12/01/22 15:59:09.58 K3+3EnPt
>>96
>「尊重しない自由を主張するなら、尊重する自由を否定するのはなぜだ?」
まず自由は他者の自由を制限しない範囲で保証される。
国旗・国歌への敬意は内面的なものでこれをどうするかは個人の自由だ。
敬意を表明させる行為はその指示への拒否に対して罰がある状況では強制になり、つまり自由の制限になる。
次に敬意を表明しない行為は儀式の運営を妨げる、という主張の妥当性を考えて見よう。
これは儀式の構成および運用をする側の自由を制限することにはなる。
しかし、先に書いたように「敬意の表明の要求」が個人の内面の自由を制限するため、この自由は保障された範囲を逸脱している。
別の見方をすると「個人の内面の自由」と「式典での敬意の表明」はどちらが優先されるかということになる。
これは個人の利益と公共の利益はどちらが優先されるかということだ。
これを客観的に比較するのは難しい。
主観的な価値であり、時代や地域により変化する。
今日の民主主義国家では全体主義の反省から個人の利益が優先され、仮に制限される場合もそれに見合う補償が行われる。
式典での国旗・国歌への敬意の表明は権威への服従による共同体の秩序維持がもたらす利益を暗黙に想定しているが
今日の社会でそのようなメカニズムの有効性や必要性および妥当性はほとんどなく、強制による個人へのダメージが
相対的に大きくなっている状況だ。
自発的な敬意の表明は問題ないが他者への強制はするべきではない。
>>101
>尊重したいと思ってる人達の自由を侵害するのは問題ないのかな?
尊重したいと思っている人の「他者への尊重を強制する自由」は、
他者の「思想良心の自由」を制限するため、
自由一般が保障された範囲を逸脱しているから認められない。
他者への強制は「自分が尊重する自由」には含まれない。