12/07/09 08:08:22.50 ACP3pr2J
質問のしかたがわからないから丹田とか言ってるだけで、
要は、坐禅の道場で指導している冥想のやりかたをここに書いてくれ
(道場に行くのはめんどうだが冥想はやってみたい)って意味でしょう。
まずは、ネットに書ける内容なのか、
生身の指導者から直接聞かなきゃならないものなのか、その回答から入っては?
251:承狂 ◆TptLNQXPVWuJ
12/07/09 18:19:51.50 WswirOp5
>250
俺は元真言なんで禅宗の具体的な修養法は知らないんよ。
252:神も仏も名無しさん
12/07/09 19:37:33.24 rfYMJKky
坐禅のやり方は何冊も本が出ている。やり方は自分にあった物が一番。
白隠の「臘八示衆」にあるように、発心したまま数日ひとりで坐禅して悟った在家もいる。
要は勇猛心。
253:だいおう
12/07/10 10:46:04.86 UO3RGFxx
ショコタン居た♪、
オゲンキー♪
ワイ、曹洞宗もマスターしたぞ、
ショコタンは成長したの?
254:神も仏も名無しさん
12/07/11 10:17:38.12 tiP7CQAX
慧能 禅の極意
外相(そとそう)を離るるを禅と為し
内乱れざるを定と為す
外もし相に着せば
内心は即ち乱る
快適なアーロンチェアでやるのもOK.
いつでも、どこでもOK.
255:神も仏も名無しさん
12/07/11 14:20:45.29 tiP7CQAX
ラブ・ホテルで
全裸のセクシー美女とベッドにいても、
坐禅はできる。
もちろん、
外相(そとそう)を離るるを禅と為し
内乱れざるを定と為す
でなければならない。
256:神も仏も名無しさん
12/07/11 14:30:38.71 KmzD2liq
セクシー美女と相撲を取っていても座禅はできるな
座るのは必須じゃないしな
257:神も仏も名無しさん
12/07/11 15:29:20.59 wYQqlL4U
>>255
そういう人は座禅する必要ないっしょ。
そういう人はいると思うが、こういうことを書くのはよくないでしょ。
258:神も仏も名無しさん
12/07/12 15:21:17.75 xKj+qtiP
>>252
悟ったって誰が解るもの?
259:神も仏も名無しさん
12/07/12 19:00:14.79 nNVQsnrp
>>258 本人が自分でチェックできる。
覚りとは煩悩がなくなっていくこと。
煩悩はリストアップされており、煩悩が消えていく順番も説かれている。
煩悩がすべてなくなったら阿羅漢(仏と同レベルの覚り)。
260:神も仏も名無しさん
12/07/13 11:29:40.75 yhSSfBGh
>煩悩がすべてなくなったら阿羅漢(仏と同レベルの覚り)。
生きてて煩悩が全てなくなることってあるの?
261:神も仏も名無しさん
12/07/13 17:45:15.71 DMAKtZ5l
>>260 生きてて煩悩がすべてなくなることがある、
と信じるのが仏教という宗教なのでしょう。
煩悩がなくなった場合、その生物は「もっと生きたい」という執着もないので、
寿命がつきたら輪廻せずに平安なる滅びに入ることができる。
煩悩が残ってるままで死んだら、生に執着があるために、また輪廻をくりかえしてしまう。
262:神も仏も名無しさん
12/07/14 09:02:25.76 ENr5+bdS
>>261
生きていると言う事は、食べて働いて寝て休憩して・・
の反復だから、それを続けている限り煩悩は無くならない
食べなければ空腹に感じるし、寝なければ眠くなるし・・
又、病気などの痛みで苦しんでいれば当然治りたいし・・
生きてる限り煩悩は無くならないと思うけどw
>生きてて煩悩がすべてなくなることがある、と信じるのが仏教という宗教なのでしょう。
現実生活に当てはめてみてもどうも納得できない
263:神も仏も名無しさん
12/07/14 09:12:27.04 yllv9mTP
>>262 お釈迦さまの場合だと、他人から教えを説いてくれと頼まれて、
依頼に応じるために生き長らえていただけであり、
お釈迦さま自らは「生きていたい」という執着はなかった。
でも、「死にたい」という欲もなかったから、
「お願いです、生きて教えを説いてください」と請われて
「オッケーぃ。」って受け入れた。
また、亡くなるときもは、悪魔から「そろそろ死んでください」と頼まれて、
「オッケー。ただし、教え子達の成長を見届けてからね。」と答え、
その後にまた悪魔から「もう死ねますかー?もう教え子たちも
ご立派になられたし、死んでください。」と頼まれて、
「そうだね。もう充分成長したし、じゃあ3か月後に死ぬわ。」と快諾した。
264:神も仏も名無しさん
12/07/14 09:20:10.16 yllv9mTP
>>262 煩悩(苦しみの原因となる執着)と苦しみとは別です。
お釈迦さまは一切が苦であると説かれているので、
生きているかぎり空腹などの苦しみや苦しみからくる衝動がなくならないことを説いている。
煩悩(執着)がなくても、生きているかぎり苦しみや苦しみからくる衝動はなくならない。
お釈迦さまは「生きていたい」という煩悩はなくしたが、
他人から頼まれて生きているうちは、肉体的苦痛とつきあいつづけていた。
でも頼まれたときに「いやだ!私はいますぐ死にたいんだ!」というほどの死への執着もなかった。
265:神も仏も名無しさん
12/07/14 14:40:58.32 HuxvOCiv
>>263
それって本当の話?・・・物語みたいだけど
266:神も仏も名無しさん
12/07/14 19:06:55.54 OuaGbtH/
欲を煩悩として否定し滅した所では気力はどのような形で得る事を想定しますか。
気力も否定し無気力に死んだように生きるのが仏教の理想なのでしょうか。
267:宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk
12/07/15 02:07:28.28 FJss6X9V
>>266
生存に関る肉体次元の煩悩と自己意識とは別物として悟るということでしょう。
つまり、自己意識と肉体生存本能による諸活動sを切り離すということ。
水も飲みメシも頂くけれども、
自己の行為であるという意識状態は消えている。
けれども、未完成者の行為は肉体生存の部分も含めて
すべて自己意識(自己の行為)としてなされているのだと。
そこが違うのでしょうね。
268:神も仏も名無しさん
12/07/15 02:15:04.82 Y9vbXe17
回答になってません。気力をどう得るのかが主たる問いです。
269:宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk
12/07/15 02:57:57.26 FJss6X9V
追記:
肉体維持については、
適度なものとして、或いは必要最小限のものとしてでも、
自己意識からは切り離した状態で適切に注意を向けられるでしょう。
仏典には記載がないかもしれませんが、
完成者というのは太陽からのプラーナを効果的に摂取して肉体に活力を漲らせます。
どうや?
270:神も仏も名無しさん
12/07/15 04:27:52.94 uKks1R9+
>>265 タイムマシンがないので事実かはわからないが、お経にはそのように説かれている。
仏教的には理にかなっている物語だと思います。
大乗仏教になると、悟る前に、修行するときにあらかじめ誓願を立てておきますが、
これも、お釈迦様が悪魔と交わした取り決め(が実現するまでは死なない)に通じる気がします。
つまり、完全に悟ってしまうと、自分であれがしたいこれがしたいというのがなくなるけど、
他人から頼まれたことは戒律に反しないかぎり拒む理由がなくなるのと、
過去に自分で誓った約束ごとは実行する責任があることから、
をするという行動の原動力になる。
271:神も仏も名無しさん
12/07/15 04:35:45.93 uKks1R9+
>>266 最終的には輪廻から解脱して涅槃に入る、
つまり平安なる滅びに入って二度と姿形をもたなくなるので、
死ぬよりももっと死ぬのが理想。
悟ったあとの行動の原動力としては、
まず戒律は引き続き守るし、出家集団の日課は引き続き守るでしょう。
世俗社会の法律にも基本的には従うでしょう。
その上で、他人から頼まれたことはやるし、
教団内で先輩・師匠格の立場ならば弟子への指導や信者への説法は日課としてやるでしょう。
また、過去に自分で誓いを立てていたり、誰かと約束や契約を結んでいたら、
それは仏教的に間違った内容でないなら約束を破らず実行するでしょう。
上記のことをやるだけで、充分忙しく活発な毎日になると思います。
272:神も仏も名無しさん
12/07/15 05:04:15.81 Y9vbXe17
>>271
> >>266 最終的には輪廻から解脱して涅槃に入る、
> つまり平安なる滅びに入って二度と姿形をもたなくなるので、
> 死ぬよりももっと死ぬのが理想。
これは理解が違うんじゃないですか。
苦痛に満たされた生の循環を離れた平安に入る事を目指しているのであって、
完全に消滅した無に帰する死を述べた物ではないでしょう。
> 悟ったあとの行動の原動力としては、
> まず戒律は引き続き守るし、出家集団の日課は引き続き守るでしょう。
> 世俗社会の法律にも基本的には従うでしょう。
> その上で、他人から頼まれたことはやるし、
> 教団内で先輩・師匠格の立場ならば弟子への指導や信者への説法は日課としてやるでしょう。
> また、過去に自分で誓いを立てていたり、誰かと約束や契約を結んでいたら、
> それは仏教的に間違った内容でないなら約束を破らず実行するでしょう。
> 上記のことをやるだけで、充分忙しく活発な毎日になると思います。
全て義務的に強制される物ですね。それだけでは気力とは通常ならない。
273:神も仏も名無しさん
12/07/15 07:18:33.98 Mgx0vCg+
>>267
>水も飲みメシも頂くけれども、自己の行為であるという意識状態は消えている。
それでは夢遊病者みたい(笑)
274:宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk
12/07/15 07:34:59.55 FJss6X9V
>>273
これは、自分のしているさえ分らなくなる精神障害とは異なり、
行為していながら無行為でいられる特殊な意識状態を意識的に保つものです。
これにより、悪業(カルマ)を積むことはもう二度とありません。
275:神も仏も名無しさん
12/07/15 09:02:00.41 uKks1R9+
>>272 有余涅槃と無余涅槃という言葉があります。
有余涅槃は、煩悩がなくなってから入滅するまでの間の余生。
無余涅槃は、そこから寿命が尽きて、入滅すること。
煩悩がなくなれば輪廻(再生)しませんから、無余涅槃で三界から消え去り、
たとえ神々が探し求めたとしてもみつけることはできないようになります。
大乗仏教ではそれを受け入れたくなかったのでしょうか、
たとえば阿弥陀仏などは、誓願(本願)によって無量の寿命になることを前もって誓っておいて、
無余涅槃に入らず有余涅槃で活動し続ける仏となっていますし、
法華経信者は、お釈迦様の入滅は衆生に無常を教えるための方便で、
本当は久遠の仏として存在し続けてるんだ、みたいな話にしています。
276:神も仏も名無しさん
12/07/15 09:14:24.45 uKks1R9+
>>272 煩悩の親玉である無明の根深さは、簡単にいうと、
「生きるってすばらしい、私が私のままでいたい、仏様には仏様のままで生き続けてほしい」という
「尊ぶ必要のない命を尊ぶ」という勘違いなのです。
仏教では、命には執着しません。「もっと生きていたい」という渇愛を否定します。
仏教で重要なのは悩み苦しみからの解放です。
生きているうちは、たとえ悟った人でも肉体的苦痛はあります。
完全に悩み苦しみから解放されるのは無余涅槃だけなのです。
もちろん、他人の悩み苦しみを軽減するために、
お釈迦様や阿弥陀仏のようにあえて有余涅槃に留まり、
弟子を育成したり、念仏者を極楽へ導いたりするというのも、
自分と他人の悩み苦しみの軽減をめざす仏教の方向に矛盾はしません。
仏教では、命(生きること)は目的でも宝物でもなく、
命は自分と他人の悩み苦しみをなくすのに役立つなら使いましょう、
という程度の道具・手段にすぎないのです。
手段に執着して悩み苦しみが増すなら本末転倒ですから要注意です。
277:神も仏も名無しさん
12/07/15 09:27:21.68 uKks1R9+
>>272 煩悩の親玉である無明がなくなれば、渇愛がなくなるので、
貪欲に生きようとするような気力はなくなるのでは。
しかし、他人から求められたり、義務的な約束や誓いを果たすための仕事であれば、
怠けの煩悩も消失しているため、嫌がらず、
集中力も切らさず注意深く適切にこなすことでしょう。
普通の人は怠けの煩悩が強いので、欲(悦び)や怒り(苦痛)を原動力にしないと
活発に仕事するモチベーションが沸かない。
だから、欲や怒りがなくなった覚者にはモチベーションがないはずだから、
なぜ仕事できるのか理解しがたいのでしょう。
それは、前提が間違っているのです。
欲や怒りという「気力」がないと仕事できない状態というのが、
そもそも怠けの煩悩による弊害が生じているからなのです。
悟ったら、怠けという重りがなくなるため、そんな「気力」をふりしぼらなくても、
軽安(軽々とやすやすと)に活動ができるのだと思います。
278:神も仏も名無しさん
12/07/15 11:44:28.73 Y9vbXe17
自分から何をしようという気力を無くして
一方的にやらされてる修行についてだけ従順にいろと教えられるので活動的であれる。
有り得ない。
仏教はやはりいかに詭弁を弄そうともどうにも効力が希薄な面があるのは否めない所がある。
279:神も仏も名無しさん
12/07/15 13:50:55.75 aPhG1EuT
>>270
>タイムマシンがないので事実かはわからないが、お経にはそのように説かれている。
とても事実とは思えませんが、信者達は事実と思ってるのでしょう?
