてしまう事は違います。

445:神も仏も名無しさん
12/07/08 12:00:07.38 7wtBOnMc
>>441
残念ながら、その句は非我を表していません
だからといって秀吉が非我を体験したかどうかは
わかりません

446:473
12/07/08 12:00:40.67 O8E0iCQ1
>>433


そしてそこで語られている事は普通、瞑想や、くつろぎという言葉が当てられているかと思います。
それに悟りと言うゴールを暗示するような言葉を当てるのは違和感があります。
その違和感を362はいってるかもしれません。

私にとっての違和感は、何故瞑想に該当する内容を、究極の表現である悟りにするのかということです。

その中身そのものに反論はないのです。

精神にあるがままである瞑想の状態から、精神が見るあるがままの夢

に落ちてしまうような言葉を使っている事に疑問を感じるのです。

447:安道
12/07/08 12:03:04.30 tlYm89vB
>>445

非我ってなんですか?

私も坐禅が足りないので、
まだまだ夢の中なのです・・・・。

448:ろん
12/07/08 12:04:32.47 16qf4yfb
賢明な人ならこう考えることができる。。

「すべての人が迷っている」のではなくて、私がそう思い込んでいるだけではないのかと。。

「すべての人に混乱がある」のではなくて、そういう認識が私に生じているだけなのではないかと。。

さらにいえば、473の場合は、グル願望、スピリチャルリーダー願望みたいな、幼稚なヒロイズムがあるから、
「すべての人が迷っている」でなければマズイんだよww

すべての人が迷っているから、今まで詰め込んだ知識が活きるのだし、スピリチュアルな知識を身に着けた私に価値が生じることになる。。
自分だけが迷える衆生を助けることができると。。ww

ウルトラマンか戦隊ヒーローか・・そういうマンガの世界に生きている、妄想人間だってことだよ、要は。。

449:悟り子 ◆AAyxyMDKw6
12/07/08 12:04:57.90 LJZnq/aG
【お題】
「友情」とはなんでしょうか?

450:神も仏も名無しさん
12/07/08 12:06:23.87 7wtBOnMc
>>447
そこに坐禅は不要です
自分って何?を問い続けていけば必ず辿りつけると思います

451:473
12/07/08 12:10:26.29 O8E0iCQ1
賢明な人ならこう考えることができる。

473の場合は、グル願望、スピリチャルリーダー願望みたいな、幼稚なヒロイズムがある

私がそう思い込んでいるだけではないのかと。
そういう認識が私に生じているだけなのではないかと。

452:ろん
12/07/08 12:10:48.81 16qf4yfb
あとはまー思考、分析に価値があると思い込んでるーつーことだな。。

そもそも思考の対象が生じた時点で、錯覚なのだから、その錯覚について、あれこれ分析判断したって何の意味もない。。

自分が悟っていなければ、妄想ウンコの垂れ流しにかならない。。

長文を書くのは、オショーかクリシュナムルティのなりきりさんなのだろう。。

バカほど文が長くて、内容がない、と言う見本のようなものなのにな。。w

453:ろん
12/07/08 12:12:03.38 16qf4yfb
>>451
そうだけど、当たってるだろーが。。ww

認識でも当たってりゃー、その通りなのよ。。w

454:473
12/07/08 12:12:14.32 O8E0iCQ1
実体はない。

これって実体をたくさんの物事に感じておびえている人が好みそうなフレーズですね。

本当に実体を感じていない人は、わざわざありもしない 実体 がなんていわないと思うのです。
ないものはただないでしょう。

と言っても私はあると感じているのが実情なのでその辺は正直に行きます。

455:安道
12/07/08 12:13:10.11 tlYm89vB
>>450

坐禅をしろとか、必要無いとか・・・
自分って何?と問えとか・・・
面白いですね

456:ろん
12/07/08 12:14:02.20 16qf4yfb
>>454
ぜんぜん正直になれてない。。ww

正直になるなら、黙って修行でもしてろと言うこと。。

457:悟り子 ◆AAyxyMDKw6
12/07/08 12:15:04.46 LJZnq/aG
>>448
>賢明な人ならこう考えることができる。。
「すべての人が迷っている」のではなくて、私がそう思い込んでいるだけではないのかと。。

なるほど、勉強になりました
ありがとうございます
m(_ _)m

458:473
12/07/08 12:17:54.81 O8E0iCQ1
>>453

本当にそうだと思うなら。

認識でも当たってりゃー、その通りなのよ。
とか言えませんって。

あなた悟った人への基準を443で出していますが、こういう基準は物事を限界なくゆがめて見る事ができます。

そもそも、悟りの言明ではなく、悟ってない人のための方便として古くからあるあまりにありふれたものなのですけどね。

459:ニカサ・アア ◆UNegKIvARw
12/07/08 12:20:20.65 FP1hrA/6
>>422
>>既に行い、預流果を得ました。
> 本当に得た人間はそのように語らないでしょう。

語る語らないはその人の選択です。あなたの選択ではありません。
必要と感じれば、「語るときもある」ぐらいです。

また、果を得たときは「果を得た」との知見が生じます(解脱知見)。

ただ、ここでいう得るだの生じるだのは仮の我の上の話であって、
本当のところは何も得ず、何も生まれていません(無生法忍)。


ちょうどいいことに、認識者と認識されるものの関係については、
amaさんが>>431でやりとりされているので、是非そちらも参照して
ください。

特に、以下はとても鋭いと思います。

> 認識者がいることを前提に出発してしまっているのですね。

自らの果がまだまだ駆け出しなのを思い知るよい機会でした。

460:悟り子 ◆AAyxyMDKw6
12/07/08 12:22:51.87 LJZnq/aG
>>448
>賢明な人ならこう考えることができる。。
「すべての人が迷っている」のではなくて、私がそう思い込んでいるだけではないのかと。。

♪私が思っていることは私が思っていることなのですね

461:ろん
12/07/08 12:23:20.67 16qf4yfb
>>458
だから、なんでお前は勘違いしまくるのか。。ww

>>443のどこが悟った人の基準なんじゃ、ボケ。。
空と言うことがわかったら、こうなると言ってるだけに過ぎんのに。。

462:473
12/07/08 12:24:05.01 O8E0iCQ1
偏った事を書いたらいつか私の書き込みを読んで誰かが偏った影響を受けてしまう。
それゆえにプラスマイナスゼロにとりあえずしておこうと後で補足し、伸びてしまいますね。

>>457

やっぱりそれが問題の原因そのものへのアプローチなのかもしれません。
知的賛同は良くない。しかし。

463:ろん
12/07/08 12:24:45.64 16qf4yfb
>>460
うん、そう。。
物わかりがいいねー。。

464:ろん
12/07/08 12:28:23.45 16qf4yfb
>>462
いや、おまえの書き込みなんざまともに読んでるやつはそんなにおらんと思うぞ。。

僕だって僕に対するレスしか読んでないし。。

読んだって、意味ないんだから、影響受ける人なんていないだろうよ。。w

長文書いて自己満足しているアホがいるなーと言うくらいなもん。。

あっはっは、そんなに自分の影響力があると思ってんのか。。ww

バカも休み休み言え。。w

465:473
12/07/08 12:30:01.83 O8E0iCQ1
>>431

無意識な状態では認識者に気付く事ができず認識だけがあるでしょう。

瞑想において認識者が自覚されるでしょう。前者の状態で認識者を探しにゆくと言う事ではありません。

そして認識者と認識があるという関係に覚めているところから、その関係性が創作であり、苦の元であったと気付く。らしいです。

認識者が認識を作っていると言う自覚が瞑想であり、悟りの一瞥と言われるでしょう。
それを探しにいくということは、まだ認識者がいると言う事を知らない。
認識者が作り出した認識と言う像に踊らされていると言う事を意味している。(のではないかな)

466:473
12/07/08 12:31:27.71 O8E0iCQ1
空と言うことがわかったらこうだという基準

基準があると物事はゆがめて見る事ができる。

論点が見えないのは相変わらずだねえ。基準の話ですよw

467:473
12/07/08 12:32:59.39 O8E0iCQ1
>>459

本当にそれを見てきた人にしか語れない、その人ならではのユニークな表現。
本当にそれを見てきた人なら語れるはずだけどね。

受け売りばかり。
話にはまるでついていけてない。

468:神も仏も名無しさん
12/07/08 12:34:02.56 7wtBOnMc
>>450
座禅は心を定めるのに非常に役にたちます。必要なのはここです
>>449
友情とは依存です。愛情も依存、2chへの書き込みも依存
自己も依存です。強弱ありますが他にも依存対象はいっぱいあるでしょうね

469:473
12/07/08 12:36:48.97 O8E0iCQ1
amaさん >>433

無意識な状態では認識者に気付く事ができず認識だけがあるでしょう。

瞑想において認識者が自覚されるでしょう。前者の状態で認識者を探しにゆくと言う事ではありません。

そして認識者と認識があるという関係に覚めているところから、その関係性が創作であり、苦の元であったと気付く。らしいです。

認識者が認識を作っていると言う自覚が瞑想であり、悟りの一瞥と言われるでしょう。
それを探しにいくということは、まだ認識者がいると言う事を知らない。
認識者が作り出した認識と言う像に踊らされているという事を意味している。(のではないかな)



470:神も仏も名無しさん
12/07/08 12:53:41.25 7wtBOnMc
わかっているとは思いますが
依存とは執着です
自分にとって意味のある執着とは何か?
考えてもいいかもしれません

471:473
12/07/08 12:58:53.80 O8E0iCQ1
「友情」とはなんでしょうか?

その問いは多くの忘れている事を思い起こさせます。

不純なものを意識の炎で燃やし尽くす道と
純粋なものに身をゆだねる道があると聞きます。

後者の道は純粋性。愛の道でしょう。どのような状況においても愛を与え、愛を受け取ります。
愛でない不純なもにおいて受け渡しする事はないでしょう。


友情。これは深い言葉です。
これは非常に遠いものに思います。
深みに達した人間同士の全面的なコミット。
自らを知らず信念に振り回される私がうかがい知れるものですら無いように思います。

472:神も仏も名無しさん
12/07/08 13:17:44.87 7wtBOnMc
その通り、友情は概念的構築から外れている存在です

473:ニカサ・アア ◆UNegKIvARw
12/07/08 13:20:37.37 FP1hrA/6
>>440
> 預流果は強烈な内省によりもたらされます

私のときはまさしくそれでしたが、あなたのときも強烈な
内省でしたか?中には歩いていて突然開けたと言う人も
いるもので。

> あくまで非我の体験、感覚ですから
> 語ることはできませんよね

心情的な体験談としては語れますが、そういうことでは
ないですね。それは語り得ない(語り尽くせない)です。

ただ、それは林檎の味を語り得ないのと、同じ分野なの
かもしれません。

> 心が定まらない限りは偽であり苦しみは続きます

心という語の指すものは人によって印象・範囲が違うので
難しいですが、言わんとすることが十二因縁のようなもの
だとするならば、その通りですね。

> だって、心が定まっているんだから、そんなもの
> どうだっていいじゃありませんか

あなたは平安を見出されましたか?
もう経験すべきことは全て経験し、何も思い残すことはない
境地ですか?

474:ニカサ・アア ◆UNegKIvARw
12/07/08 13:26:37.18 FP1hrA/6
>>467
体験すればわかることですが、解脱知見も無生法忍もありますよ。

あなたは、ろんさんの指摘をまず真摯に受け止めることから始め
られると良いでしょう。
彼は言い方はあるかもしれませんが、的を得た指摘をしています。

的を得ていることがわかるのは、あなたが「我」を一度でもいいから
離れたときになるでしょうが。。。


これも受け売りではない話ですが、ついてこれますか?

