12/01/25 12:26:31.71 xziRczze
「中国兵による暴虐」を米外交官が報告 (暴虐は中国兵が行っていた。証拠は歪曲されてた)
検察側は「・・・南京に於ける状態に関するアメリカ大使館報告」を南京虐殺の証拠文吉として提
出し、法廷で朗読した。・・・検察側は右報告中、中国軍による暴虐を記述した個所は省略して朗読
した。弁護側は、当然なから、その省略個所を反証として朗読した。
「・・・日本軍は入城とともに南京が実際に荒らされをらざるを発見せり。市民の残りの大部
分は所謂『安全地帯』に避難しをり、・・・。しかしながらここに一言し置かざるべからぎるは、
支那兵自身は日本軍入城前に全然掠奪をなさざりしわけにあらず。最後の数日間は疑ひなく彼ら
により人及び財産に付する暴行犯されたるなり。支那兵が軍服を脱ぎ常民服に着替へる大急ぎの
処置の中には種々の事件を生じ、その中には着物を剥ぎとるための殺人をも行なひしなるべし。
かの無秩序の時のことなり、退却する軍人及び常民が計画的ならず掠奪をなせしことは明らかな
り。支那人政府と大部分の支那住民の退却とにより、市に発生したる混乱と無秩序とは、市をい
かなる不法行為をも行なひ得る場所となし終れるなり、これがため、残留せる住民には日本人来
たれば待望の秩序と統制の回復あるべしと、日本人を歓迎する気分さへもありたることは想像せ
らるるところなり。・・・」
・・・中国側にとつて不利な個所は、検察側による朗読の際に省略され、暴行が日本軍のみによっ
て行われた印象を与へるべく、証拠文書の歪曲引用が行われた。
(大東亜戦争への道 439ページ)
支那兵は支那軍によって殺された。
URLリンク(www.youtube.com) 2分18秒以降
我々第三大隊は最左翼を進み、敵の機関銃をまともに受けた。戦いが終わって、敵のトーチカを
検分してみた。すると、トーチカの中国兵は足を鎖で繋がれており、中から出られず、死ぬまで
機関銃を打ち続けるように強制されていた。
(歩兵第十三連隊 上等兵 永田尚武)
熊本兵団戦史によると、歩兵第一旅団長の坂井少将の手記に、中国軍のトーチカについて同様の
ことを書いている。敵はトーチカの外部を鎖で巻き施錠してあった。人道上、許しえない暴状で
あったと述べている。