12/05/10 15:24:14.19 k1qruD4S
岡田光玉。
昭和49年に心臓発作で遠隔手かざしの甲斐も無く死亡。
当時、残された信者が右往左往して肝川龍神に行った。
それは、岡田光玉在世時、肝川に通って居たから。
神戸の矢野シン、立川の神宮一二三、ところに、生前、岡田光玉が
訪れたそうで、信者が追いかけていった。
古い古参信者は、みな知っている話です。
岡田光玉さん、なんで色んな神業者の所を行脚したかと言うと、どうやら
真光の霊線が切れてしまったので、何とかしたかったみたいです。
晩年は、霊力を失ったとか堕落したとか、色々言われています。
千昌夫のようなホクロもなくなったとか・・w
元々、岡田光玉の立教した時の霊力も、他所から引っ張ってきた物でしょう。
田園調布に神殿建てたのも、多摩川の上流(玉川郷)で岡田茂吉が立教したから、
そこから霊線を引っ張ってきたのか。
それが枯れたので、別から引っ張ろうとしたが上手く行かず、本人も頓死したわけ。
教祖が死んで、信者流失したので・・・肝川龍神の東京支部も、神戸の神政龍神会も
真光から流入組みです。