475:473
12/07/08 13:28:30.16 O8E0iCQ1
どうしても他者の言葉と言うのは

「自分がもしこういうならこういう意味で言うだろう」

という解釈のフィルターがまず入るのですね。
相手は良くも悪くも多かれ少なかれ別の意味をこめて言っているのですが。
私たちは自分と異なる言葉を使う相手には、悪い意味を与えがちです。

彼の言っている意味をとろうとする事そのものがまれです。
そしてとろうとしても、取れない事に気づきます。
自分自身の意味の構築のパターンから自由でないのに相手の意味構築はわからない。
大きな誤解はしないように気をつけることぐらいはできるのでうまくやるより大きく間違わない事が大切でしょうか。

込めた意味の解釈をずらされた私も相手もいらだちます。
こうして今日も平和じゃない世の中です。
うん。
しかたないね。

大体本音、意味づけのほうがずれていたら、そもそも実情として違っているわけだから
言葉は相互理解の道具たりえず、論争に火をくべる事しかできないかもしれない。
異なる実存の両者において言葉とは和解の方策ではなく、争いを表面化させずやり過ごすために使われるべきかもしれない。

476:473
12/07/08 13:42:18.18 O8E0iCQ1
>>474

目覚めのほうは対象として存在するわけではないので、目覚めた人であってこそ
自らのまた一般的な、眠り、欲望について自らの言葉で
現代語で語る事ができるようになるでしょう。

目覚めの一瞥にも体験は副産物としてありますが、想像上の瞑想、解放の夢の体験のほうが
体験としては強烈だったりするので、体験そのものはこれと特定できるものではないですね。

体験そのものではなく、物事の認識がそれまでと変わってしまうのです。
過ぎた体験ではなく永続性のある「小さな」変化の事です。
1500分の3だけは目覚めているので(小さな変化)それが中心となって広大な欲望の群れを認知し始めます。
それまでは自らは欲望そのものなのでけっして欲望を直接認知できません。

できるのは自らでなく、対象としての欲ではない自らであるところの欲望でなく、
想像上の悟りや、想像通りできる体験について語ることだけです。
束縛された精神は解放の夢に憧れ、その通りの体験ができます。
あとはその体験に経典の概念をこじつけて当てはめれば精神は自らを偽り延命できます。
もう得たと思ったらそこまででしょう。

それが決定的な差でしょう。

それにそもそも悟りの段階と言ったものがあるわけではないのです。
それは過渡期としての夢です。
(と言っても私にとってたとえば4段目は幻ではなく、あるものとして映るのです。それは4番目じゃないからですねw
このへんの逆説)

477:473
12/07/08 14:29:52.45 O8E0iCQ1
その仮の段階の意味で悟った人、目覚めの一瞥を得た人は、

悟りに「ついて」あるパターンを持って語ることを好まないでしょう。

むしろ悟りに「よって」あらゆる物事を語ることを好むでしょう。

悟りについて語り精神が悟りを目指さすよう、夢見るよう仕向けるより、
信念の働きが弱まるように語り精神が静まりそれそのものを見出すように自他にはたらきかけるでしょう。

これが持ってないものを概念で求めている人と、持っているものによってそれを生きている人間の差ではないでしょうか。

未だ目覚めていない内は、目覚めていないと言う事を本当の意味で知る事はできない。
しかしそれでも観察と経典の力を借り、自らの実情を知的にでも理解し、修行の果てに利己的な努力を一瞬でも落としうる。
しかし、実情を知的にでも理解していたらであり、既に自由だと思っている捕われた精神は精神を超えたものを見出す事は決してない。

ここで目覚めたときその体験と目覚めにおぼれ探求をやめてしまう危険性なのか誘惑なのかがあります。
誘惑に乗らなければこの時点で初めて自分が牢獄の中にいることを実感できます。
目覚めがなければ牢獄の中にいることすら実感はできません。

その上で、その牢獄の中にいると言う実感の元でこそ、その牢獄が自らそれに執着しているが故のものであると
見抜く機会もあるでしょう。
最初は牢獄に執着している事そのものなのでそれに気付けない。
気付けないが知的にでも当たりをつけ修行すれば一瞬でも抜けうる。
そしてそれにおぼれなければ、、と。

要は宗教の本と言うのは膨大な落とし穴回避です。
OSHOやグルジェフや、クリシュナムルティーの講和があんなに長いのは悟りはシンプルでも
人が落ちうる落とし穴のほうは無限にあるのでそれを先回りしなければならないからでしょう。

478:ろん
12/07/08 14:46:34.96 16qf4yfb
>>477
>OSHOやグルジェフや、クリシュナムルティーの講和があんなに長いのは

473と同じで、見聞はあっても実際は見たことがないから、何にもわからなかったからです。。w

要はプロパガンダ演説と一緒。。ww

479:ニカサ・アア ◆UNegKIvARw
12/07/08 14:48:32.38 FP1hrA/6
>>476
あなたは「まだ」の人です。
あなたは、目覚めた人を語るどころか、amaさんや悟り子さんろんさんや何人かの
名無しさん達のいる境地(内的な理解)すら辿り着いていないです。

目覚めの一瞥などと書かれても、根本的な無理解に基づいた考察から成り立って
いるため、奇妙な、ピエロのような、チグハグの論になっています。

そして、その根本的な無理解は書物や表層的な考察にて正されるものではないです。
正すやり方を非常に簡単にいえば>>15になります。

あなたは、あなたが分析・理解しようとしていることに、本当に必要な内的な理解・
体験・経験・洞察・把握(言葉は人それぞれです)を、まだ経ていません。

480:悟り子 ◆AAyxyMDKw6
12/07/08 14:54:04.83 LJZnq/aG
私達はイチャイチャしてますね
私達は大まじめにイチャイチャしています
(悟り子も含めて)
ろんさんと473さんの関係も友情以外の何物でもなく
他も全てそうなのでしょうね
このイチャイチャに終わりは無いのかもしれません・

481:ろん
12/07/08 14:59:03.29 16qf4yfb
>>480
人妻とイチャイチャっていいな~。。w

今度僕んちに来てよ。。ww

482:ニカサ・アア ◆UNegKIvARw
12/07/08 15:12:16.66 FP1hrA/6
>>480
まさにあなたと私の目の前のスレで広がっているものですね。

> このイチャイチャに終わりは無いのかもしれません

私もイチャイチャ好きです。
ただ、これもまた過ぎ去るものだと思うのです。

では、過ぎ去るのはいつか?

この遊びは何度か繰り返すのは優美です。楽しいです。
でも、何十回も、何百回も・・・と考えたときどうでしょうか。

>>216の問いを引用するようですが、

 このことに関してどれくらい意識を振り分ける価値があるのか?

と問うたときが、終わりの兆しなのかもしれません。

483:473
12/07/08 15:12:49.15 O8E0iCQ1
>>479
中身が、ない。私がそう思うからそうだとしか述べていないですね。
中身も理由もないので、これに対するお答えは、「はあ、そうかもしれないしそうでないかもしれないですねえ。」
と言うしかありません。ねえ。どうして根拠のないこれに賛成できるの?
理解した人はこうで、理解してない人はこうだと473は提示しているのにあなたは何も提示せず結論から入る。
話についていけてない。

>>480
私はそれに気付いていないですが、あなたがそれに気付いているのは良い事です。
気付いていない事に気づいている。それを瞑想と言います。

484:473
12/07/08 15:16:55.52 O8E0iCQ1
落とし穴に落ちた事がない人が、精神を超えた場合、落とし穴について語らず、
また、落とし穴に落ちないように配慮した表現もしない可能性を考えていました。

が、精神の、自我の狡猾さを鑑みるに、それは殆どないことと誰もが直接間接に表現していたとは思います。
精神は自分が主人であるあらゆる可能性を決してあきらめない。
それゆえに私たちはあらゆる落ち方をする。

それゆえに、その人の理解は、落とし穴にいかに落ちないかとう描写で表されるでしょう。
いかに落とし穴に落ちないかと言う仕掛けで間接的に表されているでしょう。

落とし穴にはまってしまっている人だけが、それを警告しなければ、それに落ちにくい表現に苦心する事もありません。
わかりえぬこと。


485:ニカサ・アア ◆UNegKIvARw
12/07/08 15:33:43.16 FP1hrA/6
>>483
「理解した人がこうで、理解していない人はこう」というのはこれのことです?

・悟りに「ついて」あるパターンを持って語ることを好まないでしょう。
・むしろ悟りに「よって」あらゆる物事を語ることを好むでしょう。

この区分け自体がパターンですが、それ自体はどう思っているのですか?

486:473
12/07/08 15:35:27.27 O8E0iCQ1
>>479
あなたのいうところの
>amaさんや悟り子さんろんさんや何人かの 名無しさん達のいる境地(内的な理解)
が私の中に見出されなかったのは規定路線であり、それは当然です。

私は同じ想像上の悟りを共有するつもりはもともとありませんでしたから。おお、私はそのようなものは要らないはずだった。
いらないはずなのにないと言われると、えー、ないのーと思ってしまうから精神の反応は油断ならない。
認識が違うのだから、互いにそのように評価しあうのはただただ自然な事です。

あなたからみると、あなたのいうところの、>根本的な無理解
が私に備わっているようにみえる言う事はどちらかというと安心するべき事実です。

だから互いの評価が互いに最低なのは自然な規定路線なので、それは語らずに
内容についてのやり取りをすればいいのではないでしょうか。

487:悟り子 ◆AAyxyMDKw6
12/07/08 15:40:25.08 LJZnq/aG
>>481
悟り子は架空の虹であり
この世のどこを探しても見つから無いのですが...いつでも貴方と共にいます
私達は永遠に一つです
(なにしろ私以外いないのですから・)


488:473
12/07/08 15:47:14.22 O8E0iCQ1
>>476 477
についての内容が間違いと言う主張ではないようですから、
実際に理解している人ならではの加筆修正をなさればよいでしょう。

自ら見出した人は付け足して広がりや精密さを補足できるでしょう。
それを見事な形で見せられたならあなたの理解の証となるでしょう。

根拠のない473への低い評価で相対的に自身を表明しようとするのは単純な自我の比較の働きです。
476、477の内容を種に、あなた自身の悟りによってその内容をより真に迫ったものとして広げられるなら
それは説得力を持つでしょう。「あなた自身が何か」という表現になるでしょう。

489:ニカサ・アア ◆UNegKIvARw
12/07/08 15:47:26.13 FP1hrA/6
>>486
あなたにとっては悟りは想像上の産物かもしれませんが、
それは人間に起こりうる普遍的な状態ですよ。

> あなたからみると、あなたのいうところの、>根本的な無理解
> が私に備わっているようにみえる言う事はどちらかというと安心
> するべき事実です。

あなたが良いならそれでもいいですが、それならOSHOや
クリシュナムルティは何も読めてないことになりますね。

そうなると、結局、473は「空疎なおしゃべりの域」との指摘は
あってますね。

490:悟り子 ◆AAyxyMDKw6
12/07/08 15:49:36.39 LJZnq/aG
>>482
>では、過ぎ去るのはいつか?