>お釈迦様が悪魔と交わした取り決め(が実現するまでは死なない)に通じる気がします。
「悪魔と交わした・・」とか言われても、物語か妄想なら考えられるけど・・
>仏教的には理にかなっている物語だと思います。
脇腹から生まれたとか、唯我独尊と言った・・とかいうのも理にかなってます?
280:神も仏も名無しさん
12/07/15 15:47:28.37 uKks1R9+
>>279 経典では悪魔と書かれてあるけど、実際は他宗教の人との会話なのかもしれません。
理にかなってるというのは、仏教教理との整合がとれている物語だ、ということ。
ちなみに、脇腹から生まれたという表現は、
クシャトリヤ階級に生まれたことを象徴しているそうです。
281:神も仏も名無しさん
12/07/15 15:53:52.51 uKks1R9+
>>278 煩悩を完全になくした修行完成者である阿羅漢の話ですから、
修行をやらされてるとかいうレベルの人ではないと思います。
悟りは、究極の大人になることでもあると思います。
一般的に、大人になるにつれ、子供のころは必死でやっていたことでも
「たいしたことないな」と思えるようになりますよね。
子供の頃に夢中だったシール集めとか、大人になるとクールダウンします。
悟って究極の大人になったら、世俗の人々が必死でやってることのたいていは
「たいしたことないな」と覚めた目で見られるのでは?
282:神も仏も名無しさん
12/07/15 16:03:28.75 Y9vbXe17
却下。より良い回答募集。>>266
283:宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk
12/07/15 16:13:17.50 FJss6X9V
>>279
横レス失礼。
仏典でゴータマの前に出現する悪魔というのは、ただの宗教文学的な表現法に過ぎません。
菩提樹の瞑想中に出現して、再び苦行世界へと戻るよう惑わす悪魔は、自己の修行における
精神的葛藤を表現したもの。
そして、殆どの場合には、真実から眼を逸らして偽りの自己意識へと縛り付ける五蘊の作用が
悪魔と表現されているのです。>>17>>19
ここでのゴータマの死(涅槃)に関する悪魔との対話は、死なれては困る弟子達の立場と心を
象徴したものでしょう。
>脇腹から生まれたとか、唯我独尊と言った・・とかいうのも理にかなってます?
「脇腹から生まれた」は誤伝でしょう。正しくは、神の使いとしての白象の牙を脇腹に刺し込ま
れる夢を見て懐妊したです。こういう霊夢、お告げというのは実際にあるでしょうね。事実かと。
「唯我独尊と言った・・」については、大乗側では批判を交わすべく“世界にたった一つだけの
花”(オン・リー・ワン)的意味合いを出張したりしていますが、言い訳的で苦しいでしょう。
赤ちゃんがそんなポーズをとっても別に珍しくもない印象なのですが、いずれにせよ、これは
ゴータマの偉大さを示したいための神格化だと見なすほうがごく自然でしょうね。
284:神も仏も名無しさん
12/07/15 16:24:02.18 Y9vbXe17
私見だが形而上に創作を行うのは前にキリスト教について考察したように
現実的には救いの無い者への空想による救いの力というものを意図的に作ろうとしてるものと考えられる。
それもまた無駄ではない。
現実的解釈だけを是と考えるのは今健康な自分だけに拘泥した視野狭窄の態度であると知るべきであろう。
285:神も仏も名無しさん
12/07/15 16:36:49.83 Y9vbXe17
気力についてそれなりの論理構成が浮かんだ。
が、まずは識者の回答を待とう。
その方法とは別にここにも
神の愛の元にあり力を貸してくれている 力の限りを尽くそう(キ教的だが)
などと空想的作用を持って臨む方法も考えられる。
目に見える論理的構造だけが力を持つのではないという事がご理解いただけよう。
286:神も仏も名無しさん
12/07/15 17:51:24.42 uKks1R9+
>>282
怠けの煩悩がなくなれば、「気力」などふりしぼらくても軽々と行動できる。
怒りは、嫌だ、もうたくさんだという気持ち。すなわち自分にとっての罰。
欲は気持ちいい、もっと欲しいという気持ち。すなわち自分にとってのご褒美。
罰やご褒美がないとやる気がでないのは、怠けの煩悩があるから。
怠けの煩悩がなくなれば、「気力」(罰やご褒美)がなくても活動的になれる。
287:神も仏も名無しさん
12/07/15 17:58:59.17 uKks1R9+
>>285 怠けの煩悩がなくなれば、
神の愛とかのイメージをつかった喜悦を利用して気力をふりしぼったりしなくても、
「これやってください。」
「オッケーっ。」(ローラみたいな口調)
って即答で即実行できる、心の軽安さがでてくるのだと思います。
288:神も仏も名無しさん
12/07/15 20:30:37.77 Y9vbXe17
怠け心を封じられる保証などどこにも無いし、
かろうじて為し得ても大きな力は生まない。
本当にぬるい。
>>285等はスポーツのトップ選手が優れた成績をおさめた時に十字を切り天に祈りを捧げてるあれだよ。
人知を超えた気力、集中力を志向するだけの細工が出来ている。
289:神も仏も名無しさん
12/07/15 20:38:07.88 kDNJ95qc
そもそも、仏教ってのは
『「世俗的ベクトルで言えば」無気力推奨』なんだけどね・・w
もともと遠離されるべきものを持ち出して、
「それを引き出せない仏教は駄目だ」的な論調にどんな意味があるのかとwww
290:神も仏も名無しさん
12/07/15 20:40:44.02 kDNJ95qc
或いは、「(完全なる)凪」が目指されるわけで。
そこに於いて「気力」なんてのは、(波を起こす)障碍としての要素以外の何ものでもなかろう?w >>288
291:神も仏も名無しさん
12/07/15 20:45:39.29 Y9vbXe17
そういう返答を予想して>266の質問に仏教への懐疑の文が付け加えられている。
> 気力も否定し無気力に死んだように生きるのが仏教の理想なのでしょうか。
これが目指されるべき境地と言えますか。否だね。
ここへ至ってはならない問いなのだ。
292:神も仏も名無しさん
12/07/15 20:56:23.23 kDNJ95qc
>>291
だったら仏教を切り捨てればいいじゃんw
無い物を探しても詮無くないか?www
【君には】仏教は【不要】だし【向いてもいない】。それだけのことだろ?
293:神も仏も名無しさん
12/07/15 20:58:31.88 Y9vbXe17
いやまったく違う。君たちの理解が誤っているのだ。
救済への志向を死に等しい生に帰着させてしまっては誰の気持ちも掴み得ない。
294:神も仏も名無しさん
12/07/15 21:00:54.42 kDNJ95qc
そうそう。ちゃんと答えておきましょうかw
>>291 >これが目指されるべき境地と
そうです。それこそが目指される境地です。
「【世俗的】気力」は「凪」を妨げるものでしかありません。
だから、そうした「凪」が嫌いなら(納得いかないなら)、別の宗教の戸を敲けばいいことです。
295:神も仏も名無しさん
12/07/15 21:03:15.89 kDNJ95qc
>>293
だからwwwww
その方向は「仏教」じゃないのw
語弊を恐れず言えばw、「みんなが凪を望んだならば、みんなで滅びましょう」ってのが仏教なのw
なんでこんな単純な図式が解らんかな・・。
296:神も仏も名無しさん
12/07/15 21:04:40.17 Y9vbXe17
つまり仏教が普及した国では皆が死んだ目で廃棄物のように路傍に転がっているのだな。
馬鹿も休み休みにしろ。
297:神も仏も名無しさん
12/07/15 21:06:39.37 kDNJ95qc
>>296
貴方こそ、ちゃんと基礎知識くらい踏まえたらどうですか?
『「俺様仏教」は2chの華』とは言いながらも、さすがにウンザリですw
298:神も仏も名無しさん
12/07/15 21:10:12.78 Y9vbXe17
お前の認められたいという煩悩も強すぎるようだぞ。wで落ち着かなさを露呈するな。
俺の思索のほうが遥かに道を掴んでいる。
分かってない奴ばかりだな。
299:神も仏も名無しさん
12/07/15 21:40:01.39 uKks1R9+
悩み苦しみの原因は煩悩である。
煩悩をなくせば悩み苦しみを消せる。
煩悩を制御できれば悩み苦しみを制御できる。
それが仏教の基礎。
そこに同意できた人が仏教徒なんでしょう。
300:神も仏も名無しさん
12/07/15 21:44:51.90 99ppGygN
>>299
煩悩は、生きている証(あかし)。「煩悩を去れ」とは「死ね」ということ。
「煩悩を去る」という欲望も、また煩悩である。
釈迦って馬鹿だったのですか。
301:神も仏も名無しさん
12/07/15 21:47:12.69 Y9vbXe17
根幹に関わる非常に重要な問いなのだと思うよ。
仏教徒は最悪の帰結に至らない良い回答に辿り着かなければならない。
302:神も仏も名無しさん
12/07/15 22:11:05.58 kDNJ95qc
>>301
だからw
それはもはや仏教じゃないの。
宝珠と一緒に神智学でもやったら?
303:神も仏も名無しさん
12/07/15 22:11:54.46 uKks1R9+
>>300 無余涅槃は、生き物であることから卒業することです。
煩悩のある生き物として生きているかぎり、他の生物を犠牲にして生きなければなりません。
涅槃に入れば、他者を苦しめる必要もありませんし。
なにも、すぐに自殺しろというわけではありません。
死後に「成仏する」、つまり二度とこの世にもどってこない、ただそれだけ。
304:神も仏も名無しさん
12/07/15 22:40:02.34 99ppGygN
>>303
そんな論理は、現代の誰にも、どこにも通用しない。
釈迦の馬鹿さ加減の恥を、いつまでも曝し続けるべきではない。
釈迦の名誉毀損に該当する。
305:神も仏も名無しさん
12/07/15 22:46:17.68 uKks1R9+
>>304 仏教はそういう宗教なんだから仕方ありません。
それとも、あなたは仏教について違う解釈をしている宗派をご存じで、
そのような宗派を好ましく思っているのでしょうか?
306:神も仏も名無しさん
12/07/15 22:50:30.16 kDNJ95qc
ID:99ppGygNは、通称「隠居」「御隠居」。スルー推奨。
307:神も仏も名無しさん
12/07/16 01:04:22.12 1Zn/wHb8
> つまり仏教が普及した国では皆が死んだ目で廃棄物のように路傍に転がっているのだな。
こういう退廃的事態に至らない解釈を俺が相当程度為し得ているというのに
君らは情けない限りだな。
そんな状態が涅槃なわけが無かろう。
まったく修行が足りない。
308:神も仏も名無しさん
12/07/16 06:58:03.07 99McDXFZ
>>300
>「煩悩を去る」という欲望も、また煩悩である。
↑
あははは・・・(笑
ホントそう。釈迦より賢い人が2chにはいますね!
>釈迦って馬鹿だったのですか。
論理矛盾が多そうだから、賢くはないようね!(笑
ヽ(^。^)ノ
309:神も仏も名無しさん
12/07/16 09:29:36.70 JVXOEbqf
>>307
少欲知足って言葉知ってる?w
あと、ワシが何度か“「世俗的」気力”という使い方をしていることにツッコまないのはなぜだい?
隠居なら
「気力に2種類あるのかね?w」
「世俗的でない気力とはいかなるものか?そんなものは存在しない。
気力とは世俗的気力のことであり、それ以外の気力など存在しない」
とでも言いそうだが・・w
いずれにしろ、続けたければ↓こっちな。
スレリンク(psy板)
「凪」が理想とされるというのは、「死んだ目になること」とは全く別物なんだがねぇ・・・。
どうしてこういう人たちは二極的にしか物事を考えられないのかね・・w
ノシ
310:神も仏も名無しさん
12/07/16 10:46:37.75 Y3prmiqS
>>300
煩悩を消したいという心は、
煩悩がすべてなくなったときに消える(必要なくなる)んだから矛盾はない。
そこに至る前にまず、怒りや欲の煩悩が減退していくので、
日常生活の悩み苦しみの大半はなくなっている。
ストレスまみれの毎日を送ることを思えば、
煩悩をなくしたいという心を使って
まずは怒りや欲を制御するほうが、苦悩を減らす効果は大きい。
また、煩悩をなくせていない自分への怒りも減退するんだから、
「チクショーまだこんなに煩悩がある!」という苦悩も減退していく。
焦らず(怒りのストレスなく)、
しかし一歩一歩煩悩をなくす方へ進んでいけばいい。
311:神も仏も名無しさん
12/07/16 13:43:10.29 pMmsdN+y
>>309
>「凪」が理想とされるというのは、「死んだ目になること」とは全く別物なんだがねぇ・・・。
↑
と君が、そう想像・妄想してるだけでしょ?
