12/07/07 20:35:39.69 PqVoEm0A
>>391
目標 あるがままでない自分を否定する。―あるがままであろうとする。
投影 あるがままでない他人を否定する。―自分はあるがままだと肯定する。
自我はどんな言葉もこのように利用しようとするでしょう。
この内向きの2元性、外向きの2元性。信念の働きを理解する事が大切かと思います。
どんな言葉もこのように使われれば同じです。この信念の牢獄から脱出させて脱出したら捨てられるような言葉の働き。方便と言います。
ただ>>362さんが指摘されたのは、非常に微妙な内向きの葛藤回避のテクニックです。
苦しみも恐怖も何も変わらないでしょうが、必要以上にそれに苦しむ事はなくなりそうです。
>>396
それは瞑想と言われるものじゃないでしょうか。
悟りというと瞑想とさとりがごっちゃになります。
瞑想といわれるものを悟りと名づけると、おそらくそこで探求がストップしてしまうでしょう。
苦しみと闘う苦しみは消えるが、苦しみは残る。
実に結構です。
ただ、悟りと言われてきたものではない。
>>393
認識者と認識の超克であると示されています。
ただ、それだけだと口だけになるので、本当にそうでないとありえないような
外から見てわかる記述、伝説が残されているようです。
認識と認識者の超克があれば自動的に恐怖は存在し得ないでしょう。