12/07/07 21:11:04.26 PqVoEm0A
>>399
あのテーラワーダの悟りの4つの階梯を私が他の人にこのスレで提示されたとき絶賛しました。
それは苦行の果てに瞑想が起こったときに自由になる部分を正確に描写しており、
なおかつその部分しか自由になっていないと戒めていると言う事です。
これは段階を上ってゆくと言うものであると言うより、そこが終着点だと思ってそれを悟りだと思って探求を
やめてしまわない為の仕掛けに見えるのです。
最初の3つに自由になって有頂天になるのが一番目。
3つにおいて限界まで修行する事でその3つの欲望から永遠に離れられ、不変の意識が、ごくわずかなものであれど備わります。
2番目はそれを何とか回避すれば残り1497にとらわれているという事実に向かい始めるという状態です。
のこり1497にいまいち無自覚な1番目の人は悟りについて得意気に話すかもしれませんが、2番目の人は自分の状況を鑑みてとてもそんな事は言えません。
こんな風に経典は読む人によって読み方は全く変わります。
最初のその3つから離れる。瞑想を見出すのに、普通は限界まで修行する必要があります。
外から論評していても内実はつかめません。
いつか自らの全てをかけて挑戦してみるといいです。
やり方はOSHOを参考にすることをお勧めします。
TOTALに何かに打ち込む事でのみ反面として動機の十全な急速の一瞬が起き得るでしょう。