12/07/07 10:22:03.17 PqVoEm0A
>あるがままであるとか、あるがままでないとか、という二元的なことではなく、
そっくりそのままの現実のことです。
それは理論上のことで実態を示していない。
実際にはあるがままの態度でないから、執着があるから、区別があり快楽と苦しみがあるのではないでしょうか。
本来それに対してなにも言うべきではないのかもしれません。
混乱があり執着があり2元性を作る精神が見出せる非2元性(あるがまま)は事実である2元性の抑圧もしくは痛み止めにすぎないでしょう。
あるがままは大本の、事実としての2元性の精神が作り出す夢に過ぎないでしょう。
そうやって元の執着は生き続けます。
そういったことをしなければ、大本の精神は鎮まる可能性があるでしょう。
あるがままという悟り体験は旧来の精神「による」、自分自身への解釈でありそれが体験を作ります。
そしてそうやって旧来の精神は生き残ります。
精神が活動し続ける限り真実は見出せないのではないでしょうか。