それを証明・検証した人がいる?
312:神も仏も名無しさん
12/07/16 14:45:39.88 1Zn/wHb8
>>309
そういう明らかに落ち着きをなくした惨めな態度を取らないで済むようにまずなれ。
何も説明が出来てない癖に他者を中傷だけしてるお前は最下等で、
仏教に対する侮辱的存在だ。
>>311
愚かしい奴だよな。
313:神も仏も名無しさん
12/07/17 01:18:35.59 p4a+HcKR
>>309
>どうしてこういう人たちは二極的にしか物事を考えられないのかね・・w
キリスト教的価値観が至上で、仏教を貶すのが目的なだけだからだろw
こいつ、このあいだの>>206じゃね?w
314:神も仏も名無しさん
12/07/17 03:41:43.48 D+/W8jW7
>>312
>愚かしい奴だよな。
バカとか ↑ しか 返ってこないのはそこで
盲信していて思考停止になってる証拠だろ
315:神も仏も名無しさん
12/08/01 23:59:59.82 Bkk4eVCs
後期中観派は結局のところ外界を実在と捉えるのか非実在と捉えるのかどっちなの?
決着ついてないにしてもどっちが有利だったの?
もし後期において非実在であったなら後期だと有部だけが実在としてたの?
316:神も仏も名無しさん
12/08/02 02:12:01.04 hiIlR85v
觀如來品第二十二
五陰和合の故に有るならば即ち自性は無い
空は則ち説けない
空でなくても説けない
空、非空は共であろうと共でなかろうと説けない
但だ仮名を以って説くのみだ
如来の滅後について
有るか?無いか?有であり無であるのか?
と思惟してはならない
如来は戯論を過ぎるが
而し人は戯論を生ずる
317:神も仏も名無しさん
12/08/02 02:15:40.71 hiIlR85v
中論觀四諦品第二十四
一切の法は性空だが
世俗諦とは
世間は顛倒の故に虚妄の法を生じ
世間には是れが実である
諸の賢聖は真に顛倒の性を知るが故に
一切の法は皆、空で無生だ、と知り
聖人には是れが第一義諦で実と名づける
318:神も仏も名無しさん
12/08/02 02:21:09.05 hiIlR85v
中論觀顛倒品第二十三
無常の中に常に著する、是れを則ち顛倒と名づける
著を憶想して此彼、有無等を分別する、と名づける
無漏法に至るまで尚お不生の相と名づけない
顛倒に因り顛倒の者が有る
319:神も仏も名無しさん
12/08/02 02:32:09.45 hiIlR85v
無漏法に至ってない顛倒の中に住している世俗の人々は
後期において非実在であったなら後期だと
有部だけが実在として、有るか?無いか?と思惟してはならない
無漏法に至って、やっと第一義諦を体感会得できる
と言う事なんじゃなイカ? おじゃる?
320:神も仏も名無しさん
12/08/02 05:52:27.93 dCmgKwcB
>>315
そんなのどっちとも捉えないに決まってるでしょ。
中観はxである、xでないという四句分別から逃れた戯論寂滅を目指すので、
なんらかの見解を提示したり、思想を批判して何らかの思想構築するものじゃないから。
少なくとも月称菩薩はそうだ。
321:神も仏も名無しさん
12/08/02 08:56:15.82 oz/j3UjI
>>320
べつに中観の真理について聞いてるわけではないんだ。
認識の対象として認められる対象は有るのか、それとも心でしかないのか。
という点について中期(月称を含む)までは中観系は唯識の
外界は存在せず認識の対象は存在しない
って考えを否定して、外界の実在を唱えていて、
それが後期のシャータンラクシタやカマラシーラやハリバドラになっちゃうと唯識色が強くなっちゃって
実在とも非実在とも主張されるようになっちゃって、じゃあ、そこで結局どっちなの?ってことが聞きたかったんだ。
蛇足だけど、
>なんらかの見解を提示したり、思想を批判して何らかの思想構築するものじゃないから。
>少なくとも月称菩薩はそうだ。
っていってるけど、プラサンナパダーだってバーヴィヴェーカを批判して組み上げたモノでしょ?
っていうか帰謬論証という立場というか方法は他の思想の批判の上に成り立つものだよね。
322:神も仏も名無しさん
12/08/02 09:16:11.17 dCmgKwcB
>>321
いや、そういう見方が間違ってると確信する。
例えば、『明句論』だけど清弁菩薩を批判したものではないっしょ。
確かに清弁菩薩や陳那菩薩説を寂滅に導く説き方はある。
しかし、それを批判や論証と見ては中観ではないよ。
なぜか、清弁菩薩は中観に自立論証を持ち込んだ。
これはもちろん方便なんだけど、自立論証しては中観にならない。
なぜなら、自説、xであるという見解を論証してしまうから。
それでは見解、戯論が残ってしまって戯論寂滅にならない。
だから、月称菩薩は帰謬論証なんかしてない。
より限定するなら、論証なんかしてない。それでは戯論寂滅にならないから。
相手が掴んでいる見解としての戯論を帰謬によって戯論寂滅に導くだけ。
ここで言う戯論は、意識の根本的言語能力としての想像力、妄想する力、
抽象的な意味を「妄想展開すること」を意味してる。
君のような説は、19世紀にペテルスブルク学派がゲルクの影響を受けて創りだしたもので、いまだ学会の主流のようだけど本来の中観とは程遠いよ。
本来の中観は寧ろニンマ・サキャ、三論、華厳、真言などに接近する。
学者では山口益、生井智紹、石飛道子が接近し、それ以外のほとんどの文献学者の説は中観を理解してないと思うよ。
もっともニンマ・サキャについた最近の西洋人、チベット人学者は除くけど。
323:神も仏も名無しさん
12/08/02 09:39:24.12 oz/j3UjI
>>322
すまない。
月称菩薩の事に関しては確かに自分が一面的な見解に依りすぎていた。
たしかに貴方が言うように月称菩薩は帰謬論証すらしておらず、戯論寂滅のみを行なっていたにすぎないというのもあり得る話だ。
考えたこともなかった。貴重な考えを仕入れさせてもらった。ありがとう。
でも、自分が求めていたのは
後期中観派において外界は実在と捉えていたのか非実在と捉えていたのか、に対する文献学的な見解はどちらなのか?
なんだ。引き続き有識者の見解を待ちます。
324:神も仏も名無しさん
12/08/02 11:07:58.91 hiIlR85v
何故
後期中観派において外界は実在と捉えていたのか非実在と捉えていたのか?
と言う事に、こだわるのか?
その理由を教えてくれなイカ? おじゃる?
325:神も仏も名無しさん
12/08/02 11:39:09.67 hiIlR85v
瑜伽行唯識(ゆがぎょうゆいしき)
とりあえず心(識)は仮に存在すると仮設して
深層意識の阿頼耶識が
自分の意識も
外界にあると認識されるものも生み出している(唯識無境)と考えて
瑜伽(ヨーガ)の実践などによって
第六表面意識から → 深層意識の阿頼耶識に働き掛けて
最終的には阿羅耶識もまた空であるとする(境識倶泯)
境識倶泯に至っていないものは
有るか?無いか?有であり無であるのか?と思惟してはならない
境識倶泯に至って、やっと第一義諦を体感会得できる
と言う事なんじゃなイカ? おじゃる?
326:神も仏も名無しさん
12/08/02 11:52:44.76 hiIlR85v
中論觀顛倒品第二十三
無常の中に常に著する、是れを則ち顛倒と名づける
無漏法に至るまで尚お不生の相と名づけない
中論觀法品第十八
八聖道分を修習して
我、我所を滅する因縁の故に
無我、無我所を得て
智慧を決定する
空等の解脱門を用いて
諸の禅定の中に
滅尽定を以って第一と為し
終に無余涅槃に帰する
327:神も仏も名無しさん
12/08/02 12:00:23.72 oz/j3UjI
>>326
純粋な知的好奇心からです。
貴方のレスの意図は読めません。
中論について聞いた覚えはありません。
先にも述べたように初期や中期の捉え方は今回は必要ではありません。
また、唯識の基礎概念について聞いた覚えもありません。
あくまで私が知りたいのは
後期中観派において外界は実在と捉えていたのか非実在と捉えていたのか、に対する文献学的な見解はどちらなのか?
についてです。
328:神も仏も名無しさん
12/08/02 12:14:56.87 hiIlR85v
> 文献学的な見解はどちらなのか?
色々な人の解説書を読んで見て下さい
そして最終的には、禅定(瞑想)によって
八聖道分を修習して
我、我所を滅する因縁の故に
無我、無我所を得て
智慧を決定する
滅尽定を以って第一と為し
終に無余涅槃に帰する
無漏法に至るまで尚お不生の相と名づけない
329:神も仏も名無しさん
12/08/02 12:16:15.29 dCmgKwcB
>>327
その人はトンチンカンなので、アナタが何を問題としてるかも分かってないと思うよん。
330:神も仏も名無しさん
12/08/02 12:38:31.91 hiIlR85v
根本仏典も、中論も、瑜伽行唯識なども
表面意識だけの哲学的な思惟によって作られたものではなくて
禅定(瞑想)とか、瑜伽(ヨーガ)の実践などの
体感会得によって、教理にまとめられたものなので
色々な人の解説書を読んで見て
そして最終的には、禅定(瞑想)によって
体感会得してみて下さい
と言う事を主張したかった訳でございます
331:神も仏も名無しさん
12/08/02 12:49:40.47 hiIlR85v
> その人はトンチンカンなので、アナタが何を問題としてるかも分かってないと思うよん
質問に対しての自分の意見を述べて下さい
(今まで頭ごなしにコテンパン叩かれて来ているので
これからも私の事を馬鹿にする事は大変に結構な事でございます)
332:神も仏も名無しさん
12/08/02 13:23:39.22 hiIlR85v
↓ 携帯だと見れないかもしれない
URLリンク(archives.bukkyo-u.ac.jp)
文学部議集第制月一(2004年3月)
後期中観派の自己認識に関する悶果関係の吟味
森山清徹
…ダルマキールティの自己認識の理論を活用し
外界の非実在を論じることによるものである…
333:神も仏も名無しさん
12/08/02 18:46:55.40 oz/j3UjI
>>332
ありがとうございます。
しかし読んでみても、
ダルマキールティは論証できるとしたけど、カマラシーラは感覚智の因果関係を論証することはできないとした
ってことが一貫して論じられていて、
自分だとどこにカマラシーラの外界についての見解が論及がされている箇所を読み取れなかったんだけど、
もしよかったら何ページ目の何行目から論及されているか教えてもらえないだろうか?
334:神も仏も名無しさん
12/08/03 00:49:09.65 XApZ8fii
URLリンク(archives.bukkyo-u.ac.jp)
カマラシーラの因果論及びプラマーナ論の吟味とダルマキールティ
[2]カマラシーラによる因果論及びプラマーナ論の吟味とダルマキールティ
[3]実在論の論破と無自性論証
[4]実在論者による無自性論証への詰問とカマシーラの筈論
335:神も仏も名無しさん
12/08/03 01:07:32.94 XApZ8fii
URLリンク(archives.bukkyo-u.ac.jp)
このプラマーナと実在に関する問題の本質は対論者が
中観派にプラマーナにより一切法無自性は証明し得ない
なぜならプラマーナは実在を証明するものであるから
と詰問することと共通している
この実在論へのカマラシーラの対応は
直接知覚に関しては修所成慧としてのヨーガ行者の直接知覚により無我が悟られ
また実在が直観されることはないと論じ
推理に関しては反所証拒斥検証の不成立を指摘することにより
実在論を論破し無自性論証へと導く
336:神も仏も名無しさん
12/08/03 01:20:06.29 XApZ8fii
実在論へのカマラシーラの対応は
自分の意識も
外界にあると認識されるものも(唯識無境)
修所成慧としてのヨーガ行者の直接知覚により無我が悟られ
実在が直観されることはない
実在論を論破し無自性論証へと導く
337:神も仏も名無しさん
12/08/03 19:49:57.91 WUrQafom
>>336
色々資料を挙げてくれてありがとう。
しかしながら、ひとつも合致するものは無かったよ。
質問は「外界が実在と捉えるか非実在と捉えるか」であって「自性の実有」では無いんだ。
色々な資料挙げてくれたけどあなた自身は全部読んだ?質問の意図が理解できてなかったの?
