12/07/07 18:44:55.61 PqVoEm0A
私は自然現象には文句を言わない。
米は実るのに時間がかかります。雨は降ります。日本は寒いです。
だけど、どうして社会現象には同様の態度で望めずにあれこれ注文をつけてしまうのでしょうか。
それはあれこれ注文をつけるという事をどこかで仕入れて、切り離せないぐらい染み付いてしまったからでしょうか。
私の家は中産階級です。
中産階級なので権力や貪欲を非難しつつ、権力や貪欲によって成り立った組織に入れてもらうことを私に教育しました。
上流階級では、権力や貪欲を単に正しい事として教えてくれるのでそういった混乱はありません。
(自らのハートを見失わないといういみでは中産階級のほうがいいのです。が、中産階級はどうしようもない矛盾を伝統として持っています。)
世の中のあらゆる価値基準は、あるがままの人間では不足だと人間を駆り立てます。
道徳はその現実を否認して抑圧してしまいます。
現実には多くの価値基準があり、その価値基準はあるがままの私を非難している。
その現実を私は受け入れられない。
そして、その価値観の群れに影響を受けず、何がしかの価値観を自らの意思で選んでそれに付き合うということもできない。
無自覚に活動する多くの価値観が私に様々な事を強要し続けている。
それも、その価値観をあるがままに受け入れないで、他の価値観、道徳によって否認してしまったからかもしれない。
価値観の対立が内にある限り、その両方は無意識に、自動的に活動する。
上流階級に従いつつかつそれを批判する、中産階級の自己保全と道徳の自己矛盾は実に厄介な伝統です。