今・

491:神も仏も名無しさん
12/07/08 16:02:54.76 7wtBOnMc
>>473
確かに歩いていて突然開ける人もいるでしょうね
でもそれなりの過程は踏んでいるはずです
>平安を見出されましたか?
それらしきものは得ましたが、まだまだ強化が必要です

悟りが何なのかについては、
ないでもなく、あるでもなく
また、あるでもなく、ないでもなきもの
です

だから道ゆく人は、それに向かい歩みます
いきなりゴールには誰も辿りつけないからです


492:473
12/07/08 16:05:48.25 O8E0iCQ1
あなたからみると、あなたのいうところの

OSHOや クリシュナムルティからみるかれらがいうところの

と同一だと自動的に決定されている。
これに気付かないのが無意識。

というように473はいつでも根拠あって指摘してるのですね。

493:473
12/07/08 16:08:21.20 O8E0iCQ1
尊敬も非難も受ける。
雨と晴れのよう。

共にうけるのはほぼ必然的な事実なのですが、
片方を好み片方を嫌う事で内面的な地獄を作ってしまいます。

尊敬も、軽蔑も、どう扱ったらいいのかわからない。
私は私だ。
その言明のきらめきよ。

494:473
12/07/08 16:15:52.61 O8E0iCQ1
>>489
>あなたにとっては悟りは想像上の産物かもしれませんが、
それは人間に起こりうる普遍的な状態ですよ。

473はこんな事言ってない。

想像上の悟りと、想像を超えたと言うところの悟りがある。
後者を見出した人は前者でないものとして後者を語る。
それが後者を見出した客観的な証拠になる。

前者について語れない人は前者にどっぷり浸かっている。
その状況判断でニカサ・アアさんを判別しています。
473は基本的に判断基準を提示して判断を提示しています。

495:ニカサ・アア ◆UNegKIvARw
12/07/08 16:17:02.36 FP1hrA/6
>>490
恐れ入りました。悟り子さんは悟りを生きてますね。

時間は「今」しか存在せず、「現在過去未来」は常に想起の中でしかない。
この知恵は悟りがくれました。あと比較することが無意味であることも。

ただ、深いところで理解しても、表層は凝り固まっているので>>482のような
愚問をしてしまいました。

去るのは「今」しかないですね。永遠の「今」以外に時間はないのですから。

496:ろん
12/07/08 16:19:56.23 16qf4yfb
觀自在菩薩 行深般若波羅蜜多・・・

497:神も仏も名無しさん
12/07/08 16:27:32.18 PaqRnlV3
>>496
照見五蘊皆空の空ってよく分からないんだよね。空ってどういうこと?
なにもないってことじゃないんでしょう?

498:ニカサ・アア ◆UNegKIvARw
12/07/08 16:40:37.57 FP1hrA/6
>>494
> 473は基本的に判断基準を提示して判断を提示しています。

あなたの判断基準は根本的な誤解に基づいているものなので、
たいてい的外れです(ときどきいい線いっているのはあります)。

また、473さんの提示はよく文章が整えられているようにも見えますが、
それは語尾・語調が整っているだけで、あなた自身の認識が
>>454のように、実体について「私はあると感じている」という段階である
以上、あなたは「まだ」の段階なのです。

ちなみに、「想像上の悟りと・・・」とまた悟りについて語っていますが、
実際に確かめたことはありますか?

また、「想像を超えたと言うところの悟りがある」と言いますが、具体的に
どういうことかわかって言ってますか?

悟りは悟る前の想像を平気で超えるのはその通りで、むしろ予想された
悟りは悟りではないのもよく言われることです。

私の場合は、最初の悟りを得る前まで自分が持っていた価値観、知識が

「全て間違い、間違いとはいかなくても非常に部分的、もしくは不十分」

という感覚でした。悟りがもたらしてくれたものは、「世界への接し方」の
根本的な変革です。

そして、私の場合は、仏教をかじる前だったので、悟りを得たあとから、
般若心経を読んで、あぁ、この体験は「悟り」というのだ、と”後から”
悟りを言語化できました。

473さんにはこういった体験・感覚はありますか?

499:神も仏も名無しさん
12/07/08 16:48:12.35 7wtBOnMc
断見とマーヤには注意した方がよろしいかと…

500:473
12/07/08 16:56:27.54 O8E0iCQ1
>>454のように、実体について「私はあると感じている」という段階である
以上、あなたは「まだ」の段階なのです。

ならあの悟りの4つの階梯は嘘という事になる。
なぜなら1497の欲望が、精神のざわめきがあると感じている実情があるからです。
表層意識でないという体験をしているのは1500分の3に過ぎないのです。
1497の未解決の欲望が499倍の実際なのです。

と、いうことが分かるのが第2の悟りで、第一の悟りでは全くわからないのか、、。
どちらにせよ第一で満足するために第一の悟りがあるのではないので、次にゆきましょう。

>ちなみに、「想像上の悟りと・・・」とまた悟りについて語っていますが、
実際に確かめたことはありますか?
また、「想像を超えたと言うところの悟りがある」と言いますが、具体的に
どういうことかわかって言ってますか?

それこそあなた自身が、わかっているなら、あなた自身がわかっているならこういえますというような
表現をすれば、あなた自身に判別方法があれば今までの473の書き込みから判定できるでしょう。
はい判ってる。とは誰でもいえるので意味のある答えには思えません。
想像上の悟りとそうでない悟りをわかっている人は、私の書き込みについて、想像上の悟りに落ち込まない
しかけや配慮があるから多分この人は想像上のものから抜け出している、抜け出していないと判別できます。
そしてより説得力のある、真に迫った描写で、私が書いた方向性でそれよりより真に迫ったものに補足もできるでしょう。
同等なら連作と補足になるでしょう。

501:ニカサ・アア ◆UNegKIvARw
12/07/08 17:01:56.47 FP1hrA/6
>>499
ありがとう、断見も迷いも意識はしてます。

しかし、時間と言葉と能力の制約の中でできる限り部分となると
こんな感じになってしまいました。

書き落とした瞬間、既にいくらか違ってますね。
もうね、悟りが渡せるものなら、直接渡したいです。
言語は制約が多いし、間接的だしで、まどろっこしくて。

502:473
12/07/08 17:11:30.32 O8E0iCQ1
>473さんにはこういった体験・感覚はありますか?
既に提示してるかもしれませんよ。
>体験そのものではなく、物事の認識がそれまでと変わってしまうのです。
過ぎた体験ではなく永続性のある「小さな」変化の事です。
1500分の3だけは目覚めているので(小さな変化)それが中心となって広大な欲望の群れを認知し始めます。
それまでは自らは欲望そのものなのでけっして欲望を直接認知できません。

>”後から” 悟りを言語化できました。
瞑想が起きれば、技法は落ちる。という言葉がありましたが、完全に無視していました。

瞑想などもう自分はできていると思っていましたが、瞑想が起きて初めて
自分は不断の欲望であり一瞬でも目覚めた事はなかったと見出しました。

方向性は似てるのですが、「般若心経の悟り」として言語化するんですか?
私はもっとささやかな瞑想や覚醒という言葉の指し示すところ、それが今までなかったと言うところを見出しました。

>最初の悟りを得る前まで自分が持っていた価値観、知識が
結局新しい体験で、新しい価値観や知識に鞍替えしているならある意味状況は変わりません。
価値観や知識から一瞬でも自由になれば、それに捕われない態度が出始めるのです。
そして知識と価値観が作り出す悟りの体験の危険性も理解し始めます。
どんな知識もどんな価値観も、精神がそれを利用しようとするなら、「精神が延命するだけで全く同じです。」

503:オレって名無しかよ!?
12/07/08 17:24:58.88 J07cff7X
>>501

ニカサ・アアさんは預流果である事に、こだわり過ぎだと思うよ。
預流果やそれ以上の境地は、早い遅いの違いはあっても
人はいづれ辿り着くんだから、何か特別なモノだという思いは捨てたほうがイイと思うよ。

504:ろん
12/07/08 17:30:30.44 16qf4yfb
行深般若波羅蜜多

505:神も仏も名無しさん
12/07/08 17:30:30.63 akBpgxYt
なんというか、473さんは休日でも平日でも四六時中2chにいるな。
悟りとか自我への執着以前に、2ch依存なのでは?
何というか、素直にその人の言ってることと行動を見ればいいと思う。。。

506:ニカサ・アア ◆UNegKIvARw
12/07/08 17:35:36.88 FP1hrA/6
>>500
真に迫った描写をお望みのようなのでズケズケと言います。

あなたが書いたものを読んで、あなたが解っていないことは
解ってました。

 473は自分でよく解っていないことを、上辺だけで言っている
 ことがバレてますよ

ということの自覚を促したかっただけです。

> 想像上の悟りに落ち込まないしかけや配慮があるから多分
> この人は想像上のものから抜け出している

これはあなたが周囲の人に思われたいイメージですね。
そこに誘導したいのでしょうが、あなたをそのように判別は
できないです。
まだ騙せる人はいるでしょうが、見る人が見れば、あなたは
空も無我も論じられるレベルには「まだ」いないです。

なぜなら体験を語れず、>>454のような実体について致命的な
勘違いをしたままだから、あなたは「まだ」の人です。

507:§
12/07/08 17:42:11.99 no73ebAC
無意識に埋まっている憎悪がどれだけ凶悪か・・・
少し垣間見えただけで色々と危なくなったことあります。
普段どれだけ蓋をしてないことにしているか・・・悟りを語るのも蓋にすぎない。。。

508:473
12/07/08 17:47:24.93 O8E0iCQ1
>2ch依存なのでは?  ですよねー。
以前というかそれが自我ですねー。

数年前の自分の書き込みを見てきたが非常に整っていて美しかった。
自分の無意識にあまり目覚めていないころ。
それでも判断基準なしに相手にレッテルを貼ったりしてはいなかった。
やはり目覚めの一瞥があって、価値基準を提示せずに一方的に他者非難するのは違和感がある。

この完全に自動的な価値観との同一化と、他者評価。
これをやってしまう回数が多いようだと、目覚めの一瞥より、己の価値観との完全同化を単に示している。

自分自身が言葉であるうちは自分自身を定義する言葉を非難されたら、自動的に相手の存在を否定せざるを得ない。
理由の提示は不可能だ。その理由が自分そのものなので認識できない。
自分の定義が言葉だけでなく、意識が増えるほどに、受ける言葉は意味を失い、根拠なきレッテル張りも減るでしょう。

というより、私は私を言葉による評価だと思っていて、しかも気に入らない過去の評価を抑圧してると感じる。

509:473
12/07/08 17:49:54.40 O8E0iCQ1
>>506

500の前半に答えていない。
後半についてあなたができないのであれば判断する力量もまたない。

見事な飛ばし読みによる返答。
誰と会話してます?

510:ニカサ・アア ◆UNegKIvARw
12/07/08 17:50:13.03 FP1hrA/6
>>503
まさにその通りです。
今は両手でぎゅっと握っているので、次が入ってくる余地がない
です。困りましたねぇ・・・。

> 人はいづれ辿り着くんだから、何か特別なモノだという思いは
> 捨てたほうがイイと思うよ。

ここまで悟り切りたい(切実)


というのはさておき、何にもしてないわけではないのですよ。

ここにいるのは他に進んだ人達がいて、自分が特別なモノでは
ないことの理解・体験・実感を進めるためでもあります。

他のコテさん言動や、オレさんのような指摘がある度に特別な
モノとの認識は薄くなるので。

そして、この戦略はおかげ様でちょっと成功しつつあります。

511:473
12/07/08 17:51:00.26 O8E0iCQ1
>上辺だけで言っている

2年前の書き込みはそうだったなあ。
今はのこり1497のほうがメインですので。

512:ろん
12/07/08 17:52:45.75 16qf4yfb
473にとっては、2ちゃんの書き込み=自己のようだ。。。ww

2チャネル依存どころじゃなくて、2チャンネル命wwww

513:ろん
12/07/08 17:53:54.66 16qf4yfb
病人を観察するスレになっちまったようだ。。w

やれやれだな。。

514:ニカサ・アア ◆UNegKIvARw
12/07/08 17:58:09.62 FP1hrA/6
>>509
>>500の前半は何をどうとったらそんな解釈になるか、
図りかねたのでスルーしました。

どのみち、その解釈を聞いたとしてもあなたの悟りに対する
解釈自体、砂上の楼閣なので、例え言葉を重ねても、
的が外れ続けるだけで、会話にならない点からもスルーです。

強いて言えば、473さんが「まだ」な時点で、厳しいようですが、
悟りについてあなたから聞くことは何もありません。

515:473
12/07/08 17:59:43.25 O8E0iCQ1
>あなたが書いたものを読んで、あなたが解っていないことは 解ってました。

こんな意味不明な断定をする人が解かっている事を解かっていないというのはすばらしい事です。
解ってしまったら大変です。



516: 忍法帖【Lv=10,xxxPT】
12/07/08 18:00:27.21 7rn0PBTP
悟りを発明しろよ!?♪。

517:473
12/07/08 18:03:16.28 O8E0iCQ1
>>514

私が聞いてたんですけどね。
この方向性で表現できたら、それは理解してない人にはまねできないものだろうからやってくださいと。

私よりうまくやってくださいと。

518:無しよ
12/07/08 18:17:10.62 JYDoWdLe
>>428
我々は473さんの悟りの踏み台ってことですね
修羅だなぁ…もっとそれを出してくれてもいいのに
おまいらは俺の踏み台なんだよ、とかわかりやすく言ってほしい
自我に愛なんかないですもんね

>いつか自らの全てをかけて挑戦してみるといいです。
と、瞑想云々のとこでおっしゃってましたが
鏡を見ることにも瞑想と同じくらいの勢いで
いつか473さんのすべてを賭けられてみたい…踏み台としては!
いまんところ473さんにかまってもらってちょっと良い気分です


519:オレって名無しかよ!?
12/07/08 18:27:31.19 J07cff7X
>>518
>我々は473さんの悟りの踏み台ってことですね

踏み台にしたけりゃ、いつでもどうぞと言いたいが
踏み台は踏んで上に上がるからこそ踏み台なのに
踏み台の前で足踏み続けてるようじゃ踏み台を続ける甲斐がない。

520:神も仏も名無しさん
12/07/08 18:32:33.66 JBipQ/cN
473はまともだよ

悟りについて語れること、悟りを理解していること、
それはおまけ

自分に本当に正直なのか、そこにしか真実はない

473は寝ぼけているわけじゃない

月を指す指を、指すことがどんなに上手になっても
意味がないことを知ってるだけ

521:ろん
12/07/08 18:46:12.52 16qf4yfb
>>520
意味がないことを知れば、ふつう沈黙するのではないか?