また、色々な人の考えを聞きたいな。と思って質問しているのであって、自分が質問の意図すらも理解できないモノであったら回答は控えたほうがいいと思うよ。
それこそ先の人が指摘しているようなトンチンカンな回答になってしまう。
何故なら自身が見解を示せないから。
あなたの行為は喩えるならば
レシピ以上のおいしいショートケーキを作りたい人がケーキ屋においしいケーキの作り方の秘訣を聞きに
ケーキ屋に聞きに行ったら、ケーキ屋の前にいたおばあちゃんから「私が教えてあげる」と呼び止められて、
一緒に本屋に行って一日かけて本を一緒に探して「この本に乗ってそうだよねえ」、とか言われるようなモノです。
そして真に受けて本を買って帰ったらチョコレートケーキの一般的なレシピしか載っていない。そのような感じです。
しかも元々はレシピ以上の美味しいケーキの作り方が知りたいわけで、レシピが知りたいわけでも無い。
おばあちゃんは親切心から教えているのですが、知りたい人はたまったもんじゃありません。
まさにありがた迷惑。
おばあちゃんが呼び止めなかったら無事にケーキ屋に入ってそこでケーキ職人に質問ができたでしょう。
そこで専門家の意見が聞けたでしょう。
だから、質問に回答する事が悪いこととは言いません。
質問者に対して回答しようと思う事、それは素晴らしい善だと思います。
けれども、知らないこと、答えられないことにたいしては沈黙を保つことも美徳であると思います。
知らないことに対しての回答はトンチンカンな回答になることが多いです。
回答は知っていること、答えられることに限るのがいいと思います。
そうでなければトンチンカンな回答によって、質問を行った者も、質問を回答した者も残念な気持ちになる事が多いです。
なんだかグチャグチャになっちゃったので自分の質問は取り下げさせて頂きます。
338:神も仏も名無しさん
12/08/03 21:18:45.97 XApZ8fii
> 何故なら自身が見解を示せないから
私の意見は
自分の意識も
外界にあると認識されるものも(唯識無境)
実在が直観されることはない
と言う事でございます
339:神も仏も名無しさん
12/08/04 01:09:50.23 f2SBlPTE
>>337 素人の傍聴人ですが、
そもそも「実在」という概念にはめこむこと自体がおかしいのでは?
最初からケーキ屋においていないケーキのレシピを要求していて、
通りすがりのおばあちゃんは、「そんなケーキ自体がない」って言ってるのに、
あなたは「そんなこてはきいていない、あのケーキのレシピをさがしてるんだ」、
おばあちゃん「だぁかぁら、そんなケーキ自体がはじめからないのにレシピもくそもないんじゃ」と。
340:神も仏も名無しさん
12/08/04 01:47:12.06 jdehNPyr
>>339
俺は本人じゃねーし横レスになるけど337の一連の質問は、
初期と中期においては中観派や説一切有部は認識の対象としての境を想定するけど
唯識や経量部においては認識の対象である境を想定しない。
じゃあ後期中観派の文献においては境を想定するのか、しないのかって話じゃね
真理としてはどうあるのかって話ではなくて、あくまで文献学的にどう読めるかって事
そして多分だけど「実在」って概念は一般的に想定されるような「実在」じゃなくて
仏教論理学的な「実在」について聞いているんじゃない?
俺は論理学専攻じゃねえからわかんねえが恒常的な実有や存在を指し示しているのではないようなきがするわ
そんなものは悟りには必要ねえよ!ってなるけど、知的好奇心だって言ってるからなんともいえねえよな
>>337
ちなみにおれは後期はサッパリだからなんも回答は出せねえわ
もし、追求してーんだったら議論スレにもってってみたら?
あっちだと博識な人がおおいぞ
341:神も仏も名無しさん
12/08/04 02:01:01.98 f2SBlPTE
>>340 でも「無自性」って言われてるわけだから、
「境」と「境以外」に分別することが批判されてしまうので、
質問自体が成り立たなくなってしまう気がします。
342:神も仏も名無しさん
12/08/04 09:58:39.41 jdehNPyr
>>341
無自性論証によって境と境以外の分別は批判されてないぞ
ここでいうダルマキールティの無自性論証ってのは
有部の三無為やアートマンやイーシュバラみたいなものがもっている恒常な性質を批判するロジックであって
長いものや短いものといったそのものの持っている性質に区別がねーっていう無分別じゃねえんだわ
よーするに自分が認識してると思ってるもんは外に見ているって思っている俺の妄想にすぎず実際は心の中にあるのか
それとも俺の外にあるのかってやつじゃね?
343:神も仏も名無しさん
12/08/04 16:08:57.21 f2SBlPTE
>>342 「俺」っていう法境も意根と意識との縁起で成り立つことであり無自性なんだから、
外界も縁起・無自性であるので、外界を切り取って議論することに違和感を覚えたもので。
344:神も仏も名無しさん
12/08/04 17:18:16.48 oxgnr7ZI
若し人、三世一切の、仏を知らんと欲すれば、
法界の性は、まさに一切唯心の造なりと観ずべし・・・ か。
345:神も仏も名無しさん
12/08/04 17:51:54.14 f2SBlPTE
色の鏡で「俺」を見ると「俺」は心の姿をしているし、
心の鏡で「俺」を見ると「俺」は色の姿をしている。
「俺」の本体は色なのか心なのか。
色の鏡に映った心は幻か実体か、心の鏡に映った色は幻か実体か。
色が鏡で自分を見ると心に見えるし、心が鏡で自分を見ると色に見える。
346:神も仏も名無しさん
12/08/04 19:11:13.06 y2Ac1xFk
トンチンカンな、おばあちゃんが、と
御叱りを受けるかもしれましんが
私も
外界を切り取って話を進める事に対して違和感があったので
>>324
何故
後期中観派において外界は実在と捉えていたのか非実在と捉えていたのか?
と言う事に、こだわるのか?
と質問させて頂いたので御座います
皆様にも御迷惑をお掛けしまして大変失礼致しました
347:神も仏も名無しさん
12/08/04 19:52:50.74 jdehNPyr
>>343
だからその立場はすでに唯識だろ
後期の連中は外界に対する考え方が中観の立場なのか唯識の立場なのかって話だろ
348:神も仏も名無しさん
12/08/04 21:37:35.38 y2Ac1xFk
中観とか唯識などについて
そして
書き込み規制の時にも ↓ こちらへどうぞ
スレリンク(entrance2板)l50
輪廻転生と人格障害 (←机先生が立てたものです)
349:神も仏も名無しさん
12/08/05 10:19:38.13 vzVvTwkf
>>347
うーん、唯識とは言っていないです。
外界が認識されていないときにも外界があるのか(実在なのか)は、確かめようがない、
しかし、認識されていないときには外界が無い、とも言えない。
識がないと認識できないが、それだけをもって識が創造者だとは言えない。
ぜーんぶひっくるめて生滅し縁起してるので、一部を切り取って考えても答は「わからない」では。
350:神も仏も名無しさん
12/08/05 10:47:47.77 d/G5SZmM
ガクモンぶっきょーってくだらねえw
351:神も仏も名無しさん
12/08/05 10:50:39.68 d/G5SZmM
「ありのままに想う者でもなく、誤って想う者でもなく、想いなき者でもなく、
想いを消滅した者でもない。*←非想非非想処
─このように掴んだ者の形態は消滅する。
時空意識は、想いにもとづいて起こるからである。」(スッタニパータ874)
352:神も仏も名無しさん
12/08/05 11:18:52.67 fDpqi1Vt
>>349
だから、俺達じゃそういったように考えが及ばねー事を
昔の人は論理学とかを用いて考えてんだよ
で、それが論に書かれて残ってる
んだから、昔の人はどうやって理解したのか知りたいんだよって話だろ
353:神も仏も名無しさん
12/08/05 11:30:54.21 d/G5SZmM
そんな二項相対で、論理学とかでいくら考え(想い)ても
結論なんか出ねーよ、ってのがSn.874じゃん。
時間つぶし趣味ガクモンなら勝手だが、実践的にはSn.874でもう十分。
354:神も仏も名無しさん
12/08/05 12:00:40.93 fDpqi1Vt
>>353
流れ嫁カス
最初の質問者の質問は「知的好奇心」って明記されてるだろ
いつから実践の話になったんだよ
それとこっちは素朴な疑問なんだけど、
そのSn.874の訳って誰訳?
papancasa?kh?ってそんな風に訳せるものなの?
355:神も仏も名無しさん
12/08/05 12:01:52.61 fDpqi1Vt
訂正
papancasaMkhA
356:神も仏も名無しさん
12/08/05 12:14:43.19 d/G5SZmM
カスには応答不能だすw
357:神も仏も名無しさん
12/08/05 12:39:47.80 d/G5SZmM
カスのヒント
:Sn.874とSn.916を体系的且つ実践的に掴み込むこと。
筏の縄の産地解明ばかりに拘ってないで、ちゃんと櫂を漕げよw
358:神も仏も名無しさん
12/08/05 13:10:24.81 6k+/g1F5
スッタニパータ 874
ありのままに想う者でもなく
誤って想う者でもなく
想いなき者でもなく
想いを消滅した者でもない
このように理解した者の形態は消滅する
けだしひろがりの意識は
想いにもとづいて起るからである
スッタニパータ 1037
識別作用が止滅することによって
名称と形態とが残りなく滅びた場合に
この名称と形態とが滅びる
スッタニパータ 1119
つねによく気をつけ
自我に固執する見解を打ち破って
世界を空なりと観ぜよ
359:神も仏も名無しさん
12/08/05 13:54:40.47 6k+/g1F5
スッタニパータ 1068
上と下と横と中央とにおいて、そなたが気づいて
よく知っているものは、何であろうと
それは世の中における執着の対象である、と知って
移り変わる生存への妄執をいだいてはならない
- - -
↑ これに時を追加すれば「時空意識は」と言う解釈も出来るかも?
360:神も仏も名無しさん
12/08/05 14:30:28.23 d/G5SZmM
>>359
>「時空意識は」と言う解釈も出来るかも?
ご苦労はん、そのとおり同意だす。
それに加えて、653(中論24-40参照)・734・735・916という抜け殻カス仏教(仏典=仏法ではない)も
(批判的に)体系的に読んで法を直覚し、
自帰依とのフィードバックで信解決定(けつじょう)していくしかない。
修練の深化は非動非止。
「想う」=知覚・記憶=分別するから時間・空間(特に自我)が実在する(デカルト的)、というわけではないというのが874・916の趣旨。
だから、非想非非想処での無分別智で名色の不生(無我)が直覚され⇒無分別中道の悟り=涅槃となる。
だから「ひろがりの意識」(戯論?)なんて中村元さんヘンですよーな訳より、「時空意識」で万事オッケーだす(カス訳)。
361:神も仏も名無しさん
12/08/05 14:35:21.67 6k+/g1F5
俺達じゃ考えが及ばねー事を昔の人はどうやって理解したのか?
スッタニパータ 1026
無明が頭であると知れ
明知が
信仰と念と精神統一と意欲と努力と
に結びついて
頭を裂け落させるものである
↑ この スッタニパータ 1026 によって体感会得したとか?
362:神も仏も名無しさん
12/08/05 15:15:25.16 6k+/g1F5
> だから、非想非非想処…
ブッダの人と思想(NHKブックス)中村元
40ページ参照
非想非非想処
想うのでもなく想わないでもない境地
滅尽定(想受滅定)という最高位の禅定の
一歩手前の境地であるといわれております
51ページ参照
四如意足(四神足)
神通力の基礎となる力で
意欲、努力、思念、観察へのそれぞれの集中力のことで
それを修めて悟りを開いたというものです
意欲、努力、思念、観察は悟りへの必須の条件でもあります
↑ 滅尽定(想受滅定)とか四如意足(四神足)などの方法もあるらしい
363:351 360
12/08/06 09:15:36.16 OTKUw2Et
>「ありのままに想う者でもなく(>>351)
この訳(中村 元 訳)は誤解を招きやすい。
『知覚(識別)のままに想う者でもなく』に訂正する。
『ありのまま』はSn.734・1035の「識別(分別)作用」との関係で体系的に読めば、
識別作用(間接現実)の死滅→無分別智によるあるがまま(直接現実)の直覚との
混同のおそれを避けなければならないからだ。
・知覚(識別)のまま←間接(知覚記憶)現実
・あるがまま ←直接(無分別智直覚)現実
ゆえに、
「知覚(識別)のままに想う者でもなく、誤って想う者でもなく、想いなき者でもなく、想いを消滅した者でもない。
─このように掴んだ者の形態は消滅する。 *形態の消滅だから、当然に時空(一切:存在)を予定している。
なぜなら、時空意識は想いにもとづいて起こるからである。」(スッタニパータ874)
364:神も仏も名無しさん
12/08/06 09:23:20.14 6fqoEwEu
>>363
人間にとって、「現実」は一義的。「間接事実」と「直接事実」との区別
などない。そんなことがあれば、人間社会は、瞬時に崩壊するのは自明のこと。
中村博士の誤りではなく、釈迦の誤り。スッタニパータは完全なカルト書。
引用などすべきではない。
365:神も仏も名無しさん
12/08/06 09:41:22.35 OTKUw2Et
>>364
>「間接事実」と「直接事実」との区別などない。
われわれは区別などしていない。
(間接)事実=(直接)事実である。
両者のあいだには、最も微細なるいかなる区別(間隙)も存在しない(龍樹 中論25-19・20)
コンドーム・セックス(間接)であろうが、
ナマ・セックス(直接)であろうが、オチンチン(事実)であることにおいては
最も微細なるいかなる区別(間隙)も存在しないのだ。
366:神も仏も名無しさん
12/08/06 09:46:53.50 6fqoEwEu
>>365
>コンドーム・セックス(間接)
もっとまともな例は、考え付かなかったのかねw。
367:神も仏も名無しさん
12/08/06 09:52:29.70 OTKUw2Et
まともじゃん!(爆笑
もっとも、インポ老人にはこの比喩はキツイかw
368:神も仏も名無しさん
12/08/06 14:31:22.37 lcnvrrzh
ヤブユム(男女両尊、歓喜仏)
男性尊格が配偶者と性的に結合した状を描いたシンボル
男性尊格が蓮華座にて座し
伴侶がその腿に腰かける座位の構図が一般的である
この交合を通じて大楽を導き
解脱に達する
- - -
頭で考えるな!体で感じて体感会得するんだ!
