12/01/24 16:56:37.90 m/DghzMO
ぼちぼちさんの信仰と社会の、二股のもんだいです。過去の研究の続きになります。
道の路銀 研究 URLリンク(bbs.thebbs.jp)
[39] 基本。 2008/06/24 18:03
>>0
> 『長の道中、路銀なくては通られようまい。路銀として肥授けよう。』 (稿本天理教教祖伝48頁)
社会になじんで暮らしていたら、収入の道があるわけですから、通れる。
しかし、現在の社会にあるもののほとんどは「人の思惑」が付いている。
そしたら、それを除去したら、収入の道は無いことになります。
例えば自営として大企業の下請け、関係会社にて仕事したら、「応法」ではあっても、「道の路銀」としての「理」はない。
フランチャイズの店員というものも、「応法」であり、「道」ではない。
こんな風に思案しますと、飢え死にするしかない、
肥を使わなければ不作になるとして、思惑の付いたものは用いないという「道」の原則に立てば、真心だけの企業の肥料しかつかえない。
こんな風に、おやさまみたいにしようとしたら、生きて行けない。
この地上、人の思惑のかかっていない経済行為は、不可能に近い。
> 『長の道中、路銀なくては通られようまい。路銀として肥授けよう。』 (稿本天理教教祖伝48頁)
意味は、深く、重いものです。