というか、自分未だし、自救不了なら、まずは自分の修行をするのが当たり前だ。。

救われていないやつが、わーわーギャーギャー喚いて、認めてくれーとか言っても、周りはただ閉口するだけ。。

自分で自分の長文にうっとりして、尊敬してくれるやつがいるに違いない、と思い込んでいる、と言うのはよ~くわかった。。ww

ナルシシズム性自閉症というか、要するに自分だけの妄想宇宙に住んでる人だから、周りが何言おうが、まったく理解できんのよ。。

病気の人には何を言っても無駄だと思う。。

経過を見守るのみだ。。w

522:Ope
12/07/08 19:35:26.68 b4cEfQjK
>>395
> 勉強になりました

ありがたいお話の対極として
どうでもいい話をくっつけてみました

>>399
> 在る・無いは、一つの明確な区分です。
一瞬、寝言を言っているからといって起きているわけじゃないし
区分なんてないんじゃないかな


>>412
> あまりにもベタ過ぎです。。w
ドラやきなら買って来れるかも だったらどうかな











・・・




絶句だな

523:ニカサ・アア ◆UNegKIvARw
12/07/08 19:38:50.35 IjCVCLk2
>>515
あなたはあなたが書いたものを以って判断してくれと言い、
そのとおりに判断した結果です。

具体的に判断されると「意味不明な断定」とは、それこそ、基
準を示さずに結論だけですよね。

524:神も仏も名無しさん
12/07/08 19:40:38.85 7wtBOnMc
断見常見の多さ故、アラが目立つ
突っ走ってる間は何も見えないもんさ
近いから皆が助けるの図にも見える
実際のところは良く分からんが…
必ずいつかは止まる日がくる

525:473
12/07/08 19:41:56.24 O8E0iCQ1
>>518

他者を救おうとする事は自分にも他人にも害悪を与えてしまいます。
それをしない事で精一杯。
そのように表面で表現できるのですが、じゃあそれって実際どういうことなのと示したのが428です。
428でいる事すら大変ですよ。精神は隙を見ては教化の相手を探して自他の眠りを深めますから。

>いつか473さんのすべてを賭けられてみたい…踏み台としては!
そういうゆとりやユーモアのセンスのある人は473を判断基準で裁いて、自己の混乱を投影して、無茶苦茶言ったりしないので踏み台にはなりませんね。

>いつか自らの全てをかけて挑戦してみるといいです。
適切な時期や用意があり、それがその人個人の成功を保証するでしょう。
挑戦する前におおよその用意を済ませてしまっている場合もあれば、用意を済ます前に瞑想に全力投球せざるを得ない
精神構造であるということもあり、そちらは瞑想を見出す事ができてもそこからが大変です。
一番しっくりする時期にコミットするのが一番の近道だと思います。

>>519
そういうこと言う人は私を喜ばせるので踏み台になりません。
ただ、目が覚めますね。

526:Ope
12/07/08 19:47:55.00 b4cEfQjK
>>425
> 473は言いたいことをもっと端的に言えないのだろうか?
脳内の思考が止まらないのだろう

>>449
> 「友情」とはなんでしょうか?
種の性質として、1人ではいられない
という傾向を持っているから友情が生まれてくる
おそらく集団で生活する宿命があるからなのだろう

もしも、我が落ちたり弱くなったとすれば
集団のなかでも1人であり
集団に依存することはなくなるだろう

527:473
12/07/08 19:49:56.44 O8E0iCQ1
わずかな層が消えるたびに消えた層を言語化すると、皮むきが進まないどころか停滞する。
この辺反面教師に。


528:ニカサ・アア ◆UNegKIvARw
12/07/08 19:58:37.67 IjCVCLk2
>>502
> 1500分の3だけは目覚めているので(小さな変化)・・・

惜しい所ですが、目は覚めてないでしょう。逃している、と思います。
無常であること、無我であることの字面だけ理解しているだけです。

自己申請されるのは構いませんが、ろんさんとの数スレにも及ぶやり
取りを見ても、「1500分の3だけ目覚めている」には遠く及ばないです。

それは目が覚めていれば、有身見、疑、戒禁取を滅しているので
あれば、無我を背景とした会話が可能ですが、それができないから
数レスにも及ぶ問答に及んでいるものと思います。

お互いに目が覚めていれば、>>482>>490のように一瞬で終わる
話です。

529:ニカサ・アア ◆UNegKIvARw
12/07/08 20:12:22.11 IjCVCLk2
>>522
> 区分なんてないんじゃないかな

はい、区分はないです。その通りです。

全ての区分と比較は無意味です。全てはそのものの自体であり、
レッテル張りをして区分できないもので、また表現できない欠けがえのない
価値を有しており、他と比べられるものはないです。


ただ、何かを説明する上では、悟りと迷い、あれとこれ、こういうモノと
そういうモノ、過去と未来、部分と全体、いまといつか、というように、分けて
説明せねばなりません。

それらの区分が幻想であることを承知で、分けました。
決めずに、区分せずに、選び出さずに説明する方法が何かあると良い
のですが、、、現実には方便として分けずにはいられないかと。

530:ろん
12/07/08 20:22:49.49 16qf4yfb
>>522
>絶句だな

いやいや、そんな自虐的にならなくても。。w
御椀を洗わせたい師匠の話はけっこうおもしろかったし。。

これからもどんどんOpeギャグを書き込んでください。。

たぶんおもしろいですから・・ってフォローになってるのか。。ww

531:473
12/07/08 20:46:20.58 O8E0iCQ1
どんな観念も持たなければ変革が起きうるというのは語弊がありました。

どんな観念も古い精神がそれ自身を超えようとする葛藤をもたらします。
ただ、それがなくなるというだけです。

ここで2つの道があるでしょう。
古き精神の範囲内でなるべく苦しまず生きる道。

何の変化の保証もなく、ただ死に向かうだけであっても、今までと同じよりはましだと、
それを見つめたまま死んでもいいと、古くからの精神の動機に覚めることです。



532:ニカサ・アア ◆UNegKIvARw
12/07/08 20:50:32.81 IjCVCLk2
>>502
> 「般若心経の悟り」として言語化するんですか?

般若心経を通して、仏教で描く悟りが自身の体験と一致したため、「悟り」とのラベリングを
行ったまです。
五蘊皆空から究竟涅槃まで読んで、般若波羅蜜の意味はさておき、自身の体験と照らして、
認識の一致を見たという感じです。


> 結局新しい体験で、新しい価値観や知識に鞍替えしているならある意味状況は変わりません。
> 価値観や知識から一瞬でも自由になれば、それに捕われない態度が出始めるのです。
> そして知識と価値観が作り出す悟りの体験の危険性も理解し始めます。
> どんな知識もどんな価値観も、精神がそれを利用しようとするなら、「精神が延命するだけで
> 全く同じです。」

上記はあなたの憶測ですね。悟りを表していません。特に「全く同じ」ではありません。
同じように見えるだけです。

悟りはWindowsに例えると、OSがVerUpするようなものです。

一見、同じAPで、そのAPが同じ見た目、挙動をしたとしても、そのAPを処理する体系・やり方が
全く異なっています。
そして、中には動かせないAPがあるかもしれません。そして、四沙門果で説明するならば、最初
のVerUpで動かせなくなるのが有身見、疑、戒禁取といったものです。

533:ろん
12/07/08 21:10:14.86 16qf4yfb
>>531
おまえは2ちゃんを卒業するか、休むかしないと、変革は起きえない。。ww

キッパリと断言できます。。ww

534:ろん
12/07/08 21:13:08.68 16qf4yfb
いつまでたってもクリシュナムルティの口マネ、オショーのばったもんじゃーなー。。w

天国のオショーは呆れてるぞ・・オレの弟子はバカでバカでどうしょうもないと。。ww



535:ニカサ・アア ◆UNegKIvARw
12/07/08 21:18:15.52 IjCVCLk2
>>497
空とは実体がないことを指します。

# ここでいう実体とは「他の何者にも依らず、それだけで存在できるもの」と
# 定義します。

この世界はどんなものでも全て縁が寄り合わさって成り立っているだけです。
それは、あなたも私もそうです。

無限に続く水面を思い浮かべてください。
そこに小さな水面の盛り上がり(突起)が2つかあるとします。
それがあなたや私です。

この水面の盛り上がりは、実は小さな波が無数に一時的に重なって、
たまたまそこが盛り上がっているだけです。

波の一つ一つはとても小さく、縁と呼ばれます。
その一つ一つがあなたや私の構成要素ですが、どれもあなたや私ではありません。

また、水面に新しい波が立てばあなたと私のと見えている突起も、その波の影響も
受けます。これが縁によりて生ずるということ(縁起)です。

縁が生じてたまたま事象(水面の突起)が生じているが、突起自体は実体ではない。

このように見るのが空です。

536:ろん
12/07/08 21:33:35.67 16qf4yfb
水の如く、空の雲の如しだね。。

自分がどんな形であろうが、執着しない、というか自分を認識しない、忘じている。。

修行ではなくて、そのまま・・だから禅宗の修行僧は、雲水さんと言われる。。

537:神も仏も名無しさん
12/07/08 21:37:54.04 PaqRnlV3
>>535
お答えありがとうございます。
とすると突起(事象)に実体はないとしても水面は在るわけですよね。
この万物の実体ともいえる水面にあたるものっていうのはなんなんでしょう?

538:神も仏も名無しさん
12/07/08 21:44:25.04 J2ObNSPa
>>481 ロンは女好きだな ダメだこりゃ
    うまくいかんな 

539:オレって名無しかよ!?
12/07/08 22:02:42.72 J07cff7X
>>537
「存在」
でも、「存在」には事象での存在は無い。

540:ろん
12/07/08 22:25:35.49 16qf4yfb
>>538
一休さんのモノマネだよん。。w

541:ろん
12/07/08 22:26:23.11 16qf4yfb
オレムの方が、女大好き、エロ大好き。。ww

542:神も仏も名無しさん
12/07/08 22:36:20.44 J2ObNSPa
>>540 独身を貫いたほうがよさそうだな こりゃ

543:ろん
12/07/08 22:37:10.04 16qf4yfb
>>542
なんでてめーは人の心配ばかりしてるんだ、コラァ。。

544:神も仏も名無しさん
12/07/08 22:53:11.95 J2ObNSPa
>>543 女が欲しければ素直に風俗に行くが良かろう おまいさんのばあい

545:ろん
12/07/08 23:46:29.01 16qf4yfb
何を言ってるんだろう?

