12/02/11 12:18:30.74 y+RKyBB4
谷底と高山は入れ替わっています。
松下幸之助も岩崎弥太郎も谷底から這い上がって来た《偉人》です。
天理教を信じるひとの、中山みきの《ひながた偉人》はともかくとして、多くの人の場合、太閤記のような、立身出世を人間の生き方の憧れであったり、苦労話の先掴む、幸せであったりするわけです。
谷底から高山に這い上がることを御守護と呼んだりしている方も結構多いのではないのでしょうか?
それは、天理教の歴史にも現れていて、初代の蒔いた種は、素直に凄いと思うのですが、次世代は、自ら種を蒔かず、信者さんの蒔いた種で生計を立てていないか?常に自問自答せねばなりません。
表現はあやしいですが、道の路銀は自らが捻り出さねばなりません。
いつまでも初代の蒔いた《おとく》だけではどうにもならんと思います。
谷底と高山は同じ人間の心の中に同居しているように思います。
私だけかも知れませんが…。
連れられて、仕方なく谷底は通って来ましたが、一度、楽を覚えた人間は、自らの意志で谷底は、怖くて通れないように思いました。