魂で、つかみ取れ!
369:神も仏も名無しさん
12/08/06 14:56:39.76 lcnvrrzh
理趣経
大楽の法門
妙適淸淨句是菩薩位 - 男女交合の妙なる恍惚は、清浄なる菩薩の境地である
慾箭淸淨句是菩薩位 - 欲望が矢の飛ぶように速く激しく働くのも、清浄なる菩薩の境地である
意滋澤淸淨句是菩薩位 - 思うにまかせて、心が喜ぶことも、清浄なる菩薩の境地である
370:神も仏も名無しさん
12/08/06 17:10:38.69 lcnvrrzh
「スッタニパータは完全なカルトだ!」と言うのなら
これなら ↓ どうだ?
チャンダーリーの火とは
臍(へそ)のチャクラに宿る熱である
この熱の力で「風(ルン)」を中央脈管の中に導き入れ
それが脈管に入り、留まり、溶け込む事に習熟した時
菩提心である精液が溶け出し
それが中央脈管の中を上下に移動しながら
四つのチャクラを通過する時に
四段階の歓喜が生じ、最終的には
源初から存在する(倶生)大楽を元に
楽空無別の智恵を獲得する
371:神も仏も名無しさん
12/08/08 18:23:40.59 li7ZJBI6
高野山大学の公開講義に興味ありますが、正直あまり聞いたことのない大学です
内容がインチキだったりしませんよね?
372:神も仏も名無しさん
12/08/08 20:07:26.56 8G0A6itv
高野山大学は
835年(承和2年)に空海が朝廷より真言宗後継者育成制度を認定されたことに始まる
学制としては、明治時代の1886年5月1日に古義大学林として、正式に開学した
835年(承和2年) - 朝廷より真言宗後継者育成制度が認定
1886年(明治19年)5月1日 - 古義大学林として開学
1909年(明治42年)4月10日 - 専門学校令により開校を認可
1916年(大正5年)3月16日 - 私立真言宗連合高野山大学を私立真言宗高野山大学と改称
1926年(大正15年)4月2日 - 大学令により高野山勧学財団高野山大学の設立を認可
1967年(昭和42年)12月10日 - 密教文化研究所竣工
1986年(昭和63年) - 創立100周年。 2月22日 - 護摩道場竣工。4月11日 - 新校舎竣工
2003年(平成15年) - 大学院通信教育課程の開設が認可される
2006年(平成18年) - 創立120周年。 10月1日 - 松下講堂黎明館竣工
教育理念
弘法大師の精神に則り、「いのち」のあらゆる営みを尊び、人間とその環境の共存共生をはかり
諸民族諸地域の文化を理解し、新しい文化を創造して、社会に貢献する人材を育成する
373:神も仏も名無しさん
12/08/08 20:17:14.75 8G0A6itv
2012-08-25 (土) 夏季セミナー
講座案内
担当者 koho 登録日時 2012-07-22 22:24 (530 ヒット)
☆☆☆ 高野山大学夏季セミナー ☆☆☆
2012年8月25日 (土)
① 「金剛界曼荼羅における賢劫千仏の描き方」
乾 仁志(高野山大学副学長、文学部教授)
② 「哲学と宗教」
山脇 雅夫(高野山大学文学部教授)
③ 「立ち去る西行―説話に見る西行像―」
下西 忠(高野山大学図書館長、文学部教授)
2012年8月26日 (日)
① 「密教について考える―日本密教とチベット仏教―」
藤田 光寛(高野山大学学長、文学部教授)
② 「密教の瞑想法と美術」
川﨑 一洸(四国霊場第28番大日寺住職、高野山大学非常勤講師)
③ 「海から来た密教」
松長 恵史(高野山大学非常勤講師)
◆時間 ①10:00~11:30 ②12:45~14:15 ③14:30~16:00
◆場所 高野山大学 松下講堂黎明館
◆受講料 1日のみ参加¥3,000 2日とも参加¥5,000
374:神も仏も名無しさん
12/08/09 13:45:53.10 ojT3lr+h
>>353
違うな。それじゃ、アドヴァイタのような神秘主義になっちまう。
そのような神秘主義に陥らない道を論理できっちり示したのが、その詩でしょ。
そういう理解は仏教じゃなく、たんなるヌーエイジだと確信してる。
375:神も仏も名無しさん
12/08/09 13:51:36.15 ojT3lr+h
>>360
>「想う」=知覚・記憶=分別するから時間・空間(特に自我)が実在する(デカルト的)、というわけではないというのが874・916の趣旨。
>だから、非想非非想処での無分別智で名色の不生(無我)が直覚され⇒無分別中道の悟り=涅槃となる。
分かってないな。非想非非想処は否定されてるっしょ。
その境地じゃだめだと。そりゃ、無分別でなく不生でなく中道でないは。
なんもわかってない。
中村先生はよくわかってないから、そう訳してるが、原語はそう。
業が縁によって言い習わしによって記号づけられ妄想がひろがるという意味で、
戯論なんですよ。
まあ、単純に言えばアンタが上のように妄想するように、記号から適当に空想して、意味をドンドン勝手に付け加えて膨らましてくというような意味ね。
時空意識は、恥ずかしいヌーエイジ訳としか思えないなあ
376:神も仏も名無しさん
12/08/09 18:04:32.73 pVHEQBwo
人生で同じようなことしか起こらないのをなんというのでしょうか?
377:神も仏も名無しさん
12/08/09 21:51:04.97 15OC51HM
一切皆苦
378:神も仏も名無しさん
12/08/10 06:34:17.85 Z9hAVwPe
>>375
>分かってないな。非想非非想処は否定されてるっしょ。
おやおや、これまた異なことを、 釣りでっか?w
『否定』されてませんよ。
むしろブッダの仏法直覚にとって最も大切な境地といえます。(その先の滅尽定では無分別智さえ働かず、行き過ぎです)
戒定慧でいえば、ウドラカ・ラーマプトラ仙が伝授してくれた非想非非想処という定の境地での
中道の悟りへ導く“無分別智(慧)”の発見(気づき)がブッダの『ヌーエイジ』革命の端緒です。
だからこそ、非想非非想処自体で満足していたラーマプトラ仙が最初の共感者になってくれると期待されたのです。
それ以下の妄言は却下です。
一休も、空海も、道元も、ブッダも、その時代の歴史的精神文化の担い手はすべて『ヌーエイジ』だったわけだが・・・
379:神も仏も名無しさん
12/08/10 07:34:31.80 YXhKgafT
>>378 非想非非想処などの無色界の禅定も、行き過ぎなのでは?
380:神も仏も名無しさん
12/08/10 11:15:47.87 m462oZXl
>>378
いや、アンタがヌーエイジで全く仏教じゃないだけっしょ。
九次第定は禅定・三昧の階梯で直接、覚りとは関係ないよ。
単に精神集中の度合いだよ。
>戒定慧でいえば、ウドラカ・ラーマプトラ仙が伝授してくれた非想非非想処という定の境地での
>中道の悟りへ導く“無分別智(慧)”の発見(気づき)がブッダの『ヌーエイジ』革命の端緒です。
こんなことどこに書いてあるのか? 仏教だと伝統的に四禅、つまり色界定で観ずることで無我・空を悟って解脱すると書かれるぞ。
上だと禅定から無分別智が出てくるというヒンドゥーと同じ神秘主義に他ならない。それは中道で遮断される「非・是且非・非是且非非」のどれかに他ならない。
そしてアンタの解釈だと縁起・無我・空が全く意味をなさなくなり、外道と何も変わらないでしょ。
中道ってのは、~である、~でない、~であり~でない、~であるのでもないのでもないという四句分別、つまり四つの論理形式で何かを掴むこと、戯論が寂滅ていることを指しているんだよ。
非想非非想処は明らかに第四句の~であるのでもないのでもないという分別に他ならないとするのが伝統仏教の一貫した立場だ。
それは『カーテヤーヤナ経』などに明らかだぞ。『カーテヤーヤナ経』は有無二項だけだが。
>だからこそ、非想非非想処自体で満足していたラーマプトラ仙が最初の共感者になってくれると期待されたのです。
ちがうな、禅定には入れるから縁起が分かれば、無我・空が悟れると考えたんでしょう。だから、ラーマプトラ以外にもカーラーマ、五ビクに教えを説こうとしてるでしょ。
381:神も仏も名無しさん
12/08/10 11:17:15.00 m462oZXl
そして、五ビクには非想非非想処に入れなどと教えてない、まず縁起を説かれている。この縁起を理解した証拠がカウンディニヤの「何であれ生じたものは、全て消え去るものだ」でしょ。
これは現象が実体・実在ではなく縁起・空であることを理解したもので、だから釈尊は彼は分かったとお喜びになられた。これは戒定慧の因としての慧にあたる。
つまり、四禅の集中状態でこの縁起を観じることで、悟れるというのが仏教で、この縁起・空性・無我が外道にはないから、全く外道と仏教は違うわけだ。
一休は知らんが、弘法大師も道元禅師も法脈、師匠からの伝承をきっちり守ってるよ。釈尊もアーガマ・ニカーヤでは古い道を見つけたと仰ってるし、大乗では一切如来から目覚めさせられ、教えを受けてる。
反論したければ、議論スレにドゾ~
382:神も仏も名無しさん
12/08/11 12:42:05.78 WLhSrkuz
>>381 すばらしい。おっしゃるとおり。
非想非非想処って、唯識で言うところの円成実性、つまり、
眼耳鼻舌身意の六識も、第七のマナ識も消えて、
第八のアーラヤ識だけになったときの状態を言うのではないでしょうか。
で、そこで非想非非想処崇拝、アーラヤ識・無分別智・円成実性質崇拝になっちゃうと、
梵我一如とかわらなくなっちゃう。
無我ではなく大我だとか、一即一切・一切即一だとか、そっち方向に行ってしまう、
しまいには、アーラヤ識は法蔵菩薩(阿弥陀仏の前身)だ、みたいに言う人まででてきちゃう。
大日如来もそれと似たり寄ったり。
383:神も仏も名無しさん
12/08/11 17:03:21.77 Eki6CfKs
>>382
ども~、記号として、大我、アーラヤ、如来蔵、大日如来と言っても空性ですから。
そこが重要だと思います。
384:神も仏も名無しさん
12/08/12 05:06:28.04 ERAgv9uf
曹洞宗と臨済宗の坊さんが警策を武器に戦ったら、どっちが勝ちますか?
385:神も仏も名無しさん
12/08/12 23:28:24.62 3lLxenC8
>>384
両方ともタイーホでドロー
386:神も仏も名無しさん
12/08/14 06:51:55.05 AUuxtYXH
罰が、当たりそうな質問だけど、
お経に書かれてることって、誰々が書いたって固有名詞が無くても根拠として成り立つの?
もし、そうだとしたら、大昔に、どこぞの馬の骨が、それっぽいこと書いて、それが、例えば
般若経典の中に紛れ込んでても多分誰も気づかないよね。仏の教えを言う権威をなくせば
もしかして2chと大差ないんじゃね。匿名と言う意味で。
それに、お釈迦様って自分で言葉を形にして残したわけではないんでしょ。やっぱり、又聞き
でも仏教の世界では問題ないの?それとも、暗黙の了解?
なんか、長くなっちゃたけど、お願いします。
387:神も仏も名無しさん
12/08/14 06:56:19.19 4TriMRfD
>>386
スレリンク(psy板)l50
【仏教】99%の経典は偽経・偽書です!
388:神も仏も名無しさん
12/08/14 07:03:08.03 4TriMRfD
シリーズ大乗仏教 大乗仏教とは何か (2011/06)
168~169ページ参照
般若経
炭素14による年代測定の結果
紀元前一世紀に遡る数値を示す巻物もある
- - -
188~191ページ参照
現在われわれが手にする、インド諸語で書かれた仏典のほとんどは
漢訳仏典出現の年代から、はるかに遅れて、あらわれたものである
現存する漢訳仏典は、古典サンスクリットではなく
俗語の特徴を反映している
389:神も仏も名無しさん
12/08/14 07:04:56.69 k5lOgIam
>>386
お経の妥当性は、聖者の再現性によって保証されてますよ。
単純にいえば、悟った、解脱した聖者が出たかどうか。
もっとも現代でもチベットとビルマのみですが。
390:神も仏も名無しさん
12/08/14 07:11:16.91 4TriMRfD
スッタニパータ(義足経)
最初期に編纂された最古の仏典のひとつとされ、対応する漢訳は一部を除いて存在しない。
(第4章『八つの詩句』/支謙訳:仏説義足経)現代では日本語訳として『南伝大蔵経』の中におさめられている。
ただし、
『スッタニパータ』の中にも、新旧の編纂のあとが見られ、
パーリ語の文法に対応しない東部マガダ語とみられる用語が含まれていることから仏典の中でも最古層に位置づけられている。
391:神も仏も名無しさん
12/08/14 07:12:03.69 AUuxtYXH
>>389
ありがとうございます
392:神も仏も名無しさん
12/08/14 12:21:35.16 AUuxtYXH
連投ですいません
日本の仏教徒は、戒律を守らないため
他国の仏教徒から、なかなか一人前と
して見られない事が、あると聞いたのですが
本当ですか?