このひとは・・フーゾクへ行けとかダメだこりゃとか、意味の分からん奴だなー。。

546:オレって名無しかよ!?
12/07/08 23:59:01.98 J07cff7X
>>541
うん、俺、女大好き、エロ大好き

そもそも女性の嫌いな男っている?









いるなぁ確かに

547:安道
12/07/09 00:21:25.35 dHb9hrOj
一切有為法は夢幻泡影なり・・・

548:安道
12/07/09 00:34:13.38 dHb9hrOj
473は壮大な夢を書いておられるようだ・・・・。
しかし、本人が夢の中だと気づいてないようだ・・・。

549:安道
12/07/09 00:37:05.30 dHb9hrOj
邯鄲の夢

趙の時代に「廬生」という若者が人生の目標も定まらぬまま故郷を離れ、趙の都の邯鄲に赴く。
廬生はそこで呂翁という道士(日本でいう仙人)に出会い、延々と僅かな田畑を持つだけの自らの身の不平を語った。
するとその道士は夢が叶うという枕を廬生に授ける。そして廬生はその枕を使ってみると、みるみる出世し嫁も貰い、
時には冤罪で投獄され、名声を求めたことを後悔して自殺しようとしたり、運よく処罰を免れたり、
冤罪が晴らされ信義を取り戻ししたりしながら栄旺栄華を極め、国王にも就き賢臣の誉れを恣に至る。
子や孫にも恵まれ、幸福な生活を送った。しかし年齢には勝てず、多くの人々に惜しまれながら眠るように死んだ。
ふと目覚めると、実は最初に呂翁という道士に出会った当日であり、寝る前に火に掛けた栗粥がまだ煮揚がってさえいなかった。
全ては夢であり束の間の出来事であったのである。
廬生は枕元に居た呂翁に「人生の栄枯盛衰全てを見ました。先生は私の欲を払ってくださった」と丁寧に礼を言い、故郷へ帰って行った。

『枕中記』

550:安道
12/07/09 00:41:07.17 dHb9hrOj
胡蝶の夢

以前のこと、わたし荘周は夢の中で胡蝶となった。喜々として胡蝶になりきっていた。
自分でも楽しくて心ゆくばかりにひらひらと舞っていた。荘周であることは全く念頭になかった。はっと目が覚めると、これはしたり、荘周ではないか。
ところで、荘周である私が夢の中で胡蝶となったのか、自分は実は胡蝶であって、いま夢を見て荘周となっているのか、いずれが本当か私にはわからない。
荘周と胡蝶とには確かに、形の上では区別があるはずだ。しかし主体としての自分には変わりは無く、これが物の変化というものである。

『荘子』

551:安道
12/07/09 01:01:23.11 dHb9hrOj
どうやら悟りスレの馬さんは
鬼が使う「意識」という語の意味がわかってないようだ・・・。
大抵の瞑想者が知る「意識」は「純粋意識」といわれ、
かなり多くの人が用いる言葉である・・・。
恐らく「唯識」から来ているものと思われる。


552:Ope
12/07/09 01:05:59.02 qWq3wfQl
>>529
> それらの区分が幻想であることを承知で、分けました。
そうですか
悟りの最終段階が幻想であると承知しているということですね

>>530
> これからもどんどんOpeギャグを書き込んでください。。

弟子:考えておきます

>>480
> このイチャイチャに終わりは無いのかもしれません・
人は独りでいると発狂するようです
しかし・・・
独りに問題ない人もいます
孤独と悟りこれわかりますか

553:安道
12/07/09 01:07:15.94 dHb9hrOj
すべてが意識である。という・・・。
このように使用する時は、三界唯心万法唯識と
同じ表現になる・・・。

ただしこの意識は、誰かの意識にはならない。
つまり誰のものでもない意識という言い方になるのだろう・・・。
唖の人が夢を見たようなもので、ただ自分一人で噛みしめるよりほかない。

554:オレって名無しかよ!?
12/07/09 01:21:16.24 mWNu124C
>>552
>悟りの最終段階が幻想であると承知しているということですね

悟りそのものが幻想である、なんてのはどうでしょう?

555:無しよ
12/07/09 01:54:15.33 Jp83VVMF
悟りからの解放~

556:ろん
12/07/09 02:11:36.10 ZRScAzIM
>>547
おいらの最近のモットーは、色即是空とかじゃなくて、塵塵三昧よ。。

わかる、これ?

碧巌録のどっかにあった。。

要するに生活仕事、細かいこともおろそかにしないということだな。。

557:ろん
12/07/09 02:16:14.60 ZRScAzIM
>>552
>孤独と悟りこれわかりますか

孤独を好むようになる人もいるかもだな、悟ったら。。

おいらは独りも人と一緒もどっちも好きだけど。。

人付き合いを避けもせず、求めもせず、といったところか。。

達磨さんは独り、面壁九歳と言われるけど、ホントに坐禅ばっかしてたんだろうか??

558:ろん
12/07/09 02:16:55.36 ZRScAzIM
塵塵三昧、未だ成らずなのだけれど。。w

559:無しよ
12/07/09 02:53:28.87 Jp83VVMF
>>525
オレムさん >踏み台の前で足踏み続けてるようじゃ踏み台を続ける甲斐がない。
473さん  >踏み台にはなりませんね。

ということは踏んでもくれないのか
オレムさん的に言えば実は誰も踏んでくれてないのか…
わかった
ということは…試し斬りでしたか

>他者を救おうとする事は自分にも他人にも害悪を与えてしまいます
それはそう思う。自分で自分を救えるのに、というまさしくそれ
だが、あなたのその偏執的な正しさも、結局は「正しさの手本」としての
ある意味誰かこれを見ている人への教化にも思えるときがあってね
救いたいを止めるのって絶対無理だって。影響されないのも無理だけど

影響されるのも、救いたいのも、それはじゃあほんとにあなた自身なの?…と問いたい
判断基準で裁いて、自己の混乱を投影して、無茶苦茶言ってみるぜ



560:473
12/07/09 09:16:33.07 gnl/WSsd
>>528
>無我を背景とした会話が可能ですが
「可能」
そう、表面的にそれを行う事は第一の悟りでなくてもできますし、第一の悟りの人は非常にうまくやるでしょう。
しかし無意識は怒りに煮えたぎっています。無意識とはそんなものではないでしょうか。

しかし
>一来果では、有身見、疑、戒禁取の三結は当然消えていますが、その他に、欲、怒り、無知の三煩悩が、いずれも弱くなります。
「え~っ、たったそれだけ?」はい、それだけです。

というように第2の悟りにあっても「そうある」ことはできないのです。
第2の悟りに入り始めて、ようやくそれらが減り始めるというぐらいですから、自分自身の凶暴な無意識が活動している事を自覚して、
ようやくここでそうすることはできてもそうあってはいない事を知識として出なく実感として気付き取り組み始めます。

あなたはこのポイント以外を重視しますが、このポイントを見逃すのはこの部分をまだ内部的に理解していないからであり、
このポイントの重要さに気付いていた仏陀がこの段階を付け加え強調したのではないでしょうか。

561:473
12/07/09 09:23:39.31 gnl/WSsd
>>559
奴隷になりたい。

ああ、これ無意識の本音です。
提示された価値観によって己のあるがままを否定し、進んで奴隷となり、その価値観そのものになってしまう事で、
経済的な、精神的な安心を図りたい。
会社や社会にある無数のばかげた因習に進んで身をささげ、誇りを持ってそれに染まりきりたい。

そうすればとにかく安心だ。
これが理想や、規範や、社会的価値観のマインドの実情かと思います。

外向的
それに従うと、人はその価値観そのものになり、また分裂症気質になります。
これらの価値観は人のハートを満足させないため、ハートを満たす別の人格が必要になります。
空虚さを感じる人生ですが、それからの逃避方法はふんだんにあります。

内向的
そしてそれに従わないと、自分自身を責め立て始めます。
そういう人は自分自身の感情と調和し、空虚さは感じないですが、社会としっくり来ず、
また内部の社会の声が自己批判して苦しい。

562:ama ◆BmUbLWewsM
12/07/09 09:24:24.85 UPYr6WAL
>>444
> それが何々であると意識したとたん、その働きは止まってしまわないでしょうか。

意識(認識)できるものは、過去ですね。
「それ」は意識(認識)できないです。
できないけど「それ」の真っ只中を生きていますよね。
それで十分なのに、なぜ、わざわざ意識(認識)するのか?ということです。

> またその悟りを希求したとたんそれは、その働きではなくその働きのような精神の作り出す夢になってしまわないでしょうか。

悟り体験は一度したら忘れ捨て去るべきでしょうね。

> 「本当にあるがままなら、執着は減っていくでしょう
> 執着を保存するのが、あるがままと思っているのなら、勘違いですね 」
> というのは非常に良いところをついているように思います。

執着が減るのですか?
執着に苦しまなくなるのではなく?

> 私はそのamaさんが悟りと言う働きがおきるような書き込みをしています。
> その働きが死なないような書き込みをしています。

そんな書き込みができるのですか?
人をコントロールできるとお考えではないですよね。

> amaさんは悟りと言いゴールのような錯覚を与えていませんか?

どのように受け止められるかは分かりません。

> >落ち着く事、というのは精神がその精神の既存の働きに安穏とするように仕向けていませんか。

何を危惧していらっしゃるのでしょう?

563:神も仏も名無しさん
12/07/09 09:30:56.63 AoMkROCQ
自分にしがみつきすぎだよw
悟りは自力じゃどうにもできないよ
他力によってそうなってしまうものだから

564:神も仏も名無しさん
12/07/09 09:32:55.73 AoMkROCQ
もっと気を楽にして宇宙とダンスしなさいな
神とでも無意識とでもなんでもいいけどw

565:ama ◆BmUbLWewsM
12/07/09 09:33:12.52 UPYr6WAL
>>446
473さんがその理想や夢をお捨てになっても、
その違和感や疑問は残るのでしょうか?

566:473
12/07/09 09:37:35.85 gnl/WSsd
>>559
私はそういう社会的規範に目覚めてはいません。それは昔に植えつけられてしまいました。
それらは今でも動いていて、私はそれを嫌い、抑圧しています。
抑圧していると理解はありません。
自分の中のそれに目覚めるのではなく、社会の、また他人が投げかける規範や理想に、自分の中にあるそれの蓄積を投影して
闘ってしまいます。

というような事に気付くためには、私の中のそういう植えつけられた価値観を活性化させるような非難が必要だったのでしょう。
社会、宗教、道徳の理想と、それに反抗するマインド。そんな葛藤の構造。
特にどうすればいいという事ではなく、毛嫌いしていた因習の奴隷が、毛嫌いしていたからこそそっくりそのまま自分の中で活動しているという事に気付けたのは不幸中の幸い。
OSHOは良くこれについて語っていたのですが、その重要性に気付くのはそれに気付いてからでした。

抑圧しようと(内向)乗っ取られようと(外向)それはタイプの違いで優劣はありません。
何をしても無駄なのは同じかもしれませんが、出発地点が違うので起こる物事も違うでしょう。

宗教的信念、思想というのもそれに乗っ取られて進んで奴隷となる事で自身の無意識の不安を和らげる働きがあります。
その奴隷となった人は誇りを持って他の人をその奴隷にしようとするでしょう。



567:473
12/07/09 09:46:48.55 gnl/WSsd
>なぜ、わざわざ意識(認識)するのか?ということです。
でも、それすらないときは無意識であり、とある思考にとっとられてその思考の通り夢遊病者のように生きているかもしれません。
その意識、認識を、意識する人を意識することが起きるのが悟りなんていわれると思います。
意識は苦しみをもたらしますが、人は無意識に落ちる事もできれば、意識に覚醒する事もできると、そのように聞きます。

>そんな書き込みができるのですか?
消極的な意味合いです。その働きを阻害する信念の働きが起き難いような表現です。
>執着が減るのですか?
え?減らないのですか。
減らなくてもいいのですが、それが無いと見出すのが仏教の悟りなので、何で悟りという単語使うのかな。
減らなくても悟りというなら、仏教否定かもしれず、それは面白いです。
別の見解を持つのはいいのですが、別の見解で同じ単語を使うと気になります。

>>531
の選択があるだけでしょう。といっても選択できるのは前者だけで、後者は選択ならざるものかもしれません。


568:473
12/07/09 09:55:20.00 gnl/WSsd
>amaさん 567続きです。

473さんがその理想や夢をお捨てになっても、その違和感や疑問は残るのでしょうか?

