12/01/19 09:17:38.32 Ogm2FtJT
>>118
>おやさまの予言の方法には、「断食」による方法があります。
>慶応元年 1865年 30日間の断食
> 1865年から30年間経て、1896年、
【前川菊太郎、橋本清両本部理事が相次いで辞表提出】
9月、秘密訓令の対応を廻って、教会本部の前川菊太郎、橋本清両本部理事が相次いで辞表を提出した。9月、橋本が辞表提出、12月、前川も同調した。
【この頃の天理教の教勢】 明治29年12月末の教勢一覧。
信徒数313万7113人、教師数19061人、分教会17ヶ所、支教会185ヶ所、出張所484ヶ所、布教所392ヶ所。
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公認を受けて、宗教高山の配下になると言うことは、
おやさまとして、受け付けられるものではない。
「食べられぬのや」である。
このように、理は、歴史年表に明らかです。
橋本清は、初代真柱の教育係り、前川菊太郎は親族。教育係りには、親族には、謀反・異端因縁がある証拠です。
30年という年数は、立教の時の「20年30年たったら、なるほどと言わす」の、数理です。
1,2,3、で、なるほどと言うわけで、
甲賀大教会長が、インチキ願書を作成し、天理教青年会の海外布教イベント。
30年たって、大教会神殿が焼けました。
でも、海外天理青年の家の木札は、残っています。
誠と埃と、30年で、見えるのは、立教の予言の数理。
公認という(社会的立教行為)だから、布教開始からという数理として、思案します。