393:神も仏も名無しさん
12/08/14 12:30:12.93 PoGYAZXH
仏教徒?
僧侶のことじゃないのかね
394:神も仏も名無しさん
12/08/14 12:30:20.67 k5lOgIam
>>392
本当です。
というか、太く生きている仏教はチベット系とビルマだけだと思います。
他にも細々とはあるようですが。
395:神も仏も名無しさん
12/08/14 18:37:35.78 X1wvOO3T
大乗仏教の進化を知ってしまうと
小乗仏教の経典を読んでも
ポルシェの最新モデルに乗った後
100年前の自動車の仕組みを知るようなものだな
本田宗一郎は偉大だが現役のF1エンジン開発は現役世代が
最先端でありより時機相応のものであることは間違いない
396:神も仏も名無しさん
12/08/15 05:56:48.17 3mCfz+ZV
>>386 今みたいにお経が一人歩きしつ文献学者の餌食になったり、
仏教のぶの字も知らない人でもネットで読めたりするのが、果たして良いことなのかも、疑問です。
本来、お経は、師匠から弟子や信者へ伝承されるべきものではないかと思うのです。
つまり、弟子や信者が師を選ぶときの、「この和尚なら尊敬できる!」
というスタートのプロセスなしにいきなりお経を読む意味があるのか。
それよりも、尊敬できる師匠からたった一文を伝授されるほうが修行の励みになるし、
師匠の教えをマスターしたら、その師匠つてで
さらに上の師匠を紹介してもらったりする流れが本来なのかも。
397:遊びをせむとや生まれけむ
12/08/15 11:33:30.26 05an56tQ
>>395
>100年前の自動車の仕組みを知るようなものだな
実存苦の超克という本懐を達成するには、
徒歩でも十分です、というより徒歩(修行自得)でなければなりません。
ピント外れに走るポルシェやF1は百害あって一利なしのガラクタです。
398:遊びをせむとや生まれけむ
12/08/15 11:43:54.09 05an56tQ
>>396
>本来、お経は、師匠から弟子や信者へ伝承されるべきものではないかと
大切なのは、実存苦の超克という本懐⇒あなたの仏法の直覚であって、
お経(仏教)の伝承ではありません。
直接現実において、お経(仏教)は存在しません。
師は、ただ道に外れないかを見守るだけです。
399:神も仏も名無しさん
12/08/15 11:58:13.88 loRiXHlL
>>398
苦を逃れるためには、伝統に基づく教えが必要だと思うよ~
なぜなら、知覚も体験もエゴが創りだし欺き、エゴを守って苦から逃れさせないからね
伝承から外れて師だと思ってるヤツは偽物だと思う
400:神も仏も名無しさん
12/08/16 04:47:57.54 YV3j8eOM
松長 有慶さんの密教を読んで思ったのですが
密教の修行方法、グルを立てひたすらグルに従い、瞑想し(一種の神秘体験の末)解脱する。
と言う様な図式は、古代バラモン教、仏教では外道という言われるものの解脱法とそっくりだと思うのですが
宗教の教義としてではなく、グルを立て→瞑想→解脱という観点からみて、これらに違いがあるのでしょうか?
401:神も仏も名無しさん
12/08/16 13:34:24.16 nb9FeZnv
>>400
そのまま、そういう事だろ。
402:神も仏も名無しさん
12/08/16 16:53:13.41 YV3j8eOM
テーラワーダって、一体何ものなんですか?
403:神も仏も名無しさん
12/08/16 16:57:23.43 3H7xbRtB
スッタニパータ 1026
無明が頭であると知れ
明知が
信仰と念と精神統一と意欲と努力と
に結びついて
頭を裂け落させるものである
- - -
クンダリニーは
普段は尾てい骨付近のムーラーダーラチャクラに眠っているが
ヨーガの実践や宗教の各種修行によって活性化し始め
生涯をかけ各チャクラを開花させグランティを破壊し
最終的には
頭頂のサハスラーラを押し開け解脱に至る
404:神も仏も名無しさん
12/08/16 17:05:47.62 3H7xbRtB
スッタニパータ 874
ありのままに想う者でもなく
想いなき者でもない
このように理解した者の形態は消滅する
けだしひろがりの意識は
想いにもとづいて起るからである
スッタニパータ 1037
識別作用が止滅することによって
名称と形態とが残りなく滅びた場合に
この名称と形態とが滅びる
スッタニパータ 1119
つねによく気をつけ
自我に固執する見解を打ち破って
世界を空なりと観ぜよ
中論 龍樹 鳩摩羅什
405:神も仏も名無しさん
12/08/16 17:11:56.75 3H7xbRtB
URLリンク(ja.wikipedia.org)
上座部仏教
仏教の分類のひとつ
上座仏教
テーラワーダ仏教
南伝仏教
小乗仏教の呼称は大乗仏教側から見た差別的意味を含むとされる
406:神も仏も名無しさん
12/08/16 17:20:29.04 3H7xbRtB
例えば、中論を、表面意識だけで哲学的に思惟しても何も変化は生じない
- - -
瑜伽行唯識(ゆがぎょうゆいしき)の場合は
「とりあえず心(識)は仮に存在する!」、と仮設して
瑜伽〔ヨーガ〕の実践などによって
第六表面意識から → 深層意識の阿頼耶識に働きかけて
「最終的には阿羅耶識もまた空である(境識倶泯)」
と言う体感会得に至る事が出来るらしい
407:神も仏も名無しさん
12/08/16 17:40:10.43 3H7xbRtB
バラモン(ヒンドゥー)でも
仏教の南伝でも
北伝でも
チベット伝でも
とりあえず心(識)は仮に存在する、と仮設して
禅定とか、瑜伽(ヨーガ)の実践などによって
第六表面意識から → 深層意識の阿頼耶識に働きかけて
「最終的には阿羅耶識もまた空である(境識倶泯)」
と言う体感会得に至る事が出来れば良いらしい
408:神も仏も名無しさん
12/08/16 18:46:31.09 8rq5hlIu
ここで質問するようなことではないかもしれませんが、「五穀断ち」ってどの程度
までを断って祈願する行為なのでしょうか?
戦後に拝み屋から始まり、宗教法人を買い取った新興宗教の熱心な信者の息子の下へ
妹が嫁いだせいもあり、身内に重病人が出ると嬉々として五穀断ちを喧伝する
あちらの家風に「?」となることが多いです。
五穀豊穣などの言葉が指すのは米・麦・豆・あわ・ひえだったと思うのですが、
焼き肉をかっ食らい、「ご飯の代わり」とビールをガブ飲みしながら、
五穀断ちの最中ですって言うのは何か違うような……特にビールや発泡酒は、
麦(麦芽)や豆にモロに抵触している気がしますけど?
409:神も仏も名無しさん
12/08/16 19:23:11.50 3H7xbRtB
穀断ち(こくだち)
五穀・十穀の名をとって五穀断ち、十穀断ちともいう。
即身仏になるための修行・入定において、その最初の段階で行われる修行方法でもある。
穀物以外の木の実や草根を主として食べたというが、五穀・十穀とされる穀物に諸説あるなどの理由から、
やり方に決まった方法はないらしい
- - -
URLリンク(blog.livedoor.jp)
禁酒は勿論のこと、夜食を止め、さらに、お菓子とコーヒーも止めました。
そして、最後の1週間は仕上げとして「五穀断ち」を行なったというわけです。
410:神も仏も名無しさん
12/08/16 19:37:50.69 3H7xbRtB
五穀断ちを喧伝しているのに
焼き肉を食って
ビールとか発泡酒を飲んでいるのは
やはり怪しい団体かも?
ちなみに、私は
どの宗教団体にも所属していないので
焼き肉も御飯も食べているけど
酒は体質に合わないので
酒を飲む事は苦痛で御座います
411:神も仏も名無しさん
12/08/16 19:46:07.55 PQApKcQV
>>402
東南アジア(特にビルマ)行ってこいよ
412:神も仏も名無しさん
12/08/16 19:49:09.26 PQApKcQV
>>410
余計な情報が多すぎ。
お前は質問箱に書くなよ(怒
今回、無関係な発言(→自分勝手な自分語り)で幾つレスを消費した?
んとに、お前の辞書には「反省」とか「進歩」「成長」って言葉が載ってないんだな。
お前見たいなのを『社会生活不適合者』っつーんだよ。
413:神も仏も名無しさん
12/08/16 19:58:19.32 3H7xbRtB
より多くの情報を提示して、その中から選び取る
と言う事も重要である
414:神も仏も名無しさん
12/08/16 20:04:26.88 PQApKcQV
>>413
ここのスレタイを言ってみ?
415:神も仏も名無しさん
12/08/16 20:07:08.99 PQApKcQV
>>413
414補
お前が散々書き込んだ文章は、
誰も問うていないし、選択の幅として適切でない。
寧ろ、聞く者を、その情報量の多さであれこれ迷わせるものだということを自覚しろ。
416:神も仏も名無しさん
12/08/16 20:07:12.17 3H7xbRtB
>>412
他人の事を批判するよりも
質問に対して
的確な意見を提示した方がよいんじゃなイカ? おじゃる?
417:神も仏も名無しさん
12/08/16 20:08:37.37 PQApKcQV
>>415補
もっとも、
皆を迷わせて困らせるのが、君の目的であり楽しみであるなら仕方ないが・・・w
418:神も仏も名無しさん
12/08/16 20:10:57.22 PQApKcQV
>>416
w
お前みたいな者を批判することが、このスレに於いて最も有益なことなんだがなw
それに、俺はこのスレでは煙たがられる退役組なんだよw
小姑の小言だと思っとけwww
419:神も仏も名無しさん
12/08/16 20:13:01.10 3H7xbRtB
「選択の幅として適切でない」と勝手に>>415さんが
その「選択の幅」を決め付けているだけなんじゃなイカ? おじゃる?
420:神も仏も名無しさん
12/08/16 20:17:36.43 3H7xbRtB
> もっとも、皆を迷わせて困らせるのが、君の目的であり楽しみであるなら仕方ないが・・・w
↑ 「自分の意見は正しいのだから他の意見は間違いだっ!」と主張しているように見えるけど? おじゃる?
421:セブン
12/08/16 20:22:48.51 PQApKcQV
>>420
議論スレに来い。
422:神も仏も名無しさん
12/08/16 20:24:43.29 3H7xbRtB
> お前みたいな者を批判することが、このスレに於いて最も有益なことなんだがなw
まず質問に対して
>>418さんが
的確な意見を提示して
その後に
私が批判を受けると言う順番で良いんじゃなイカ? おじゃる?
423:神も仏も名無しさん
12/08/16 20:41:00.22 QOLoQGmT
>>421
やっぱ、言っても分からない人は放っとくしか無い
敢えて言わんでも、生命教とか?とかは、おかしいと誰でも分かるでしょう
424:408
12/08/16 20:43:12.38 8rq5hlIu
>>409>>410
返答ありがとうございました。
やはり違和感を禁じえないですよねw
特に>>409さんが教えて下さった「即身仏になるため」の修行の一環だと考えると、
「決まったやり方はない」にしても、もっと真摯な行為だったのだと想像できます。
教祖(?)が(元)拝み屋なので、ありものの教義や用語から適当に拾った
つぎはぎの「教え」なのだと推測はできましたが、妹らに「オウムとは違う」と
言われると反論も出来なくて……とりあえず五穀断ちの扱いのいい加減さは理解できました。
丸々としたビールっ腹を育てながら、五穀断ちで奇跡が起きる=末期癌でも
生き長らえることが出来ると信じている義弟のことを、今後は生温かい目で見れそうですw
恋愛に悩む十代の女の子がスイーツ断ちをするほうが真剣に臨んでいると思えました。
425:神も仏も名無しさん
12/08/17 08:00:14.25 JLayyT0k
今で言う炭水化物ダイエットかも。
体に悪いほど極端なことをやってるんじゃなければ、
願掛けの一種として見守ってあげてもいいのかもしれませんね。。
426:神も仏も名無しさん
12/08/17 08:01:40.63 bHc370CT
唯識の円成実性って、一体どういうものですか?
分かりやすく、説明してください。
427:神も仏も名無しさん
12/08/17 08:18:32.14 5tehZEEs
> 唯識の円成実性って、一体どういうものですか?