表面的なそれに頼る事をやめると実態が現れてくるのではないでしょうか。
何とびっくり、その集合体が活動していました。

表層の、意識化にあるレベルで理想を捨てる事も大変な恐怖を生みます。
それは何の変化も実は保証していないからです。
理想を捨てたら変化が起きるという理想も捨てなければいけないので、大変不安です。

あるがままとは、あるがままという観念ではないものですね。
精神があるがままという感覚を持つときは既存の精神既存の執着や不安の全てがあるがままという夢を一時的に
みるのであって、あるがままという観念は執着を存続させてしまうものです。
それではないあるがままを伝えるには、「前者のように誤解されないための細心の注意を払った表現が必要ではないでしょうか。」
というより、まず私自身観念として自身を騙さないよう注意しなければなりません。

まず表面的にすてると決意する次元がるでしょう。
表面的な部分で実際に捨てるという事実の次元があるでしょう。
そうしたら無意識全体のその集積である、、、、、、。実際もう言葉で表すのが野暮な次元でしょう。

569:473
12/07/09 10:00:39.01 gnl/WSsd
>>532
>悟りを表していません。
それはそうです。悟りでないものについて話す事で悟りを示唆しています。

全く同じというのは語弊があるでしょう。
精神の構造に変化があったからこそ、新しい価値観を持つという事もあります。
反面、中身は殆ど変わってないのに価値観だけ変わる場合、瞑想体験により自分を特別だと思いより自分自身に対して無自覚になり、
もとある精神の傾向がより悪化する場合があります。
瞑想体験は成長の副産物なのですが、その副産物に執着すると、むしろ何もしないより悪い結果になる事も多いと聞きます。
体験への執着は自己の特別視であり、正にその分だけ自己への目覚めが減少するのではないでしょうか。

それはOSHOもクリシュナムルティーもグルジェフも警告しているのです。

570:473
12/07/09 10:21:37.73 gnl/WSsd
>>565
は、あなた自身がその理想から自由なのなら、amaのいうそれに疑問を感じるのでしょうかということですね。

要は自由になりきっていないから噛み付いてしまうということがわかってきました。
しかしamaさん自身にとってはまた他人事であり、amaさんにとってはこの指摘は一つの外界からの挑戦でしょう。

それに互いに深刻になってはいけないと思いますが、相手の言説に矛盾を感じた場合聞いてみて
なんらかの目覚めの一瞥となる回答や、互いの価値観の見直しや変革の契機とするのもいいと思います。


精神は放っておけば静まる幻だというなら、
精神によってそれを悟りとして、あるがままとして、無意識として、空として、言葉でいわなくてもそういう思いでそういう体験をする事は、
精神の延命活動であるといえるでしょう。
だから宗教というのは結局、、、。


571:473
12/07/09 10:23:01.18 gnl/WSsd
精神が静まってゆくさまを描写して生き残ろうとする精神。

572:473
12/07/09 10:29:03.49 gnl/WSsd
>>532

預流果で消えるのは、この、たった三つの煩悩だけです。しかも全て見解・邪見・無知に関するもので、欲も怒りも何も消えていませんから、
預流果になっても怒りっぽい性格も欲深な心も、まだほとんど変わっていません。

意識の表層では凄い体験をするときもありますが、目覚めたのはごくわずかな部分ですので、
無意識ではかつての欲望が活動してますし、表層意識も普通に乗っ取られます。

しかし、OSHOはこういいます。
無意識なのだが無意識に気付いている。
無意識なときに自分が何をやってしまっているのか自覚しているという事です。

それゆえに。

>ただし預流者は、どんな悪業をしても、それを隠し通したり、ごまかしたりするウソつきの性格だけは直っています。自分の悪事を正直に告白して懺悔します。
自分の犯した悪を隠し続けたり、隠すためにごまかしたりウソをついたりする、その心のいや~な気分に耐えられないのです。

だが悪いことを考えるし、罪も犯しますが、自覚症状だけはあるようです。

573:473
12/07/09 10:32:20.32 gnl/WSsd
>>532

>預流果で消えるのは、この、たった三つの煩悩だけです。しかも全て見解・邪見・無知に関するもので、欲も怒りも何も消えていませんから、
預流果になっても怒りっぽい性格も欲深な心も、まだほとんど変わっていません。

これも4つの階梯からの引用です。

預流果であるひとはこの部分を読み飛ばして、他の部分だけを自分に当てはめたりしないでしょう。
自分の体験についても、この部分についても訳隔てなく意識するでしょう。

574:オレって名無しかよ!?
12/07/09 10:40:50.96 mWNu124C
>>569
>それはOSHOもクリシュナムルティーもグルジェフも警告しているのです。

473さんの話は、OSHOやリシュナムルティーやグルジェフが全て正しいというのが前提になっていますね。
それはそれで構いませんが、彼がが間違っているとは考えないんですか?

それとも、彼らが全て正しいと言える根拠を持っているのですか?

575:473
12/07/09 10:47:13.36 gnl/WSsd
>>574
彼とは4つの階梯と、OSHO、クリシュナムルティーは正しいんじゃないだろうかという
前提の下で会話しています。

言葉は所詮相対的なツールに過ぎないので、会話にはルールが必要です。
共通のルールで、共通の言語体系でやり取りする事でお互い自身表現できます。

何かしら共通の前提が無いと会話は不可能だと思います。
宗教に共通要素がないなら日常的な要素でもいいですし、なにかしらの共通要素は必要です。

何が正しいという前提が無い同士でしたら、沈黙しあうだけでしょうね。

それに私は、それらの思想に影響されている事を自覚している意識です。
どんな思想とも関係ありませんといえるような意識もあるのですが、無意識であらゆる思想の影響を受けています。

うん。ややこしい。

576:473
12/07/09 10:54:33.32 gnl/WSsd
>>559

「偏執的な正しさ」
そうなのね。自分の心の傷ゆえに、相手の都合をかまわず噛み付く狂犬。
正確に言うと「偏執的な信念の破壊。正しさと間違いという観念の破壊。」を「正しいと思ってる」

あ、やっぱ正しいと思っている。

しかし間違っているというのとも違うし、あなたの信念による表面的な安定を壊してごめんなさい
とあやまるのもなんか最悪のエゴだ。
だから私は狂ってると、他者の安息を破壊していると自覚しよう。

「他の人も無自覚にやってるしね」
だから
「信念の破壊は正しい事ではないんだよ。」
ということを諭せる他の信念はない。
ただ、目覚め、成り行きがあるのみだ。

私は今こうであるし、こうであることを謝っても、誇っても仕方ない。

また別のとき、別のときに私はそのときの今を表現するしかない。

あるがままなのかな。
こういう狂人がここにいる。

577:神も仏も名無しさん
12/07/09 11:16:49.84 DE6cw12x
苦受 楽受 不苦不楽受を元に心が立ち上がる。たいていそれ。
苦は嫌悪になり
楽は渇望になり
不苦不楽は迷妄になる。
あるがままやあるがままにない、どやこやも人間は何でも思い通りにならんのに、
どうにかしようとする、どうにかしようと考えるから言われた言葉。
空とは無いということではない。無常ということ。
手をすべらせてしまったとき、今と分離された自分にハッとする。
今に全霊を注ぐ、いつのまにか今を忘れ思考してる、それに気づく、今に戻る、
この全てが修行。基本は呼吸をみる。
思考を否定してるんじゃない。
思考があるからこそ教えや修行がある。
思考は無常。
何事にも失敗や成功 否定や肯定を作りたがるこの心は無常。修行も無常。
あるがままは無常。生死も無常。
そこかしこに人が生まれ死に植物が生まれ死に動物が死に虫が生まれ細菌が生まれ死ぬ。全てが無常。そこに生死はない。

578:473
12/07/09 11:24:44.68 gnl/WSsd
>>559
561続き。
自分だけのこととして語ってもいいのですが、自分自身のことと、経典で言われる事を組み合わせ、
仮定として人間一般として論じてみましょう。

誰もが自分の夢の中で自分自身と戦っている。
それを他人に当てはめあってる。

各々が完全に個人的な問題なのだ。
そもそも互いが互いの夢に閉じこもり出会い自体がないのだ。

などといいつつ、それを伝えようとする矛盾。
いや、誰かに脱出してもらって、それでという事なのだろうか。

579:神も仏も名無しさん
12/07/09 11:30:28.27 z3M57MGt
amaさんもボロが出てきたなー

生きのびるために死んだフリをするのが上手い人だ

580:オレって名無しかよ!?
12/07/09 17:08:39.56 mWNu124C
>>579
どの辺からボロが出てるのか詳しく教えて?

581:561
12/07/09 17:14:40.92 gnl/WSsd
外向的
それに従うと、人はその価値観そのものになり、また分裂症気質になります。
これらの価値観は人のハートを満足させないため、ハートを満たす別の人格が必要になります。
空虚さを感じる人生ですが、それからの逃避方法はふんだんにあります。

いや、その空虚さが実は相当強いもののようで、だからこそ人はより多くの権力やお金や、
理解しがたい刺激やお酒を過度に求めるのでしょう。
ひと時たりとも自分自身にくつろげない状態です。
そしてその抑圧されたハートからくる感情の苦しみは、あらゆる形で発散され、それを与え合って大きくしてゆきます。
社会の悲惨さも、一人ひとりが価値観の奴隷であり、ハートが苦しんでいて、その苦しみを投げつけあう以上必然かもしれません。

経済的な苦しみを今まで見ていましたが、
外交的な人間は全員地獄にいつつそれを抑圧するために外部に投げていますし、
内向的な人間も別種の地獄におり、なんとか自分の権益を確保しつつ冷笑的になっている。

人間の内面という次元でのこの世の中はおぞましい地獄だ。

だからだろうか。
覚者は経済的な問題を直接扱わず、執拗に人間の心の救済をしようとしていた。
彼らは人々が自覚している経済的な問題より、人々が無自覚な心理的な苦しみのほうが
より差し迫って見えたのかもしれない。

582:473
12/07/09 17:28:34.76 gnl/WSsd
>>580

平凡な精神は世の中の、自分の内の少しの事しか認知しないから、
内部葛藤も世間との葛藤も少ない。
あるがままに幸せに暮らせる。
が、その精神のパターンに目覚める事は難しい。
苦しみが無いとそれから目覚める動機がないから。
良くも悪くもない。悟りへの道のりはここでよく止まる。
その幸せなあるがままの生に飽きるまで。

非凡な精神は、非常に広範に複雑に自己や外界を捉えるから、
内部葛藤も外部との葛藤もある。
あるがままがものすごい苦しみなのだ。
こういった精神は精神を超えるのか精神が死ぬのかしないかぎり苦しむ。
発狂か悟りかのどちらかしかないとOSHOはいう。

各々の道のりがある。
目的地は同じでも、スピードが違うし、コースも違う。
そして後者の人は前者を知ってるが、前者の人はそういった風に自分以外の人間に興味を持たないのでわからない。

583:473
12/07/09 17:29:41.55 gnl/WSsd
>>580 はアンカーミスです。
半分関係あるけど、ない。

584:ノスタルジア
12/07/09 17:46:59.75 SpOI02mh
ウオークインと言われる自分の魂と自分以外の魂の入れ替えは本当に
起こるのか?マインドの現実がこの僕の三次元世界,宇宙なわけであって,
僕が思うにハートの現実というのになれば,マインドの現実は自由意志を持った
ものに変わり,行動は元々自分なので,自分に適した行動をするだろう。
マインドの画面からハートの画面に切り替わるのだ。そのハートの世界は
どの現実を経験するのではなく,とりあえず五次元波動に移行するので,
不安定なフィールド無き,無我の「境地」にとどまるのである。そこから無数の
王国に出入りして遊ぶのだ。それは王国というものしか僕には見えないが,
とても限度無き行をするのだ。

以上 新しいレムリア の自分なりの解釈。

585:オレって名無しかよ!?
12/07/09 17:53:25.52 mWNu124C
>>582
なるほど、俺は平凡な精神と言う訳ですか?
まあ、確かに平凡ですね。

でも、そこまでして悟りを目指す動機が良く分からない。
何のために悟りを目指してるの?

586:神も仏も名無しさん
12/07/09 17:58:14.74 z3M57MGt
>>580
貴方は本当に、書いた誰かがいると思っているのですか

587:悟り子 ◆AAyxyMDKw6
12/07/09 17:58:15.26 DIjvlqBx
>380
>悟りは今は通じにくい概念ですが、時代が進めば一般的なテーマになるのかもしれません

・職場や学校や人の集まり、テレビ、ラジオ等で普通に悟りの話がされる時代とか楽しそうですね
夢の一億総覚者社会
世界は一つ 人類は皆仏陀...とか

588:ノスタルジア
12/07/09 18:08:02.02 SpOI02mh
この地球は動物や植物がいるが,ペガサスやユニコーンや,天馬や不死鳥は
いないだろう。それらは僕は緑の宇宙街では通用しない。聖域として悪魔も
来ないし,天使も来ないし,神も来ないし,仏も来ない。別種の者から離別して
いるのだ。人間の楽園が僕の言う緑の宇宙街なのだ。どこまでも夢見て,
希望を持って,おもしろおかしいのが緑の宇宙街なのだ。もちろん害のない
樹木や建築物はあるかもしれないが,太陽も無く,道路もなく,水もなく
人間という存在はあるが肉はなく,摩訶不思議な領域なのだ。とても楽しい
わくわくするところなのだ。限定性が介入することを極端に嫌う宇宙街なのだ。
創造の禁術,過ちを僕は認めたくない。つまり人間がいないと,この世界,宇宙
が変化が起きないように、創造主にはなれないのだから。人間の未熟さに僕は
共感する。真の悟りっていうのは浄土を作ると言うことでしょう。それは否定
出来ないですよね。必ず真の悟りの一側面としてある。

589:悟り子 ◆AAyxyMDKw6
12/07/09 18:08:14.18 DIjvlqBx
>>382
>現状の我々はもっと身近な事から関心を持ってゆくべきかもしれません

そう、外から帰ったら、うがい手洗い、出かける時にはハンカチとティッシュを持って
使ったものは元の場所に片付けて・・・

590:悟り子 ◆AAyxyMDKw6
12/07/09 18:10:26.29 DIjvlqBx
>>394
>唯心論(ゆいしんろん、英: Spiritualism)とは、人間・社会において
、心、もしくはその働きこそは至上の要因であるとする存在論における立場の一つ。その反対が、唯物論になる

了解しました

591:悟り子 ◆AAyxyMDKw6
12/07/09 18:18:19.92 DIjvlqBx
>>397
>5「あるがまま」の全てが根拠のない妄想だと思う

ありそうですね
例えば「あるがまま」=リラックスした自然体とか、観念とか考える人は、いそうな気がします


592:オレって名無しかよ!?
12/07/09 18:24:05.63 mWNu124C
>>586
>貴方は本当に、書いた誰かがいると思っているのですか

誰も書いていないのに書き込みがそこにある!!

これって何か怖い話?

593:悟り子 ◆AAyxyMDKw6
12/07/09 18:26:35.14 DIjvlqBx
>>397
>6「あるがまま」に囚われるあまり、あるがまま以外のモノを否定する

「あるがまま」=プリミティブライフと考えたりもありそうですね
あと「私はあるがままの境地を会得した」
等と言う人がいても悟り子は驚きませんとも

594:悟り子 ◆AAyxyMDKw6
12/07/09 18:32:55.52 DIjvlqBx
>>397
7「あるがまま」を全てに結びつける

これも根っこに「あるがまま」と「あるがままで無い」がありそうです
そして人がそのような観念を通して全てを見ることも「あるがまま」なのですね

595:神も仏も名無しさん
12/07/09 18:42:17.94 P+/wLuAz
欲求、依存、執着の元を確認しました
意識の確認と同時に胸の中央ど真ん中において球状の気泡を確認
この気泡が希望、愛情、苦しみ等に変化するものと思われます
気泡でありますが、なんらかの微粒な物質かもしれません
尚、消滅方法は不明

596:神も仏も名無しさん
12/07/09 18:57:57.06 P+/wLuAz
何もないところから風船のように膨らむイメージ
大きさは意識の上ではパチンコ玉程度と思われます
それにより意識が変化することも確認
麻薬的作用があるものと見られます

597:Ope
12/07/09 19:15:39.41 qWq3wfQl
>>554
> 悟りそのものが幻想である、なんてのはどうでしょう?
じゃ、何が幻想でないの?

>>569
> それはOSHOもクリシュナムルティーもグルジェフも警告しているのです。
473は盲信しすぎだとは思わないのか?

その蓄えた知識を全て捨てない限り
いや、何の役にもたたないことをわからない限り
その永久ループからは抜けられん

598:Ope
12/07/09 19:23:44.42 qWq3wfQl
>>592
> これって何か怖い話?

記憶喪失ってことだろ

>>593
> あと「私はあるがままの境地を会得した」
> 等と言う人がいても悟り子は驚きませんとも

驚かないけれど
また変な人がでて来た
と思ってしまう

599:オレって名無しかよ!?
12/07/09 19:26:19.89 mWNu124C
>>597
>じゃ、何が幻想でないの?

今日の夕飯の肉じゃがとか・・・・・

600:Ope
12/07/09 19:27:13.17 qWq3wfQl
今週のオレすごい
スレ主でもないのに、結構、スレ読んだし
・・・半分、・・・いや3ぶんの1は読んだ

601:Ope
12/07/09 19:28:14.64 qWq3wfQl
>>599
> 今日の夕飯の肉じゃがとか・・・・・

感覚器官の投影が全てなの?

602:オレって名無しかよ!?
12/07/09 19:42:28.17 mWNu124C
>>601
マジレスすると、幻想かそうでないかってどこで見分けてる?

俺は良く分からないから、そのままにしてる。

603:神も仏も名無しさん
12/07/09 19:44:52.42 P+/wLuAz
473は気泡(欲)を生成、消化しまくっており欲の権化と化してます
悟り(欲を作らない)とは全く逆方向に進んでいます
妄想は全て泡による作用と思われます

604:473
12/07/09 20:30:15.80 gnl/WSsd
>>amaさん
>>580

既存の精神が
平時の内部葛藤を避け、
自分自身を変革しようという不可能な試みの夜葛藤を避け、
また一つの執着の苦しみそのものと対峙する事による苦しみと、精神活動の消滅の機会を避ける。

amaさんのいう悟りはそんなものとして提示されていますね。
彼の言う執着と闘わないということは上記を示しているように見えます。
本当に執着と闘わなければ、より苦しむでしょう。執着の全貌と直面するでしょう。
全貌と直面すればそれは留まる事ができず消滅に向かうでしょう。

しかし、ここで執着に苦しまないのだと、既存の精神が経験する事により、
既存の精神はそれを自分自身で変えようとする苦しみから逃れる事になりますが、
既存の精神、執着が背伸びせず自己肯定するという状態であり、単に現状が維持されます。

別にこれ自体特に悪い事だと思いません。
瞑想してゆき、あるところでその歩みを止め精神に支配権を渡せばこうなるだけで、特に非難の対象とも思えません。
だが、これをもって「いわゆる悟り」というのはどうしたって無理がありますね。

明らかに異なる概念である悟りなんて言葉使わなければいいのに良く考えもせず当てはめてるあたり馬鹿だなあと思うし、
紛らわしいなあと思うのです。
どれだけいっても悟りという言葉を使うのはおかしいという部分にだけはレスもないので、自覚したくもなければ変える気もないのでしょうか。
瞑想のある段階を示している事に間違いはないのですけど。

605:473
12/07/09 20:37:34.77 gnl/WSsd
>>オレムさん。

いろいろニュアンスを込めている表現なのですよ。

何故悟るか。悟りを目指す理由はありません。
そうでないと苦しくて仕方が無いと自覚すればそうなるしかないというだけの話です。

凡庸な精神は、あまり苦しむ構造事態がないので、苦しみをあまり感じない境地に早々とたどり着き、
それ以上進まない事が多いです。苦しくないのにどうして自らを焼き尽くす事を選ぶでしょう。

そしてオレムさん。
おそらくあなたはどちらかというと非凡な精神たる潜在性があります。
でもまだ気が狂うほどその視野が広がっていないのだと思います。

それに非凡でも平凡でも瞑想、自己の精神の全体像の自覚が広がってゆかない事には
苦しみとは部分的にしか出会えず、気が狂うほどの苦しみに出会う事もできないでしょう。

>>603
自分が作っているものなら自分でなくせるでしょう。
もしあなたがそれを成功させたらご指導ください。

606:473
12/07/09 20:39:48.70 gnl/WSsd


苦しみからの解放を探求するのでなく、憧れの元自分を投げ捨てるという方向性もあるようですよ。
苦しみからの解放を目指すのが悟りの動機で、悟りを得ようとするのは単に世俗的な欲望です。

これは悟りとは言わないで、愛というのでしょうけど。

607:§
12/07/09 20:41:27.71 D6eLITJk
>>601
>感覚器官の投影が全てなの?
どうやら、投影が知覚を作り出すようです。
(受け売り半分、実感半分ですが)

608:473
12/07/09 20:56:24.96 gnl/WSsd
>>amaさん

604続き
瞑想のある段階を示している事に間違いはないのですけど。

というように提示すれば害もないですが、amaさんはそのように生き続ける事を「悟り」といってしまいますからね。

確実に既存の執着の延命を謳っているのであり、反仏教、反悟り、反光明の主張そのものなんですよ。
ほっておけば消えるかもしれないものなのに、あるがままになったりそれになったりしたら、

それに抵抗する苦しみは消えても、

元の執着による苦しみのほうは消えない。


609:Ope
12/07/09 21:52:42.10 9CZT7pmE
>>602
> マジレスすると、幻想かそうでないかってどこで見分けてる?
> 俺は良く分からないから、そのままにしてる。

意味がわからん
見分けるも何も
幻覚は幻覚
妄想は妄想
現実は現実
間違い様があるか

610:神も仏も名無しさん
12/07/09 21:54:38.56 P+/wLuAz
推測ですが既に餓鬼道に入ってませんか?
苦しみ→アドレナリンのような物質?→苦しみ→アドレナリン…
のような輪廻(繰り返し)かもしれません
このまま死ねば数万年?数兆年?の餓鬼地獄かもしれません
まだ生があるので間に合います
悔い改めて逆方向に向くのです
虚心坦懐の方向へ向くのです
悟りは欲を消滅、生成もさせないことにより起こる
身体の覚醒作用です。逆方向の幻影作用ではありません



611:神も仏も名無しさん
12/07/09 21:57:56.87 P+/wLuAz
>>605
とりあえず快楽を得ることで消滅はします
次に生成させないことが重要です
輪廻は避けねばなりません

612:Ope
12/07/09 22:00:43.89 9CZT7pmE
>>607
> >>601
> >感覚器官の投影が全てなの?
> どうやら、投影が知覚を作り出すようです。
思考や感情や感覚の
投影を知覚している といったほうがいいけど

613:オレって名無しかよ!?
12/07/09 22:03:03.61 mWNu124C
>>609
夢の中で、夢と気付かなければ それは現実
夢と気付けば それは夢

夢と現実を見分ける方法なんてあるのか? って話ですよ。

>幻覚は幻覚
>妄想は妄想
>現実は現実
>間違い様があるか
 
Opeは幻覚、妄想、現実の意味を知っているけど実際に見たことないのかな?