↓ こちらにどうぞ
スレリンク(entrance2板:590番)
スレリンク(entrance2板:591番)
428:神も仏も名無しさん
12/08/17 08:59:04.70 5tehZEEs
↓ 追加
スレリンク(entrance2板:594番)
429:神も仏も名無しさん
12/08/17 19:01:12.12 JLayyT0k
>>426 基本的に、識も含めたすべては依他起性と言って、
独立して存在せず縁起により他のものとの関係で動いている。
その中で、さまざまな分別判断によって第8識アーラヤ識が、
眼耳鼻舌身意の六つの識や第7識マナ識を生み出している状態を、遍計所執性といい、
遍計所執性ではない状態(アーラヤ識だけの状態)を円成実性という。
ラジオのしくみは常に依他起性(電波を受けてはたらく)だが、
ラジオが音声化できる電波を受けて放送を流してるときを遍計所執性、
何も受信せず電波待ちしながら無言の状態を円成実性と言う。
430:神も仏も名無しさん
12/08/19 19:53:30.64 ihD8CrMX
今日の昼にお寺に御施餓鬼に行ってきたんだけど、
そこに住職がお経から取り出した言葉が色々書かれている一箇所があって、
そこに
「自分を他人に与えるな。自分を捨てるな。」ブッダ
「自分を信頼しはじめたその瞬間に,どう生きたらいいのかがわかる。」ゲーテ
というように縦書きで達筆な字で書かれていたのですが、
このブッダの言葉は出展はどこかにあるのでしょうか?
お寺で住職に直接聞けばよかったのですが、今年も聞くタイミングを逃してしまい、
聞きそびれてしまったのでここで質問させてください。
431:神も仏も名無しさん
12/08/19 20:32:06.50 SNNuxxFd
>>430
>「自分を他人に与えるな。自分を捨てるな。」ブッダ
釈迦には、与える「自分」、捨てる「自分」は無いはずだがw。
432:神も仏も名無しさん
12/08/19 20:48:22.90 m4o1gnaJ
>>430
相応部経典です。サンユッタ・ニカーヤ、雑阿含ともいわれます。
出典は、訳語から『仏教名言辞典』116 ページ:
> 自分を捨てるな。〈出典〉インド、原始仏典、「相応部経典」 I ,八.八。〈解釈〉自分を他人に与えるな、
> という言葉は、利益を得るために自分を他人の奴隸とするな、と説明されている。
> 奴隸というのは文字どおりの意味にとってもいいが、むしろ、比噙的な意味であ ...
だと思います。恐らくその住職はゲーテの言葉と合わせて考えると以下のような意味で説かれていると思いますが、誤解でしょう。
URLリンク(ww52.tiki.ne.jp)
本来は利益を求めて自分を他人に与えるなということですから、ほとんどサラリーマン、労働者などはだめだということになると思います。
現代日本のお坊さんもお布施のためにお経をあげたりするなら、全く同じことでしょう。
だから、釈尊は教えを説いた時、何も受け取らなかったのだと思います。
現代語訳は中村元『神々との対話』101頁にあり、その註289頁も参考になると思います。ビック・ボーディ英訳も全く同じ解釈です。
433:神も仏も名無しさん
12/08/19 21:05:54.54 ihD8CrMX
>>432
詳細にありがとうございました。
今度、岩波を買って読んでみます。
また、ビック・ボーディの英訳とはどのような本なのでしょうか?
安易に手に入るものなのでしょうか?
ググっても見当たらなく、よければ書名と名前の綴りを教えていただいてもいいでしょうか?
434:神も仏も名無しさん
12/08/19 22:20:14.22 921pnEKI
○仏陀。仏陀の教え○イエズスキリスト○クリシュナムルティ
宗教、哲学について
URLリンク(www015.upp.so-net.ne.jp)
URLリンク(handshakeh.web.fc2.com)
435:神も仏も名無しさん
12/08/19 22:39:01.31 m4o1gnaJ
>>433
これです。結構な値段です。
URLリンク(www.amazon.co.jp)
436:記憶喪失した男 忍法帖【Lv=16,xxxPT】
12/08/20 11:19:12.83 8Gbz7brW BE:1642449683-2BP(3)
質問です。
浄土真宗なんですが、
仏教で母親と議論したら、論破されちゃいまして。
質問は、浄土真宗の仏壇の中央の絵は、釈迦如来なのか阿弥陀如来なのか? ということです。
左右の絵は、阿弥陀如来と薬師寺如来に決まってるとおれが主張したら、
母親が通ってる仏教セミナーの本を見せられて、
左は蓮如、右は親鸞の絵が描いてあるというんです。実際、確かめたら、蓮如と親鸞でした。
うちには、寂如の書いた仏教本が古書として仏壇にあります。
437:神も仏も名無しさん
12/08/20 12:08:30.97 IGJRyE7+
> 浄土真宗の仏壇の中央の絵は、釈迦如来なのか阿弥陀如来なのか?
↓ こちらにどうぞ
スレリンク(entrance2板:646番)
438:記憶喪失した男 忍法帖【Lv=16,xxxPT】
12/08/20 12:13:27.21 8Gbz7brW BE:1094967528-2BP(3)
>>437
阿弥陀如来が本尊ですね。ありがとうございます。
439:神も仏も名無しさん
12/08/20 13:14:01.21 xAnuxPXU
>>435
ありがとうございます。
結構なお値段ですね。
今度大きな図書館にでも行って見ることにします。
ありがとうございました。
440:神も仏も名無しさん
12/08/21 11:30:32.27 jcFrtzBJ
ヨーロッパ系の仏教学者は、浄土真宗は、仏教じゃないとか
そこまで行かなくても「?」くらいの認識が一般的らしいけど
日本の学会は、浄土真宗をどう捉えてるの?
間違いなく仏教?それもと別の宗教?
441:神も仏も名無しさん
12/08/21 11:40:09.31 GVAIuPOW
>>440
伝統仏教だと思います。ただし、近代真宗教学は仏教から逸脱していると思います。
むしろ、日蓮宗は完全に非仏教だと確信します。
442:神も仏も名無しさん
12/08/21 12:12:52.94 +qggBbRz
親鸞思想が凄すぎた
釈迦を選ぶか
親鸞を選ぶかと言われると
心底悩む
正直なところ親鸞についていったほうが救われるかも
443:神も仏も名無しさん
12/08/21 12:17:47.98 +qggBbRz
不覚にも
親鸞の著書や歎異抄を読んで
目から汗がちょちょちびれちまった
このオレ様を仏教書で泣かせたのは後にも先にも親鸞だけだ
444:神も仏も名無しさん
12/08/21 12:34:35.78 67GJeuqZ
>>440 浄土三部経などが釈迦滅後何百年も経ってから創作された偽経である可能性は高いですが、
宗教の分類としては仏教に含めるし、
教団のルーツをたどればお釈迦様のサンガにあたるのでは。
また、三宝に帰依している点でも仏教徒だと言える。
445:神も仏も名無しさん
12/08/21 19:03:55.44 USf0m+Q7
>>440
仏教を何と捉えるかによって捉え方が異なる。
過去に、本覚思想は仏教に非ずと論じた人や、
如来蔵思想は仏教に非ずと論じた人もいたように、
何を以て仏教とするかには色々な背景が存在する。
業の観点などから本覚思想を仏教と認めないのであれば真宗は仏教ではないであろう。
しかし、仏教を帰依三宝と定義するならば、真宗も仏教である。
現在の日本の学会においてはひとつの伝統的な仏教宗派の一つであると数えている。
自分の雑感であれば、禅宗と浄土真宗は従来の伝統仏教よりいい意味でも悪い意味でも一歩別の道に踏み出した何かのように感じます。
446:神も仏も名無しさん
12/08/21 20:39:48.28 GVAIuPOW
>>445
本覚思想は仏教に非ず、如来蔵思想は仏教に非ずと論じた人こそ仏教でもなんでもない妄想家ですから、論外ですよ~
447:神も仏も名無しさん
12/08/21 23:54:58.67 uqQpXCSn
初盆などでお坊さんにお経をあげてもらうときに、
お布施を包むと思いますが、
そのお布施を祭壇の端においていて、
お経が終わったら、そのお布施をお坊さんへ渡すというのはありでしょうか?
自分の実家ではお布施は別部屋に置いてあるお盆にのせておいて、
お経が終わったらお茶とお菓子と一緒に渡すようにしていたのですが。。。
448:神も仏も名無しさん
12/08/22 01:02:27.58 SiG2zAJr
>>447
地域によりけりだから、近所の人か、坊さんに聞いた方が良い。
一般的には、実家のやり方が本来だし、丁寧なやり方。
ただ、田舎なんかだと、一日数十件回らないといけなかったり、農家で留守が多かったりするため、坊さんが終わったらすぐ自分で貰っていけるように、仏壇に置いておく場合もある。
449:神も仏も名無しさん
12/08/22 06:30:36.33 v2RFfaS9
>>448
ありがとうございます。
450:神も仏も名無しさん
12/08/22 10:27:15.98 1wV7kDwM
中村元先生は、龍樹の縁起を相依相関関係として解説していますが、
その後の学者(例えば石飛先生など)は、それを否定していると聞きました。
その否定の理由や現在の学会で主流となっている龍樹の縁起や空に関する
解釈を教えてください。
451:神も仏も名無しさん
12/08/22 11:50:23.27 MMNVY0VF
↑万象非我の一言で解決。
452:神も仏も名無しさん
12/08/22 14:53:08.88 t2mfdwzB
>>446
差し障りなければ、どのようにどのあたりが妄想家なのか詳細をお願いしてもいいでしょうか?
453:神も仏も名無しさん
12/08/22 15:15:42.65 6tQmmOi3
>>452
単純にいうと曹洞宗に伝わる本覚に対する疑念を現代人的常識でチベット・ゲルクの如来蔵解釈を援用して妄想を膨らましたもの。
例えてみれば明治期に清沢満之が真宗教学を西洋哲学とキリスト教を用いて妄想したり、和辻哲郎が仏教を西洋文献学を用いて倫理学と妄想したようなもので、全く仏教とは異なる単なる考え方、思想、哲学になってます。
454:神も仏も名無しさん
12/08/22 15:34:00.35 t2mfdwzB
>>453
ありがとうございます。
それはゲルグ派以外に準拠することによって妄想と断じれるものであって、
ゲルグ派に準拠するのであれば、妄想ではないとも捉えられないですか?
455:神も仏も名無しさん
12/08/22 15:46:28.86 6tQmmOi3
>>454
違います。ゲルク派から見ても完全な妄想以外のなにものでもないと、どんなゲルク派の人も口を揃えます。
これは決して宗派的な問題ではなく、時代や地域に関係なく伝統仏教であれば彼らの説は全く仏教ではないと口を揃えると確信します。
456:神も仏も名無しさん
12/08/22 15:58:47.44 1wV7kDwM
>>455
如来蔵思想は仏教にあらずって駒沢大学系の人たちが唱えた学説でしょ
詳しいことは、知らんけど、この学説が、一端のものとして一般に有名になってるのは
発表当時の仏教界でまともに反論できる人がいなかったって言うのが問題でしょ
これは、妄想家云々よりも、むしろ日本仏教界全体の怠慢として理解しておくのが正しいのでは?
457:神も仏も名無しさん
12/08/22 16:07:16.37 1wV7kDwM
>>455
連投で悪いが、いやらしいこと聞くと
そもそも論でゲルク派から見て日本の仏教は、一端の仏教と言えると口を揃えると確信しますか?
それとも、如来蔵思想は、仏教ではないと同じように日本の仏教は全く仏教ではないと口を揃えると確信しますか?
458:神も仏も名無しさん
12/08/22 16:09:04.92 6tQmmOi3
>>456
いや、そんなことないよ。批判する人もいた。しかし、多くのまともな学者は笑ってた。
流行ったのは、学説が優れてたからではなく、ただその単純な説に共感する人が多かったからでしょう。
いまも植木雅俊さんって人の本が流行ってるのも似たようなもんだと思う。
459:神も仏も名無しさん
12/08/22 16:13:21.90 6tQmmOi3
>>457
口は揃えないでしょう。
ダライラマ猊下のように聖者なら仏教とお認めになると思いますが、
そうでなく自説だけが正しいと思うような単に教科書を習ってそれに執着しているような人は、仏教ではないと言うかもしれないと思います。
これについては人それぞれだと思いますよ。
460:神も仏も名無しさん
12/08/22 16:22:04.37 1wV7kDwM
>>458>>459
ありがとうございます。
反論する人がいなかったと言うのは、一般書のレベルで、「如来蔵思想は、仏教である」
のような真っ向から反論する内容の本がないと言う意味合いが強いです。
あなたも、446で
>論じた人こそ仏教でもなんでもない妄想家
といっているように、如来蔵思想そのものが仏教であるか否かには、直接言及していませんし。
どこの本も大抵はぐらかしているように感じます。
専門的な論文では、そういうものもあるのかもしれませんが、そういうのは一般人には縁がないですから。
461:神も仏も名無しさん
12/08/22 16:33:46.61 6tQmmOi3
>>460
そもそも如来蔵にしろ、本覚にしろそういう方便、あるいは道であって、
思想という捉え方は、根本的に可笑しいと思います。
なぜなら、如来蔵にしろ、本覚にしろ、縁起、空性、無我にしろ、
それら記号によって道を示し戯論寂滅へ導く方便としての仮設に他ならず、
キリスト教のドグマのように、それら記号によって何らかの見解、思想を主張し、これが正しい見方だとするようなものではないからです。
そういう本がないのは売れないからでしょう。
逆に批判仏教系の本が比較的沢山出版されたのは仏教にしては売れたからです。
ちなみにチベットでもインドでも如来蔵、仏性を否定するような大乗仏教は私の知る限りありません。
如来蔵、仏性も空性に他なりませんよ。決してアートマンのようなものではありません。
462:神も仏も名無しさん
12/08/22 17:23:08.72 MMNVY0VF
いえ、アートマンです
463:神も仏も名無しさん
12/08/22 19:53:11.24 t2mfdwzB
>>455
ありがとう、勉強になりました。
464:神も仏も名無しさん
12/08/22 20:03:40.65 6tQmmOi3
>>462
その根拠は?
因みにインド中観も如来蔵、仏性を空性と認めてるよ。
465:神も仏も名無しさん
12/08/22 22:17:44.12 t2mfdwzB
すいません。
横なのですが、
もしよかったらどなたか450の質問に対する回答を詳細に教えて頂けませんか?
451だけだと自分は納得できません。
466:450
12/08/23 12:28:51.41 vwjZelK2
解答が得られないようなので、それを踏まえて考えますと
龍樹の縁起は、中村元先生が解説している通り、相依相関関係
と言うことでいいのでしょうか?
467:神も仏も名無しさん
12/08/23 12:34:00.56 jQOhm6ee
>>466
竜樹の縁起がどうかは知らんがw、
少なくとも、時間性を排した縁起は「“無用”の長物」だと言っていい。
だから、縁起を「相依性、相互依存性のみで語る」者は信用しない方がいい。
時間的側面も、(無時間的)相依の側面も併せ持つと見るべきだと思うがね・・。
468:机龍之介@規制代行
12/08/23 15:16:23.12 S++EHaDg
>>450
>中村元先生は、龍樹の縁起を相依相関関係として解説していますが、
>その後の学者(例えば石飛先生など)は、それを否定していると聞きました。
中論の縁起について御説明いたします。
縁起は相互依存関係をいうのですが、そもそも相互依存関係というのは
理論上において成り立つ論法です。
理論上において成り立つ論法(論理)を世俗締といいます。
しかし、空思想においては、世俗締論理そのものが成り立たないものですから、
これを勝義締といいます。
世俗締→相互依存関係でokです。
勝義締→相互依存関係そのものはない(不生不滅)
つまり、縁起を否定しようが、世俗・勝義の二締で解釈すればokです。
もっと詳しい質問がございましたら、
スレリンク(entrance2板)l50
ここまで、どぞ。
469:神も仏も名無しさん
12/08/23 22:37:50.20 vwjZelK2
仏教って言っても広すぎて他のスレで引用されている内容などもよくわかりません。
仏教を語るなら、これだけは読んどけってものはありますか?
古典でも現代の解説書でもなんでもいいです。挙げれるだけ挙げてください。
470:神も仏も名無しさん
12/08/23 23:43:22.30 JcsIgk+V
>>469
はいよ~
概説: 優しい順
石飛道子『龍樹』
片山一良『パーリ仏教入門』
山口益『仏教思想入門』
ダライラマ『智慧の眼を開く』
パユットー『仏法』
水野弘元『仏教要語の基礎知識』
歴史:
古坂絋一『宗教史地図 仏教』
平川彰『仏教通史』
471:神も仏も名無しさん
12/08/23 23:47:00.61 JcsIgk+V
原典:
『四十二章経・仏遺教経』岩波文庫 以下の国訳でも読める
『入中論自註』近刊
『八宗綱要』講談社学術文庫 ただし現代語訳と註はあてにならない
『清静道論』南伝大蔵経
『倶舎論』以下で国訳が読める 現代語訳もいくつか出てるが高価
『論理のことば』中公文庫
諸国訳:
URLリンク(www1.atwiki.jp)
南伝大蔵経:
古い訳で同名のシリーズ
片山一良訳のシリーズ
中村元編のシリーズ
中央公論社の大乗仏典シリーズ
読むにあたって『仏教学辞典』と『仏教語大辞典』があるといいと思う。
禅とか浄土教とかは、ここらへん読んでから読んだ方がいいと思う。
472:神も仏も名無しさん
12/08/24 00:06:15.69 bXuNmvJu
>>470
またまた、お決まりの上座部・テーラワダとチベット仏教。
そんな本では「日本の仏教」は分らん。誤解を招くだけ。
473:神も仏も名無しさん
12/08/24 00:16:54.84 6LbBTsRg
>>471
>『八宗綱要』講談社学術文庫 ただし現代語訳と註はあてにならない
って鎌田さんの本の事だよね?
現代語訳と注はあてにならないって言うがそんなに断言されるような代物ではないような気がするが?
474:神も仏も名無しさん
12/08/24 00:22:52.25 ZVvJxVPM
>>472
日本仏教が退廃的である現実を直視しろ。
どこに尊敬に値する要素が存在する?
不祥事は多い、金にがめつい、布施が少なければ突き返す、
VIP扱いしなければゴネル、
日々の過ごし方も欲にまみれ欲望のままにしていながらお説教では欲張らないことを説く、
自分の生活を棚に上げ、身心ともに清貧なることをよしとする、
こんな詐欺みたいな日本仏教のどこに評価すべきところがあるんだ?
475:神も仏も名無しさん
12/08/24 00:31:56.22 09PtnY1p
ジャイナ教やれよ。
476:神も仏も名無しさん
12/08/24 00:33:12.15 ZVvJxVPM
>>475
お前も生命教信徒かw
477:神も仏も名無しさん
12/08/24 00:37:03.50 09PtnY1p
いや、裸族だ。
478:神も仏も名無しさん
12/08/24 00:37:11.68 mpwz1FKI
暢気な事言ってて国滅ぼしたチベット仏教の功罪ってどうなんだろうね。
仏教にかまけすぎて国家としての自助努力を放棄し国を傾けた実績があるわけで。
479:神も仏も名無しさん
12/08/24 00:44:11.69 ZVvJxVPM
そう。
世俗のエキスパートの存在しない“社会”は、存続も危い。
社会が存在しない時、修行者もまた存在し得ない(生活し得ない)。
よって、教え及び修行者を支えるということは、同時に(健全で安穏な)“社会”の維持がなされるべきこととなる。
高尚な第一義を朗唱することも良いだろう。
だが、世俗の日々にフィードバックし得ないものであるなら、
そんなものは核廃棄物よりも無用で有害なものでしかない。
480:神も仏も名無しさん
12/08/24 06:19:12.08 lbdqtcuA
>>473
例えば、註で当てにならないやつを幾つかあげるよ
226頁: 密意
281頁: 有所得見
283頁: 戯論
398頁: 行布、円融
411頁: 阿闍梨
481:469
12/08/24 07:11:02.34 bIZ2zkKr
>>470
なんか色々言われてるようですが、わざわざありがとうございます
石飛道子『龍樹』『八宗綱要』講談社学術文庫は、読んだことがあるので、
山口益『仏教思想入門』辺りを図書館で借りて雇用と思います。
>>禅とか浄土教とかは、ここらへん読んでから読んだ方がいいと思う。
あと、個人的な趣味などの理由で、今正法眼蔵を読んでいるのですが、
これは、取り敢えず、後回しにした方がいいですかね?
また、質問に答えてもらって、こんな事言うのは、恐縮ですが、全体的な
チョイスが、論理思考が強くないですか。
純粋な宗教としての仏教像を、理解しようと思ったら、これら著作だけでいいですかね。
それとも、また、別なものを読む必要がありますか?
長文失礼しました。
482:神も仏も名無しさん
12/08/24 07:42:27.71 cpKVTyuP
『ダンマパダ』全詩解説―仏祖に学ぶひとすじの道 片山一良(著)
483:神も仏も名無しさん
12/08/24 07:42:54.23 lbdqtcuA
>>481
正法眼蔵は、中論、大智度論を読んでからの方がいいでしょう。
概説はその下の原典を読むためのものだから、
原典でも最初に上げたものは、体系的な経典の見取り図みたいなものですよ。
『四十二章経・仏遺教経』は経典のエッセンス
その後で、南伝大蔵経を読み、それから大乗経典を読む方がいいと思う。
484:神も仏も名無しさん
12/08/24 07:52:51.14 bIZ2zkKr
>>483
中論、大智度論は、中村元「龍樹」に入ってるものでも問題無いですか?
485:神も仏も名無しさん
12/08/24 08:51:23.45 lbdqtcuA
>>484
中村元「龍樹」は問題多いですね。
できれば、国訳がいいと思います。
大乗仏典シリーズの大智度論は抄訳ですが、良訳だったと記憶します。
486:神も仏も名無しさん
12/08/24 08:58:46.24 bIZ2zkKr
>>485
梶山雄一訳のやつですか? 絶版みたいですね。探してみます。
あと、話しが飛ぶんですが、梶山雄一著作集の中観と空って
あなたからみて中観の解説書としてどうですか?
487:神も仏も名無しさん
12/08/24 09:01:40.54 bIZ2zkKr
いや、既に龍樹論集として再販されているみたいですね
488:神も仏も名無しさん
12/08/24 09:02:16.36 kACulzvZ
>>482
またまた上座部か。このスレは「日本の仏教質問箱」なのに、テーラーワダの
布教化してるな。誤導されるから、回答を信じてはならない。
489:神も仏も名無しさん
12/08/24 09:03:52.73 lbdqtcuA
>>486
著作集は未見ですが、梶山先生は優れてますよ。
山口益先生、梶山雄一先生、生井智紹先生という流れは希少な中観解釈だと思います。
それを一歩進めたのが、石飛道子先生だと考えます。
490:神も仏も名無しさん
12/08/24 09:05:28.33 lbdqtcuA
>>487
いや、それではなく中国・日本編の大智度論、
梶山先生と赤松明彦先生の訳です。
491:神も仏も名無しさん
12/08/24 09:16:01.08 kACulzvZ
>>489
石飛さんは、日本の仏教学界で、どの程度評価されてるの?
492:神も仏も名無しさん
12/08/24 09:16:03.64 6LbBTsRg
>>480
398頁と指摘している項目以外は確認したんだが、
詳細では無いことは確かだが、正しく無いとは言い切れないんじゃないか、
いずれも大枠は捉えてるように思う。
>>481
純粋な宗教としての仏教という語が信仰としての仏教という意味であったら、
470が指摘しているテキストが至高だと思われる。
純粋な宗教としての仏教ってのが抽象的でいまいちわからん。
493:神も仏も名無しさん
12/08/24 09:21:56.60 6LbBTsRg
>>491
自分の周りではあまり評価されていない。
色物として扱われているように感じる。
494:神も仏も名無しさん
12/08/24 09:31:51.63 bIZ2zkKr
>>492
あまり考えず、論理的なな仏教との対として「純粋な宗教」という
言葉を使いましたが、よく考えると難しいですね。
宗教を人類を救済する(導く)ものとして定義するなら、伝統を守っている
と言われるチベットやビルマの仏教は、内向きのイメージで外に布教して
行く感じは身請け話られませんし。日本の仏教は、世俗化しすぎて純粋な
仏教かと言われると「?」ということになる。
自分で言っといてあれですが、私には、宗教としての仏教の立ち位置がわかりません。
キリスト教やイスラム教は、宗教としてはすごく分かりやすいのですが。
495:神も仏も名無しさん
12/08/24 09:37:41.30 lbdqtcuA
>>492
いや、あれじゃ誤読だよ。
例えば、戯論を「たわむれの議論」と註してるが、そりゃ字面だけ述べ書きしただけでしょ。
戯論は、そういう意味で使われてないでしょ。
ああいう註とか訳で問題ないと思うなら、ご自身の仏教理解をもう一度疑うべきだと思いますよ。
496:神も仏も名無しさん
12/08/24 09:42:42.15 lbdqtcuA
>>494
仏教は本来布教するもんじゃないですから、
聞かれて初めて教える道なんで。
しかも道は、歩んで効果があるわけです。
あれを紹介したのは、妥当で体系的な概説だと思ったから。
ただし、石飛先生のものは除いて。
仏教は本来、本から学ぶものではなく師匠に就いて学ぶものです。
お経も論書も口伝えで学ぶもので、書かれたものは補助に過ぎません。
ですが、ここではそういってもしょうがないので、テキストに基いて紹介してるだけです。
497:神も仏も名無しさん
12/08/24 09:57:05.91 bIZ2zkKr
>>496
それは、分かるのですが、それ言っちゃうと、日本では、宗教的な仏教は
檀家止まりって事になり。出家者する以外に本来の仏教を学ぶことは出来ない。
その以外で仏教を学ぶ事は、趣味(宗教としては無意味)以外の何物でもなくなりますね。
これは、日本的な、お上が宗教(仏教)を管理するみたいなおかしな伝統が生んだものなのでしょうけど
まあ、お盆終わったんで、当分和尚さんは来ませんが、機会があったら、それ関係の事も聞いて見ます。
(さすがに迷惑かなw)