614:Ope
12/07/09 22:07:29.67 9CZT7pmE
>>602
> マジレスすると、幻想かそうでないかってどこで見分けてる?

ちなみに
>>600は幻想

615:Ope
12/07/09 22:16:31.14 9CZT7pmE
>>605
> そうでないと苦しくて仕方が無いと自覚すればそうなるしかないというだけの話です。

どうして、その1本満ちしかないと思い込んでいるの?

> 苦しくないのにどうして自らを焼き尽くす事を選ぶでしょう。

どうして、それしかないと思い込んでいるの?

> 気が狂うほどの苦しみに出会う事もできないでしょう。

どうしてそう思い込んでいるの?

悟りとは苦しみの代償か?
仏とはサディストか?

616:神も仏も名無しさん
12/07/09 22:30:54.44 P+/wLuAz
欲望とか願望により苦しみが生起します。苦を繰り返し(輪廻)と捉えても
さしつかえありません。
欲を減らしていく作業においては禁断症状以外の苦しみはありません。
欲を減らせば減らすほど静寂を得て心は平穏になります。
代償として快楽は放棄しなければなりません。
快楽と苦は相対線上にあります。

617:ニカサ・アア ◆UNegKIvARw
12/07/09 22:36:56.20 iGQJOKWi
>>537
水面にあたるものは実相と呼ばれます。
それは見えるままに認めてよいのです。
それが実体でないことを了解しつつ、なおかつ、そのままに。

水面という見え方は否定しなくていいのです。
あなたという水面も私という水面も、それはそれでいるのですから、
実体でないことを了解しつつ、認めてあげてください。

実体がないこと(空相)も真実ですが、見えるまま(実相)もまた真実
なのです。経典ではこれを、

 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色

と表しています。この中でも色即是空は人気がありますね。

618:ニカサ・アア ◆UNegKIvARw
12/07/09 23:17:21.44 iGQJOKWi
>>572-573
> 預流果で消えるのは、この、たった三つの煩悩だけです。

その通りです。
私の状態とぴったりです。その三つだけ消えて、貪恚痴もそのまま残っています。
現実の生活や意識で三つ以外の煩悩が、残りまくりなのは全く否定しません。
なので、四沙門果はいまの私にとってはぴったり来るガイドラインなのです。

> その心のいや~な気分に耐えられないのです

ここもそうですね。戒というわけではなく、傾向としてそのようになりますが、
その傾向もまた無常です。

また、次の一来果の解説を読んでも、「あぁ、そのあたりが弱まるだろうなぁ」という
気になります。二度目の無我にはまだ至っていませんが、我が弱まるのを感じることは
あります。そんなときは貪恚痴の三つが弱まるのを感じるので、次の果ではたぶんそう
なるだろうという感覚があります。

この感覚がもっと実感できるようになると一来果向になるのでしょうね。

619:神も仏も名無しさん
12/07/10 00:14:37.37 zYa6Egax
>>617
お答えありがとうございました

620:ろん
12/07/10 00:49:17.40 Af0LhJ/P
>>615
>どうしてそう思い込んでいるの?

単に凡庸な奴が悟ってるわけない、悟れるわけないと、他を否定したいだけなんですよ。。

他を否定したいという妄執、インドのオショーとクリシュナムルティ以外悟ってるわけない、
そんなことは許せん、あってはならないという、彼の言う凶暴な無意識が、意識をしてそう思わせずにいられないのでしょう。。ww

自分が崇拝する光明を得た偉大なるマスターたち、それ以外は落とし穴にはまってるだけで、悟ってるわけないんです。。
彼の世界ではそうでなければならないんです。。

すべて自分の盲信するマスターたちの言葉、思想を通してしか見れないから、すべてを歪んでみているんです。。

で、偉大なるマスターたちの教えを学んだ自分が一番偉いんですよ。。ww
そういうわかりやすい、盲信、妄想の構造を持っていると思います。。

宗教家を盲信しているものが、どういった思考パターンに陥るか、典型的なサンプルだと思います。。

621:ろん
12/07/10 01:05:13.04 Af0LhJ/P
>>605
>自己の精神の全体像の自覚

おまえの場合、コレ>>620ね。。

それで2ちゃんねる命で、もっともらしいこと言って、何の中身もない。。
全部間違っているというオチ。。

そもそも、自分が悟ってないのに、悟りわかってないのに、どうしてラジニシやジッドゥが悟っているとわかるのか?
たぶん、文章に酔ってしまって、偉大なマスターに違いない、と思い込んでいるだけなのだろう。。

622:ろん
12/07/10 01:13:42.28 Af0LhJ/P
聞いた話だが、ラジニーシが死んだとき、ガネーシャが空から迎えに来たという。。
霊感のある人の話らしいけど、まあ、あり得んことはないなーと思う。。

彼は、大学の講師とかやってて頭がいいから、本を読んで理解していたことを言っていただけなのだろう。。
その頃は、禅の祖録の英訳も出始めたころだからね。。

あと、彼はクンダリーニも上がっていたとは思う。。
だけど、クンダリーニ上がるだけでは、誰も悟れんからねー。。
ただエネルギーが活性化するだけの話だから。。

クリシュナムルティは、大悟はしとらんよ、たぶん。。
彼が言ってるのは、スピリチュアリティを向上させるにはどうすればいいかみたいな話。。
静寂に至るにはどうするかとか、なんつーかそれ自体、ミスリーディングな話だ。。
俗人、俗な生活を脱して、どうやって沈黙に達するかとか、まあどーてことないお説教。。
スピリチュアルな人が喜びそうなお話と、格調の高い文章であるってだけ。。ww

623:473
12/07/10 01:14:56.60 IFH1mJfF
特に正しい宗教というものがあるわけではありません。

事実に留意させ、真実にに目覚めさせるように使われるか。
欲し、夢見させ、自分の事実を抑圧するために使ってしまうか。

どのような働きがあるかは出会った人次第です。
事実に留意させ、真実に目覚めさせる働きが起きたのなら、もうその人にとって
悟りも、光明も、無も、空も自らを束縛する言葉に過ぎないかもしれません。

一つの仕掛けはその役目を終えたなら手放されなければならない。
そしていつしか仕掛けというそのものも。

624:安藤
12/07/10 01:20:32.78 VJ9wb3S2
羅寺西や栗栖南無流体は悟ってないのか・・・。
それ以前に他人が悟ってるか悟ってないかって
わかるものではないのだよなあ・・・・。

625:473
12/07/10 01:20:51.35 IFH1mJfF
>>618
というわけで、4つの階梯があなたの留意と目覚めの方向に働きますように。

>>615

自分の執着の全て、無意識の全てを、それ同士対立させず全て明るみにする際に
もともとある苦しみがまとめて意識されてゆきます。

もし、それがないというのでしたら、おめでとう。
あなたは表層意識が静まったただけで真実への障壁はありません。

626:ろん
12/07/10 01:21:14.99 Af0LhJ/P
クリシュナムルティでもラジニーシでも、大半は心理学の話しかしとらん。。

依存や逃避をどうやって、抜け出すかなんて、どうでもいい話。。ww

その結果、どうやって自分を変えるか、変革を起こすかなどと言う、誤った観念を信者に植え付けてしまう。。

ラジニーシもあるがままと言ったけれど、自分があると思ってる人のあるがままだから、
全体が間違った話にしかならない。。

Kでもラジニシでも、自分がある、が前提。。
ある自分をどうやって無くすかと言う、間違いの上に間違いを重ねた、嘘八百のスピリチュアル講和を垂れ流す。。

あり得ん話だよ、全て彼らの言ってることは間違っている。。

そのままではよくないし、自分がある、あるがままとあるがままでない状態がある。。

信者たちはみんな迷っているから、私の話を聞いて、自分を変えなければならない。。
要は新興宗教の教祖たちと一緒です、オウムと全く一緒。。ww

627:神も仏も名無しさん
12/07/10 01:21:30.12 Lj0EBcPF
>>590

悟り子さんの言わんとしてることは分かるんです。
A=Bだろうが、B=Aだろうが同じことだっていうのは。
でも、私はそうでなく、唯物論や唯心論はA=AもしくはB=Bって言ってるように思うわけです。
なぜなら、唯物論は心を環境や肉体の中の物質しかみないし、唯心論は表層しか見ない。
中間にある生命に意識を向ければ、両極にあるものを世界の中に組み入れることができるのに。そう思うわけです。
物質、生命、心が具体的にどのように相互連関しているか、について詳しいことは説明出来ないけれど。。。
ただ遠い将来、宗教とは違う文脈で人は生命の学を打ち立てると思う。


628:オレって名無しかよ!?
12/07/10 01:26:32.50 y+mush4w
>>627
生命とは何か? って問いの答えが見つからないと始まらない話ですね。

629:ろん
12/07/10 01:29:08.27 Af0LhJ/P
>>623
宗教なんてあってはならないし、事実なんてものもない。。
ただ法があるだけ、あるものが、あるようにあるだけ。。
他に付け加えることがあってはならない。。

おまえは嘘八百の説法を信じ込んでいる、何の根拠もなしにね。。

>>614のように、事実があるというのは妄想ね。。

事実も無くなった人を、無事の人と言う。。

無事是貴人というやつだ。。

630:神も仏も名無しさん
12/07/10 01:31:10.43 Lj0EBcPF
>>628
>生命とは何か? って問いの答えが見つからないと始まらない話ですね。

はい。
植物にあって、鉱物にないもの。
睡眠中の人にあって、死体にないもの。
当たり前すぎて、気づけないけど、意識を向けるとよく分かる。
物質、心とは異なる人や生き物の構成要素です。

631:ろん
12/07/10 01:32:09.44 Af0LhJ/P
事実もないとは、Kとかラジニシが夢にも思わなかったこと。。

日本の禅師たちは、ラジニシの写真見ただけで、こりゃダメだと思ったという。。
本の中身読むまでもないの。。w

あとは、まともな洞察力ありゃ―、Kでもラジニシでも、こんなんいくら読んだって、何にもならん、なんの力もないとわかる。。

ようは、いいはなし、よさげな話してるだけに過ぎんから。。

632:473
12/07/10 01:43:42.01 IFH1mJfF
>事実もないとは、Kとかラジニシが夢にも思わなかったこと。

そりゃそうだ。それを思ったら、自分はそれを思っているという事実になってしまうから。
それは思いがないということでしょう。

それは言語化しないという方便もあれば、言語化するという方便もある。
方便として働けば嘘をついていい。いや、嘘でしか真実は伝えられないから方便という。

633:オレって名無しかよ!?
12/07/10 01:46:20.78 y+mush4w
>>630
あなたを、あなたにしてるのは生命? それとも他の何か?

634:ろん
12/07/10 01:46:34.75 Af0LhJ/P
実際としては、迷悟はある。。

しかし、理として、迷悟、善悪、混乱と静寂など、二元相対を説いているものは全部ダメだ。。

法と言うものがわかってないということだから。。
法がない=ただの人間性向上、宗教、スピリチュアル、ありがたいお説教と言うだけ。。
根本が何もわかってないの。。

根本は法、現象の、存在の本質、法則、これがわかれば、人間もないし、迷悟も善悪もない。。

二元相対を説くものは、全部偽であり、誤っている。。
それはそれら二つを分かつ、人間の主観の中にしか存在しないから、錯覚の中にしかありえないから。。

635:ろん
12/07/10 01:48:52.33 Af0LhJ/P
>>632
ぜんぜん違う。。

636:473
12/07/10 01:49:53.31 IFH1mJfF
ダルマ、僧燦、慧能、馬祖、臨済

彼らに比べ日本の現代禅のいかに貧弱な事か。
形だけで中身は死んでしまっているように見える。

彼らに並ぶ禅師が日本にいたらやる事は一つ。
今信じられている禅の形態を破壊し、

人に自分の実際の心の動きという事実に目覚めさせ、また真実へ跳躍する目覚めを喚起するような、
新しい大嘘、方便を作り出す事だろう。

古いものには人は執着してしまい、その働きは失われる。
どんな教えであろうと、使い方次第。
そして捨てるという事までが教え。


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